望まぬ対峙②
(お前もさ、自分があの方に必要とされてると本当に思ってるのか?)
自分の黒髪が乱れるのも気にせず、少女は息を切らして走っていた。
(お前は別にいなくても問題ないわけ。ワガママなだけの駒なんて、使い物になりゃあしない。お前が今までやってこれたのは、いっつも面倒見てくれる旦那が、必死に頼んでたからだしね)
嘘だ。あの男の言葉は嘘だ。
確かにディオスは、私の力が必要だと言った。
(お前はいらないんだよ、ルインディア)
「あのいけ好かない男の言うことなど信じるものか……っ!!」
強く唇を噛み締め、少女は走り続ける。その道中、何度もデゼルの言葉が頭を反響していた。
タルタロスの森の監視を任されたルインディアとシランスの元に、デゼルはやってきた。先の仕事に失敗して大怪我を負った彼をシランスが治療したことは、彼女も知るところだった。
『ふん、失敗するとは情けない。所詮は、そなたも弱者であったということだな』
いつものようにルインディアは高慢な態度をとる。これまでのデゼルであれば、彼女の言葉を真面目に受け取らず、聞き流すくらいの余裕はあった。
だが、自分が大怪我を負った、あの一件以来、彼にも変化が起きつつあった。表情から余裕はなくなり、ギラギラした赤い瞳でルインディアを見据える。
そして、あの言葉が吐かれたのだった。
いらない、いらない、自分はいらない子。
必要とされていない──その言葉は、深く少女の胸に突き刺さった。
もう忘れたと思っていた、ずっと前の記憶を呼び覚ます。
(お前なんか、いらないわ!)
実の母から捨てられた、あの日の記憶を。
大きな闇の力を持って産まれた子、ルインディア。父は幼いころに家を去り、顔も覚えていない。
唯一の家族であった母も、ルインディアが成長していくにつれ、制御できない大きな闇の力でひとを傷つけるようになると、それを恐れ、疎み、捨てた。
ひとりぼっちのルインディア。
ひとの温かさを知らず、生き抜くためには自分の力がすべてだと、涙を流しながら思った。
しかし、行き場をなくし、さまよい歩いていた幼い少女の元に、子どもなら怯えてしまうような大男が手を差し伸べた。
(俺はラ──シランスだ。行くところがないなら、一緒に来い)
孤独に呑まれていた少女に、一筋の光が差す。
自分を受け入れてくれた。あれほど恐れ、疎まれていた自分を。
ルインディアは迷わず彼の手をとった。素性も分からない男に着いていくのは危険なことであったのだろうが、当時の彼女にそんなことを考える余裕はなかった。
ただ、受け入れてもらえたことが、何よりも嬉しかったのだ。
シランスは、彼女のすることを何でも認めてくれた。汚れ仕事は全て彼が引き受け、彼女の望むままに動く。彼女の忠実な従者であり、心の支えだった。
そのシランスは、ディオスという男の部下でもあった。ルインディアは数えるほどしか会ったことはないが、彼もまた、自分の力が必要だと言った男だ。その裏に隠された顔など知る由もなく、彼女もディオスの部下として働く道を選んだ。
ディオスの計らいでシランスとルインディアは一緒に組むようになり、多くの命令をこなしていた。自分の力を必要としてくれたひとの元で、破壊の力を存分に振るう。これほど喜ばしいことはなかった。
だから、デゼルの言葉は信じられなかった。
自分が、本当は必要ない存在なのだということを。それがでまかせであることを信じて、ルインディアはディオスの元へ──アイテール城へと急いでいた。シランスの制止も聞かずに。
「ああ、君ですか、ルインディア」
しかし、アイテール王国の近くに差し掛かったとき、ルインディアの前に姿を現したのは、テミスにいるはずの局長アンヘルだった。
ルインディアの姿を見つけたアンヘルは、にこりと歪みのない笑みを浮かべる。そんなアンヘルに、ルインディアは叫んだ。
「私はこの先にいるディオスに用がある。どけ!!」
「ああ……あの高貴な方を呼び捨てにするなど、小娘が。口を慎みなさい!!」
穏やかな笑みを浮かべていたアンヘルだったが、ルインディアの言葉を聞き、態度が豹変する。これには、ルインディアも驚きを隠せなかった。
狼狽えるルインディアに向かって、アンヘルは畳み掛けるように言葉を繋げる。
「あの方は今、お忙しいのです。邪魔をする者は排除するよう仰せつかっておりますので。手を出すなと言われているのは、ほんの一握り。あとは私の判断に任せるとのことです。ああ、もちろんあなたの名前は入っていませんよ」
美しいとは程遠い、歪な笑み。アンヘルの中にあった本性が顔を出す。
「あなたのような小娘が、ディオス様にとって必要な存在であったはずがないでしょう」
彼は、狂ったようにディオスを崇拝している。かつて、人生を恨み、もがいても出ることの叶わなかった場所から救い出してくれたディオスのことを、神と崇めるほどに。
「私は、天使の血を引いている。それは私の誇り」
彼の言葉に反応するように、背中の右側から白い羽が生える。それは、まさに天使の羽。
「私は、悪魔の血を引いている。それは私の恥」
次いで、背中の左側から黒い翼が生える。それは、まさに悪魔の翼。
それを見たルインディアは、目を大きく見開いて固まった。
世界にどれだけ残っているのか、はたまたもういないのか、非常に珍しい天使という存在の血をひいていることだけでも、アンヘルは特別だった。
それだけだったなら、彼の幼少期の苦痛はなかっただろう。
穏やかな生活を許さなかったのは、彼に流れるもうひとつの血。悪魔の力。
アンヘルは、天使と悪魔の間に生まれた子どもだった。しかし、悪魔は他の種族から敬遠されがちな存在である。種族間の隔たりがなくなってきた近年でも、悪魔に対する偏見は根強い。
天使と悪魔、アンヘルの両親も長く共に過ごすことはできず、仲間たちによって引き離された。
その間に生まれたアンヘルは、成長するにつれて天使と悪魔、その力を均等に受け継いでいることが明らかになった。それが、彼を苦しめることになる。
天使でもない。悪魔でもない。
両親は何とか子どもだけでも守ろうとしたが、結局手の届かない場所に捨てられてしまった。捨てられた先でも、悪魔の血が邪魔をした。
いつしか、自分という存在が消えてしまえばいいのにと思うようになっていた。そんなとき、天使と悪魔の血をひく珍しい子どもの噂を聞きつけたディオスが現れ、手をさしのべてくれた。
「ディオス様は悪魔の血など気にしなかった。全属性使いとしての私の力を認め、救ってくださった」
当時のことを思い返すように一度目を閉じ、やがてゆっくりと瞼を持ち上げる。
「この力は、あの方のために」
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「局長が、いない?」
シランスの援護もあり、何とかテミスまでたどり着いた。それなのに、そこにアンヘルの姿はない。
「この混乱の最中です。局長自ら沈静に向かっております。ここの管理は私たちが行っておりますゆえ」
先を越されたか。アンヘルもアイテール王国の戦力に加わっている可能性が高い。
「あなた方、テミスへの入国許可は?」
テミスに残された法管理局の職員が、じろりとこちらを見る。ここにターゲットがいないと分かった以上、長居する理由はない。だが、このまま簡単に帰してもらうのは難しそうだ。
「本気で俺を倒す気でいたなんてなぁ……旦那のやつ、そんなにワガママ姫が大事かねぇ。こんなことになるなら、俺のこと治療しないで放っておけばよかったのになぁ」
「デゼル……っ!?」
背後から近づく気配に顔を向けた俺たちは、あっと声をあげた。それは、テミスの職員たちも同じようだった。
こいつがここにいるということは、シランスは……彼が約束を破っていないのならば、そういうことだろう。
「デゼル=ヴォルガーノ、指名手配犯!!」
テミスの職員たちも、さすがにデゼルが現れたのではそちらを優先しなくてはならないと考えたようだ。すぐさま捕獲のために動き出す。
「俺はなぁ……そっちのガキに用があるんだよ。邪魔、しないでくれるかなぁ?」
デゼルの炎を前に、テミスの職員たちは苦戦を強いられている。職員たちも精鋭なのですぐにやられることはないだろうが、数人掛かりでやっと相手にできる程度だった。
「ここは俺たちが抑える。お前たちは引き返してアイテール城の方へ向かってくれ」
その様子を見ていた先導のマレディクスが、俺やルーテル、他数名に対して指示を出す。
「ここに、マレディクスさんたちを置いて行けって言うんですか!?」
ロジャードが驚きの声をあげる。
「ロジャードやルーテルは特に、本来なら戦闘に巻き込めない隊員だ。この場は俺が任されている。無闇に怪我人は出したくない。それに、ここにターゲットはいない。俺たちの任務を忘れるな」
ディオス側につくアンヘルの動きを封じること、その力が未知数であるがゆえに、戦闘に関しては抜きん出ているファスをそちらに行かせる方が、任務の成功率は上がると判断した結果だった。
「ここから先、指示はエルフィアに任せる。頼んだぞ」
「……任されました。皆さんも、どうかお気をつけて」
後ろ髪を引かれる思いはあるが、ここからは二手に分かれて進むことに決まった。
俺たちは森の外で待機してもらっていた運搬部隊員を呼び、急遽アイテール城へ向かうことになった。
(エイド……)
あいつは、どうしているのだろうか。
不安を胸に抱えながらも、まずは目先のターゲットをどうにかすることを考えた。




