(7) 隣人
アメリカ合衆国日本州北海群札幌北署の駐車場。
井川は複雑な心境で車の前を通り過ぎる署員を指差した。
「次はあいつだ」
「青の淡色でレベル5、黒も淡色でレベル4ってところかな。あと何人試せば気が済むんですか?そりゃ、信じられないのはわかりますがいい加減現実を直視するべきだと思いますがね」
つまらなそうな表情で透は井川へ語りかける。
井川は顔を伏せたまま苦悶の表情を浮かべ、苦々しく口を開く。
「あまり認めたくは無いが、本当みたいだな」
「それで、俺の提案はどうします?俺は自由になるし、そっちは捜査しやすくなる。お互い得をするいいものだと思いますが」
しばしの間、井川は沈黙し思案していた。
(クォート教授がこんな辺鄙な大学に留まっているのはこいつがいるからか・・・。こんな素材を手放すほどの魅力を他の大学や研究施設が用意できるわけが無い。他の研究機関に取られないようオーラが見えることを黙っているように吹き込んだのもあの教授だろうな。それにこいつの索敵能力を利用すればこれまでの失敗を挽回出来る可能性が跳ね上がるのも事実だ。俺もお守りから解放される。民間人に協力を得るというのが気に食わないが、奴らの居場所を正確に把握するところまで出来ればあとはこっちで対処可能か。どうせこいつのレベルだと実戦役にたたん。高性能レーダーを密かに手に入れたと思えば良い)
多少の葛藤の末、結論を出した井川は隣に座る透に視線を向け、
「いいだろう。その提案を飲んでやる」
透は井川の返答にほっと一息つき、
「それじゃ早速俺は無差別テロに巻き込まれただけの哀れな一般市民だと説明しに行ってください」
「その前に、おまえから言い出したことだからわかっているだろうがこの取引のことは絶対に口外無用だぞ」
「そりゃ、わかってるよ。そっちこそ俺のオーラ感知能力について言わないように気をつけて欲しいもんだ」
透の棘に対し、フンと鼻を鳴らし、井川は車を降りた。
「――と、いう訳でこの少年はただの無差別テロに巻き込まれただけではないかと」
臨時に設けられた対テロ対策課のオフィスでスミスを前に、井川はクォート教授と透から得た情報を元に報告をする。
「なるほど、確かに奴らのやり方としては統率性が無いな。だが、奴らがあの場所で無差別テロを行った理由がわからん」
「念のため、一時的に透君の携帯端末をデータベースに登録して位置の追跡と何か異常があった場合すぐに連絡してもらうことにすれば良いかと」
スミスは口髭を軽くつまみ、透を見ながら逡巡し、
「足りんな。一先ず護衛は不要だとしても念のため1週間から2週間は人ごみの中に一人で行くことは禁止せねばならん。万が一、そういう場所に行きたくなった場合は必ずお前を護衛につけること。透君もそれで良いかね?」
「こっちとしては平和な学園生活が過ごせるなら問題ないです」
肩を竦めて透が答える。
「では、私はこれから透君を家に送りますので失礼します」
一礼し、踵を返す井川の背にスミスが警告する。
「井川、これだけは覚えて置け。先程の案はお前独自のものでないことはお見通しだ」
井川は振り向かずに顔をばつが悪そうに顰め、無言のままオフィスを後にした。
オフィスに一人きりになったスミスは椅子の背に体を預け、井川に入れ知恵をしたと思しき人物に思いを馳せる。
(クォート教授の思惑が働いていると見て間違いないだろう。教授のことをそこまで重要視していなかったが、今後教授絡みの案件が発生した場合、警戒が必要ということでもある)
悩みの種が一つ増えたことにスミスは大きく溜息をついた。
井川の車へと向かう最中、透は感心したように呟いた。
「よくさっきの会話で別の人間から示唆されたことだと気付いたもんだな。流石はFBIってところか」
「そりゃボスとは一日や二日の付き合いじゃないからな。それに俺の思考回路の全てとは言わないが7割程度は行動パターンが読めるくらいプロファイリングの出来る人だ。最も、そんな人がなんで本国からこんな辺境に飛ばされたのか知らんが」
「飛ばされたって、そんな左遷の地の住人の前で言うことですか?じゃあアンタも本国からこっちに飛ばされた口なのか?」
「まあな。でも、俺はもともとこっちの出身だけどな」
その後も他愛ない世間話をしながら二人は車へ乗り込み、透の家へと向かった。
透の家の近くまで来た時、透は思い出したように井川へ、
「捜査協力は仕方ないとして、ある程度当てを付けてから連絡をしてくれよ。流石に何の当てもなしに放課後何日も一緒にいると怪しまれて計画がパァだ」
「OK。こっちもそこまでお前の力を当てにしてはいない。それに片田舎でもFBIの捜査力をなめるな」
「そういえば、俺が襲われたときも来るのが妙に早かったしその辺は信頼してもよさそうな気もするな」
「まあ、そういうことだ。ほら着いたぞ」
気付くと既に透の家の前に車が停まっていた。
透はそれ以上何も言わずに車を降りるとその直後、聞き慣れた声がかけられる。
「あら?透君、その方はお友達?」
振り向くとウェーブのかかった長髪の女性が頬に手を当て、首を傾げていた。
「ああ、えっと、この人は刑事さんで、この間の爆発事件に俺が巻き込まれて、その事情聴取が終わったから送ってくれたんだよ」
透が女性から目線を逸らし、頬を掻きながら説明する。
(流石にただの警察じゃなくてFBIってことと未だ監視下に置かれていること話して優子姉に必要以上の心配させるわけにはいかないからな)
「あらあら、それは大変だったわね。でも丁度よかったわ。ケーキを作ったからお裾分けに行こうとしていたところなの。よかったら刑事さんもご一緒にいかが?」
透の家の隣人、優子・高梨は手に持ったバスケットケースを掲げて問いかける。
透は複雑な顔をして車のウィンドウをノックし、ウィンドウを開けるよう促す。
ゆっくりとウィンドウが半分程度のところまで開く。
「ちょっと休憩していかないかってさ」
車の中の井川は何故か優子から顔を背けて息苦しそうに、
「いえ・・・私は任務がありますので・・・」
とだけ言い残し、そのまま車を走らせて去っていった。
(なんだよ、あの態度は?女に免疫が無いのか?)
訝しげな表情を浮かべて車が走っていった方向を見ながら透がそう思っていると、
「あら~、残念だわ。でも、お仕事ならしょうがないわね~」
あくまでマイペースな優子の言葉に透は肩の力を抜く。
「あんな奴のことは忘れて早く家でケーキを食おうよ。そういえば優子姉のケーキを食べるのは久々だなあ」
「そうね。私の方は看護師の研修があったからあんまり家に帰って来られなくて会えなかったものね」
「あ、バスケットは俺が持つよ」
優子は微笑を崩さず、透にバスケットケースを渡す。
そして透が先導する形で二人は高倉家へ入っていった。
井川は透の家から少し離れた路地に車を止め、軽く頭を抱えていた。
(何故、あの人があんなところに?)
深呼吸をして高鳴る動悸を抑えつつ状況を整理する。
(ファーストネームで呼んでいたということはあいつとはそれなりに親しい仲だということだ。それと徒歩でケーキを持ってきたということはあの近くに住んでいるということ。あいつの警護にそのままついていればあの人と十分な接点が生まれた可能性が高かったということか)
そこまで思案して一息つき、
(まあ捜査上の方針については仕方が無いとしよう。しかし、突然の事とはいえ先程の態度は失敗だった・・・。何故あの場で「お言葉に甘えて」の一言が出なかったんだよ!そりゃあまりにも急なことだったからテンパってたけどまともに顔も見れないなんてどれだけ奥手なんだよ俺の馬鹿野郎!)
ハンドルに体重を預け突っ伏した体勢で井川は激しい自己嫌悪に陥っていた。
一方、高倉家。
「母さん、久しぶりに優子姉がケーキ作ってくれたからお茶の準備頼むよ」
透は玄関に入った直後、大きな声で母の恭子へ呼びかける。
が、返事は無い。
「母さん?」
リビングまで向かうが、やはり母の姿は無い。
辺りを見回してカレンダーの今日の日付にメモが書いてあることに気付き、カレンダーへと近付く。
「透君、恭子さんは何処にいるの?」
優子の問いにカレンダーのメモを見た透が答える。
「あ~、今日は料理教室で晩まで帰ってこないよ。そういえば、今月から料理教室を開く曜日が変わるってのをすっかり忘れてた」
「あら~、久々に二人とゆっくりお話できると思ったのに残念だわ。でも、お家の前で会わなかったら透君ともお話できなかったからそのことを喜ぶべきね」
両手を胸の前で合わせて笑顔で優子はポジティブに言う。
「ま、いないもんは仕方ない。優子姉は此処で待ってて、今お茶の準備をするから」
透はバスケットをテーブルに置き、頭を掻きながらキッチンへと足を向けた。
「それじゃあ、お言葉に甘えてそうさせて貰うわ」
優子は微笑を崩さず椅子に腰掛けた。
「さて、お茶は何処にしまってあったっけ?」
キッチンへ来た透は家捜しをするかのようにあちこちの棚を開いては閉じる作業を繰り返していた。
「いろんな調味料があるのはいいけど、目的のものを探すのが大変なのが難点なんだよな、この家は」
と、キッチンの主である恭子への愚痴をこぼしながら探索を続け、ようやく目的の紅茶を手に入れる。
「なんでカレースパイスの奥に紅茶をしまってるんだよ・・・わかり難いったらありゃしない。え~と、あとはティーカップとティーポットだな」
食器類はそれほど難なく見つかり足早にリビングで待つ優子の下へ向かう。
一方の優子は仮想ウィンドウを開いて誰かと話をしている。
「優子姉お待たせ・・・って誰と話してるの?」
「クォーツ教授の奥さんのイーリスさんよ」
教授の妻であるイーリス・クォーツ。
180cmを超える長身と優子をも超える妖艶な体躯を持ち、料理や音楽の分野でも一流の才能の持ち主である。
そんな人が何故教授のような研究のことしか頭に無いような人物と結婚しているのかという事が透の人生の中で一番の謎である。
ちなみに優子もイーリスも共に天然っぽいところがあり、傍から会話を聞いていると二人の間ではかみ合っているらしいが他の人間にはついていけない会話をしていることがままある。
今回も多分その類だろうと思い、透は深く突っ込まないことを決め込み、黙々とティーポットに湯を入れる。
なおも会話を続ける二人を尻目に、透はしかるべき時間を見極め、素早くティーカップへ紅茶を注ぎ、一息ついた。
紅茶を入れるタイミングは母・恭子から幼い頃から厳しく躾けられており、自然と本気になってしまうのである。
優子へ紅茶を差し出したタイミングで丁度イーリスとの会話を終わったらしく、優子が仮想ウィンドウを閉じる。
「イーリスさんは俺に関して何か言ってた?」
自分で入れた紅茶を一口飲み、味を確かめながら透は尋ねる。
「いいえ?ガーデニングの話とか作ってきたチーズケーキの話くらいしかしていないわよ?」
バスケットからチーズケーキを取り出し、皿に乗せながら優子が答える。
「いや、イーリスさんもこの前、爆破テロ事件に巻き込まれたって話を聞いてて、俺も昨日巻き込まれたからその繋がりで何か言ってたのかな?なんてね?」
差し出されたチーズケーキを頬張りつつ透が話を続ける。
「ええ!?透君爆破テロに巻き込まれ・・・!?」
透の一言を聞いて驚いた優子が口にしていたチーズケーキをのどに詰まらせ苦しそうに咽る。
透は優子の背中をさすりながら、
「てっきり母さんから聞いてるから表でその話をしても平然としてたんだと思ってたんだけど・・・」
なおも少し咳き込みながらも紅茶を飲み、落ち着きを取り戻した優子が改めて凛とした表情で透へ向き直る。
透は優子のその表情を見るのが久しぶりだと思い、何を言われるのか皆目見当もつかなかった。
優子の次の行動は言葉ではなく、透の頭を胸にうずめるような形で抱きしめた。
予想外の行動に透は気が動転して現在の状況が理解できなかった。
「もう、危ないことをしちゃだめよ・・・」
透は巻き込まれただけだと主張しようとしたが、がっちりとホールドされて息ができない。
優子は白――肉体操作系――のレベル6でオーラを使って細腕の女性としては考えられないほどの腕力を揮える。
現に今も意識しているかどうかわからないが身動きができない、息は苦しいが肉体強化だけでなく抱えられた頭はヒーリング能力も使用しているのか精神的に癒される。
優子は優子で透が恥ずかしがってもがいているものだと勘違いして更に力を込める。
透の呼吸が限界を迎えようとした刹那、静寂を打ち破るように透の腕時計型のVPTから電話の着信を知らせる音楽が鳴る。
その音楽に優子は透を抱きしめる力を緩める。
開放された透は深呼吸をすると、VPTを操作して電話の着信を受ける。
「もしもし、透?そっちはうまくいった?」
仮想ディスプレイに巧の姿が表示される。
「ああ、教授の証言で監視からも解放されたよ。でもちょっと難儀な点もあって・・・」
いまだに荒い呼吸を整えながら答える。
「なんか息が荒いけど、それどころじゃない感じだね。とりあえず見せたいものがあるからちょっと家に来てほしいんだ」
「わかった、ちょっと一杯紅茶を飲んでからそっちに行く」
その一言で電話を切ると、優子に向き直る。
「なんか、巧が呼んでるからちょっと行って来る。優子姉はいつもどおりゆっくり気のすむまでウチでゆっくりしてていいから」
「巧君、少し急いでいるみたいだったけど何かあったのかしら?」
「さ、さぁ?また何かの試作品のテストだと思うけど、急にテストしてほしいものでもあるんじゃないかな?ハハハ・・・」
頬を掻きながら誤魔化しつつ、
(優子姉、ゴメン・・・危ないことは駄目って言われたけど、近々危ないことするかもしれない・・・)
と内心で思い、紅茶を一杯飲み終えた後、透は自宅に優子を残して巧の家へ向かった。