(1) 雨の中の攻防戦
深々と降り注ぐ雨の中、傘を差し、一人の男が人気の無い路地を歩いている。
男は国際テロ組織「ドラゴンスレイヤー」に属しており、コードネーム「イール」と呼ばれている男だった。
FBIの日本支局対テロ対策課に所属する捜査官、アレックス・井川は地上から6メートルほどの高さから空中を浮遊したまま音も無くイールを尾行していた。
オーラと呼ばれる5系統の色と共に分類される力、すなわち、『温度操作の赤』、『状態操作の青』、『電磁波操作の黄』、『肉体操作の白』、『重力操作の黒』の5種である。
また、その強度によって、色別に10段階のランクに判れており、ある色のレベルが高ければ他の色のレベルが低いというように、その才能の総量は全ての人間が同量である。
井川は黒のレベル9、その他のオーラをほとんど使えないが、黒のオーラ――重力操作能力――のエキスパートであり、自身の重力制御能力を用い、空中を浮遊している。
同系統のオーラの高レベルを有している場合は重力波や電磁波を感知される場合があるが、井川の尾行しているイールは情報によれば黄のレベル6~7ということなので、尾行に気付かれるはずが無い――はずだった。
イールはドラゴンスレイヤーの一員として活動していく中で培われた尾行の気配を感じていた。
ふと、足を止めて振り返り、背後を確認するがやはり、今、自分の歩いている路地には前にも後ろにもいない。
光の屈折を利用して姿を隠していたとしても黄のオーラ――電磁波操作――の高レベル能力者である自分に感知されないように光学迷彩を施すのは不可能だ。
だが、何故か視線を感じる。
人の姿が見えないが、振り返ったイールは目に映る光景のどこかに違和感を覚えた。
イールは間違い探しを見つけるかのように目を細め、視界に映る景色をゆっくりと意識の焦点を端々へ向ける。
やがて無意識に口の端が上がり、懐から静かに銃を引き抜いた。
おかしい。
イールの足が止まった。
(尾行に気付かれたか?)
だが、上空にいる自分に気付くとは考えにくい。
日の出ている時間帯ならともかく、日も沈んでいる時間帯であり、なおかつ、今日は雨で地面に影が映ることも無い。
つい最近も別の件で犯人をあと少しというところで逃してしまい、課長に檄を飛ばされている井川は応援要請もせず、何とか単独で手柄を立て挽回しようと焦っていた。
(何故、動かない・・・)
イールの足が止まってからもう5分から6分は経っている。
苛々しい思いを抱きながら井川は尾行対象を見下ろしていた。
と、イールが再びその歩みをアジトないし犯行現場へ向けたのを見て、井川はしたり顔でそのあとを追う。
イールは大きなビルが並び立つ十字路を右に曲がり、姿が見えなくなったため、井川は速度を上げ、ビルの壁に張り付くようにして、曲がり角の先の様子を伺った。
イールはまだ気付いてはいないようで、その歩調に乱れは無い。
井川は一呼吸置き、再び上空からイールの後を追った。
井川が角を曲がってから、20メートルほど追跡し、ちょうど建物の中間に来た瞬間、銃声が辺りに響き渡った。
イールは歩みを止め、振り向いた景色の中で、自分から15メートルほど後方のアスファルトの一部分だけ雨の飛沫が当たっていないことに気付いた。
尾行されている。
音も無く空中浮遊が可能だということから尾行者は黒――重力操作系――の上位レベル、それも長時間の空中浮遊を行うことの出来ることを鑑みて相当の訓練を受けており、攻撃及び防御面でも強力な能力を使用してくる可能性が非常に高い。
自分も系統さえ違えど上位レベルの能力者ではあるが、黄――電磁波操作系――の能力は、攻撃面はともかく防御面に不安がある上に、相手の情報が全く無いので、まともに戦っても良くて痛み分けだろう。
奇襲を仕掛けて集中力を乱し、出来ることなら軽く手傷を負わせてから増援が来る前に姿を眩ませるのが常套だと、イールは長年の経験からそう算段すると、空中にいても回避が難しいであろう背の高いビルとビルの隙間に向けて歩を進めた。
(風が全く無いのが幸いだった。風があれば尾行には気付けなかっただろう)
イールは一人静かに神に感謝の祈りを捧げた。
テロ活動などと反社会的活動を行っているが、イールは毎日の祈りも欠かさないほど、敬虔なキリスト教信者でもあった。
祈りを捧げているうちに、奇襲に必要なビルの立ち並ぶ路地裏へ迷い無く歩を進める。
一度尾行確認した時から後方の確認はしていないので、念のため気付かれないよう後方を確認する。
やはり、一部分だけ飛沫のあたらない地面があり、一定距離を保ちつつ、着いて来ている。
イールはその地面の主がビルの陰に隠れられないようビルの幅の中間地点来たであろう瞬間、振り向きざまに手にしていたハンドガンから弾丸を発射した。
一発目の銃弾は井川の真下を通過した。
井川はイールの発砲に一瞬動揺を隠せなかったが、すぐに斥力フィールドを展開し、銃撃から身を守った。
そのおかげで、井川の左肩へ当たるはずだった二発目の弾丸は井川の体から逸れ、ビルの壁に反射する。
井川は空中浮遊を止め、斥力フィールドを厚くし、自身へ来る銃弾をことごとく逸らし、リロードの瞬間を見計らった。
イールは銃弾が全て逸れてしまい、ハンドガンが使い物にならないことに舌打ちをし、左手に持っていた傘を手放し2丁目のハンドガンを腰の後ろから引き抜く。
1丁目のハンドガンの最後の1発と同時に2丁目のハンドガンがけたたましい銃声を響かせる。
2丁目のハンドガンを打ちながら1丁目のハンドガンのマガジンをリロードしつつ、次の十字路へダッシュする。
井川も舌打ちをし、最小限の能力で銃弾を防げるよう斥力フィールドの精度を練り上げ、イールとの距離を詰めるために後を追う。
イールが曲がり角を曲がろうとした刹那、井川が自身を守る斥力フィールドに使用していた一部の斥力を砲弾として放つ。
雨が降っているため、イールにも斥力砲弾の存在がかろうじてわかる。
それは野球ボール程度の大きさで速度も目視から避けられる程度の速さでしかなかったが、それは黒の高レベルでないイールにもわかるほどの脅威的な威力であることを直感で理解した。
(このまま曲がれば避けられん!)
イールは銃撃を続けながら反対側の路地へ曲がるために反転する。
その後方でビルのコンクリートが破砕する乾いた音が2度響いたが、イールは振り返らずに全力で路地を疾走した。
井川の足音が十字路付近から聞こえるタイミングでリロードした2丁のハンドガンを再び連射する。
井川は先ほど練り上げた自身の体の周囲のみを覆う斥力フィールドのおかげで銃撃など一切気にも留めず、泰然自若という言葉のごとく銃弾をものともせずイールを追う。
急造の重力砲弾だったために速度が今一つであったが威力は十分に見せ付けられた。
今度は速度重視の重力砲弾を生成し、イールの曲がった十字路へ急ぐ。
再び銃弾を嵐が井川を襲うが、斥力フィールドに絶対の自信を持つ井川は何事も起こっていないかのごとく歩を進め、2発目の重力砲弾を放った。
先ほどとは違い、銃弾並みの速度で迫る重力砲弾にイールは反応できなかった。
命中こそしなかったが、イールの後方で再びコンクリートが砕ける音が雨音に混ざって微かに聞こえてくる。
井川は3発目の重力砲弾を生成し、イールに向かい宣告する。
「素直にお縄につくなら、痛い目を見ずにすむ。下手に抵抗すると四肢の一つ二つ失うことになるぞ。お前の能力では俺の重力砲を緩和させる事も、逸らせる事も無理なことはわかっているんだ。さあ、どちらか好きなほうを選べ!」
井川の右手の前で不自然に雨を弾く球体を目にし、イールは沈黙した。
しばし、雨音のみが二人の間の空間を占拠する。
「そうか、そんなに抵抗したいか。ま、こっちもお前が素直に「はいそうします」なんていうとは思っちゃいないがなぁ!」
言い終わると同時に井川は3発目の重力砲弾を発射した。
狙いも、速度も問題ない――はずだった。
重力砲弾は銃を構えるイールの右大腿に命中したが、砲弾はイールの体をすり抜け、イールの後方2メートルのアスファルトを抉り取っただけだった。
「残念だが、遊びは、終わりだ」
冷たいイールの言葉が発せられ再び銃弾が井川を襲う。
井川は混乱し、斥力フィールドが乱れるがやはり銃弾は井川の体には届かない。
と、銃声が止み、その代わりに閃光が井川を貫いた。
意識が朦朧とする中、井川が見たのは先ほどまでイールの立っていた場所から1メートルほど左にイールが立っている光景だった。
銃撃を行いながらイールは自身の黄――電磁波操作系――能力を用いて、自身の姿が井川には別の位置にいるように可視光を屈折させていた。
重力砲弾は威力こそ甚大だが、防御に能力を裂いている場合は、連射が効かない。
能力制御は精神面に大きく頼るものでもあるため、絶対の自信を持つ攻撃が無駄に終わった場合の精神的ショックで防御に隙が出来る。
その2点を利用し、更に銃撃を行うことで防御にだけ専念させ、こちらの本命の攻撃をヒットさせればよい。
自分が最も得意とする電撃攻撃。
適当に撃っても牽制として機能するが、場合によっては一撃で人間を殺すことの出来る能力であるために、やはり確実性が欲しい。
今は光の屈折に能力を使っていたためにあの男は死んではいないだろうが、銃声を聞きつけた野次馬の声が聞こえてくる。
増援が来る前に素早くここから去るのが先決であろう。
「主よ、今宵も無事生き延びることが出来たことを深く感謝します」
イールは神に祈りの言葉を呟き、その場から消えた。
後には意識不明の井川と雨音だけが空しく残っていた。