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沈んだ土地、浮かぶ希望

作者: 学無

一昔前はよく小耳に挟んでいたのになあ。

なんて思った環境問題を浅く取り上げてみました。

 時とは無慈悲な意志。

 時とは人同士の距離。

 時とは風なびく流れ。


 時という名の絶対的な流れは、誰に干渉されることなく、ただ過去から未来へ一方向に流れていく。

 新たな力に世界は席巻され。

 栄えていた権力を失い。

 人々は自らのみすぼらしさで多くを滅ぼす。

 そして繰り返す。人は過ちから次の時代の活路を見つけようとした。

 僕にはわからない。目の前に見える死から、どうして未来を見つけることが出来るのか。絶望は迫る。だというのに人は、次の世代につなげることを考える。

 自分が絶望に飲まれていくというのに。

 自分の子孫が、今以上の絶望を味わうというのに。

 いくら生命を維持したところで、生を受けたものはすべからく滅びると知っているはずなのに。

 それでも人は自分の足で立ち続ける。

 生れ落ちてすぐはおぼつかなくて、大人になるまではふらふらと遠回りを繰り返しても。目の前の壁に立ち向かう人たちがいる。

 僕はそれがうらやましかった。決まった未来に立ち向かう背中がまぶしかった。

 だから、観測を始めた。




 地球が美しい『水の惑星』と呼ばれていたのは数世紀も昔のこと。ツバルという熱帯地方のサンゴ礁帯が海面浸食で飲み込まれてからこのかた、地球の海面は着実に上昇し続けている。昨今では上昇も収まってきてるというが、現在では自分たちの行く末の皮肉って『水の惑星』と呼ぶようになった。

 人々は大きな都市を海に浮かべ、移り住むことでどうにか永らえた。だが、いつ訪れるとも知れない、大津波や海面浸食でいとも簡単におぼれ死ぬ畏怖を抱えて暮らしている。

 そのため海上都市に逃れた人間たちは研究を続けた。自分たちが生き続けるために。俺たち学生なんてものは、潮風に耐えられる演算装置くらいの位置づけだ。

 感情に冷酷であれ、技術のみに誠実であれ。それが科学者の暗黙の指標。

 俺たちは全てを救うのではなく、ノアの箱舟のように、かのときまで生き残るすべだけを貪欲に探求し続ける人形だ。



 海上都市。僅かな生存の可能性と、地上に存在した森羅万象の技術を集約した船。いつになれば潮が引くのかと、揺られる箱舟の上で過ごす日々を、自らの想像力で道を切り開けた先駆者達の誰が描いただろうか。

「……なんて、導入はどうよ、シン」

 俺は黙々と隣を行く学友に半笑いで言う。シンは苦々しく口をゆがませた。

「洒落になってない。ここにどれだけの先駆者の後輩達がいるか知ってるのか?」

 返ってきた言葉も刺々しい。こいつの言のほうがよっぽど皮肉臭い。

「はは、工場マシンのご子孫さまたちなら腐るほどいるな」

 海上都市は海面に窮した人類が、一時的な避難と、今後の対応を研究するために建設した海に浮かぶ都市である。旧日本の上に浮かぶイザナミを含め、世界で十数基存在する。

 海上都市はいづれも市民がすむ都市という一面と、人類を生存させるための技術を研究する一面を持っている。俺たちが属するのは後者で、更にその見習いにあたる。

「全く、お前という奴は……自分の立ち居地をもう一度思い出してみろ。いつどこで聞き耳立てれてるかわかったもんでは、……て聞いてるか?」

 俺はシンのいつもの小言には耳を貸さず、自分の左手を顔の辺りに持ち上げた。手首には白とも、銀とも取れる光を放つ輪が付いている。俺達浮き島の住人達に情報を伝達するツール、と聞いているが、実際には住人を管理するために用いられてることは俺ら学生には常識だった。わがままな番犬はその首ごと切り捨てる。そんな残忍さがにじみ出て、不気味すら思える。

「やりたいなら、とうにやってんだろ。こんな不幸のミサンガなんかこさえてんだから。使わない、なんてことはしないだろこのご時世」

 使えるものは親でも使う。使えないものなら親でも捨てる。それが時世のやり方だ。

「まあ、そうだな。そういえば、お前午後の研究の担当って、シンルーだったな」

 それがどうした? 俺はシンに追いつき肩をすくめた。

「女史の研究分野は海底一千キロメートルに、ここと同程度の都市を建設できないか、だったなと思ってね。人体と水圧との相互関係とかいって、モルモットにされなければいいな、ははっ」

「……、冗談じゃない」

「ほんと、笑えない冗談だ」

 笑ってんじゃねえか。俺はシンを恨めしく見上げたが、当の本人は、愉快そうに息を荒げていた。

「…………とと。オイ、ケイタっ。どこ行くんだっ、講義室はここだぞ」

 シンは廊下の真ん中で立ち止まり、壁に向けて手を伸ばしていた。俺は鼻で笑って踵を返した。ひらひら手を振って歩き出す。

「俺は、その講義に関しては免許皆伝だからな」

「お、おいっ。…………あんのバカ、アレは嫌味だろうが」

 後ろでシンが何か言っていたが俺は構わず歩いていった。壁に吸い込まれるように消えるシンを背後に、俺はサボりを決め込んで書庫に向かっていた。


 書庫には今時珍しい紙の本を納めた大きな本棚が並んでいる。天井に迫るほどの本棚にはぎっしりと本が並び、重厚とした雰囲気が俺は好きだった。また、普段から人の気配がないということも俺がこの場所が好きなもう一つの理由だ。

 現在では書面で管理していた情報波全てを電子化が義務化された。それもそのはずで、いつ海水につかるかわからない状態で、重く分厚い割に情報量の少ない紙の本は邪魔なだけである。学生も教授もその他も、文献の調査や成果の記録は端末を通して行う。イザナミ以外の海上都市では書庫自体ないのが普通だという。

「近代化から第一次海面上昇まで……だいたい一九四五年から二二〇〇年までの出来事をあたら文書か、このへんはまだ紙媒体が基本だったのか?」

 俺は大きな本棚の前で、適当に取った本をぺらぺらとめくっていく。歴史書のようだ。

 かつて世界と呼ばれた国々は数世紀も前に八割が海に沈んだ。海上都市計画が立ち上がり、現在でも増築と山間に疎開した民衆の回収が各地で続けられている。当然、助けられなかった命はかず知れない。

「二〇二〇年。海面上昇により、太平洋の島ツバルが海面浸食に沈んだ。これが、二十一世紀一次海面以上の始まりとされている……」

 文書ではたった一文で語られる。薄っぺらい、誤解と拡大解釈を入れ込むだけ厚みもない簡素な説明では、当時の人々の絶望を語るには足りなさ過ぎる。少しだけ想像力の足を伸ばした。埋もれた資料映像の中から必要なデータと読み出し、つぎはぎし、知識と推察で間と取りもつ。

 年に数回訪れる津波によって、数万人単位で人が流されていく。次の年には数十万単位。翌々年からは数百万。学者はもとより政治家はもとより個人投資家はもとより上流階級はもとより、日常を貪っていた一般市民はどれほど驚愕としただろうか。

 或いはまだ気付いていなかったのか。数百万という単位が人に使われたことを想像できずに。

 或いは愕然としたのだろうか。数百万という被害にわが身が含まれる日がいつ訪れるかのと。

 或いは茫然としたのだろうか。助けようにも助けるだけの社会が崩壊していく様に直面して。

 或いは憤ったのだろうか。研究者を軽視した政治家に。罪なく死を待つだけの自分の運命に。

「いくらキミは考えたところで、彼らの見せられた苦痛は理解できないよ」

 唐突に鈴のように響く幼い声が、俺の想像に割り込んで消し去った。

「……そうだな」

 閉じていた両目を開けると、目の前には隙間なく詰め込まれた本棚がある。白くぼやけた視界に浮かんでいた資料映像も、想像上の阿鼻叫喚も、視界の向こうに遠ざかる。残ったものは空っぽの心と、肺を満たす埃臭い部屋の空気だけだった。

「なら、キミは何のために過去をしろうとする? 振り向いても手の届かないものから何を学ぶ? キミはその時代に生きてはいない、背景も思想も違う世界からキミは何を求めるというんだい?」

 俺は答えず別の本を取り出して、またぱらぱらとめくっていく。

「キミはどうして、追い詰められたような目で、何を探しているの?」

 始めてその声を聞いたときは幻聴かと思い、いよいよ煮詰まっていたかと奥歯をかんだが。真摯に、実直に俺の真意を図ろうとする問いを、俺はいつごろからか心地よいとさえ感じていた。

「キミは恨んでいるのかい? こんな世界を、こんな世界に生まれてきたことを」

 俺は本を閉じ、溜め息混じりにそいつに答えた。

「さあな。……けど、恨む恨まないじゃないだろ。俺は生まれてきた。なら受け入れるしかこの世界に生きるすべはない」

「キミらしい、合理的な答えだ」

 視線をずらすと、すんだ白色の瞳をした子供が愁いを帯びた表情で見つめていた。名前はクロノという。海上都市の住人らしいのだが、詳細は不明。相変わらず、場所時間問わず現れる妙な子供だ。

「それを背負わせる原因を恨むでもなく、ただ受け入れる。けど諦めとも違う、キミは受け止めることで、始めに認めることでその先の可能性を見据える」

 クロノは及第点だと暗に告げる。俺に見せた微笑は、満足げには程遠く、これからどうするのかという覚悟を試されてる気持ちになる。……だが、俺にこれ以上いうべき言葉は見つからなかった。

「けど、それを支えているのはいったいなんなのだろうね」

 クロノの妙に達観した口ぶりに俺は引っ掛かりを覚える。というのも、クロノはいつも、あたかも自身は俺達人類を超越した存在と確信してる節がある。そのくせ決して見下すような尊大な態度はなく、どちらかというと俺たちの側にアコガレを描くように思えてならない。

「君はほんとによく分からない」

「ボクは、キミと話が出来て嬉しく感じている、と感じる」

 どうにも、今日もクロノとの会話は平行線とたどるようだった。

「だいたい、人の吉凶は生れ落ちた日を基準に決まるものさ。そう考えれば、同じ不自由でも今の生活の方が幾分もましだというものだ」

 俺たちは人権こそないが、手厚く面倒を見てもらえている。残された国土を数える生活よりがずいぶんとましだ。

「ふふ、前向きな言葉だ。やっぱりキミとのやりとりはあきないね」

 額を押えるとクロノが屈託なく笑う。羽根が生えたように軽いクロノの言葉は止まらない。

「科学は感情に冷酷であれ、技術にこそ誠実であれ。だね?」

「…………」

「キミの言葉だよ」

 穏やかに言うクロノの声は、胸に重く響いた。正確にはシラナミの学区における信条みたいなものだ。……俺も、結構毒されているということだろう。

「おれ、――っ!」

 前触れもなくキンと頭に響くような痛みが襲う。手で押えるそばから脳の神経を一本ずつ引きちぎるような嫌味ったらしい痛みに耐える。俺は嫌悪をあらわにした視線を左腕のリングに視線を移した。

[ Come to staffroom at once ]

 幅の狭いリングに大変簡潔な指示。これ以上の感情表現はない。どうせシンが告げ口したのだろう。あいつと俺くらいしかつるんでる奴はいないからな。

「本気にするとはね……、いい加減なれないもんだなこれ」

 まだ痛みが残る頭をかばいながら嘆息する。

「悪い呼び出しだ――いねえし。ほんとよく分からない子供だな」

 振り返っても誰もいない。取り残された俺をいざなうように、静寂に見た沙汰回廊が口をあけている。お前はこちらの住人だと言うように。

 俺は頭をかきながら回れ右をした。呼び出しには素直に従う。


 壁に手を伸ばすと、一瞬のうちに手の平と中心として人が収まる楕円がくりぬかれる。実際には壁があるわけ出たなく、左腕のリングからパーソナルデータを取得しその人物が通る部分だけを可視化する。

「いつ見ても無駄なセキュリティだな」

 無機質に白い壁が続くだけの廊下と違い、部屋の中には五十人ほどの人間がいた。誰も闖入者に気を止める気配はない。人の形をした人形が並んで、講義風景とサンプリングしたような不自然な光景に吐き気がする。

「はあ、場所が場所なら人も人か……」

「どうだった」

 唯一声をかけてきたのは、言わずもがなシンだった。半笑いで俺を招き入れる。

「呼び出しかけた教授どもと三時間もかけて説き伏せてやったよ」

 俺も肩を大仰に広げて笑ってやった。実際時間だけならそれくらいは経っている。

「次の講義があるから一時中断か、くく、さすがはメンキョカイデンさまだ。待遇の違いに嫉妬してしまうね」

「わかってんなら聞くな」

「くく、そうだな。分かってるからこそできることもある。ほら午前のデータだ。お前のパーソナルデバイスに転送してやるよ」

「いつも悪いな」

 俺は左手を前に出し、リングから端末を起動する。青い四角が宙に映写され、さまざまなアイコンが並ぶ中、左下にデータ受診のメッセージが表示される。早速添付されたファイルを開くと数十ページに及ぶ文書ファイルが四つ。俺が午前でサボタージュした講義数ともあっている。

「……この量にだけはげんなりするな。なあ、シン、やっぱここのカリキュラムって無理が過ぎないか?」

 早速一つ目の文書を斜め読みしながら、シンに同意を求めた。

「そうも言っていられないだろ。海面上昇ってやつは俺たちのわがままで止まってくれない。一年で研究者として使えるようにするなんて無茶とも呼べないだろ」

「むしろ、三ヶ月で使えなくても捨てられない分、ましだってか?」

 軽口のように口走ったが、瞬間にして講義室の雰囲気にひびが入った。それまで無視を決め込んでいた人形達が、聞き耳を立てているのが露骨に感じられた。

「アマネさんか…………それこそ、ここでは禁句だ。たとえお前でも」

 知ったことか。俺は乱暴に椅子に座る。新たなウィンドウを開き、別々の文書を自動送りにして同時に目を通す。

 イザナミの存在意義は、一人でも多くの民衆を保護することと共に、地球の現状を解決に導く優秀な人材を育成することである。それも火急に。

 旧日本での教育の定石は瞬く間に風化した。九年間の義務教育による集団生活における自立心の発育と、高等教育、学部教育による一層の自己啓発と専門的能力の開発などとちんたらやってる余裕がないのだ。他の海上都市はどうか知らないが、少なくともイザナミでは半年で基礎学力を叩き込み、ありとあや揺る分野の基礎知識を詰め込む。その後、二十四時間態勢で研究室に詰め込まれ、現代での常識と現状の絶望さを叩き込まれる。カリキュラムの過酷さからリタイヤする奴らも多い。

 そして、一年で設定されたカリキュラムをたった三ヶ月でこなし、現状の技術を根底から変貌されていった人がいた。時世を導くともあがめられた鬼才の名は、アマネ。

「けど結局、逃げた。周囲の重圧に耐え切れなくなった彼女は、自分の責務を全て放棄し、救いかけた人類をやすやすと切り捨てたんだ。はは、まさに科学者! 技術さえ確立されれば、それで全て満足なんだろっ」

「いい加減にしろ」

 声を荒げる俺の肩をシンが背後から鷲掴む。

「お前はアマネさんのことになると過敏になりすぎだ」

 シンの声は研ぎ澄まされた刀のように冷たく、周囲から向けられる視線もシンが一蹴する。俺は文書ファイルを閉じて、悪いと振り返らず謝った。

「アマネさんは人徳の優れた人だった。ここから消えたのも理由が……と、時間だな」

 壁が切り取られ、そこから一人クマ両目とも窪んだ初老の男が入ってきた。ざわざわと講義室内の空気が沼のそこに落ちたように重いものになった。シンは言い足りないと言葉を飲み込んで自分の席についた。

「そんなことは分かってる」

 他の連中がメモ用のウィンドウが開く中、俺は残り二つの文書ファイルを開いた。

「だから、俺はここに居るんだ」

 一年のカリキュラムをたった三ヶ月で修了したアマネ《ねえさん》が、何を考え何を思って海上都市を捨てたのか。その理由(しんじつ)を知るために。


 結局俺はその日、午後の一時間目の講義の後すぐ逃げ出した。シンが体調を理由に講義を抜けたことも理由の一つかもしれない。

 いつものように書庫に閉じこもったが、急に清掃するとかいう連絡が入って追い出された。あそこには、まだ書籍の電子化が義務化される前の希少な本の原本が収められてる。骨董も骨董な、下手に触ったらびりびりに破れてしまいそうなものだ。変だとは思ったが、リングがいつまでも警告を叩き込むので、いそいそと書庫から出て、そのまま施設を後にした。

「また、サボタージュかい。ほどほどにね」

 施設の入り口から続く階段下に、待ち構えたようにクロノの姿があった。

「サボタージュする方も悪いが、サボタージュされる側にも原因はある」

「それは道理かもね。けど、現に逃げ出したのはキミたちぐらいなものだよ」

 たちという言い方が鼻に付いたが、シンは病欠で仕方ないと弁解する義理もないので、黙って階段を下りる。

「一応担当の教授どもには、講義内容をまとめたレポートを送信しておいた。まあ、明日になればまた大目玉を食らうだろうがな」

 俺は溜め息を吐き、一番下に腰掛けた。すると丁度クロノと視線が平行になる。

 しかし、突然現れては突拍子もない疑問を口にするクロノにしては、無言を保っていた。太陽が傾き始めてなお穏やかだった陽気は、もどかしい湿度を濃くした。クロノの瞳は白く、俺の方から何か言うことがあるのではないか、と言う顔をしていた。

「何か気になることがあるのか、クロノ」

 クロノは言葉に窮した。それどころが目を逸らし、あらぬ方向に愁いのこもった視線を送っていた。

「動き出すみたいだ……。もう止められない」

「?」

 クロノは無機物的に漏らす。それは編年体で書かれた年表を読むような口調だった。

「何が動き出したというんだ……?」

 言いようのない不安にかられ、俺は腰を上げてクロノに手を伸ばす。

「おそらく、キミともお別れだね」

 だが、俺の手が届く前に、クロノは何度も使い擦り切れた笑みを残して消えた。


 懐かしい夢を見た。シンとであってしばらくして、書庫にシンを案内した時のものだ。

「へえ、広いし静かな場所だな」

「まあ、少しかび臭いというか、埃臭い場所でもあるがな。俺は気に入ってる」

「はは、これだけ大きければちょっとやそっと探されても見つからないな。それに雰囲気が懐かしいというか、飄々としたお前にあってる。サボタージュ常習犯のお前にはぴったりだ」

「それだけじゃ、ないさ」

「というと?」

「ここにはさ、埋もれていくだけだった物語が集まるんだ。先人達は思い描く理想や、現実を皮肉ったもの、縛られた中に見出した自由えお本として記した。俺たちが先の見えない研究をするより、よっぽぼ希望に満ち溢れてるものをね。現実を押し付けるクソつまらん講義より幾分も面白い。例えばさ、これなんかは――」

「――へえ。面白いな…………。そうだ。俺達も作ろうぜ」

「ん? ああ、いいなそれ! ふふ、じゃあさ――」

 嬉々として端末を起動させた俺の顔が滲む。夢の終わり。


 やけに空は晴れ渡っていた。パステル色に青い空は、あまりにも青すぎて、人工物のように見える。健やかな空気を吸えば、肺の中が新鮮な空気で洗浄されたすか素が強い気分になった。

 施設の全貌が視認できる頃になって、ようやく違和感に気が付いた。

 どうにも人の気配が希薄すぎた。いつもなら朝でも、機械仕掛けの蝋人形が放浪する様は見られる。空の青さも、暗いというか深みがあるようだった。

「……あ」

 今更のように端末を起動する。ウィンドウの表示をさまざま代えて機能を呼び出す。意識して使うことが少ないせいで見つけるのに少し時間が掛かったが、俺はウィンドウに拡大表示された文字盤を見て溜め息を漏らした。

「おはようございます。今日はずいぶんと早いんですね」

 思わぬ人物の登場に薄く笑い、クロノが近づいてきた。

「君は、……まあ、いい」

 出くわしたクロノの様子はあまりにも無邪気で、昨日見た表情が夢のように切り替わっていた。お別れだとかいいつつ、あっさり再開してんじゃないか。俺は口を漏らすも、ことのほか安堵していた。いつ終わるかもしれない夢が、まだ続いているという生ぬるい気持ちが広がる。

 俺は講義が始まるか教授が呼び出しとするまで間、何を話そうかと首の後ろを掻く。

 瞬間だった。地震でも起きたかと錯覚するほど脳が振動し、左手から神経を引きずり出すような痛みが走る。と思えば、それらはすぐに収まり、宙に放り出された浮遊感だけが残される。

「っ、――なに」

 言葉を漏らす間もなく、リングに変化を確認した。はく銀色をしたリングは生々しいほど原色に近い赤色に染まり、俺の意思を無視してメッセージを空中に映し出した。つまり、パーソナリティ以上の権限、それらを管理するイザナミの管理者権限による操作だった。

「…………これは」

 イザナミが管理者権限を使う事例は、俺は一つしか知らなかった。そして、俺が結論をためらっているうちに、リングから発せられていたメッセージが止まる。

「止まった…………?」

 ありえない現象が続く。この警告は、昨日のような軽い警告ではない。管理者権限による警告は、イザナミの統括者が、問題の解決が図れるまで住民の動きをけん制するためのものだ。それが止まったということは、誰かが意図的に止めたということになる。

 胸の中で何かがざわめきだす。

「…………どうなってる?」

 諦めを浮かべた視線が俺を見つめていた。顔を上げると、少し離れた場所にクロノは立っていた。世の断りを悟ったかのような涼しげ過ぎる表情で。言うべきことを何も言わず。

「…………」

 俺は悩んだ。胸の中の違和感が、今すぐ駆け出せを暴れ狂っている。だが目の前の少年は俺を行かせたくないとする感情を押し殺してるように見えた。俺の次にとる行動を知りながら、自分には止める権利がないと知りながら、それでも見ないフリは出来ないと苦しんでるように俺には見えたからだ。

 クロノ。そいつの名を呼ぼうとして、うまくかみ合わなかった。それは異常事態への動揺なのか、こいつが抱えるものに対する不安なのか、それとも他の何かなのか。はっきりしないが、けど、このままでは後悔することだけは直感的に理解した。

 だから俺は――複雑に絡む感情の中どうあがいても、踵を返して走り出した。

「キミは、本当に前に進むことが出来るのかい」

 背後に消えた少年の寂しげな声は、俺に届くことはなかった。


 なぜかイカロスの神話を思い出した。書庫で見つけた一冊にあった、天に焦がれたがゆえに自らの命を失った愚者の逸話。それががむしゃらに走る俺の姿に重なって、血と生臭いものをない交ぜにしたような味が口に広がる。

 俺はイザナミの城門に向かってがむしゃらに走っていた。なぜなら、先ほどリングが次げた警告は、数年前俺の姉であるアマネが消えた日と同じものだったから。

 特殊な環境化のうえで生活する際に重要なことは、そこに住む人間の足並みが完全に一致することだ。例えば、一人でも、一日でも長く生きる。そのためには使えないものを切り捨てることはむしろ善である。そんな共通的な指針があってこそ、いざという時に迅速な行動に移ることが出来るからだ。

 しかし、その前提が崩れてしまったら、人は迷いを生じ、罪の意識にとらわれ動きを止めてしまう。だからこそ、イザナミから逃げ出すこと、つまりイザナミのやり方を否定する人間を決して許さない。

「下手、打てば、俺だって、……同罪、だ……」

 心臓の音が聞こえてくるのは、ここまで走ってきて動機が激しくなっているからなのか、この先に待っているものへの恐れからか……

「この、先…………だっ」

 細い裏路地の先を右に曲がり、すぐに左に入る。そのまま進めば、見つけてしまうかもしれない。それでも止まらない、止まれなかった。焦燥が心臓を動かし続けていたから。

 人の侵入を拒むように狭く暗い、人一人ようやく進める壁の間を端まで進んでいく。端までたどり着くと一度足を留め、目を伏せて耳をすませる。

 じっと息を潜める。心臓がけたたましくも跳ねた。落ち着け、落ち着けと何度も自分に言い聞かせた。

 やがて遠くから乾いた靴音が乱反する。正解だった……手放しに喜ぶことも出来なかった。足音を数えると、一、二、……相手は三人のようだ。確立は三分の一。けど俺には確定した未来のように両肩に重くのしかかる。

 足音ははっきりと聞こえるまでに近づいた。おれは呼吸を整え、ままよと飛び出す。

 護身用の電極銃を引き抜き、俺は構えた。

「止まれ!」

 冷たく言い放った警告の言葉。三つの影が身をすくめ、窺うように半身をひるがえそうとする。

 効果はあった、それは火を見るより明らかだった。揺れ動く二つ(・・)の人型の影は、動揺をあらわにしている。しかし、その束の…………向き直った三人目を、まともに見てしまった俺は開いた眼を閉じれず固まった

 自分の目さえ、信じたくはなかった

「――シンっ。どうしてだ、どうしてなんだっ、しん!! 何で、何でお前がそちら側にいるんだ!!」

 俺は震えるのどのままに、ありったけの声を荒げた。

「やはり、お前が一番にくると思ってた」

 対するシンの声は落ち着いていた。いつものように、挨拶代わりに軽口を叩き合うように肩をすくめた。

 ますますわからなくなる。何故だ、いつからだと疑問がどうどめぐりする。

「やっぱり、辿り着いたんだな」

 手の届かせない位置で聞こえる、親しみを込めた少年の声。

「お前を出し抜けるとは、思いもしなかったよ。だってさ、この場所は、この抜け道は、俺たちで見つけたもんだ……お前が講義が嫌だとしょっちゅう施設を飛び出して、俺がやれやれと追いかけて説教する。ここもその一つだったよな」

 やめろ、心が叫ぶ。

 シンが一言発するたびに、俺たちの間にあった何かに亀裂が生まれる。

「お前が講義が嫌だとしょっちゅう施設を飛び出して、俺がやれやれと追いかけて説教する。ここもその一つだったよ」

 やめてくれ、精神が拝み倒しているのに、俺の口は震えるばかりで声にしなかった。

 シンが一瞬だけ自嘲的に笑い、次の瞬間唇の端を多き吊り上げた。

「俺たちの逃げ道は。お前は唯一ここから逃げ切ったアマネの弟と知って、利用されてるともわからず教えてくれたものだからな!!」


 

「………いつから、なんだ……シン」

「初めからさ」

 シンはさもことなげに答えた。

「俺は、いや俺たちはここの技術力が欲しかった。ただそれだけだった」

 独白するような呟きも何を言っているのか、俺は解らなくなりそうだった。シンは俺の様相すら気にも掛けず、自分の用件だけを伝達するように口調は改めず続ける。

「俺は日に日に海に浸食される故郷を一刻でも早く普及させるために、このイザナミの技術を習得しようと思った。始めはそれでよかった。来るし毎日だったが、お前がいて、故郷を思う気持ちがあれば耐えられないこともなかった」

 シンの表情に濃い影が落ちる。眉間に皺がくっきりと現れ、嫌悪感を薄い皮一枚で覆っただけの怖い表情を俺は知らなかった。

 シンが次に口にしたことは、イザナミの裏の顔だった。

「お前は、これまでにどれだけの人間がっ、このイザナミにっっ、見殺しにされ、今も見殺しにされていることを知っているか!!」

 シンは怒りに任せて一つ一つを語りだした。そのどれもが、現在のイザナミという都市を維持するにしても、残酷なものだった。俺たちに人権はないと思っていたが、そこで語られた人間たちは人ですらなかった。途中から俺は海馬を焼ききりたい狂気にかられ、シンの言葉も、周囲の景色も、全てがモザイク画のようにぼやけていった。

 三半規管がいかれ、見開いた瞳はガタガタ震えた。気づけば地面との距離が近い。俺は膝を負って、酸い臭いがこびりついた地面に項垂れていたのだ。

「…………しょせん、お前は――」

 シンの声が途絶えた。辺りがにわかに騒がしくなる。前方からよく分からない言葉で言い争ってるような声まで。

「ちぃ、予想よりはやいっ」

 聞き取れたのはそんな罵倒までだった。その後はシンらしき声が残りの二人になにやら指示を飛ばす。すぐに二人分の足音が逆方向にかけていく。

 けど、シンはその場に立ち尽くしたままだった。沼地のようなほの暗い瞳を俺に縫いつけたまま、立ち尽くす。俺は俯いた顔をあげられない。何も知らなかった俺は、その上で適当に生きていた俺には、シンの覚悟を受け止める資格がない。自信もなかった。

「ケイタ…………」

 惨めにはいつくばったままの俺を哀れむ声。シンは思いをまたかみ殺し、背中を向けた。

「Kill the Cronus, never remenber emperor」

 一言だけ残し、シンが他の二人を追って走り出した。


 暫らくして、イザナミの統括者を名乗る五人がやってきた。一人は路地の中心で肺人化していた俺に付き添い、四人が先をいく。

 左手から煩わしい赤色が消えた頃には、統括者二人に両脇を固められ、今回の逃亡者のうち一人が連行されていった。

 俺と彼の目が再び交差することは無かった。彼の目は伏せられていたのだし、俺は使うことのなかった銃口を見つめるように地面を見ていたから。

 俺は、激しく後悔した。



 あれから、俺もシンとのつながりについてみっちりと取調べを受けた。逃亡グループの首謀者と深い関係があり、かつ数年前一人で逃亡に成功した鬼才の弟なのだから、当然だった。しかし、二週間を過ぎた頃俺は生きない無罪方便を言い渡され、寮で無期限待機することを明示された。

 おかげで、あの日の言葉が事実かどうかを噛み締め、考える時間だけはあった。

 俺は何度も何度もあの日のことを思い出した。そして、クロノのことも。

 あいつは何故俺が前に進み続けるのかと問い続けていた。友人も、偽善も失い、ようやく俺はあいつが求めていた答えに一歩近づいたのだと気が付いた。

 俺がここに留まった理由。

 それはもう、俺の心の中にはなくなっていた。



『Kill the Chronus, never remenber enperor』

 シンが最後に残した稚拙な暗号は俺の胸を焦がし続けた。まだ熱を持って痛む。

 Chronusとは時の神。時は絶対的な流れであり、荒ぶれる運命の意。つまり、この常世そのもの。

 enperorとは帝王。帝王とは国を治める最高権力。旧日本の言葉では帝王を君主とも呼ばれる。頭をとって、……キミ

『無慈悲な制度に負けるな、お前を、お前の可能性を見失うな』

 意味不明な言葉に隠された、真摯な声。・・・・・・多分に、これがあいつの偽りない気持ちなんだろう。

「あんのバカ、俺を利用してたなら、最後まで冷徹に接しやがれよ」

 口の端が引きつる。明かりが全てとち、静まり返ってることを言い事に、俺はキチガイのように笑いつくした。笑って、高笑いして、喉の鳴らして、思いつく限りにバカな友人のバカな気遣いを嘲って。

 俺は照りを消した瞳で前を見据えた。

「どこにいるかしらねえし、興味もねえけどよ、シン。後悔しろよ、お前が止めをさしたんだ」

 時間がない。俺はすぐにプログラムを起動した。

 目に見えて都市に変化はない。だが、ガラスが砕けるような効果音が響き、ぱらぱらと白銀の火の粉が俺が進んだ道に落ちていく。

「……軽いな。もう背負うものもないと想っていたのにな」

 俺は皮肉に笑い、海上都市の城門にたどり着いた。おもむろに振り返る。

 俺が起動したプログラムは、俺という存在をこの世から消し去るものだ。始めにアーカイブにある俺のパーソナルデータを一切削除する。そしてリングの機能を利用して、この都市にすむ全ての人に暗示をかける。俺を完全に忘れるように。

 心は目の前の町と同じくらい静かだった。大事なものが欠けてしまった空しさも今は懐かしい。

「姉さんが見限ったのも、今ならわかる」

「もう行かれるのですね」

 ……、見送りは居ないと思っていたのだが、そいつが神出鬼没だということを失念していた。

「ああ、クロノ」

 白い瞳、白い髪、光をまとった細い体躯。闇を切り取ったように、城門の柱に一人の少年が立っていた。

「未練なんて初めからなかったらしい。俺はすでにこの場所を見限っていたらしい」

 自分の口から漏れると、それはまるで契約のように明確な意思に変わる。

「寂しくなる。ボクは、キミだからこそ、見ていたかったんだ」

 ふるふると、本当に残念そうに頭を左右に振る。けど俺は何も言わなかった。今更説得されたところで、俺に戻るべき居場所がもうすぐ消える。クロノだって、言葉がなくてもそれをわかっている。だから、今この場に現れたのだ。

 ただ一人、俺を覚えている隣人として。

「最後に一つだけ聞いていいかい」

 ああ。と俺は遠く空を見上げながら答えた。

「なぜキミは、ここまで前を向いていられたんだい?」

 これまでも、何度も聞かれた質問。そのたびに、生きるためだだの、義務だからだの誤魔化していた俺の意思。今日をして、彼は決して言い逃れを許さない強い瞳で問いかける。

「そうだな……」

 俺は言葉に詰まる。外にいる組織との取引時間が迫っている。耳を澄ませば、かすかに波を切る音が聞こえてきた。

 俺はゆっくりと歩き出す。俺が摘んできた知識を、思い出を、言い訳を一つずつ噛み締めるように。

 初めは姉さんが逃げた理由が知りたかった。

 シンと出会い、何となく馬があったからとどまった。

 次第に教授どもの高くなった鼻をへし折るのが楽しくなった。

 大事なものを守れるなら、見えたものにも蓋をすると決めた。

「忘れたよ……そんなもの」

 俺は前を見据えた。重々しい扉こじ開ける。俺の目の前には、黒々とした海と磯臭い臭いだけががっていた。

 そうだ。…………例えばこんな導入はどうか、


『少年はゲージから見上げる空に踏み出した、……消息不明の姉を探す旅が始まる』

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