第69回 芙蓉記 第14話 愛 憎
<芙蓉記登場人物リスト>
カドモス (六合星のカドモス)中原からの流れ者
ダーナ (勾陳星のダーナ)元オレア国天文官 魔法使い
イアソン (貴人星のイアソン)知将、元行商人
ルキアノス (玄武星のルキアノス)元オレアの武官、槍の名手
ネクタリオス(青龍星のネクタリ)用心棒家業、弓の名手
タキス (天空星のタキス)双鞭の使い手 魔法使い
レアンドロス(白虎星のレアンドロス)元ハニア国海軍士官
ミルトス (太常星のミルトス)僧侶 治療術使い
デルフィネ (太陰星のデルフィネ)パトライ国第五王女 女将
ミュージカ (天后星のミュージカ)発明少女
芙蓉姫 パテリア第三王女
黄武 パテリア第二王子、後パテリア王、皇帝
シャヘル 冥界の王 十人の妖魔の主
ウーマー 妖魔一位(抽腸獄 月光のウーマー)
コスタ 妖魔二位(穿肋獄 ミトラのコスタ) 死者を蘇らせる
ハスタ 妖魔三位(針山獄 一角獣のハスタ) ホーネスの仇
アエヌス 妖魔四位(焼手足 セルヌノスのアエヌス)戦いに疑いを持つ者
ラング 妖魔五位(抜舌獄 漁色のラング) 大蛇に乗る
ベネノ 妖魔六位(毒蛇獄 美粧蓮歩のベネノ)女性、二匹の獣を連れる
カーサー 妖魔七位(鋸解獄 紅蓮刀のカーサー)巨象に乗る
カスピス 妖魔八位(尖刀獄 ヒュブリスのカスピス)
グラッシス 妖魔九位(寒氷獄 黒海馬のグラッシス)怪鳥に乗る
ベナ 妖魔十位(血汚獄 サキュバスのベナ)意馬心猿の術使い
<北部諸国>
パテリア 北の山岳地帯ある小国
エーリス パテリアの西にある同盟国、第二王女の嫁ぎ先
ピュロス パテリアの東にある同盟国、第一王女の嫁ぎ先
テゲア パテリアの南にある中立国
パトライ エヴェロス河西岸の国(後のカプット)
<西部諸国>
パラ ウンダ河上流左岸
タラース ウンダ河中流左岸、大国(後のメディス)
ザンクレー ウンダ河下流左岸
ギオン ウンダ側河口左岸
ユーベイ ウンダ河上流右岸(後のアデベニオ)
オイア ウンダ河中流右岸、大国
ロクロイ ウンダ河下流右岸
シノーペ 後のシルバの森縁東
ソロイ 後のシルバの森縁西
アンキュラ 後のシルバの森の東、シノーペの北
エデサ 後のシルバの森の西、ソロイの北
シューロス 後のソサ南部
ヒスティア 後のカーボ、シューロスの東
ナティビタスの夜。デュックとアスペルは久しぶりに、二人だけの時を過ごしていました。アルタスを発って、どの位経ったことでしょう。慌ただしい日々に昔を思い起こすことを忘れていましたが、この日はゆっくり昔話に花を咲かせていたのでした。
デュックは役目を無視し、自由に生きることを望んでいましたが、それを引き戻したのは彼女が居たからでした。いつか役目を果たしたのなら、彼女とともに暮らしたいと願っていました。アスペルはそんな彼のささやかね願いを他所に、役目を忠実に果たそうとしてました。彼女にとって、冥界の王との戦いには興味がありませんでしたが、かつての名家の誇りからか、ワルコを守り抜くという固い意志をもっていました。
二人がゆっくり過ごす一時、夜風に乗って、フィディアの謡う芙蓉記の調べが聞こえてきたのでした。
エーリス国での奇行が治まり、王が正気に戻ると、タキスとデルフィネは、直ちに帝都に戻った。タキスは皇帝に、エーリス国が魔法使いによって狂わされてたことを報告し、その原因を除き、今は元通りになったと伝えた。すると、皇帝はたいそう喜び、彼らを褒め称えると、褒美を与えた。この時、タキスは妖魔なる存在が、冥界より地上に戦いを始めようとしようとしてることについては、皇帝には教えなかった。臆病者の皇帝のそのことを知れば、夜も眠れなく成ってしまうことが目に見えたからである。
皇帝は、彼らより先に、イアソン等をテゲア国に送ったのだが、未だ帰還していないので心配をしていた。皇帝は、イアソンが手間取っていることに苛立ち、同盟国の王を呼びつけ詮議しようかと悩んでいた。テゲア国に起こったのは謀反の疑いであり、皇帝はイアソンが穏便にかたづけてきてくれることを、期待していたのだ。
タキスとデルフィネは宮殿から退くと、イアソン等の消息を確かめようと、テゲアに行くかどうかを相談していた。
「先にテゲア国に向かったイアソン等が、未だ帰っていないとは可笑しなことだ」
魔法使いの宿舎に戻ったタキスは、疲れたように椅子に腰掛けた。
「よっぽど、難しい任務を与えられたのでしょうか」
デルフィネは心配そうな顔をすると、タキスと向かい合わせに座った。
「なんの任務か分からぬが、外交センスを買われての事だろうから、王の説得といったことだろう。しかしイアソンの舌にあの王が丸め込まれないとは不思議だ」
「イアソンとテゲア王の関係はどの様なものなのです?」
「いたって良好と言って良い。昔、テゲアが敵国だった頃、奴は単身敵国に乗り込むと、その舌先三寸で我が方に寝返らせた。それ以降、テゲア王も奴を気に入り、親しくしている」
「そうすると、イアソンが王によって捕らえられているとは考えにくいということですね」
デルフィネは、何が起こっているのか想像してみた。
「普通の事ではないのかもしれない。たとえばエーリス国のような」
「妖魔ですか?」
彼女は、身を乗り出した。
「なんとも言えないが。そのことは確かめに行きたいが、エーリス国の件で、本来の仕事が遅れてしまっているのだ。私は、新しい魔法使いを連れて急ぎ西部の戻らなくてはならない」
「ならば、私がテゲア国に向かいましょう」
彼女はパトライの王家の者である為、危険な仕事を避けられていたので、飛びついた。
「そうしてくれると有りがたい」
タキスは彼女はイアソンが何とかするだろうと、素直に任せた。
ここで彼女は、机にあった、羊皮紙に気がついた。そして、彼女が興味深げにのぞき込むと、タキスは立ち上り、彼女の手に渡した。
「錬金術?」
彼女は何だろうと、先を読んだ。
「これこそ黄金への道。奇跡は下は上のごとし。上は下のごとし。オン・ヘン・オン全てはここより出流。全ては此処に帰する。四大五元はその御手。刻み、切り離し、結び合わせ、計る。それは地上から天に至り、再び地に戻り、安息した。汝はこの技を知り、因果の理を知り、劣ったものから、優れたるものへの道を知る。汝は栄光を知り、全てを超越する。そうして二つの世界は創造された。これらをなし得る、手段と行程は記された。私はタキスと呼ばれる。それは魔法の密議を知るものである。全て道は示された」
デルフィネは一通り読んだが、難解な文章に頭が痛くなった。
「それは未だ書きかけでね」
「それにしても、何を言っているのかわかりません。タイトルから金を生成する技ですか?」
「金とは物質の金の事ではない。むしろ人の心と言うべきものだ」
「なんでこの様なものを書かれたのです」
デルフィネは、羊皮紙をもう一度見直した。
「魔法使い等が、魔法を使用すると身体が変容する事は知っているね。我々は魔法軍を創設して以来、この問題に悩まされた。しかし一方、芙蓉姫やダーナはもっと強力な魔法を使っているのに、変容する事は無い。この事実に、その差は何であろうかと試行錯誤をしてきたのだ。そして出た結論がこれだ」
タキスの説明は彼女の思いもよらぬものだった。
「私は、ダーナとミルトスに此の問題を相談すると、彼らはこう説明してくれたんだよ。
可知界と可視界があって、両世界は滞りなく通じ合っている。ミュージカの説明では、極微の世界では五つの弦が曲をを奏でているという。二つの世界が安定し上下に常に通じ合うことが必要なのだそうだ。世界というマクロコスモスのように、人間というミクロコスモスも、同様に形成されている。そして深層の意識と表層の意識があって、両者は通じ合っている。世界の上下の流通と同様に、人間もしなくてはならないんだ。ところが人間はこの間にずれが発生し、血行不良みたいな状況になっている。通常の人間の場合、因果のサイクルが遅いため、形になって表れないが、魔法使いは深層世界から力をいっきに引き出す。すると詰まった血管が膨れあがるように、力が制御出来ずに身体の変容という現象を起こすのだ。ではどうすればいいか。それは上下の流通が滞りなく、行えるようにすれば良いというわけだ。そいった心の安定した状態を私は金だと表現しているんのだよ」
長々とタキスは説明をした。デルフィネはおおよその事が分かり、尋ねた。
「すると、これを魔法使いの生徒に使うのですか?」
「そのつもりだ、短く要点を詩的に書いたつもりだが」
「タイトルが誤解されかねません。それに文章の手直しが必要です。これを使うには解説が必要でしょう」
「手厳しいな。帝都を立つまでには手直ししておこう」
タキスは批評されたものの、悪い気は起こらず、羊皮紙を受け取ると、丸めて棚に置いた。
この羊皮紙は、タキスの死後五年ほどして、発見され。魔法の経典として魔法教育の教材とされたのだが。詩的な表現が多く、意味が分からず、数々の説を生み出した。
デルフィネが危惧したように、水銀から金を生成する術として理解され、多くの魔法研究者によって、謎解きがされた。タキスの、この本に込めた思いは理解されず、誤解が誤解を生み、そのことがパテリアに合金技術を発展させたのだった。
デルフィネは翌朝、帝都を発った。彼女がテゲアに到着する頃は、タキスは西部に旅だっているはずだった。
テゲアの王都はヘプロス河の支流にあり、良質の綿花が取れるところだった。デルフィネはどこまでも続く綿花の畑の中を進み、王都に到着した。早速彼女は、イアソン等の消息を尋ねたが、知るものはなかった。その日は、日も暮れ、彼女は仕方なく探索は翌日に持ち越した。
翌朝、同じように町を尋ね回っていると、絵師に出くわした。その者は似顔絵を得意として、彼女に似顔絵の絵はどうかと執拗に誘ったのだった。見本の絵の出来具合を確かめていたデルフィネは、妙案を思いつき、イアソンとネクタリオスの人相書きを注文した。絵師は言葉だけで二人の特徴を捉え、紙に写し取る事に躊躇したが、絵を描いてみると、うり二つの出来だった。
デルフィネはおおいに満足し、少し多めの報酬を渡した。今度は彼女は人相書きを手かがりに二人を探したが、なかなか目撃者に出くわさなかった。そして、とうとう彼女は、歩き疲れ、柳の木の近くで一休みした。手がかりはなかったし、彼らとも会わなかった。
彼女は、どこかで行き違いになったのではないかという不安がよぎり、帝都に引き返すべっかと悩んだのだった。近くでは見窄らしい身なりの男が、茶碗のかけらを籠に入れているのが、壊れた土塀を通して見受けられた。彼女は男が如何するのかと、覗いていると、二つ揃えると、棒で肩に担いで、道の窪地まで持ってきて埋めていたのだった。
そこで彼女は声を掛けてみることにした。
「精が出ますね」
デルフィネが、話しかけると、男は顔を向けた。
「こりゃどうも、何方ですか?」
「ただの通りが掛かりです。貴方はそうやって道を整備しているのですか?」
「これですか、今回だけです。可笑しな事がありますて、必死になって茶碗のかけらを求めて街中探し回っていたんですよ。気がついたら、家は茶碗のかけらだらけになっていたんです。集めていたときは黄金を得たように、嬉しかったんですけどね。不思議な事もあるもんです」
この言葉に、デルフィネは嫌な予感が走りました。
「それは、貴方だけですか?」
「そうだなあ。みんな必死に取り合って、奪い合いをしてたなあ。俺もさんざん蹴られて大変だった」
男は陽気に笑った。
デルフィネの脳裏に妖魔の姿が横切り、彼女は戦いが行われたのではないかと推測した。
「この人を知らない?」
彼女は人相書きを取り出すと、男に見せた。男は二枚の紙を見ると、心当たりがあるようだった。
「この人、俺を助けてくれた人じゃないかな。あんた知り合いの人かい?」
「そうだけど、どこに居るか知らない?」
「一人は見かけたなあ、この先を左に折れて、どんどん進むと広場がある。そこをそこを右に折れてすぐの所で、この人はいるはずだ」
男が指さしたのは、ネクタリオスの似顔絵だった。
礼を述べると彼女は急いで広場に向かった。街の寺院が集まる静かな所だった。ここで彼女は暫く待っていると、一人の男が花を携えて、ゆっくりとこちらにやって来るのが分かった。
「ネクタリオス。どうしたの!」
デルフィネは呼びかけると、彼は目を丸くし、少し狼狽えたようだった。
「何故ここに」
「貴方達が帰らないので心配してやって来たのよ」
「そうか、すまん」
相変わらず、ネクタリオスは視線を避けたままだった。
「行こう」と、彼が言うと、デルフィネは後に従った。
ネクタリオスが連れて行った先は、イアソンの墓だった。石版に彼の名が掘られてあった。彼女は一瞬、息をのんだが、直ぐに平静になった。
「妖魔ね」
「そうだ、この国は妖魔によって危機に陥っていた。俺たちは、妖魔のアエヌスと遭遇したが、その戦いでイアソンを失った」
ネクタリオスは悔しさを噛みしめているようだった。
「仕方ないことです。妖魔が強かったのです」
「そうではない。我々は数的優位にあったが、俺のわがままで彼を死なせることになった。しかも妖魔は仕留め損なった」
「貴方が悔いを残していることは分かりました。しかし、もう帰らなくてはならない頃です」
「俺は、この地に残って妖魔との決着をつけようとしたが、あれ以降姿を見たことがない」「もう諦めましょう」
彼女は優しく行った。
「だが、俺は会わせる顔がない」
「その顔を皆が待ち望んでいますよ。貴方が戻らなくては、彼らがさらに悲しみます」
ネクタリオスは諭されて、気を取り直したのか、いつもの精悍な顔を見せたのだった。
こうして、デルフィネはネクタリオスを連れて、帝都に帰還した。
ネクタリオスはデルフィネを伴い、宮中に参内すると、テゲア国の謀反は誤りであり、魔術師によって狂わされていたことや、イアソンが魔術師の戦いで戦死したことを、皇帝に報告した。皇帝は暫く静かに聞いていたが、つまらぬ様な顔をした。
「イアソンは、自らの舌に酔いしれる奴だった。人を惑わした報いがそれだ」
皇帝は玉座に頬をつき、悪態をついた。此の態度にネクタリオスは怒りを覚えたが、それを抑え、動かなかった。
「ご苦労であった。下がれ」
そう言うと、皇帝は早々に奥に消えていった。
ネクタリオスは歯ぎしりをし、宰相に一礼するとその場を去ったのだった。
「いったい如何したことでしょう?陛下は何故あのような振る舞いを」
皇帝の豹変ぶりにデルフィネは驚いていた。
「彼奴は、そういう奴なんだ。頼むと時はイアソンをあれほど持ち上げておきながら、亡くなった聞くと、使い捨ての人形のような扱い。不愉快だ」
「しかし、皇帝は心優し方のはず。なにかあるのではないでしょうか」
「なにかって何が?奴は俺たちが妖魔を仕留め損なったので、くず扱いしているんだ!」
ネクタリオスは怒りにまかせ、近くにあった壁を拳で叩いた。
「もう、皇帝のことは忘れましょう。私たちは西部の芙蓉姫のもとに帰るとしましょう」
二人は明日の出立を決め、その日はゆっくりと休んだ。二人が夕飯を摂りに店に行ってみると、そこで奇妙な噂話を聞いたのだった。
帝都に仲か良い夫婦がいて、夫は妻を、妻は夫を愛していた。二人は励まし合い、助け合って生きてきた。ある日、妻は怒り狂ったように夫を包丁で何度も刺し、夫は妻の首を絞め、二人は果てたのだった。夫の浮気が原因ではとの憶測もあったが、そのような気配は微塵もなかったそうである。
有る主婦は、優しく子煩悩であったが、三歳、一歳の我が子を桶の水に顔を無理矢理押し込み、溺死させた。母親はなんで自分がその様なことをしたのか、分からず、捕らえられた。
また親孝行の息子がいて、苦労してして育ててきた親の姿をみて、常に感謝の気持ちがあり、親を敬愛していた。ある日、その若者は斧を片手に、親に近づくと頭を斧で割って殺害してしまったのである。
「大きな都は廃退した世界だな。憎しみで溢れている」
ネクタリオスはパンを千切り、ソースを付けると口に放り込んだ。
「愛する者が、ある日憎しみ会うだなんて、耐えられません」
デルフィネが不愉快そうにした。
「愛憎は表裏一体だからな。ある先生は、世界は愛憎のよって動くと説いている」
「それは作用、反作用の事です。人間の情愛のことではありません」
「博識高い方には、直ぐに見破られてしまう」
ネクタリオスは形無しだった。
デルフィネは帝都を発つ前に、もう一度家族を訪ねることにした。西部から本国に帰還しても、王妃と兄王子と会うことはできなかったからだ。デルフィネは嫌がるネクタリオスを連れて、パトライ王家の屋敷に行った。
屋敷はいつになく厳重だった。やっと屋敷の中に入れたデルフィネは出迎えてた召使いの固い顔に、看守に囲まれているような気がした。奥に進み、居間にいってみると、そのにはデルフィネの母が居た。
「なにをしに来たのです!」
冷たい母の言葉に、彼女は立ちすくんだ。
「私は明日、西部に向かいます。その前にご挨拶にまいりました」
「まったく、王女でありながら、なんですか。勇ましく武将のまねごとをして。いいですか、カーリア国のカリローエは無残な最期を迎えました。分かっていますか!」
デルフィネはいつになく厳しい母に、小さくなるばかりだった。いつも柔和で優しい母が、この様に怒気を表して、説教することなどなかったからだった。
「それは、肝に銘じています」
「どうかしら、こんな男だか女だか分からない姫を生んでしまった私を呪いたいわ。そうよ、貴方は出来損ないに生まれてくるのではなかったのよ」
王妃はふらふらと立ち上がると、デルフィネの首を締めた。彼女は苦しく解き放そうとし、周囲を見渡すと、召使いは冷淡に眺めているだけだった。
彼女を解放したのはネクタリオスだった。
「王妃さま、これ以上は危険です」
彼は、無理矢理手を解くと、デルフィネを抱き寄せた。
「貴方は何者です。この狼藉者を片付けなさい!」
王妃の命令に、警備兵が駆けつけた。
「このものは私の連れです。怪しいものではありません」
「お前は、自らの母を殺めに来たか!」
そう言って姿を現したのは兄王子だった。彼は剣を抜き、憎しみの炎を燃やしていた。
「兄上、誤解です。私はお別れの挨拶に来ただけです」
デルフィネの言葉も通じず、王子は警備兵とともに、彼女に襲いかかったのだった。それを防いだのはネクタリオスだった。彼は剣を抜くと、警備兵を蹴散らし、彼女を連れて、屋敷から脱出したのだった。
「家族には、何か恨まれることでも?」
一息ついて、剣を鞘に戻すと、ネクタリオスは尋ねた。
「私が、姫らしくしないからでしょう」
「それだけとは思えないが」
家族に命を狙われ、傷ついた彼女に、ネクタリオスはそれ以上の詮索はやめた。
翌日、ネクタリオスは沈み込んだデルフィネを慰めると、馬に鞍を取り付け、旅の支度をしていた。馬小屋にいた少年は、いつも通り子犬を可愛がっていたが、今日は違った。
少年は何を思ったのか、子犬の後ろ足を掴むと、激しく壁に打ち付け殺してしまったのである。壁に赤い血が滴り落ち、少年は空虚な目をしていた。
この少年の行為に、ネクタリオスは気がついた。彼は用心深く周囲を見渡し、安全を確認した。そして彼は早足でデルフィネの所にやって来ると、妖魔の存在を告げた。
「では、裏で妖魔が動いていると!」
「帝都だから、人の心が荒んでいるのだと思って居たが、これは違うぞ。恐らくこれは始まったばかりだ。早く、くい止めなくてはならない」
ネクタリオスは旅の延期を求め、妖魔退治を優先しようとした。彼にとって待ちに待った妖魔への報復の機会だった。
だが問題は、妖魔がどこにいるかだった。二人は帝都を捜し回ったが、妖魔を見いだせなかった。そうこうするうちに、帝都の混乱が顕著になってきた。
家族同士が争いの末、殺し合う事件が多発し、それは家の中だけだけでなく、通りでも見受けられたようになったのである。
二人は焦ったが、そこに皇族の噂が彼らに届いた。そでは皇帝黄武が、后、王子、王女を殺害したことだった。
「エーリス国では、宰相に妖魔が化けていました。もしや、宮中にいるのではないでしょうか」デルフィネが意見を述べると、
「これだけ、帝都を歩き回って気配を感じないところをみると、王宮にいる可能性が高い」
とネクタリオスも賛同した。
二人は、直ちに王宮に向かい、再び皇帝の謁見を申し出たのだった。皇帝はそれを許したが、彼らの前に姿を現した皇帝は、以前会った時より、さらに険しい顔をしていた。
「パトライの姫だな。予になに用だ」
皇帝の目は狂気に満ちていた。
「皇帝陛下、帝都に魔法使いが暴れ回っています」
「なにを馬鹿な」
皇帝は、立ち去ろうとした。
「陛下は、皇族の方々を殺めたと聞き及んでいます。何故ですか?」
デルフィネの問いに、皇帝は立ち止まり、思索した。
「愛していたからか・・・いや憎んでいたからかな」
皇帝は答えを、探したが見いだせず、代わりにこの様に言ったのだった。
「芙蓉は、謀反を企んでいるであろう。予には分かる」
思いもよらぬ皇帝の言葉に、彼女は狼狽えた。
「なにを申されます。それこそ魔術に魅入られた言葉であることが、お分かりになりませんか?」
「戯言を。予は決めたぞ、逆賊芙蓉を退治する!」
こう宣言すると、直ちに将軍に命じて軍を起こすように指示した。デルフィネは必死に説得しようとしたが、皇帝は聞く耳を持たなかった。彼女はさらに食い下がろうとしたが、ネクタリオスはそれを押しとどめた。
「陛下、配下は魔術師に操られています」
彼は、皇帝に喧嘩をふっかけた。
「予が、人形にされていると申すか!」
「はい」
ネクタリオスは、大胆不敵に言った。
「こやつを、殺めよ」
皇帝は叫んだが、ネクタリオスはひるまなかった。
「それでは、身の潔白を我々に証明出来ませんぞ」
「なに!」
皇帝は、むきになった。
「我々はこの宮殿に魔法使いが潜伏していると判断しています。魔術師を退治しても御心がお変わりでなければ、皇帝陛下が自らお考えなられたという事になります。しかし、ここで我らを殺めれば、潔白を証明することはできません。いかがなされます」
ネクタリオスの目が、皇帝を刺した。
皇帝の肩が、怒りに震えたが、それも治まり、彼は玉座に足を組み、もたれた。
「そちの申すことも通りだ。宮中を探してみよ。予の心が変わらぬことを証明しよう」
ネクタリオスの策略は成功したものの、妖魔を捕り逃がしては、戦争になる危機をはらんでいた。二人はその場を去ると、宮中を探し回った。
「エーリス国では、妖魔は宰相に化けていました」
デリフィネは要人を、主として探すことを提案したが、ネクタリオスは否定的だった。
「先ほどの謁見のさい、偶然、宰相、諸大臣がいたが妖魔の気配はなかった。単純にそうとも断言できぬ。誘き寄せるしかないだろう」
「どうするのです?」
「魔法の技を使い宮殿を破壊する」
ネクタリウスの案を聞いて、彼女は言葉が咄嗟に出なかった。
「王宮を破壊するのですか!」
仮に王が正気に戻っても、大きな問題を残すやり方だった。
「魔法の技が使用されたと感じた妖魔は、様子を見にやって来る。そこで特定するんだ。平然と、騒ぎを冷めて見ている奴がいたら、それが妖魔だ」
「無闇に走り回っているより、可能性は高いわね」
デルフィネはやっと同意した。
「敵が何匹居るのか分からない。君は陰で隠れて、俺の戦いを見ておくんだ。数を特定し、妖魔に隙が生じたら魔法で襲え」
ネクタリオスは羽根を取り出すと、一振りし武具を纏った。二人は宮中の集まりやすい場所に行くと、ネクタリオスは魔法奥義ラ・ステラを使った。空に輝く星が一条の線を描き舞い上がった。そして頂点まで登ると、光の矢を地上に放った。
宮中に地面を叩く震動が、響き渡り、宮殿の一部は叩きつぶされ、破片が辺りを叩いた。黒煙が舞い上がると。宮中の者が何事が起こったのか、確かめに集まって来たのだった。
舞い上がる埃が、静かに地面に降り注ぎ、それが治まる頃は、辺りは人だかりになっていた。二人は、この様子を密かに観察した。
「見つけたぞ。あの女だ」
ネクタリオスは、めぼしい人物を見つけたようだった。
「あれは後宮の女官の服」
デルフィネは彼の指し示す人物に目を向けた。
「後宮の人間は隔離されているからな。ここにいるはずがない。それに、後宮から来るには、遠い」
「怪しいですね」
「確かめるとしよう。君は隠れて、背後から襲う機会を探してくれ」
ネクタリオスはそう言うと、女官を追いかけた。
人影がない開けた場所で、ネクタリオスは弓を手に、矢を放った。一条の矢が女官に真っ直ぐ飛んでいくと、それは、ネクタリオスに真っ直ぐ帰った。
「妖魔のやることは一緒だな。見つけたぞ」
帰ってきた矢を手で受け止めたネクタリオスは、堂々と妖魔の前に姿を現した。
「人を殺し合わせている妖魔はお前か!」
ネクタリオスは短槍を手に、近づいた。すると女官は、微笑み翻ると、漆黒の衣を纏ったのだった。氷のように冷たく、絶世の美貌をもっていた。
「私は妖魔第六位、毒蛇獄、美粧蓮花のベネノ。ワルコの将、あなたの名前は?」
ベネノの言葉は優雅だった。
「俺は、青竜星のネクタリオス。改めて聞く、何故人を殺し合わせる」
「いやだわ。それはハスタでしょう。私は愛の伝道をしているの」
「ダーナから愛を語る妖魔がいたと聞いたが、お前もそうか」
「いやだわ。血汚獄と一緒にされるなんて。彼女のそれは男女の愛でしょう。私のは肉体でなく真実の愛」
「真実の愛だと。では何故人が殺し合っている」
ネクタリオスは一歩前に進んだ。
「青竜星。真実の愛は憎しみに代わるの。愛が深ければ深いほど、憎しみも深いの」
「つまり愛憎という訳か。たいした理論だ」
「愛と憎しみは表裏一体なのよ。愛すれば愛するほど、裏切られたときの憎しみは深の。お分かり?」
「それが殺意となると言うのだな。それで合点がいた、仲むずましい夫婦が殺し合うことが、何故発生したかな」
「貴方、妹が居たわね」
ベネノはネクタリオスの記憶を読み取っていた。
彼は警戒した。
「貴方は愛が少ないわ。孤独に生きてきたようね。揺るぎない自信がそうさせるの?」
「止めろ、俺の過去を読むな」
彼は苛立った。
「子供の時、戦乱の中、両親は殺され、幼い妹ともに戦火を逃れ、彷徨ったわね。そして妹は飢えの中で亡くなった。その後、食料にありつき、貴方は一人生き残った自分を恨んだ。お分かり。妹への愛が深いほど、生き残った自分への憎しみがつのるのよ。そうでなくて」
ベネノは勝ち誇ったかのようだった。
ネクタリオスの心に自己への憎しみの念が強まり、自身への殺意と変わっていくのが分かった。彼は槍を自分の首に向けていることに気がついた。
「危ない。危ない。さっさと魔法でお前を葬り去るとしようか」
ネクタリオスは冷や汗をかいた。
「さすが、ワルコの将。良く踏みとどまったわね。魔法奥義で私を仕留めるつもりでしょうが、それは叶わないわ。貴方の技は既に見せて貰っているし、その威力が私以上であることは分かったわ。でもね。種明かししたら対策を練られるでしょう。貴方が力が削られていることが分からないの」
妖魔ベネノは自信に満ちていた。
「はったりなのか、分からぬが。受けろラ・ステラ」
星は登り、天井に達したが、その輝きは弱かった。
「勝ったわ。受けなさい奥義リンペラトリーチェ」
薄いベールが取り払われ、鷲の紋章の盾が踊り出ると、背中に羽根をもち、冠に月をいだいた女神が現れた。それは力強い勢いで、ネクタリオスを襲った。
「ラ・ルーナ!」
その時、妖魔ベネノの背後から奥義が彼女を襲った。デルフィネだった。
ベネノは、目の前のネクタリオスに集中し、デルフィネの存在に気がつかなかった。
静寂が広がり、柔らかな光が辺りを包み込んだ。ベネノは宙を漂う感覚を覚えると、次第に自分が溶かされて行くのが分かった。彼女は消滅した。
ベネノの放った技は途中で中断され、弱ったネクタリオスの技と相殺し合って消えたのだった。ネクタリオスは、心理攻撃を受けて疲れ切っていた。
「作戦は成功だ。数の優位が生かせた」
「貴方が、注意を引きつけてくれたおかげです」
デルフィネはネクタリオスを助け起こした。
これで帝都の混乱は、治まるはずだった。王宮は魔法で破壊されたものの、その後の被害を考えたら軽いものであった。残るは皇帝が正気に戻っているかだった。芙蓉姫討伐の命は発せられたままであり、早急に中止してもらわなくてはならなかった。
二人は急ぎ、皇帝への謁見を求めた。
皇帝は臣下とともに、玉座にあった。その顔は以前より明るくなってはいたものの、厳しい顔をしていた。
「魔術師は退治いたしました」
ネクタリオスは簡潔に言った。
「派手に宮殿を破壊しおったな。今、街の様子を調べさせているところだ。ところで予が魔術師に操られて居ると言う件だが、お前の負けだ」
「どういうことでしょう?」
「予の反逆者芙蓉を討伐する心に変わりは無い。よって予は自身で考えているのだ」
デルフィネは驚き、抗議のため前に進み出ようとしたが、ネクタリオスが制した。
「陛下、まず始めに罪を糾されてはいかがでしょう。御妹君をいきなり処断するのは、あとあと悔いとなって残りかねません」
「大丈夫だ。それには自信がある。今回の討伐では、パトライ国にも討伐に参加るように要請した。北からの圧迫を受ければ、関の守りも弱くなろう」
「芙蓉姫の配下の私たちはどうなさるつもりで?」
ネクタリオスは周囲を見渡した。
「そちらは、勝手にせい。予は慈悲深いだろう」
そう言うと皇帝は高らかに笑った。
宮殿を退いた、ネクタリオスとデルフィネは今後について相談しあった。
「妖魔は倒したのに、芙蓉姫様を退治するだなんて、陛下は何故元に戻らなかったのでしょう」
デルフィネは憤っていた。
「俺の策が甘かったのだ。皇帝は自身の家族を殺したことを後悔されている。俺の操られているという言葉に対する反発が、芙蓉姫反逆の事実を信じ込ませたのだ」
「皇帝は絶対でなければならないのね」
「我々を許した寛容さから、以前の状態に戻ったと推測されるが、芙蓉姫反逆は新たに刻み込まれたのだろう」
ネクタリオスはイアソンの様に説得出来ないことに、悔しがった。
ネクタリオスは、討伐軍がやってくる事を、仲間に伝え、イアソンの死についても報告するため、西部に帰ることにした。デルフィネは、本国に帰還し、王を説得し、理由をつけて出兵を回避するために向かうことにした。両者は帝都で分かれ、再開を約束した。
デルフィネは故郷パトライ国に向け、馬を全力で走らせていた。故郷地は遠く北の地だった。単身、女のみで馬を走らせていると、途中襲ってくる、賊に出くわした。彼女は瞬き間に五人を剣で屠ると、残りの賊を震え上がらせて通過した。長旅で走り疲れた頃、やっと彼女は故郷パトライの地に到着したのであった。
まず彼女がしたことは、軍勢がどれ程集められていたかだった。パテライの王都近郊には、たいてい、遠征の際は大軍勢が集められていた。皇帝からの命を受けて間もないことから、まだ増員の兵を募集する段階で、訓練が実施されているのであろうと読んでいた。
彼女は到着してみると、なるほど幕やが建ち並び、遠征の準備は進んでいるようだった。
彼女が馬をさらに進め、陣内に入ると不可解なものを発見した。兵士が地面に寝そべっているのである。
怪訝な顔をして彼女は馬を降り、警備兵に近づいてみると、木陰で涼んでいたのである。彼女は呆れ、一人に近寄ってみると、寝そべった兵士は、語りかけたのだった。
「そこの別品さん、転がったオイラの鶏肉とってくれないか」
見れば、寝ている男の手の先、体半分離れた先に、肉が転がっていた。なんとふざけた奴と彼女は怒ったが。仕方なく男に肉を渡すと、男は飢えたようにかぶり付いた。
「恩にきるぜ」男は満足したようだった。
「本当に、彼の肉が取れないでいたの?」
「ああ、体がだるくてな。寝る前は、起きて飯を食っていたんだがな。いざ寝てしまうと、全てがめんどくさくて」
「だがそのままでは、死んでしまうのでは」
「かもな。でもそれでいい気もする」
デルフィネは男を叱り飛ばそうとしたが、他の四人の警備兵も同様だったので、止めた。勇猛なパトライの兵が此の有様は何か怪しいと感じた彼女は、陣内を歩き回った。
驚くべきことに、兵士全員が地面に転がり、動こうとしなかったのである。
この時、デルフィネは故国に妖魔が現れたのだと、察した。これまでの妖魔には特徴が有った。今回の敵は怠惰を貪る者だと、彼女は結論付けた。兵士がこの様では、西部への遠征などで出来そうにもないので、一応の安堵をデルフィネはしたが、この調子では王都も同様の被害を受け、怠惰がきわまり、国そのものが飢えによって滅びかねないと。彼女は王都城へ急いだ。
彼女が心配になり王都についてみると、人々は働き、いつも通りの光景があった。兵士だけが狂わされていたのかと彼女は安堵し、王舎城に向かった。
少し馬を進めていると見慣れない衣装の人物に出くわした。胸に飾りを付けたその人物に人々があつまり、話を聞いていた。説法らしかったが、初めて見る宗教のもののようだった。
自分が僅かに間に、故国を離れて居るあいだに、見知らぬ教えが広まっていたのに驚き、彼女は隅でその説法を聞いてみることにした。
「悔い改めよ、汝等は罪人の子孫である。善良なる者を、虐げ、奪い、虐殺した血を、身に受け継ぐ。恥よ、汝の先祖を。悔い改めよ己の業を。汝が改め、世界にへりくだり平和を求めれれば、平安をもたらす」
ここまで聞いたとき、デルフィネは愕然とした。何故この様な邪教が流行っているのか。
すると信者が前に出て、宣教師にひれ伏すと、「私は罪人です。私は罪人です」と五十回以上唱えたのだった。そして他の信者もそれに会わせて、「恥を知れ」という言葉を浴びせるのだ。これは何かの喜劇なのか。デルフィネは見るに堪えなくて、その場を立ち去ったのだった。
少し進むと、同様のグループに出くわし、彼らは「剣を捨てよ。神に国は近い。剣を持つが故に、他国より争いをもたらすのだ。まず信じること。剣を捨て、語り合い、争ってはならない。汝等の先祖は、私利私欲の為、諸国を荒し、略奪の限りをした。その罪は消えがたく、その罪を消すには、自己批判のお題目を唱えることだ。そうすれば身の汚れた犯罪者の血は消え、祝福されるだろう」と説教をしていた。すると、これまた信者の一人が進み出て。「お許し下さい。私は罪で汚れています」と、これまた五十回以上繰り返し、ほかの信者は、此の人物を指さし、口々に罵倒するのだった。
デルフィネは気分が悪く、この邪教を国外に追い払うよう、父王に進言しようと決心したのだった。
王女が帰還したので、王宮の衛兵は彼女を通し、そのまま父、王のもとに向かった。この頃であれば、王は朝議を一通り終わっているころだった。デルフィネが王に帰還の挨拶をすると、王は娘を久しぶりに見て、喜んだ。
「陛下、芙蓉姫討伐の依頼を皇帝から受けていらっしゃいませんか?」
姫のぶしつけな質問に、王は嫌な顔もせずに答えた。
「来ている。我が国はパテリアの臣下ではないので、従うかどうかは自由だが、送ることにした」
「皇帝は、おかしくなっています。様子を見られたほうがよろしいかと」
「案ずるな。討伐の兵を起こしたのだが、兵らが。動かん。これでは動きようがない」
王は大笑いした。
王が全く遠征に本気出ないので、デルフィネは安心した。この調子であれば、戦いにかり出されても、なんだかんだいい訳をしながら、戦闘を避け、自国の消耗を減らすと読めたからだった。
「それから、街に邪教が横行してますが。ご存じですか?」
「知るもなにも、国教だ」
デルフィネは目眩がした。
「国教。あれがですか?」
「儂も信者だ。デルフィネ。お前も姫ならば、洗礼を受けなさい」
「父君、正気ですか。あの教えは愚民を作り出しますよ」
彼女は、父王に噛みついた。
そこに割ってきたのが、彼女の姉達だった。
「デルフィネ。いつまで、男の様に戦ごっこをしているの?あなたもどこかの国に嫁がなくてはならない身。お分かり?」
「私は、ドレスを着て、部屋に籠もりきりなんて好きではありません。姉上こそ世間知らずで、邪教であることがお分かりにならないのです」
「妹だからと言って、有りがたい教えを侮辱することは許されませんよ」
姉はデルフィネを睨み付けた。
「戦乱の世に、武器を捨てよとは、正気の沙汰ではありません。しかもその上、平和を願えば他国は攻めてこないなどと妄想も甚だしいことです」
「あなたのその考えが罪なのよ。戦は戦しかもたらさない。話し合い、語り合って平和はもたらされるものよ。戦好きの貴方には分からないだろうけど」
「ああ、分かりませんとも。そんなの机上の空論です。それに民に卑しい考えを吹き込んでいるではないですか」
「なんてことをいう姫かしら。貴方は出来損ないの姫だわ。いいこと、世に戦がなくならないのは、過去の罪に反省がないからよ。常に残忍な歴史を繰り返した過去に目を向け反省すれば、自ずから平和を願うようになるのよ」
「姉上、私達の先祖は、乱世の中を必死に生き延びて来たのです。そうした歴史があるから、今私達はいるのです。ここまで努力、民族を慈しんだ先祖を何故罵倒などできましょうか」
「馬鹿ね。なんで愚かな先祖を讃えるというの。国家、一族などとこだわるから、戦争が起こるんじゃない。天と地、全てを一つにする目で見れば、国と国のいざこざが愚かであることが分かるのよ」
「姉上こそ愚かです。国有っての個人、国有っての天下なのです」
「あなたこそ、聞きなさい。天下有っての国、個人有っての国なのです」
両者は激しい、論争をし始めたので、父王は必死に姫達の言い争いを止めさせた。
「もう、争うのは止めなさい。お前達は下がるように。それとデルフィネ。お前は教えを知らない。教主様に会って、お話を聞くが良い」
こう、王に諭されれば、デルフィネも従うしかなかった。彼女は少し居ない間に、人の考えが変わってしまったことに衝撃を受けた。
翌日、彼女は兵士を怠惰に追い込んでいる妖魔を探そうとした。侍女がドレスを用意していたが、彼女は動き安いいつもの服装にした。彼女は怠惰な現象が、陣に集中するので、その近辺を探すつもりであったが、その矢先に王に教主に会うように厳命され、渋々と従ったのだった。
教主のいる教会は、かつて集会場として利用されていたものだった。信者達も、宣教師の姿もなく、静まりかえっていた。デルフィネは恐る恐る建物の中に入ると、人が居ないか覗き込んだのだった。すると祭壇の前に一人の男が立っているのが分かった。その人物は上等の胸飾りを付け、こちらを見ていた。
「デルフィネ姫ですかな」
「はい」
ゆっくりと近づくと、教主の背後の祭壇に、可哀想な柱につるされた男の像が立てられていた。
「教主殿ですか」
「その通り、さあこちらへ」
教主は一番前に席に彼女を座らせた。教主は目の前だった。この時、デルフィネはどこかで嗅いだような臭いを感じたのだったが、思い出せないでいた。
「ようこそ。王陛下より、お教えするようにと仰せつかってます」
教主の言葉は柔らかかったが、彼女は薄気味悪いものを感じた。
「貴方のお弟子さんの教えは聞きました。何故自己否定を教えるのですか?」
「人とは愚かな者です。なんども繰り返さないと、性に流されてしまう。強欲で野蛮です。題目を唱えることにより、安らかな世界に導かれるのです」
「私は人は、過ちを犯すが。もっと素晴らしい者だと思います」
デルフィネは自己の主張を述べた。
「姫、良いですか。人は怠惰であり、傲慢なのです。すこし心をいじれば、その芽は噴き出すのです」
この時、デルフィネは、心にざわつきを感じた。心に何かが入ろうとしている、そう彼女は思った。
右手が重く感じられた。
「人は愚かで、騙されやすい、足りる事を知らない、醜い生き物だ」
教主の冷徹な言葉だった。
「自分は、まるで人でないような、言い分ですね」
「人のありようが、外から見えるのです」
教主は薄ら笑いをした。この時、デルフィネは臭いが何であるか思い出した。彼女は飛び下がり構えた。
「あなた、妖魔ね!」
「さすが、ワルコの将だな。よくぞ気がついた」
妖魔は拍手をした。
「私は妖魔第八位、尖刀獄、ヒュブリスのカスピスだ」
「兵を怠惰にし、民を洗脳したのはあなたですね!」
「左様、あり得ないきれい事を並べ立てると、いいように洗脳される。人間て奴は、洗脳されているとも気づかす、自分が正気だと思う、愚か物だな」
「そう愚か者よ。でもね人はいつかそれに気づくものよ」
デルフィネは羽根を取り出し、武具を纏った。
「ラ・ルーナ」
静寂が広がり、淡い光が辺りを包んだ。
「魔法奥義をいきなり使うとは、ならば私も奥義で応じるしよう」
「ラッペーソ」
金貨が舞い散り、二つの袋に収まると、両手がそれを掴んだ。手は上下反転し、足先が現れ、足首にロープが回された。
デルフィネは体内から血が噴き出そうとしているのを感じた。足を取られ、全身が振り回されたように息が苦しくなった。彼女の技は、カスピスによって粉砕されたのである。デルフィネは、衝撃を受け、床から立ち上がれないで居た。
「ワルコの将よ。おまえは技を放す前に、既に我が術中にあった。頼みの魔法技も打ち消されたのだ」
妖魔のカスピスは、床に倒れたデルフィネに近づくと、武具を羽根に戻した。
「この武具が無ければ、お前はただの人だ。さてどう片付けるとするか」
カスピスは、思案の後、良い事を思いついた。
「お前の国を思い、民を慈しむ心は感心した。ならばその民によって始末させるとしよう」
デルフィネは体が重く、動けないで居た。
カスピスはデルフィネを担ぐと、一気に街に飛んだ。教主が姿を現すと、人々が集まり、民は熱狂に包まれた。
カスピスは人々の前に立ち、呼びかけた。
「この者は、教えを受け入れず、自己批判をしようとしない劣悪分子だ。強い国を願い、再び民を戦へと狩りだそうとしている。平和を求める人々よ、私は教主として、この者の投石追放をしようと思う」
こう言うと、カスピスはデルフィネを地面に投げ出し、姿を消した。彼女は全身が重く動けないで居たが、やっとのことで立ち上がってみると、周囲には手に石を持った民で溢れていた。
「貴方達は騙されているんです。誇りを取り戻して下さい!」
彼女の言葉に、民は聞く耳を持たず、誰かが石を投げつけると、それを合図に、全員が石を投げつけたのだった。デルフィネは耐えられず。逃れようとしたが、大きな石が頭を直撃し、倒れて動けなくなった。彼女の手が僅かに震えたが、やがてそれも無くなり、血だらけになって彼女は息絶えた。
この後、彼女の亡骸は、荷馬車で運ばれ、ゴミ捨て場に廃棄された。
ワルコの将の羽根手に入れたカスピスは、羽根の秘密を探ろうとしたが、手に衝撃を受け、放した際、見失ってしまった。やがて羽根は西部のカドモスのもとに現れ、仲間に彼女の死を示し、驚かさせたのだった。
このまま芙蓉記を一気に書き上げるぞ、思いきや、なんと今回は予定の話の半分しか進めなかったです。また話が長くなりました。芙蓉記は翡翠記と違って、コンパクトに書いているつもりだんだけど、ついつい長くなるのですよね。
さてこれを投稿した日は、リオオリンピックの開会式の日、テレビ見ながら執筆は難しいですね。妄想力が半減します。




