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戦えないダンジョン協会の新人職員、誰も信じなかった異変を見抜いてS級探索者を全員生還させてしまう

作者: 抑止旗ベル
掲載日:2026/09/04

 


「……これ、本当に青葉台ダンジョンの魔石ですか?」


 受付カウンターの向こうで、探索者が眉をひそめた。


「そうだけど。五階のコボルトから出たやつだ」


 俺――瀬川直人は、手のひらの小さな魔石と測定器を見比べた。


 表示は、基準値比――8パーセント。


 青葉台ダンジョンは、東京都西部にある安定型のC級ダンジョンだ。十五年間、大きな事故はない。五階層のコボルトが持つ魔石なら、せいぜい100パーセント前後。こんな数値になるはずがなかった。


「何か問題か?」

「念のため、少しだけお話を聞かせてください。今日の五階層は、普段と違いませんでしたか?」


 探索者は仲間と顔を見合わせた。


「静かだったな。三時間歩いてコボルト二匹だ」

「あと寒かった。夏なのに、地下だけ冷蔵庫みたいでさ」


 魔石濃度が高い。


 低層の魔物が少ない。


 局所的に気温が低い。


 三つの情報がそろった瞬間、頭の奥で警報が鳴った。


「瀬川、どうしたの?」


 隣の窓口から、水城莉央先輩がのぞき込む。


「五階層のコボルトの魔石です。濃度が高すぎます」

「機器の誤差じゃない?」

「二台で測りました。それに、先週から平均値も上がっています」


 画面を開き、同じ種類の魔石の記録を並べる。


 一週間前、102パーセント。


 五日前、105パーセント。


 三日前、109パーセント。


 そして今日、――8パーセント。


 水城先輩の表情から笑みが消えた。


「……これは、偶然じゃなさそうね」

「はい。たぶん、内部で何かが起きています」


 俺は日本ダンジョン協会・関東支部ダンジョン監視課の新人職員だ。


 探索者ではない。


 一応F級資格は持っているが、訓練用スライム一匹を倒すのに七分かかった。剣を握れば手元はぶれ、魔力は一般人と変わらない。


 だから俺は、戦うことを諦めた。


 せめて、戦う人たちを無事に帰す側で役に立ちたかった。


 しかし採用三か月目の新人に任される仕事は、入退場管理、素材の記録、報告書の整理ばかりだ。


 誰も、俺の見る数字に期待していない。


 ◇


 その夜、俺は青葉台ダンジョンの記録を洗い直した。


 入場者数、討伐記録、素材の種類、帰還時間。そして探索者が報告欄に残した、短い違和感。


『七階層で方位磁石が狂った』

『六階層の苔が黒く変色していた』

『四階層に大型の爪痕』

『魔物が少なく、予定より早く帰還した』


 一つずつなら、異常として処理されない程度の話だ。


 けれど同じ時期に集中している。


「まだ帰らないの?」


 午後九時を過ぎたころ、水城先輩が缶コーヒーを二本持ってきた。


「青葉台の記録が気になって」

「新人のサービス残業は禁止なんだけど」

「勤務記録は切りました」

「それ、もっと駄目なやつ」


 呆れながらも、水城先輩は隣に座った。


 俺は記録を並べ、見つけた共通点を説明する。


「上層の魔物が減って、その代わり中層の魔物が上へ移動しています。何かから逃げているように見えます」

「強い魔物が、下から来ている?」

「それだけなら温度低下を説明できません」


 俺は事故記録データベースを検索した。


 そして、十二年前の報告書を見つける。


 黒浜ダンジョン崩落事故。


 事故前には、低層魔物の減少、魔石濃度の上昇、局所的な低温化が起きていた。


「似てる」


 水城先輩が小さく息をのんだ。


「ただし、黒浜では入口の魔力濃度も上がっていました。青葉台の入口は正常です」

「でも、内部だけで異常が進んでいる可能性はある」

「はい」


 水城先輩はしばらく黙っていたが、俺の画面を指した。


「課長に報告しましょう。資料をまとめて」

「俺の推測ですよ」

「推測を、根拠のある警告に変えたのは瀬川でしょ」


 その言葉に、少しだけ胸が熱くなった。


 俺は夜明けまで、報告書を書いた。


 ただ怖いと言うのではない。


 何が起きていて、なぜ危険なのか。


 誰が読んでも分かる形にする。


 それが、俺にできる戦い方だった。


 ◇


 翌朝。


 監視課長の佐伯は、俺の報告書を最後まで読んだ。


「よく調べたな」


 最初にそう言われて、少しだけ救われた。


「ありがとうございます。青葉台ダンジョンの一時封鎖と、追加調査を提案します」

「封鎖は認められない」


 けれど、答えは即座だった。


「なぜですか」

「決定的な異常値がない。入口の魔力濃度、温度、振動、すべて基準内だ」

「黒浜事故と似ています」

「似ているだけでは、二百人が利用するダンジョンを止められない」


 佐伯課長は冷たい人ではない。むしろ、現場で多くの事故を経験してきたからこそ、根拠のない恐怖で社会を止められないのだろう。


「可能性と事実は分けろ、瀬川。危機管理は、不安を広げる仕事ではない」

「……はい」

「ただし、小さな異常を拾うのも仕事だ。追加調査は許可する」


 却下ではあった。


 けれど、俺の報告そのものを笑われたわけではない。


 ならば、足りないのは言葉ではない。証拠だ。


 俺と水城先輩は、その日帰還した探索者二十七組に聞き取りをした。


 遭遇した魔物と場所を、地図へ落とし込んでいく。


 すると、答えが見えた。


「見てください」


 俺は地図を水城先輩へ向けた。


「一階層から七階層では、魔物が普段の三分の一以下です。でも八階層から十二階層では、逆に増えています」

「下から押し出されてる……」

「はい。そして十三階層では、本来なら二十階層より下にいるアイアンリザードが目撃されています」


 魔物たちは、縄張りを捨てて逃げている。


 だが、何から?


 その答えは、夕方に持ち込まれた黒い破片が教えてくれた。


「十階層で拾った。売れるか?」


 探索者が差し出したのは、巨大な爪の欠片だった。


 表面に白い粉がついている。


 検査結果は、霜狼の体毛成分。


 霜狼は、氷属性を持つA級魔物だ。青葉台には生息していない。C級ダンジョンの十階層に現れていい相手でもない。


 俺は検査結果を持って課長室へ駆け込んだ。


「佐伯課長。高位魔物の痕跡です」


 課長は結果を読み、すぐに立ち上がった。


「青葉台を入場制限。中にいる探索者へ帰還勧告を出せ」

「封鎖は?」

「一般探索者は止める」


 そこまで言って、課長は難しい顔をした。


「だが明日、《天狼》が入る予定だ」


 日本に五組しかいないS級パーティ。


 《天狼》は、青葉台ダンジョンの未踏領域を調査するために来る。


「中止すべきです」

「霜狼一体の可能性なら、S級に調査を頼む方が安全だ」

「もし黒浜と同じ現象なら、深く潜るほど危険になります」

「だからお前の報告を送る。判断は彼らに委ねる」


 翌朝、《天狼》から返答が届いた。


『予定通り調査を行う。ただし、撤退条件を厳しく設定する』


 俺は画面を見つめた。


 プロとして、正しい判断なのだと思う。


 それでも、嫌な予感は消えなかった。


 ◇


 午前八時。


 《天狼》の四人が協会へ到着した。


 リーダーの神代蓮。


 盾役の剛田宗司。


 治癒術師の白石明日香。


 そして索敵担当の久遠美月。


 テレビで何度も見た顔が、目の前にいる。


 俺は装備確認のため、緊張しながら資料を渡した。


「瀬川さん、ですよね」


 久遠さんが、俺の名前を呼んだ。


「はい」

「異常報告、読みました」


 心臓が跳ねる。


「……ありがとうございます」

「討伐数じゃなく、遭遇位置の移動を見る。そこが面白かったです。現場でも注意します」

「北側通路は、できれば避けてください。魔物の移動が集中しています」

「了解」


 神代さんも、地図を見て頷いた。


「新人さんの違和感に命を預けるのも、探索者の仕事だ。確かめてくる」


 笑われなかった。


 S級探索者が、俺の分析を信じてくれた。


 それだけで、手が震えそうになった。


 午前八時三十分、《天狼》が入場する。


 午前九時十二分、五階層到達。異常なし。


 午前九時五十八分、十階層到達。霜狼一体を討伐。


 午前十時四十分、十四階層到達。


『北側通路に、強い冷気反応。予定を変更し、南側へ迂回する』


 久遠さんから通信が入った。


 俺の警告を使ってくれた。


 その直後だった。


 管制室の画面が白く弾けた。


 警報音。


 《天狼》の識別信号が、十四階層で停止する。


「何が起きた!?」

「内部映像、出ません!」

「通信障害です!」


 職員たちが叫ぶ。


 俺は、止まった地図を見た。


 十四階層。


 北側通路。


 魔物が逃げていた方向。


 低温域。


 そして、黒浜事故で最初に崩れた場所と同じ条件。


「……違う」


 俺は呟いた。


「何が違う?」


 佐伯課長が振り向く。


「通信が途絶えたんじゃない。ダンジョンの内部構造が、折り畳まれています」

「折り畳み?」

「通路が消えたんです。だから識別信号は止まった。いや、正確には――別の位置へ移動しているのに、地図上だけ十四階層に固定されています」


 誰もすぐには理解できなかった。


 だから俺は、画面を指した。


「魔石濃度の上昇、低温域、魔物の移動。全部、深層の冷気属性の魔物が上へ来たせいじゃない。ダンジョンそのものが、深層を浅い階層へ引き寄せています」


 黒浜事故では、入口側に異常が出てから崩落した。


 青葉台は違う。


 内部だけが、先に壊れている。


「《天狼》はどこにいる?」

「おそらく、二十六階層相当の空間です」

「C級の青葉台で?」

「もうC級じゃありません」


 自分でも信じられないほど、声は静かだった。


「今の青葉台は、深層を飲み込んだダンジョンです」


 管制室が凍りつく。


 そのとき、ノイズ混じりの通信が入った。


『――こちら《天狼》! 神代だ!』

「神代さん!」

『空間が変わった! 巨大な氷結洞窟に落とされた。久遠が負傷、出口が見えない!』


 背後で、何かが咆哮した。


 通信の向こうから、凍りつくような音が響く。


『大型反応二つ。双熱竜だ。撤退する!』


 双熱竜。


 二十六階層以深に生息するA級上位の魔物。


 C級ダンジョンにいるはずがない。


「救助隊を出します!」


 職員が叫ぶ。


「待ってください!」


 俺は止めた。


 全員の視線が刺さる。


「瀬川、理由を言え」


 佐伯課長の声は鋭い。


「今、普通の救助隊を十四階層へ入れたら、同じ場所に落ちます。しかも構造が動いている。入口から探しても、絶対に届かない」

「では、どうする」


 俺は、震える指で地図を拡大した。


 探索者の聞き取り記録。


 黒浜事故の資料。


 《天狼》の移動履歴。


 そして、魔物が逃げた道筋。


 必要な情報は、すでに集まっていた。


「双熱竜は、巣を守るときだけ通る道があります」

「お前、なぜ分かる」

「事故記録にありました。黒浜で生還した一人が、同じ冷気と熱気が混ざる洞窟を見ています」

「十二年前の、たった一件の証言だぞ」

「でも、青葉台の魔物も同じ方向へ逃げています。竜を避けるなら、逆方向に安全な空間があるはずです」


 俺は地図上に一本の線を引いた。


「《天狼》には、戦って出口を探してもらうんじゃない。双熱竜を南へ誘導して、その背後にできる空間の裂け目へ向かってもらう」

「そんなものがある保証は」

「ありません」


 言い切ったあと、俺は息を吸った。


「でも、入口から救助隊を送るより、生還率は高いです」


 佐伯課長は、俺をまっすぐ見た。


 新人の言葉だ。


 戦えない職員の推測だ。


 それでも、俺が積み上げた情報を見ている。


「通信をつなげ」


 課長は言った。


「瀬川。お前が指示しろ」


 ◇


『神代さん、聞こえますか』

『聞こえる。新人職員さんか』

『はい。瀬川です。双熱竜を倒す必要はありません。南側へ誘導してください』

『根拠は?』

『竜がいる場所は、深層が浅層に重なった中心です。竜が移動すれば、重なりが一瞬だけ緩みます。そのとき、北西に裂け目が出るはずです』

『はず、か』

『はい。でも、そこが帰還ルートです』


 短い沈黙。


 その後、神代さんは笑った。


『分かった。俺たちは敵を倒す仕事をする。瀬川さんは、帰る道を作ってくれ』

『……はい』


 俺は、初めて自分の役割を理解した。


 俺は戦えない。


 でも、戦える人が帰るための道は作れる。


 画面上の四つの信号が動き出す。


 神代さんと剛田さんが双熱竜を引きつける。


 久遠さんは負傷しながらも、冷気と熱気の流れを探る。


 白石さんが全員の傷を治す。


 そして俺は、彼らの通信と、地図の変化と、過去の事故記録を照らし合わせ続けた。


「右へ二十メートル! その先は崩れます!」

『了解!』

「今です、北西へ!」

『裂け目を確認!』

「入ってください!」


 次の瞬間、管制室の画面が再び白く光った。


 識別信号が消える。


 息が止まる。


 そして。


 入口ゲートに、四つの信号が戻った。


「帰還を確認!」

「《天狼》、全員生還!」


 誰かが叫んだ。


 管制室が一斉に沸いた。


 俺は、膝から力が抜けて椅子に座り込んだ。


 生きて帰ってきた。


 全員。


 ◇


 入口の前では、《天狼》の四人が救護班に囲まれていた。


 久遠さんは足を引きずっていたが、俺を見つけると手を上げた。


「瀬川さん」

「久遠さん。無事で……よかったです」

「助けられました」


 俺は首を振る。


「俺は、通信で道を言っただけで」

「違います」


 久遠さんは、真剣な顔で言った。


「私たちは、目の前の魔物しか見られなかった。でも瀬川さんは、私たちがいる場所と、起きていること全体を見ていた」


 神代さんも、汚れた装備のまま俺の前に立った。


「新人職員だと聞いたときは、正直、半信半疑だった」


 胸が痛んだ。


 だが神代さんは続ける。


「でも、お前がいなければ俺たちは帰れなかった」


 S級探索者が、俺の肩を叩く。


「戦えない? だから何だ。探索者を生きて帰すのが、お前の仕事なら――今日のお前は、誰よりも立派に仕事をした」


 言葉が出なかった。


 俺はずっと、自分が弱いことを恥じていた。


 探索者になれなかった自分は、せめて裏方で迷惑をかけないようにするしかないと思っていた。


 でも違った。


 俺にしか見つけられないものがある。


 俺にしか、つなげられない情報がある。


「千八百件の事故記録を頭に入れてる新人を、普通の新人とは呼ばんな」


 佐伯課長が、いつの間にか隣に立っていた。


「課長……」

「封鎖判断が遅れた責任は、俺にある」

「そんなことは」

「いや。お前の最初の報告を、もっと重く見るべきだった」


 課長は深く頭を下げた。


 五十代のベテランが、新人の俺に。


「すまなかった。そして、よくやった」


 水城先輩が、目元をぬぐいながら笑った。


「ほらね。瀬川は、ただの新人じゃなかった」


 周囲の職員も、次々に声をかけてくる。


「最初に気づいたの、瀬川だったのか」

「俺たち、魔石の数値しか見てなかった」

「報告書、あとで読ませてくれ」


 今まで、俺の名前を知らなかった人まで。


 今まで、ただの補助要員だと思っていた人まで。


 俺を見ていた。


 ◇


 青葉台ダンジョンは、無期限封鎖となった。


 調査の結果、内部構造の異常変化は、黒浜事故に近い「階層重畳現象」だと判明した。


 ただし完全崩落を防げたのは、《天狼》が内部から双熱竜を移動させ、空間の重なりを一度ほどいたからだという。


 後日、協会本部から調査官が来た。


 俺の報告書と、聞き取り記録と、救助時の指示ログを確認した。


「瀬川職員」

「はい」

「君は、最初の異常を何で見つけた?」

「魔石の濃度です」

「それだけ?」

「いえ。魔物の数、温度、爪痕、探索者の短い報告です。一つでは判断できませんでした。でも、全部を並べると、同じ方向を指していました」


 調査官は、しばらく俺を見ていた。


「多くの者は、異常値だけを見る。君は、異常になる前の変化を見た」


 その言葉は、ずっと胸に残った。


 数日後、佐伯課長から辞令を渡された。


「関東支部・ダンジョン監視課、異常予兆分析担当。新設だ」

「俺が、ですか?」

「お前が作った報告書を基準に、全国の記録を見直すことになった。お前には、水城と一緒にその仕組みを作ってもらう」


 手が震えた。


「ですが、俺はまだ新人です」

「だからどうした」


 課長は笑った。


「新人だから見えたものもある。経験者が『いつものこと』と流す違和感を、お前は拾った」


 それは、俺がずっと欲しかった言葉だったのかもしれない。


 役に立ちたい。


 認められたい。


 戦えない自分にも、価値があると知りたかった。


 その全部が、今ようやく形になった。


 帰り際、協会の入口に黒い車が止まった。


 窓が下り、神代さんが顔を出す。


「瀬川」

「神代さん?」

「次の調査任務が決まった。今度も事前資料を頼む」

「俺でよければ」

「お前がいい」


 神代さんは、当たり前のことのように言った。


「《天狼》は強い。だが、強いだけじゃ生き残れない。次も、俺たちを生きて帰してくれ」


 車が去ったあと、俺はしばらく入口に立っていた。


 戦えない俺は、今日も机に向かう。


 記録を読み、数字を並べ、小さな違和感を拾う。


 その先にいる誰かを、生きて帰すために。


 もう、これは補助業務じゃない。


 俺にしかできない仕事だ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


「戦えなくても、探索者を支える側の主人公も悪くない」

「この新人、もう少し評価されてもいいんじゃないか」


と思っていただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価していただけると、とても励みになります。


感想も大歓迎です。


特に、

「こういうダンジョン協会のお仕事ものをもっと読みたい」

と思っていただけた方がいれば、ぜひ教えてください。


最後まで直人の仕事を見届けてくださり、ありがとうございました。

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