あなたは私の元に戻るの【皇后視点】
皇宮の大広間には、今日も静かな緊張が満ちていた。
高い天井から吊るされた無数のシャンデリアが、昼の光を反射し、床の大理石に淡くきらめきを落としている。その中央に設えられた玉座に、ひとりの女性が端正な姿勢で腰掛けていた。
皇后エリザベス。
この帝国で、もっとも尊く、もっとも愛され、そしてもっとも影響力を持つ存在。
白磁のような肌に、柔らかな金髪。慈愛に満ちた微笑を浮かべるその姿は、民にとって“理想の皇后”そのものだった。
だが今、その眉間には、かすかな皺が寄っている。
「……まだ、見つからないの?」
澄んだ声が、大広間に静かに響いた。
玉座の下で跪いていた宰相は、わずかに肩を震わせる。
「……申し訳ございません、皇后陛下。捜索は続けておりますが……」
言葉を選ぶように、宰相は一度、口を閉じた。
「ミカエル殿は、各地で目撃情報こそございますが……どうやら、ひとつの場所に長く留まらぬよう、意図的に移動を続けているようで……」
それはつまり。
――捕まえさせないよう、逃げ続けている。
という意味だった。
エリザベスは、わずかに視線を伏せた。
「……そう」
小さく息を吐く。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「でも……ミカエルは、可哀想なのよ」
その声には、純粋な憐れみが滲んでいた。
「偽聖女の件以来、彼はずっと疎外されて……悪く言われて……」
「本当は、誰よりも国のために戦ってきたのに」
ぎゅっと、細い指が玉座の肘掛けを掴む。
「……だからこそ、私たちが守ってあげなければならないの」
宰相は、言葉を失ったまま、ただ頭を垂れる。
エリザベスは続けた。
「皇室が正式に保護して、ミカエルを私の筆頭近衛騎士に任命するのよ」
「そうすれば、民も考えを改めるわ」
「ミカエルは、この国の英雄だって……皆に思い出させてあげるの」
その表情には、揺るぎない確信があった。
――これは、正しいことだ。
――これは、ミカエルのため。
そう、信じ切って疑っていない顔だった。
宰相は、内心で小さく息を飲む。
(……それが、彼にとって本当に救いになるのか……)
だが、その疑問を口に出せる者は、ここにはいない。
「……分かりました。引き続き、全力で捜索いたします」
「ええ。お願いね」
エリザベスは満足そうに頷いた。
やがて、宰相は深く頭を下げ、大広間を後にする。
静寂が戻った空間で、エリザベスはひとり、玉座に残された。
その視線は、どこか遠くを見つめている。
――七年前。
すべてが変わった、あの日のことを。
彼女は、はっきりと覚えている。
ミカエルは、自分を愛していた。
それは、あまりにも分かりやすくて、あまりにも誠実だった。
視線。
声の調子。
距離の取り方。
些細な変化に気づく、その優しさ。
すべてが、彼女だけを見ていた。
もちろん、エリザベスは気づいていた。
気づいて、いた。
――でも。
気づかないふりをした。
選んだのは、皇太子アルフォンス。
あれだけ純粋に想いを寄せてくれていたミカエルに対して罪悪感はあった。
でも自分が愛し、生涯を伴にしたいと選んだのはアルフォンスだった。
祝賀会の夜。
彼は、壊れそうなほど儚い笑顔で、二人を祝福した。
『……どうか、お幸せに』
その声は、震えていた。
そして、彼はすべてを捨てた。
地位も。
名誉も。
実績も。
彼の髪と同じ色の銀の刀身の愛剣だけを携えて。
皇都神殿を、去った。
あれから七年。
エリザベスは、ずっと思っていた。
(……ミカエルは、きっと今も苦しんでいる)
(私を忘れられずに)
(ひとりで、嘆いている)
だからこそ。
助けてあげなければならない。
そう、信じて疑わなかった。
「……待っててね、ミカエル」
誰もいない大広間で、彼女は呟く。
「私が、助けてあげるから」
その唇に、淡い微笑が浮かぶ。
だが。
彼女は、まだ気づいていない。
その“助けたい”という想いの奥に。
――もう一度、あの純粋な眼差しを向けられたい。
――もう一度、自分だけを見てほしい。
そんな、歪んだ願望が潜んでいることに。
それは、愛でも救済でもない。
自己満足。
独善。
そして。
ミカエルにとっては、何より残酷な檻だった。
知らぬまま、エリザベスは祈る。
「……あなたは、私のそばに戻るのよ」
次は2/1(日)19時頃更新予定です




