銀髪騎士=拾ってきた犬
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まぶたの裏に、柔らかな光が滲んだ。
――眩しい。
それが、ミカエルの最初の感覚だった。
重く張り付いていた意識が、ゆっくりと浮上していく。遠くで鳥の鳴く声がして、どこかで風が木々を揺らしている音がした。
……生きている。
ぼんやりと、そう思う。
次に浮かんだのは、昨日の記憶だった。
森の奥。魔物との遭遇。鋭い爪が腹部を裂いた感覚。血の匂い。視界が暗転していく瞬間。
(……確か、致命傷だったはずだ……)
ゆっくりと目を開く。
視界に映ったのは、白く塗られた木製の天井だった。ところどころに古い染みがあり、質素だが丁寧に手入れされているのが分かる。
知らない場所だった。
「……ここは……」
掠れた声が、自分の耳に届く。
喉が焼けつくように痛む。
ミカエルは息を整えながら、そっと視線を下に落とした。
腹部。
確かに、魔物の爪に貫かれた場所。
恐る恐る、そこに手を伸ばす。
――何もない。
包帯も、血の跡も、痛みすらも。
そこには、傷一つない、健康な肌があるだけだった。
「……な……?」
思わず、何度も確かめる。
押しても、撫でても、痛みはない。
完全に治っている。
ありえない。
あれほどの重傷が、一晩で消えるなど。
混乱が頭を支配した、その時だった。
扉の向こうから、足音が聞こえる。
控えめなノック。
「……起きたの?」
柔らかな声と共に、扉が開いた。
そこに立っていたのは、昨日見た少女だった。
ピンクブロンドの髪を後ろでまとめ、簡素な修道服に身を包んでいる。両手には木製のトレイ。湯気の立つスープの器が載っていた。
「……君は……」
「おはよう。調子はどう?」
彼女――イルフェルミナは、にこりと笑いながら近づいてくる。
ミカエルは戸惑いながらも、問いかけた。
「……ここは?」
「辺境の、寂れた修道院よ。貴方が近くの森で倒れてたから、運んできたの」
あっさりと言う。
そして、肩をすくめて付け加えた。
「ほんっとに重かったんだから。腕、取れるかと思ったわ」
「……す、すまなかった」
反射的に頭を下げる。
自分が迷惑をかけたという事実が、胸に重くのしかかる。
ミカエルはベッドから身を起こそうとした。
「……すぐに、ここを発つ。これ以上、世話になるわけには……」
だが、ふらりと体が揺れる。
「ちょ、ちょっと!」
イルフェルミナが慌てて支えた。
「何考えてるのよ。まだ万全じゃないでしょ」
「しかし……私がここにいれば、迷惑になる……」
言葉を絞り出すように告げる。
これ以上、誰かに負担をかける資格などない。
そんな思いが、心を縛っていた。
だが、イルフェルミナは聞く耳を持たなかった。
「はいはい、難しい顔しない」
そう言って、トレイをベッド脇の台に置く。
「とりあえず、食べなさい」
湯気の立つスープの香りが、ふわりと広がった。
ひよこ豆と野菜の、優しい匂い。
それだけで、空腹を自覚してしまう。
だが、ミカエルは躊躇した。
「……これ以上、良くしてもらうのは……」
「はぁ……」
イルフェルミナは、わざとらしくため息をついた。
「なに? まだ一人で食べられるほど元気ないの?」
「い、いや、そういう意味では……」
言い終わる前に、彼女はスプーンを手に取った。
器からスープをすくい、ふぅふぅと息を吹きかける。
そして、そのままミカエルの口元へ。
「はい。あーん」
「――――!?」
ミカエルの思考が停止した。
顔が一気に熱くなる。
「な、な、なにを……!」
「早くして。冷めちゃうでしょ」
平然と言う。
逃げ場はなかった。
周囲には誰もいない。視線を逸らす先もない。
観念したように、ミカエルは恐る恐る口を開いた。
スープが、舌に触れる。
――温かい。
優しい塩味と、豆の甘みが広がる。
「……おいしい……」
思わず、零れた。
イルフェルミナは得意げに微笑む。
「でしょ? 私が作ったひよこ豆のミネストローネよ」
その笑顔を見た瞬間。
ミカエルの胸の奥に、じんわりと熱が広がった。
まるで、冬の凍った地面に、突然陽が差し込んだような。
忘れていた感覚。
誰かに、何も求められず、ただ与えられる優しさ。
「さ、もう一口」
またスプーンが差し出される。
(……捨てられてた犬に餌付けしてるみたい)
イルフェルミナは心の中でそう思いながらも、手を止めない。
ミカエルは顔を赤くしたまま、黙って口を開く。
一口。
また一口。
そのたびに、胸の奥が少しずつ解けていく。
今まで、生きるために戦い続けてきた。
誰かに守られた記憶なんて、ほとんどない。
なのに。
この小さな修道院の一室で。
見知らぬ少女に、スープを食べさせてもらっている。
信じられない光景だった。
それでも。
――嫌じゃない。
むしろ、怖いくらいに心地いい。
「……ありがとう……」
小さく呟く。
イルフェルミナは一瞬きょとんとしたあと、照れ隠しのように言った。
「どういたしまして。生きてる人は、ちゃんと食べなきゃだめよ」
その言葉に。
ミカエルの胸は、また温かくなった。
生きていていい。
ここにいていい。
そう、初めて許された気がして。
彼は、静かにスープを飲み干していった。
初めて知る、穏やかな朝の中で。
次回は30(金)19時頃に更新予定です




