孤児上がりの騎士の過去=ヘビー
過去回想上げたくなったから上げときます。
……暗い。
どこまでも、暗い。
意識の底へと、ミカエルはゆっくりと沈んでいく。
冷たく、湿った記憶が、浮かび上がってくる。
そこは。
埃と腐臭に満ちた、小さな建物だった。
崩れかけの壁。雨漏りする天井。ところどころが欠けて、いつ洗濯したかもわからないシーツがかけられた薄汚れた寝台。
名ばかりの孤児院。
「……また……ここか……」
幼い自分の声が、響く。
六歳。
ミカエルは、すでに“生きること”に疲れていた。
国から支給される孤児院の施設運営費は、本来ならば、十分な額だった。
だが。
その運営費の大半は院長である強欲な男爵の私腹を肥やすために使われていた。
酒。女。賭博。贅沢な衣装。
その代わり、子どもたちは、腐ったパン。薄い粥。破れた毛布。病気になっても診てもらう事すらない。ただ耐え忍ぶだけの日常。
死ねば、「運が悪かった」で終わり。
「……今日のごはん……これだけ?」
「文句言うな!」
いつも誰かが叩かれる。泣いても、無駄だった。
意味があって叩かれるならまだしも、院長の機嫌の悪い日はストレス発散のサンドバックとして扱われる。
だからミカエルはただじっと、息を殺しながら毎日を生きていた。
そんなある日。
院長は、にやついた顔で言った。
「いい買い手がついたぞ」
「お前は、運がいい」
意味は、すぐに分かった。
院長に連れて行かれた先は、豪奢な屋敷だった。
どこかの伯爵の別邸らしい。
門戸をくぐり、その屋敷の執事らしい男に部屋まで案内される。
中に入ると鼻を劈くような香水の匂いが漂ってきた。
待っていたのは、ハゲて脂ぎった中年の男だった。しかし服だけはやたら豪華で着飾っていて、一目でこの屋敷の主だとわかった。
ねっとりした笑顔で値踏みするよう上から下へと見つめてくる。
「……小さいな……いい……」
吐き気がした。逃げようとした。
でも。
後ろには、屈強な傭兵が五人待機していた。
「暴れるなよ、ガキ」
「おい、顔は傷付けるなよ、せっかくの上玉だ」
その言葉に、自分が今からここで何をされるか察した。
その瞬間。
何かが、切れた。
嫌だ。こんな汚い男の好き勝手に身体を暴かれるなんて耐えられない。
「……うああああっ!!」
無我夢中に、拳を振る。蹴る。噛みつく。突き飛ばす。
気づけば。
控えていた5人の傭兵全員が、床に転がっていた。
誰一人、立てなかった。
ミカエルだけはかすり傷ひとつもなく立ち尽くしていた。
「……え……?」
小さな手が震えている。
その光景を見ていた貴族は。
青ざめ。
そして。
別の笑みを浮かべた。
「……ほう……」
「これは、愛玩用ではなく金の成る木かもしれない」
こうして、ミカエルは性奴隷としてではなく伯爵家お抱えの“戦闘奴隷”となった。
闘技場。
血の匂い。
歓声。
怒号。
賭け声。
檻の中。
裸足。
薄汚れた服。
結局、孤児院にいた時よりも劣悪な環境に身を投じる事になった。
「殺せ!」
「もっとやれ!」
汚い大人たちの罵声が常に飛び交う。
ミカエルは闘技場の中でも1番人気の戦闘奴隷となった。
勝てなければ、死ぬ。負ければ、死ぬ。怪我をすれば、次で死ぬ。
ただ死にたくない、その気持ちだけで相手の命を奪っていた。
相手は元連続殺人犯、猛獣、自分と同じような立場の戦闘奴隷の子ども。何だってあった。
相手が誰であれミカエルは殺すしかなかったのだ。
相手の息の根を止める度に自分の心が擦り切れる感じがする。
眠れない夜。
痛み。
空腹。
恐怖。
それでも生きた。
生きるしかなかった。
「死なない……」
「……まだ……」
何年も。
何百戦も。
そんなある日、闘技場に、客が訪れた。
白い衣を纏い柔らかな微笑みを湛える。光を纏う存在。凡そこの闘技場に似つかわしくない存在。
聖女だった。
彼女は。
このローラン帝国で1番権威がある、帝都神殿の絶対的存在。
彼女が慰問の為に闘技場に訪れたのだ。
聖女は闘技場を一巡すると、血まみれの少年が佇んでいるのに見つけた。
まだ年端もいかない銀の髪の美しい少年。しかし、その容姿に目を奪われた訳ではない。
「……この子……」
「神聖力を……持っている……?」
聖女が近づいてきた。そして、ミカエルが血に汚れているのも気にせずに手を伸ばした。
「……大丈夫よ」
「もう、ここにはいなくていい」
優しく、労るような言葉。
初めてだった。こんな風に誰かに声を掛けられたのは。
そして手を引かれたまま、連れ出された。
檻から。闘技場から。地獄から。
ミカエルは初めて美しい陽の光を浴びることができた。
連れていかれたのは白い壁に囲まれた美しい神殿だった。
汚れた身体を洗い流され、清潔な寝台に寝かされる。目が覚めれば、温かい食事。
「……夢……?」
毎日が、信じられなかった。
彼女は、何度も言った。
「あなたは、特別よ」
「神に選ばれた存在」
ミカエルは、彼女を、神のように思った。
「……この方のためなら……」
「……何でもする……」
必死に鍛えた。毎日敬虔に神に祈りを捧げ、勉学に励んだ。
見習い騎士となった日からは毎日魔獣との戦いに明け暮れた。
戦いの毎日は闘技場の時と変わらなかったが、気持ちは全く違った。
自分は今、民の為に、神の為に、そして尊敬する聖女様の為に戦っている。
それがミカエルの誇りとなった。
持ち前の才能、そして弛まぬ努力の末、
十八歳。
異例の速さで。
聖女付きの筆頭護衛騎士に。
孤児出身。
前例なし。
やがて。
騎士団長にまで、上り詰めた。
すべて。
彼女のためだった。
そのうち、ミカエルは預言の聖女により選ばれし勇者と民衆から崇められるようになった。
それにより、聖女の名声はとどまる勢いを知らず、辺境の村にまで響き渡っていた。
「……恩返し……です」
そう言って、ミカエルは笑った。
自分が勇者だとはそんなのはどうでもよかった。
ただ、聖女様の、役に立ちたい。
少年だったミカエルは。
聖女を見上げていた。
まっすぐに。
疑いもなく。
――この時は、まだ。
彼女が、世界を壊す存在になるなんて。
思いもしなかった。
次回更新は28日(水)19時くらいです




