銀髪聖騎士=負けヒーロー
夜。
雲に覆われた空の下、森は不気味なほど静まり返っていた。
風が、木々の葉をわずかに揺らす音だけが、耳に届く。
その闇の中を。
一人の男が、ふらつきながら歩いていた。
ミカエル・フェラン。
かつて、帝都神殿の聖騎士団長。
今は、名もなき放浪者。
「……っ……は……」
息が、続かない。
肺が焼けるように痛む。
腹部の傷から、止めどなく血が流れる。
冷たい夜気が、身体の熱を奪っていく。
先刻、魔獣と対峙する際に、ミカエルは手痛い反撃を食らった。
いつもなら、これくらいの魔獣、ミカエルの相手にもならなかったが、連日の戦闘と7年もの間続けている野宿にミカエルの身体は一時も休まる暇もなく、悲鳴を上げ続けていた。
そして、ミカエルが魔獣にトドメを食らわす一瞬に、少しの油断が生まれた。
気付いた時には魔獣の爪は、深く内臓にまで届いていた。
魔獣は急所を斬ると同時に霧のように消えていったが、ミカエルはその場に剣を突き刺したまま座り込む。
普通なら、とっくに倒れている。
ようやく踏み出す1歩の足取りすら、今のミカエルにとっては重い。
ふらりと体勢を崩した時に、肩に木の枝がぶつかり、小さな切り傷を作る。
それを構う余裕すら今のミカエルにはなかった。
「……まだ……歩ける……」
掠れた声で、そう呟く。誰に聞かせるでもない、自分に言い聞かせるための言葉だ。
木に手をつき、岩にもたれ、何度も、転びかけながらもミカエルは進むしかなかった。
足は、もはや感覚がない。
暗い森の中を行くあてもなく彷徨いながら、やがてミカエルの視界の端に、淡い光が映った。
小さな修道院。
窓からは小さな光が漏れている。
人の住む場所。
救い。
「……」
歩を進めようと思ったが、逡巡し、足が止まってしまった。
胸が、小さく痛む。
行けば、もしかしたら助かるかもしれない。
分かっている。
だが――。
「……やめろ……」
小さく、呟く。
自分は。
“偽聖女の筆頭護衛騎士” “裏切り者” “コウモリ男”
そう呼ばれてきた男だ。
誰かに助けを求めれば。
また、噂になる。
また、疑われる。
また、誰かの平穏を壊す。
「……迷惑だ……」
今さら、誰かと関わる資格などない。
『ミカ、あなたはもっと自分を誇っていいの。あなたはあなたの信じた道を進めばいいのよ』
頭に浮かんだのは、もう会うこともない想い人の声だった。
自分の信仰に迷いが起きた時、そっと背中を押してくれた美しいひと。
コウモリ男、偽聖女の筆頭護衛騎士と後ろ指を刺されようとも、彼女がいたから前に進めた。
もう彼女はこの国の皇后として、愛する人の手を取ったが、それでも陰ながらでいいからこの国を、彼女を支えたい。
騎士服を脱ぎ、数々の勲章を返還し、今まで愛用していた剣だけを取り、ミカエルは旅へと出た。
まだ各地に蔓延る、魔王の残党を狩る為に。
旅は7年も続いた。
彼は、各地を巡った。
魔物の残党を狩り、村を救い、名を残さず。報酬も、最小限。
7年。
ずっと、一人だった。
誰かと食事をすることも、誰かに頼ることもなかった。
ただ黙々と魔物を狩り続ける日々。
そして今。
血を流しながら、森に佇む。
最早、足に力は入らなくなり、ずるずると木を背にして座り込む。
「……結局……」
かすれた笑いがもれる。
「……最後まで……一人だな……」
不思議と怖くはなかった。
寂しさも、苦しさも、もう薄れていた。
一人には慣れていた。
ずっと一人で生きてきたから。
幸せそうに微笑んでる2人の背中を見送り、彼女との優しい想い出だけを胸に、旅に出たあの日から。
「……ここで……終わりでも……」
小さく、息を吐く。
「……まあ……悪くない……」
修道院の灯りを、もう一度だけ見る。
「……幸せそうだ……」
それだけ、思った。
そして。
彼は、目を閉じた。
誰にも助けを求めず、誰にも迷惑をかけないまま。
終わる覚悟を、決めて。
その時。
闇の向こうで。
小さな灯りが、揺れた。




