妹の異世界転生初日
【四】
【志紀のオリジン】
異世界に飛ばされた志紀の目前に広がっていたのは、広く、果てしない地平線だった。
空には竜が飛び交い、地上には巨大な野獣が闊歩している。
第一に、志紀の胸に浮かんだ思考は『これは夢?』というものだった。
だが、まだ自我が確立しきっていない志紀には、現実逃避以外にもすることがあった。
「お兄ちゃあーーーーーん!!」
ここへ来るまで追いかけていた兄の名を、声の限りに呼ぶ。
まだ幼い彼女にとって、兄を追いかけるのは当然であり、愛するのもまた当然のことだった。
「貴女の知る何者も、ここにはいません」
声の主は、筋骨隆々で、まるで岩そのもののような色の肌をした巨漢だった。
耳は尖り、目は血走っている。だが、少女の世界で言う眼鏡に酷似した装身具をかけているため、どこか理知的にも見えた。
大人なら悲鳴をあげていたであろう姿だが、志紀は幼く、ただぼんやりと見上げていた。
「お待ちしておりました、新たな姫君よ。
定めに従い、我らを導き、お救いください」
そう言って、その生き物は志紀の前で跪いた。
頭を垂れ、女王に仕える臣下の構えを取る。
幼い志紀には意味がわからず、首を傾げて目を丸くする。
「……なんのこと?」
純粋な疑問を投げかけても、巨漢――彼女のいた世界の人間とは明らかに異なる外見の男は、面を上げない。
「じきに、わかります」
「おじさん、だあれ?」
「ギリーとお呼びください」
「……うちに、帰りたい」
「それは……」
ギリーと名乗った巨漢の言葉を、地響きが遮った。
遠方から砂埃が立ち上り、テレビでさえ見たことのない獣の群れが迫ってくる。
動物園で見る生き物とはまるで違う──こちらを殺そうとしている獣の気迫。
翠の岩肌を持つギリーは無機質な外見をしていたが、獣たちは細部こそ異なるものの、志紀の知る生き物と通じる何かを持っていた。
「あれ……なに……?」
「魔王ライゼン=グロアブルの軍勢です」
志紀五人分はあろうかという巨大な戦斧を振るい、ギリーは飛びかかってきた双頭の狼を一撃で斬り伏せた。
次々と牙を剥く獣──後に志紀が魔獣と呼ぶことになる存在から距離を取るため、
ギリーは志紀を片手で抱え上げ、疾走する。
「奴らの邪悪さ、凶暴さを、その目に焼き付けておきなさい。
奴らの首魁こそが魔王!
我らを虐げ、殺し、哄笑する残酷の極み!
あらゆる悲劇の源なのです!!」
理知的な口調はそのままに、少女には無縁だった激しい憎悪と怒りが、言葉となって溢れ出す。
少女に、魔王など理解できるはずもない。
兄から引き離され、ギリーと名乗る巨大な生物に跪かれ、
知らない怪物たちに追われる。
わけも分からぬまま、罅割れた肌をしたギリーの肩に必死にしがみつき、
少女は迫り来る存在から目を離すことができずにいた。
これが──
異世界転生を起点として、二十年間にわたって続く進藤志紀の戦い、その最初の日だった。




