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魔王登場

【八】


「ここだよ、シキがいる場所」

「本当か……!?」


 ライゼンに案内された場所は、進藤蓮と進藤志紀が通っていた小学校だった。

 魔王の居城としてはあまりに不釣り合いだ。

 そんな場所を志紀が選んだ意味を、蓮は推測できない。

 人の気配がない学校という施設は、それだけで他者の侵入を阻む圧力がある。

 奇しくも、この世界、この街での魔王の居城にはふさわしいのかもしれないが。


「ここって何?」

「学校──いや、寺子屋か。知ってるか?」

「どっちも知らない」


 ライゼンがどの時代の出身か、蓮は正確には知らない。

 話を聞くに、遠い昔の生まれであることはわかる。

 彼女が向こうにいた期間と、こちらで過ぎた時間を照らし合わせれば、おおよその特定は可能だろう。

 とはいえ、蓮にもライゼンにも関係ないことだった。

 あまりにも昔のことだ。


「子どもたちを教育する場所だよ。一か所に集まって椅子に座って、先生の授業を聞くんだ」


 ゲートを跳び越えて学校内に入る。

 自分の記憶よりも小さく、狭く見える母校に感慨はない。

 むしろ、昨日まで通っていたかのようにすら思えた。

 懐かしさよりも、生々しくぬめった心理的距離の近さがある。


「畑仕事とか訓練は?」

「やらない。それをするにも勉強が必須の時代なんだ」

「楽しいの?」


 そう聞かれて、蓮の胸に鈍い痛みが生まれた。

 学校で勉強を楽しんだ記憶はない。けれど、友人たちと遊ぶのはとても楽しかった。

 楽しすぎて、いつも友達と遊ぶことばかり考えていた。

 今は学業にも、友達との触れ合いにも背を向けた。


「楽しかったよ。妹のことは、まるでおざなりにするくらいには」


 玄関に来ると靴箱があった。

 昔は友達と放課後の予定を話し合いながら靴を脱いでいたものだ。

 靴箱から、教室の一つ一つにつながる廊下が広がる。

 休み時間にはいつもここを走っていた。

 卒業してからはろくに省みることのなかった場所。

 久しぶりに訪れてみると、一つ一つに“志紀”が消える前の生活が見えた。


 あの頃の自分は、まるで違う世界に生きていた。

 そして妹が消えてからは、ずっと後悔の無限地獄の中にいた。

 だがそれも今日で終わる。


「おざなりにしたといっても子どもの頃でしょ? みんなそんなもんだよ」


 蓮の感傷をライゼンが邪魔する。


「ずっとそうやって全部をシキに結びつけてきたわけ?」


 ライゼンの声には明らかに、少年のトラウマと後悔を咎めるものが含まれていた。

 これまでも何人もに言われてきたことだ。

 妹のことはしょうがなかった、まだ子どもだったんだから、と。

 だがそれは言い訳だ。

 蓮はずっとそう考え、すべての助言に耳を塞いできた。耳を貸すことがなかった。


「俺は兄なんだ。妹を置いていっていいわけなかった」

「あの子はそれを恨んでると思う?」

「それは問題じゃない。俺が間違いを犯したっていうのが大事なんだ。本当は──」


 言い淀んでから、少年は続きを口にする。


「異世界転生だって、恨む筋合いはない。だってあの時、異世界転生がなかったら、妹はトラックに轢かれて死んでいた。お前だって、異世界転生がなかったらきっと死んでいた」


 馬鹿で愚かで弱かった自分に、異世界転生どころかトラックも止められるわけがない。

 初めてトラックを粉砕したのは、まだ二年前。

 武術の極みに足を踏み入れるのに、彼はそれだけの時間がかかった。


「でも、俺は異世界転生をずっと憎んできた。昔の自分も、クソッタレな人生も、あいつの犠牲も、全部を異世界転生に押し付けて、ぶん殴りたかった。これは理性的な思考じゃない。ただの……ガキの癇癪だ」


 自分で口にしたように、異世界転生がなければ妹はきっとそのままトラックに轢かれて死んでいた。

 異世界転生に感謝すべきですらあるのかもしれない。

 少年の心を燃やしてきたのはただの癇癪。否定はできない。

 その“癇癪”を、少年は何年も抱え、夢に見て、それを糧に狂気の修行にも耐えてきた。


 胸にできた不定形の暗い衝動は、いつも自分を苛んで、心を狂わせそうだった。

 無力感と怒り、そして愚かさが、彼の人生を壊した。


「なるほどなあ」


 感慨深そうにライゼンは深く重々しく頷いた。


「異世界転生した子たちの家族ってこうなっちゃうのか」

「またはミモーみたいなのを生んでしまうほどに狂うのかもしれないな」


 戦いの後、三森たちを探したが、その場から一人残らず消えていた。

 進藤蓮の全力の一撃で遠くまで吹き飛んだのかもしれない。

 いくら全力の攻撃とはいえ、三森茜たちは風圧で消滅まではしていないはずだ。

 動いて敵意が残っているなら、すぐに追ってくるはず。

 そうなっていないということは、敗北を認め、退くのを選んでくれたということだろう。

 本当に、あの幼馴染にはお世話になってばかりで、これから何をどう返せるのか。


「お前の家族はどんな人だった?」


 ライゼンに尋ねると、首を振って答えた。


「いないも同然だよ。口減らしに山に放り投げられてから異世界転生したから」

「記憶に残っていたりは?」

「これっぽっちも。正直ね、転生してからはそのことに少し感謝していたこともあった。魔王になるまでね。そう、友達もいた、家族もいた。魔王になるまでは悪いことだけじゃなかったよ。この世界の、あの時代にいたらそのまま死んでた。良いこともちゃんとあったのは、あの子も同じ」


 彼女の口ぶりに悲哀や意地、虚勢は見えない。

 この世界に良い思い出がないのであれば無理ないことかもしれない。

 異世界転生による救い。進藤蓮には認め難いが、あっても不思議ではない。

 親に捨てられたというのであればなおのことだ。


「けれど……だから、この世界を恋しく思える子たちが羨ましくはあった」

「これからこの世界を好きになれば良いさ」

「じゃあ観光案内してくれよぅ!」


 そう言って小さく薄い肩を進藤にぶつけ、かつて魔王だった少女はくすくす笑った。


 ミモーとの戦いを終え、完全に進藤蓮を認めてくれたのか、ライゼンはこちらに全幅の信頼を見せてくれる。

 事あるごとに笑顔を浮かべ、じゃれてくる。

 肩をぶつけ合ってクスクス笑いかけてくる。


 なんとしても信頼に応えたいものだ。

 心の裡で、進藤蓮は気合を入れ直した。


「なんか見たいものとかあるか?」

「機械!! 車とか電車ってやつが格好良いって思った」


 志紀は生き物に惹かれたが、ライゼンは逆のようだ。

 彼女が挙げたものに詳しいわけではないが、博物館などに連れて行けばいいのだろうか。


「じゃあ、ちょっとお前が気に入りそうなのを探すか」

「おねがーい」

「まあ、お前がここを気に入るようにがんばるよ」

「この世界を好きになるのはそっちもね」


 階段を上る中で、先を行くライゼンが後ろを振り返った。

 長い髪が月夜を反射し、少女ではない悠久の月日を重ねた大樹のようだった。

 厳しい修行に耐えてきたとはいえ、まだ年若い蓮にも、この時だけはライゼンが別人に見えた。

 否、別の存在に。


「君は、ずっと、心が囚われているみたいだから。きっと、シキをどうにかできれば、君の人生がまた始まるんだろう」

「あ、ああ」


 ライゼンの透徹した瞳を直視できずに思わず目を背け、少年は口ごもった。

 ここが小学校だということと、話している少女が見せる老賢人の英明さ。そのアンバランスに平衡感覚が揺れる。


 一転して、ライゼンは白い歯を見せてにかっと笑う。


「まあできるとは思えないけどね。とにかくやるだけやってみよって感じ」

「それは──!!」


 蓮が反論しようとするが、唇に指を添えられて遮られた。


 ライゼンが大太刀を抜く。

 高校と比べるとすべてがミニチュアめいた小学校で、武骨さが強い大太刀はシュールなホラーゲームのようだ。

 さっき拳と刃を交えた時よりも、遥かに張り詰めた緊張感が少女の全身を滾らせていた。


 息を潜めて意識を集中させてから、ライゼンは呟いた。


「ここにいるよ」


 そこは進藤志紀が異世界転生した日に、蓮がいたクラス。

 ドアをそっと開ける。

 小学校の教室というのは、大きくなって振り返ると極めて小さい。

 たとえ当時は十分な広さでも、中学校以上に、小学校という施設は外部の存在を異物に変える力がある。


「志紀……」


 それが身長二メートルにもなるチョコレートの広背筋の持ち主たる姫戦士にとっては、なおさら異様なものになる。

 加えて、今の彼女はここに来たばかりの頃ともまた違う外見になっている。


 スラリと伸びた四肢の大半を覆う赤黒い外套は炎そのもの。

 頭の両側には角が生えていて、禍々しい気を発していた。


 ゴキブリウサギとは存在レベルで威容が異なっていた。


「あたしが魔王だった頃とはぜんぜん違う……」


 蓮に敗北した際も泰然としていたライゼンの額に汗が浮かんだ。


「どういうことだ?」

「魔王は自軍を駒に変える」


 二人の疑問に志紀は答えた。

 細く長い五指を伸ばしてくねらせる。

 人の体と変わりなかった志紀の体が、変異してきている。

 より、物語における魔王らしく。


「そして、駒の生命エネルギーを受け取り、魔王は力を増していく。そういうシステムになっている。だから、軍勢を削られれば削られるほど魔王は弱くなる。そして、斃されると、斃した英雄が魔王になる」


 魔王の足元にて黒い霧が淀み、塊をもった液体が広がっていく。

 不定形の粘ついた塊が歪み、伸びて形を作っていく。

 初めに腕ができ、そこから胴体、頭部と両足ができていく。

 志紀と再会した朝にも見かけたゴツゴツとした太い腕。

 岩の肌には無数の罅が生まれ、そこから絶え間ない黒霧が断続的に生まれている。


「こちらの人々も呑み込んで凄まじい強さになっている……!」


 戦慄するライゼンに、志紀が俯く。そんな彼女を異世界での養親が守護している。

 本来は理知的だったろう顔には、もはや一切の知性も理性も見えない。

 志紀の養親のギリーが、感情をなくして敵対者を倒すだけのものになっていた。

 趣味が悪い。悪意が強すぎる状況だ。


「…………ごめんなさい、ライゼン。魔王の力が、ここの住民を取り込んだことで急激に膨らんでしまった……。貴女でも、止められるかどうか」

「べつにいいよ。お互い、こんなことになるなんてわからなかったしさ」


 志紀とライゼン。二人の間には特別な繋がりがあるようだ。

 同じ境遇で生きてきたからなのだろうが、両者の間には余人にはない共感が見える。

 別の世界で戦い続け、自分とは違う種族を友に、家族にして戦いを終わらせたと思えば自分が魔王になる。

 そんな気持ちは当事者以外にはわかるはずもない。


 ライゼンの表情はとても硬い。

 魔王としての存在を表に出した志紀と同じ空間にいることで、進藤蓮にもその迫力が苦痛になるほどに感じられる。


「べつにそんなことはどうでもいい、帰ろう。志紀」


 代わりに兄が妹に言う。

 返事は強張って、ざらついていた。


「何故、蓮がここにいるの」


 志紀が尋ねたのは蓮ではなく、ライゼン。

 兄を見ることを避けているようだ。


「どうしても来たいっていうからだよ」

「何を考えているの、巻き込まれて死んだらどうするの」


 淑女として穏やか一辺倒である志紀の声音が、わずかに荒れていた。


「そういうことは俺に直接言え」


 魔王の瞳が揺れ、顔を俯けた。

 長い髪が顔にかぶさり、何事かを囁くも聴こえない。


 近づけば聴こえるだろうかと歩を進めると、炎の壁が横殴りに放たれた。

 反射的にバックステップで躱すが、追撃に沈黙していたギリーが動き出した。

 魔王の義父。妹の養親。蓮としても戦うのは気が引ける。


「志紀!! こいつを下げろ!! 俺がどうにかしてやる!」


 ライゼンの話によれば、志紀はこれまで自分の味方を駒にするのを避けてきた。

 だが、先程から半ば自動的に彼女の軍勢が出てきている。

 おまけに、もっとも戦わせたくないだろう彼女の“親”がだ。


「無理だから……もう抑えられないの」


 憔悴しきった志紀が吐き捨てる。

 全身でのしかかってくるギリー。

 それを右腕だけの力で押し返そうと、蓮が藻掻く。

 かなりのパワーだ。これほどの怪力の持ち主には会ったことがない。

 ヒグマや象に突進された時も、これほどの圧力はない。


 蓮を無視し、ライゼンが志紀に斬りかかる。

 それを戦斧で受け止めた魔王が、片腕の力だけでライゼンの獲物を弾き飛ばした。

 教室の天井に刺さった刃。

 回収しようと両脚に力を込めたところを、志紀が構わず斧で叩きに行く。


「待って! ちょっとだけ魔王に抗ってよ!」

「それができないのは知っているでしょ」


 そう言って志紀は口の両端を裂き、耳まで吊り上げる。

 口には人間にはありえない乱杭歯が生じていた。

 魔王の貌だった。


 斧は後転で避けても、纏う膨大な炎を避けきれない。

 嵐の形に近い焔の塊によって、ライゼンの細く軽い体が壁を突き破る。

 ケダモノたちを相手にした時とは雲泥の差。魔王としての志紀の力は想像を絶する。


「《世界を語る52の言葉》、碧の矢」


 天井に生じた旋風が大太刀を落とし、穴から疾走して戻ってきたライゼンが宙でキャッチ。

 そのまま前に回転して魔王に斬りかかった。


「それでは無理だわ、姫武者ライゼン」

「…………っ!」


 眉間に皺を寄せて舌打ちした少女。

 短く詠唱し、翠の竜巻を次々に生み出してから距離を取る。

 ライゼンがいたところに炎の柱ができた。


「無詠唱でこの威力か……!」


 今度は志紀が追いかける。


「止まれ! あたしを殺したら、どうする!?」

「少なくとも貴女を永遠のゲーム盤から退場させられるわ。あなたに終わりをあげられる。今の私なら貴女の不死を無効化させられるかもしれない」

「…………それは、魅力的だね」

「そうでしょう。死は私たちにとっては、もう勝ち取ってでも得たい祝福ですらあるわ」


 苦々しくライゼンが吐き捨てる。強く拒絶できないのは、即答できなかったことからも明らかだ。

 この二人の女はどちらも自らの死こそを望み、惹かれている。

 どちらが損をするか。魔王という吐き気のする貧乏くじを引き受けるか。


「あなたを殺したら、次は私が誰かに殺される日を待つ番」


 スピードで相手を翻弄しようとしたライゼンだったが、魔王としての力を高めた志紀は一足で距離を縮める。

 刹那で追いついた志紀に度肝を抜かれ、さらに腹部に戦斧の刀身を添えられる。


 地の底、異界の深奥から響く低く歪んだ声音で、魔王シキ=ヴァンキッシュが呟いた。


「《災厄招く十の題目》、零時の無風」


 ライゼンの体内、正中線の上に小さな種火が灯る。

 それは蛍ほどの大きさに過ぎなくとも、たちまち周囲の酸素を喰らい、自己増殖と巨大化を始めていく。

 悲鳴を上げる間もなく、小学校を焼き尽くす大爆発が発生し、瓦礫すら蒸発した。

 魔王シキの力はあまりに強大。


 黒い煤と、校庭だったものだけが残った空間。

 一人佇む魔王が、蓮のいた空間に目をやる。

 能面めいた無表情でしばらく停止していると、虚空に骨が構成され、肉がつき、人の形になっていく。

 肩で息をする全裸のライゼンが、四つん這いになって苦しげに悶えている。


「やはり不死身の効用はそう破れないか。でも、安心して。どんなことをしてでもあなたを殺してみせる。それからこの世界を滅ぼす。だから速く私を殺して。この世界は関係ないの」


 言っていることが矛盾している。

 純粋な善意が、魔王の意識と力に混濁していくのか。

 これが魔王というものなのか。

 志紀が別のもの、別の思考になろうとしていく気がしている。


 ライゼンを死なせれば、ライゼンは救われるかもしれない。だが、志紀は救われない。

 それはわかりきっている。

 だから兄は出る。


「友達をイジメるなよ」


 次に何を繰り出そうか逡巡する志紀の肩に、進藤蓮が手を置く。

 振り返りざまの戦斧の峰による殴打を、蓮の右拳が粉砕する。

 通常、この世界の人間にこんなことはできない。

 厳しい修行を繰り返し、万物を破砕する点を目視できるようになった進藤蓮ならではの技だ。


 また、使ってみてわかった。ようやく、修行の疲れが完全に抜けた。

 今の少年拳士なら、壊せないものはない。

 異世界の敵だろうとおかまいなしに通用するのは、これまでの戦いでわかっていた。

 故に、魔王の力が籠もった戦斧だろうと破砕できる。


「ギリーは?」


 粉砕された戦斧が、粘つく炎で戦斧の形を再び模していく。

 ただ暴力的なエネルギーを形にして戦う。

 まさに世界に保証された驚異というわけだ。


「倒した。お前の前ではやらないようにしていたが……悪いな」


 今の志紀は珪素生物も含めた、異世界ジャヒムの生き物すべてを軍勢にできるとライゼンは言っていた。魔王の周りは駒しかいない。

 それがジャヒムの理、魔王という役割に強いられたルール。

 とはいえ、養親を目の前で倒されて良い気分になるものはいないだろう。


「べつに良い。貴方が死ぬよりはマシだもの」


 長く筋張った指で髪を掻き上げ、空々しく笑う。

 養い親が破壊されたのに反応が薄い。

 義理の親よりも兄を優先するのか。


「どうせ……あの人はもう駄目だったから」


 違う。彼女にとって、異世界転生先の人間関係も思い出も、すでに踏みにじられ済みなだけだ。


「まあ、どちらにせよ貴方は死ぬのかもしれないし、私は殺すんでしょうけれども」


 妹に“殺す”と言われた。あまり衝撃はない。

 すでに幼馴染に言われていたことで耐性がついていたようだ。

 おまけに決意のない投げやりな言葉だった。“そうならないように抵抗しろ”といった月並みな言葉をかけるべきだろうか?

 しかし、兄としてそれはしない。妹はずっと頑張ってきたのだ。兄の踏ん張り一つで救けてやらずにどうする。


「無理すんな。お前は我慢しなくていい。後は俺がやる」

「本当に……本当にごめんなさい。巻き込んでしまって」


 背を丸めて下を向く魔王。

 無音の街、静かな空の下で、異世界から帰ってきた魔王が肩を震わせた。


「お前が謝ることなんてない。安心しろ、俺がどうにかする」

「無理だよ……」


 志紀の身につけている衣装から焔が溢れだす。

 いや、これは違う。

 進藤志紀、魔王シキ=ヴァンキッシュのつけているものすべてが、焔を固めてできたもの。

 形をほどき、さらには体すらも焔に変える。

 肉体すら、本来の物ではなくなっている。

 異世界転生の都合で体を創り変えられてばかりだと蓮は思った。


 妹の人生も身体も何だと思っていやがる。蓮は両手を握りしめる。


 人間性が急速に呑まれていき、両目から炎が雫として流れ、魔王は言った。


「ごめんなさい……あなたは、死ぬ」

「ああ、全力で来い」


 志紀の謝罪を受け止め、退く意思を見せずに蓮は頷きかけた。


「これは真剣なのよ!?」


 体液が焔になった志紀は、口からも目からも熱を溢れさせた。


「そうだな。真剣にやって、終わったら帰ろう」


 泰然とした態度を崩さず、進藤蓮はうなずく。

 努めて“これはなんてことのないこと”だと態度で示す。

 そう、頼まれたお使いを果たすようなものだ。

 ただの家族がやる、ちょっとしたお手伝いだ。

 あのときの自分はやらなかったことだが、今はやる。


「このわからず屋!!」

 ──今だけは言うことを聞いてよ!

 そんな地団駄が聞こえてきそうだ。


 激怒したシキが炎の大壁を形成した。

 高速でこちらに向かってくる一面の炎。逃げるしかない──通常は。

 だが蓮は意識を集中させ、壁の弱点部分を探す。

 一点を見定め、拳を突き出す。

 炎のバランスが崩れ、壁が霧散した。


「何故……」

「もう夜も遅いからな。日課の修行の疲れは完全に取れた」


 それに、長年の修行の成果を真にぶつけるべきタイミングだ。

 気力が血流を促進させ、意気揚々たる闘志が体温を上がらせて、流れる汗を湯気に変えた。


 進藤蓮は今、左腕が使用不可能という本人にとっての軽いハンデを除けばベストコンディション。

 妹を救けるという宿願の達成も目前で、無限の希望が全身を満たしている。

 力がみなぎり、頭は明快。大気の流れも、汗の一滴も視認できる。

 この夜のために無数の訓練があったのだ。

 今日が自分という人間の集大成なのだ。

 その確信が進藤蓮に、限界を超えた集中を可能にさせていた。


「今、あなたがここから逃げたら、あなたを駒にする前に、殺してもらえるかも……!」

「逃げないからいい」


 進藤蓮が一切引く気がないのを悟り始め、進藤志紀には焦りを通り越した憤りと怒りが湧き上がってくる。

 歯を噛み締め、口を引き結び、兄を強く睨みつけた。


「もういい……!! 死なせないように頑張っているのに、わかってくれないの!?」

「俺はお前と一緒に帰るために頑張る予定だからな。お前は頑張らなくていい。俺だけが頑張る。さっきも言ったぞ、これ」

「────────っ!!!!」


 言葉にならない怒号をあげた。

 素で妹を怒らせてしまったようだ。

 彼女の炎が多腕となって各々に武器を握っている。

 全方位から死角なしの同時攻撃が来る。

 超高速の正拳二十段突きで腕という腕を消す。

 次には復活した戦斧を用いて志紀が肉薄してきた。

 同じく拳で斧を砕くも、逆手に持っていた長剣が蓮の脇腹を掠めた。


 殺気。肉親より向けられる、命を狙った攻撃。

 彼女は魔王になった。


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