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転移ではなく転生だった


第三章【一】



 ──特化型なら伸びる。それは逃避じみた安易な勘違いだ。


 師匠の教えがふと脳裏をよぎる。


 ──どれだけ特性があっても、好きなことでも、いつかは“やりたくないこと”を克服する必要がある。特化型では、壁に当たるとそれが己の限界と思う。そうでなくとも、自分の存在意義を賭けていた一つのことに伸び悩めば、そこから総崩れすることは珍しくない。“やりたくないこと”を乗り越えた経験がないからだ。


 今は妹の生命の危機の対処をしているのに。


 ──それでも、一刻でも速く、誰よりも強くなりたいんだな? なら覚悟しろ。特化型は一つのことに賭けてそれ以外を捨てる育成方法だ。万が一、お前の意志、理想が折れたら、お前の心は二度と立ち直れない。


「わかっているさ、師匠」


 口の中だけで呟く。

 それから、はっきりと要求を口にした。


「帰れ」


 そう言って志紀の兄、蓮は突如現れたライゼンという少女を追い返そうとした。

 明らかに不審な存在だ。だって妹を殺そうとした。

 人間かどうかもわかったものではない。

 人語を解する魔獣というのがいるのかもしれないし、そもそも魔獣というのがどのような生き物なのかもわからなくなっている。

 さらに、ライゼンという少女の素性も理解が難しい。

 時代劇の素浪人がするような服装に刀、そして蓮よりも歳下なのは確実だろう、中学生ほどの見た目。

 悪戯とは思えないが、状況を整理したい。


「こいつは俺の妹だ。殺すなんて物騒なことを言う奴を置いてはおけない」


 異世界からの魔獣相手に沸き立っていた血潮はすっかり冷たくなっていた。

 とにかく、状況についていきたいという感情が強い。


「なんで? あたし、友達だよ。ねー?」


 ライゼンが志紀に手を振るのを蓮が制した。


「外見年齢の違いを考えろよ」


 大げさに悲しそうなポーズでライゼンは言う。


「友情に年齢は必要ないぜ?」

「この世界だとあるんだ、異世界野郎」


 言ってしまってから、失言に気づく。

 せめてジャヒム野郎にするべきだった。

 幸いにも志紀とライゼンのどちらも聞き流してくれていた。


 ライゼンとやらと話をしていると、蓮は無自覚に殺気が湧き出ているようだ。

 激しい怒りの感情が陽炎になって、少年の裡に絶えず揺らめいている。

 異世界の魔獣なら殴ればいいが、異世界の人間は不用意に殴りたくない。

 しかし、気分良く殴れない鬱憤は溜まってしまっている。

 出口のない爆発が常に体内で起きているかのようだ。


 志紀との触れ合いでかなり癒やされたと自認していたのだが、少年は己の中にある異世界への強い感情は、まだまだ底なしのようだ。

 少しでも“異世界”に繋がるものを殴りたい。

 朝からずっとこうだ。もっと前からそうだったのかもしれない。


 異世界から帰ってきた妹、やってくる魔獣、妹の事情、力になるという約束、まるで違って見える状況。

 しまいには、不審さしかない少女が、妹を殺そうとしている。

 どれだけ努力をし、もがいても、事態の核心が、自分を無視して動いているように思えた。


 ──いっそ目の前のこいつを思いっきりぶん殴ってやればいいのか?


 そう考え、右手の拳に力を籠めた。


「冷たいね、あたしもこの世界出身なのに」


「は?」


 飄々としていたはずの少女の眼光が鋭さを増した。

 続いて、敵意が刃の鋭さで頸動脈を撫でた。


 反射的に突きを繰り出す。

 威力も速度もタイミングも問題ない。

 なのに、つむじ風を殴ったような手応えのなさだ。

 拳が少女の柔肌を打つのと同時に、力を受け流された。


 鎌鼬を連想する掴みどころのない体捌きを、闖入者同然の少女が見せた。

 こちらの世界では見ない歩法。

 姫戦士の暴とは違う、洗練されて研ぎ澄まされた刃物のような流麗さ。


「ひふへほ」


 ライゼンが鞘に刀身を納め、鞘ごと大振りの棍棒に見立てて殴りかかってきた。

 身のこなしに合わない巨大な獲物だが、取り回しに不自由している様子はない。

 使いこなしているのだ、この巨大な武器を。


 アッパーカットで蓮は打撃を弾くが、手がわずかに痺れる。

 素早く、重い。強敵だ。


 続けて蓮が仕掛ける、打刀を弾くほどの威力の打撃の雨嵐。

 相手は防御に専念して、いなしていく。

 むしろ蓮の攻撃力を己のエネルギーに変換させて蓮の側面に回った。


 間合いが消えた超密着距離。

 どちらも十分な威力の攻撃は出せない。


 進藤蓮はずっと何年もかけて何十億回も右正拳突きを鍛えてきた。

 おかげで右正拳突きだけは無敵。

 しかし、その型を取れない場合は攻撃力が大きく減退される。


「くっ!」


 歯ぎしりした蓮の首に両腕を回し、胴体には両脚を絡めたライゼンがせせら笑う。


「捕まえたあ。どう、ちょっとは落ち着いた?」


「離れろ、異世──ジャヒム人!!」


「だからここの生まれだって。すごく様変わりしてて驚いたけどさ」


 ライゼンの言葉に嘘はないと、蓮は直感的に判断した。

 何よりも“異世界を殴りたい”という蓮の心を苛む欲求が膨れない。


 武術を通じ、相手を観察して、理解し、対象の破砕点を見抜くのが、彼の戦い方。

 観察したことでこいつは異世界のモノなだけではないと、武術の業として理解していた。


「馬鹿な……お前は志紀の仲間か!? なら殺しに来るわけないだろ!」


「本当だよ。ねえ、シキーーーー!! お兄ちゃんにあたしをちゃんと紹介しといてよーー!!」


「来るな!!」

 大声で叫んだ蓮が、玄関の壁にライゼンごとぶつかる。

 自分と壁で挟むことで、力が弱まることを期待した蓮だったが、右腕を使った攻撃以外は素人未満な彼では、ろくな威力が出ない。


 進藤蓮はこの十年、絶えず攻撃のみを追求してきた。

 攻撃の型を強引に守りに応用することはできても、こういった寝技から抜ける術は身につけていない。

 そして、そのことを見抜いたライゼンが四肢をさらに絡めて、姿勢を崩しに来た。


 転倒した蓮が悪態をつく前に、視界に鍛え抜かれた褐色の脚が見えた。

 うつぶせで組み伏せられている蓮からはよく見えないが、ライゼンは眉間に皺を寄せて狐のような笑みを浮かべた。


「待っててねぇ、もうすぐ殺すからぁ」


「黙れ……!」


 無理矢理に全身を捩って首だけを動かし、蓮が妹の方を見る。

 ライゼンとは正反対に、志紀の表情は強張っている。

 だが、それは敵に会った緊張感ではない。

 なにか、重要な約束事をわざと破った時に浮かべるようなバツの悪さだった。


 ライゼンと会ったことよりも、「ライゼンと二人でいるのを兄に見られた」ことを嫌がっているように見えた。


「兄から離れて」


 いつもは明るく朗らか、戦いの時は冷静かつ堂々とした話し方をしていた志紀が、絞り出すようなか細い声を出す。

 断腸の思いで言葉を紡いでいるのはわかる。しかし、妹の思いがまるでわからない。


 ピエロのようにケタケタ笑って人を食った振る舞いをしていたライゼンが、声の調子を変えた。


「本当に楽しんだみたいだね。良かった」


 そこには羨望があった。

 目を細め、優しく志紀に語った。


「…………どうしてもと言うなら、もう一日くらいは大丈夫かもしれないよ」


 十四歳ほどに見える屈託のない少女に、老成した落ち着きが見えた。

 両者に殺気はなく、戦おうとする意志も見えない。

 この場で行われているのは会話、むしろ助言、説得に見える。

 志紀を殺しに来たと言う少女が、何故か志紀に親身になっている。


「必要ない」


 首を振って志紀は言った。


「もう満足した。本当にありがとう」


 進藤蓮にはまるでついていけていない話が展開されている。

 彼にのしかかっていたライゼンの体重が消失した。


 蓮を相手にした時より数段上の速さで志紀へ肉薄する。

 どうしてか、志紀は無防備にその攻撃を受け入れていた。


 深い考えはない反射行動によって、蓮は地面を殴る。

 すると、局地的に地面が揺れ、ライゼンの刃が逸れた。


「なに!?」


 ライゼンが目を丸くして周囲を見回す。

 その隙に、少女へと兄が飛びかかる。

 両肩を掴んで押し倒し、純粋な腕力で立ち上がれないようにする。

 事実として、力任せに押し倒すと、相手は起き上がることもできなくなっていた。


「蓮……!」


「行け! ここから離れろ」


 オロオロする志紀に蓮が命令した。

 彼女はこんな顔をするのか。

 様子がおかしくなることはあったが、蓮の視点ではずっと英雄、戦士としての振る舞いだけが印象に残っていた。


 蓮としては言葉通りのものでしかないが、言われた妹は目を見開いて停止した。

 言葉を選んでいる余裕がない少年には、彼女の機微がわからなかった。


「そうは問屋が卸さないよ、お兄ちゃん。せめてこの世界からシキが消えてもらわないとさあ! みんなが迷惑しちゃうんだよねえ!」


「知るか!! こっちは何も教えられてないんだ!!

 行け、志紀! 振り返らず、とにかく遠くに走れ!

 今は戻ってくんな!」


 錯乱気味に叫んだことで、いささか支離滅裂な言い方になってしまったかもしれない。

 夜、月が高く上がった街へ志紀を放るのはためらいがある。

 だが、今はどう考えても進藤蓮はまともに状況を整理できない。


 志紀としても「ここは自分に任せてここから離れて、後で戻って来てほしい」という兄の意志は伝わっているはず。

 だのに快活ではあっても理知的であり、兄よりもずっと大人であるはずの志紀が、迷いを込めてライゼンと蓮を交互に見る。


「でも……」


「聞いちゃ駄目だ! これは滅亡への誘惑だよ!

 お兄さんが君に世界を滅ぼさせようとしてる!」


「なんでだよ、どういうことだ」


「教えてあげようか!? ……やめとこう! 可哀そうだもん!」

 ライゼンが自分で言って自分で否定した。

 この状況でそれをされてもムカつくだけだ。


「ええいチクショウ、俺の幸せの邪魔をすんな!!」


 その言葉に志紀が全身を震わせた。

 言っている相手はライゼンであり、志紀にはただここから離れて欲しいだけ。

 だが、兄の発言を耳にした志紀は、まるでこの世の終わりがやってきたように立ち竦んだ。


──兄の“幸せ”。それが志紀を揺らがす、最大の毒になる言葉だと、蓮はまだ知らない。


 顔から血の気が引き、長身が酷く小さなものに見えるくらいに脱力してしまっていた。


 何やら地雷を踏んでしまったのか。何故?


「待ってくれ。どうして凹んでるんだ。お前に言ったわけじゃないぞ」

 胡乱に思って弁明したところ、志紀の足元が大きく波打って揺れた。


 影が、姫戦士こと進藤志紀の足元から立ち上がる。

 それはさっきの魔獣が志紀の影に呑まれたのとまるで同じだった。


 言葉を喪い、進藤蓮は影の暗闇にチョコレートの広背筋が溶けていくのを凝視する。

 混乱することばかりで蓮が大口を開けてぽかんとしていた。


「き、消えた……!?」

 普通に走り去るのではなく、わざわざ大仰なやり方で消えた。

 いったいどういうことか、それだけショックを受けたのをアピールしたいのか。


 静かな、時間帯には不釣り合いな無音があった。


 と、腕の下でライゼンがみじろぎした。


「ちょっと、顔をこっちに寄せて」


「なにをするつもりだ」


「良いから」


 蓮の顔を凝視し、真剣な面持ちで頼んでくるライゼン。

 試しに顔を近づけてみると、細長い舌で頬をじっくり舐められた。


「はあっ!?」

 顔を押さえてのけぞると、這うようにして少女が抜け出した。


 いきなりの過激行為。

 三森茜以外の人間とは普段ろくに言葉を交わすこともない進藤蓮の心臓が、口から飛び出るほどに跳ね上がった。


「えっ……なっ……!!」

 怒りと恥辱で頭に血が上る。

 頬を辱められた理由がわからない。

 まさかこれも異世界の戦闘方法に関わるのか。

 この距離で強引にライゼンの顔を粉砕する方法を蓮は必死に考えた。


「ちょっと動揺しすぎ。こっちまで照れちゃうでしょ。あたしを照れさせたら惚れると思っておいて」


「ふざけたことを……」


「わかっているのかい? あたしが君に惚れるんだぜ?」


「ふざけんじゃねえ」


 ポニーテールを揺らし、ライゼンは顔を蓮に近づける。

 切れ長の瞳で少年をしげしげと見つめ、両手でぺたぺたと触ってきた。


 挑発だと思ったが本当に頬が赤らんでいる。

 酔っ払っているのでなければ、本当に照れている。

 なんなんだ、異世界転生者はみんな異常に照れ屋か。


「久々の……人間の男。こんなに顔が赤いもんだったかな。まあでも悪くはない。もう十キスくらいしていい?」


「真面目にやれ!」


 意表を突かれて動揺してしまったが、蓮はまだ目の前の相手への警戒を解いていない。

 なにせ妹を殺しに来たのだ。

 兄としては、すべてを聞かないと気がすまない。

 場合によってはこの女を殺してもいい。


「いいか。今すぐにすべてを教えろ。お前たちの世界のこと、何もかもをだ。さもないと……お前を叩きのめして──」


 言い終えるより先に、ライゼンの右腕が消失し、次の瞬間には首筋に刃の冷たさが現れた。

 刃は逆。峰打ちだ。

 こっちを殺す気はないが、この速度なら意識を刈られると理解する。


「話を遮るなあ!!」


「オギャー!!」


 首に感じる刃の冷たさを凌駕し、ライゼンというへらへらした女の顔にパンチした。

 ライゼンが玄関を突き破り、道路へと転がって庭を飛行した。


 首から血が流れているが、気にしない。

 こんなので少年の怒りが収まるはずもない。


 百メートル先まで飛んでいったポニーテールの異世界人はすぐに起き上がった。

 クリーンヒットしたのに起き上がるのが早すぎる。

 象なら木っ端微塵になる威力を顔面にカウンターで喰らったのだ。

 ライゼンは無傷。


 だが笑みは消え、こちらを冷然と睨めつける。

 逆にしていた刃を直し、振れば斬れるものにしていた。


「もう諦めなよ。シキもお兄さんが死んだら悲しむんじゃないかな?」


「断る」


 表皮を裂いてできた傷から血が流れていく。

 そよ風が戦いの予兆を知らせる。

 鼻孔を冷たい鉄の臭いが満ちる。


 戦いが始まるというなら、蓮にとって是非もない。

 少年としても、今の事態は知りたいことが多すぎる。

 教えてくれないなら力づくで口を開かせるのみだ。


「少しは修行してるみたいだけれどね。よく考えてごらん。しょせんは素人なんだよ。命の奪い合いをしたことがどれだけあった? 平和な世界で生きているんだから、一夜の夢で、この再会を想い出にしなよ」


 今にも斬りかかる準備をしているのを隠さず、白々しいことをライゼンは嘯く。


「嫌だ」

「なら──」


 ライゼンが居合の構えを取ると腰に鞘が生まれ、手元には剣が表れる。

 突風が吹くと同時に、ライゼンが大きく前方に跳躍した。


 弾丸の速度で動く人間というのは、師匠以外で初めて見た。

 速度を殺さずに柄頭で、蓮の側頭部を狙ってくる。


 それよりも早く、蓮の裏拳が下から上へと昇った。

 柄頭がひしゃげ、破損を推してライゼンが鞘を振るう。


 一閃、蓮の正拳突きが閃光のように光った。

 限りなくベストに近い一撃が、寸分違わず鞘の芯を捉え、物質を粉砕させた。


 顎が外れんばかりに驚愕したライゼンが、粉砕され破片が散らばる鞘をじっと見下ろした。


「……………………なんで?」

「ずっと修行してきたからな」


 異世界の物質。

 地球にはないモノを強引に分析したせいで眼球がひび割れそうな痛みを発したが無視する。

 今朝からこの世界にはない物を視すぎた。

 腕の痛みも今はいい。


「修行でこんなんなるもんだっけ……」


 破片どころか粉になった箇所もある打刀だったものに手を翳す。

 すると、打刀がたちまちに修復され、透き通る白い指に握られた。


「お前も何か宝玉だのを持ってるのか?」


「いんや、これはこの武器の力だよ。恩人の形見でね。シキの戦斧も似たようなもん。いくらでも戦えるようにって神様からの贈り物さ」


 後半は自分たちを嘲るようにして眉間に皺を寄せながらライゼンが微笑む。

 飄々とした彼女が、ここにはいない何かを憎み、翻弄される自分たちを嗤って、遠い過去へと思いを馳せていた。


 志紀にあった瑞々しさ、消えない痛みを抱えた若々しさはなく、骨まで経験が刻まれた老齢の賢人めいた風格が見える。

 しかし、そんなことは蓮には関係ない。

 相手が若年寄だろうが妹に危害を加えるならぶん殴ってやる。

 秘密主義の異世界関係者だって立場を譲らないなら喜んでぶん殴る。

 気の毒なことこの上ないが、誰にも優先順位があり、志紀を殺しに来るライゼンよりは志紀が大事だ。


「俺の強さはわかったな。異世界……ジャヒムのことを全部教えて、俺を志紀のところに連れて行け」


「なんで?」

「あ?」


 そろそろ業を煮やしてきた蓮が、無自覚に語気を強めた。


「なんでそこまで妹に拘るの? そこまで強くなってるのもそうだよ。まともな考えじゃない。もう忘れていてもおかしくないもん。特に、子供の頃に別れたならね」


 “何故そこまでする?”というのは蓮にとって初めての言葉ではない。

 かつて、師にも似たようなことを問われた。

 その時は、なんと答えたのだったか、少年は思い出せない。


「あいつが異世界に消えた時に頭をよぎったのは……あいつは、家に帰りたいって思うだろうかってことだ」


 ──おにいちゃん、おにいちゃん、待ってよ。

 この十年、何度も脳に響いてきた言葉だ。

 背を向けて、無視して、置き去りにしてきた言葉だ。

 何故、そんなことをしていたのか、己を責めなかった時はない。


「俺はガキで、自分のことしか考えてなかった。だから、後ろをついてくる妹が邪魔で邪魔で仕方なかった」

「男児なんてそんなもんでしょ」


 こともなげに反論された。

 少年もこの十年で何度も自分に言い聞かせようとしてきたことだ。

 ……どうしてもできなかったことだ。


「そんなの関係ない。あいつにとっては、その馬鹿な俺が、ここでの最後の想い出だったんだ」


 両の拳を強く握りしめる。

 これを振るえば、今ならあの日、志紀に迫っていたトラックを止められるだろう。

 それでも、異世界転生を止めることはできない。

 わかっている。


「少しでも強くなりたかった。妹の辛さを少しでも共有した気分になりたかったのかもしれないけど……きっと、いつか、万が一にもあいつが帰ってきた日に、絶対にこう言える自分になりたかった」


 腕を組んで耳を傾けていたライゼンが、真剣な眼差しで続きを促した。

 今の自分に、この言葉を口にする資格があるとは思えないが、自然と舌が動いた。


「『おかえり』って、『一緒に楽しいことしよう』って。それをいつでも言えるのが兄だと思った」


 兄の言葉を聞き、異世界から戻ってきた二人目は眉間に皺を寄せた。

 痛みに耐える表情。

 陽気に振る舞っているが、本来は理知的に振る舞うのが似合う端正な面長の顔立ち。

 戦士の荒々しさを秘めた志紀とは逆の気質が見える。


「でもね、うちらはもう死人なんだ」


 目を伏せ、長いまつ毛を揺らしてライゼンは首を振る。


「そうは思わない。お前らは現にここにいるんだ。この世界に帰ってきて受け入れられるかわからないというなら──」


「違うよ」


 そう言うと、ライゼンは手首を切った。

 訝しむ少年に困惑が広がる。

 細く透き通る血、それは文字通り白色。

 この世界の人間には絶対にありえない色合い。


「あたし達はもうこの世界の人間じゃないんだ」



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