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異世界転生した妹がワンダーウーマンみたいなマッスルボディになって帰ってきたよ  作者: スカンジナビア半島
第二章:彼は如何にしてワンダーウーマンみたいなマッスルボディに兄としての強さを見せつけたか
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お家にて


【三】


 ニュースをつけっぱなしにしているのに、ポップローチの犠牲者は報道されていない。魔獣の目撃情報も、今のところは。

 画面の端で流れる天気予報が、やけに平和に見える。


 三森茜が、なんだかんだで被害が出ないようにしてくれているのだろう。

 昼間、あんなことになりかけたのが嘘みたいで、今は感謝のほうが先に立つ。


 時刻は十七時。

 台所の時計は秒針の音が妙にうるさい。戦いのあとって、こういうのが気になる。


 幼馴染からの連絡は、まだ来ていない。

 あの馬鹿でかいゴキブリうさぎが、今日の「最大の敵」だったのか。

 それとも──まだ続きがあるのか。


 妹に訊いてみたい気持ちはある。けれど、訊きたくない気持ちも同じくらいある。

 訊いたら、世界がまた戦いの方へ寄ってしまう気がするからだ。


 それでも、身体のどこかは物足りなくて、うずうずしている。

 修行で覚えた感覚が、まだ「次」を探している。

 あれではまだ足りないと、少年の中の除去できない黒くて無限にうねる感情が吼える。


 それとは別に、目の前の妹と、ちゃんと同じ部屋で過ごしているこの感じを、もう少し味わっていたいとも思う。


 ──気づけば、「あの絶世の美女が本当に妹なのか」は、もうどうでもよくなりつつあった。

 考え疲れたのか。受け入れたのか。自分でもわからない。

 ただ、ここにいる。いるから、それでいいんだ。そんな気分だった。


 進藤蓮は、ポップローチのボスを倒して手に入れた戦利品を、テーブルの上に並べていた。

 さっきから茶碗と皿の置き方が妙に几帳面になるのは、たぶん気持ちを落ち着けたいからだ。

 一人でいる時は何も気にならないのに。緊張してしまっているのだ。

 家族が家に帰ってきた、そう心から思えればどれだけいいか。


 掌に収まる大きさのパールは、どれだけ顔を近づけても光を反射しない。

 蛍光灯の白さを吸い込んで、どこまでも鈍い。


「貴方が持ってていいわ」


 志紀が、レンジでチンした冷凍まんじゅうを一口で飲み込んで言った。

 ……飲み込んだ、という表現が一番しっくりくる。


「早いな」

「美味しいものは早く消えてしまうわね」


 言い方だけはお淑やかで、手つきだけが戦士のそれだった。

 テーブルに置いた湯のみを、志紀は迷いなく持ち上げる。


 ──ごく。


 熱いお茶を一気飲みしたのを見て、蓮は思わず目を見開いた。


「熱くないのか」

「全然? もちろんぬるいとかじゃないけど、気にならないわ。に、ににに兄さんは違うの?」


 自分の湯のみから立つ湯気を見て、試す気がいっさい失せる。


「無理だ。食道が焼ける」

「……あんなに鍛えてるのに?」

「ちょっと待てよ。内臓は鍛えられないんだぞ。しかも熱いものを飲むのが戦いの何の役に立つんだよ」


 言い返しながら、蓮は自分でも「何を必死になっているんだ」と思う。

 でも、鍛えが甘いと匂わせられると、つい反射で声が出る。

 妹への見栄があった。


「ごめんなさい。あなたは凄く強いわ。びっくりした。心から尊敬する」


 志紀は口ではそう言いながら、砥石を刃に当てて、慣れた手つきで優しく回した。

 その手元だけ見ていると、外で怪物と戦ってきた人には見えない。

 どちらかといえば、丁寧な道具の手入れをする職人の手だ。


「油はささないのか?」

「これは魔法の武具だから、本当は手入れの必要もないの。習慣でやってるだけ。こうしてると、すごく落ち着く」


 そう言って横顔を見せた志紀は、たしかに穏やかな顔をしていた。

 明るいとか元気とかじゃない。安心している顔。

 蓮にとって、その種類の顔はまだ珍しい。


「大事なものなのか?」

「義父──ギリーっていう人の形見なの」


 志紀は斧を抱えて座った。

 蓮は「しまった」と思い、口をつぐむ。

 墓や死者の話題に踏み込むのは、今日はまだ早い気がした。


 話題を変えるように、蓮は家のことを訊いた。


「この家、懐かしいと思うか?」

「うーん……」


 少し考えてから、志紀は申し訳なさそうに首を振った。

 無理もない。二十年だ。

 蓮だって、匂いまで説明しろと言われたら難しい。


「匂いはそうそう忘れないっていうよな。それもないか?」

「そう言えば……」


 志紀がすっと身を乗り出して、蓮の手を掴んだ。

 そして、手の甲を鼻に近づけて、くん、と嗅ぐ。


 犬が、おそるおそる相手を確かめるみたいにだ。

 兄の匂いではなく、家の匂いのことなのだが、伝わらなかったようだ。


「この匂い……野原と土。覚えがあるかも」

「サッ……サッカーをやってたから、いつも土埃つけてたんだな」


 口にした瞬間、蓮の頭のどこかがきゅっと縮む。

 もう見たくもなくなっていたサッカーボールの記憶が、勝手に浮かぶ。


 志紀は、さらに何度も匂いを吸い込んだ。


「うん。覚えてる。ずっと心のどこかにあったと思う。正体のわからない残り香は、ここにあったのね」

「……そんなに嗅ぐな」

「こんなに落ち着く匂い、初めて」


 蓮は、止める代わりに肩の力を抜いた。

 匂いで不安が薄れるなら、いくらでも嗅げばいい。

 今日は、それくらい許してやりたい。


「ところでこの宝石はなんなんだ?」

「図鑑で見たことがある。被虐の真珠ホワイトパール。所持者の負傷に応じて、力を与える」

「それだけ?」

「宝玉には物を入れられるわ」


 志紀は自分の宝玉から、あの大きな戦斧を取り出して見せた。

 家のリビングに似つかわしくない光景なのに、どこか“慣れた手順”に見えるのが怖い。

 そして、便利そうだとも思ってしまうのがもっと怖い。


「すごいじゃないか」

「よくわかった?」

「大丈夫だ。ありがとう」


志紀は、武器がそこにあることを確かめるように、無意識にもう一度宝玉へ視線を落とした。


 それから、彼女は納得していない顔で、ちらちらと蓮を見た。

 言いたいことがある。でも言いづらい。そんな表情。


「その……もう少し近くで見ればいいと思うんだけど……」

「え、大丈夫だよ。もう十分——」


 言い終える前に、蓮の腕が掴まれて引っ張り込まれた。

 力づくで膝の上。

 抜け出そうとしても、構造上どうにもならない。


「ん!? なにこれ!?」

「大人しくして! こうやった方がわかるから!」


 切羽詰まった声なのに、やっていることは抱きしめだ。

 そして──嗅ぐ。


 うなじ、頭、耳の裏。

 全力で嗅ぐ。


「……お前、まあ、とっくにわかってたけど。人肌恋しがりすぎだ!」

「そ、そんなことないもん!」


 否定の勢いだけは凄い。

 でも腕の力はさらに強まる。

 やっていることと行動は正反対だ。

 褐色の肌、チョコレートような甘い美しさが、少年を万力のように締め上げる。


「あっ、やめて……」


 なんとか逃げ出そうと藻掻き、抜け出そうな時に聴こえた、姫戦士の声。

 その切なげな声音に、蓮は抵抗をやめた。

 戦士の怪力じゃなくて、必死な子どものしがみつきに見えてしまったからだ。

 そこには救世主でも戦士でもない、ただの志紀がいた。


 志紀は耳元に唇を寄せて、苦し紛れの言い訳を囁く。


「わかる? こうして宝玉の中に武器を……入れて……出して……」

「もう好きにしろよ」


 蓮は足を伸ばしてリモコンを引っ掛け、テレビのチャンネルを回した。

 画面では可愛らしい動物が紹介され、愛嬌を振りまいている。


「ああ……人の体温って落ち着く……この体臭も……なんでこんなに胸の奥が熱くなって頭がふわふわするんだろう……」


それが、彼女にとって失われていたものの名残だとは、

この時の進藤蓮には、まだ知りようがなかった。


 志紀の独り言を聞き流しながら、蓮は無言でテレビを見る。


 ……変なシチュエーションだ。

 巨大な褐色の美女、それも分厚い筋肉の持ち主にぬいぐるみのように抱きかかえられている。


 ──おまけにそれが妹と来た。

 シュールすぎて笑いそうになるのを、必死でこらえた。


「ああ、暖かい……」

「それはこっちの台詞だけどな……」


 事実だった。

 姫戦士の体は燃えるように熱い。

 発火していないのが不思議なほどだ。

 抱きしめられていると熱で汗がどんどん流れていく。


 しばらくして、志紀の視線がテレビに吸い寄せられる。


「ねこ……」


 画面には、ふわふわの仔猫が寝っ転がってこちらを見ていた。

 志紀の顔がみるみる蕩ける。


「この世界の動物、みんな可愛いね……かわいい……えへへ」


 さっきまでの戦士の剣幕はどこへ行ったのか。

 蓮は、ようやく“妹が家に帰ってきた”感じが少しだけした。


「お前のいたところは違うのか?」

「違う。毛並みのある生命体とは、戦う宿命だった」

「それは……大変だな」

「うん。だから、こういう平和に生きてる柔らかいものを見ると……落ち着く。戦いの世界じゃないと思えるの」


 蓮は軽く息を吐いた。


「……ごめん。嫌なこと思い出させたな」

「ううん」


 志紀の腕の力が弱まる。

 でも蓮は、自分からその腕の中に戻った。

 今日は、そうしてやりたい気分だった。


 話の流れで、蓮はぽろっと自分のことを話してしまう。

 友達がいないこと。

 修行ばかりだったこと。

 そして、茜と仲直りしたいこと。


 志紀は眉を寄せて、まっすぐに言った。


「何度でも言うけど、友達は量じゃなくて、質よ。きっと」


 蓮は苦笑して、肩をすくめる。


「じゃあ茜がいるからいいよ。……いや、いないんだった。やっぱり仲直りだな」

「何度も言ったことじゃない」


 ふたりは顔を見合わせて、同時に笑った。

 ぎこちないけど、笑えた。

 それだけで今日は十分だと思えた。


「まあ二人で、ちょっとずつ幸せな思い出ってのを作っていこうな」


 蓮はそう言って、迷っていた言葉をやっと口にする。


「お前さ……すごく美人になって、びっくりしたよ」


 志紀は、肯定も否定もせずに黙った。

 そして、泣きそうな顔で俯いた。


「ご、ごめん。変なこと言ったな」

「違うの……ただ……」


 何も言わずに悲しそうにする妹に、兄はほとほと困った。

 そう言えば聞いたことがある。

 外見についての指摘はセクハラにあたると。

 彼女の世界もそういう価値観があるかもしれない。


 反射的、というか考えなしに、蓮は志紀を抱きしめた。

 深い考えはなく、衝動だ。さっきまでセクハラをしてしまったか心配していたのだ。

 まともに理性を働かせていたら絶対にできない。

 やってから後悔し始めたが、このまま押し切ってやる。


「僕の気持ちはただ一つだ。何度でも言う。“妹が帰ってきて、本当に嬉しい”。これからも、間違ったり、わからなかったりすることはごまんとあると思う。でも、お前がいなくなってほしいなんて絶対に思わない。お前の苦しみや悲しみは、全部引き受けたいと思う」


 志紀の腕が、ゆっくりと回ってくる。

 ……そして、ゆっくりじゃなかった。

 締まる。締まる。締まり続ける。


「とりあえず、鍛えておいて良かったよ」


 不謹慎に、でも本音でそう思った。

 この世界で、このハグに耐えられる人間はたぶん自分だけだ。


 そのとき、チャイムの音がリビングに響いた。

 続けて、玄関のドアを強く叩く、くぐもった鈍い音。


 しつこいくらいに、何度も何度も。


 和やかな時間の終わりを告げるみたいで、蓮はノブを掴むのを少し躊躇った。


「きっと、今日という日を死んでも覚えているわ」


 背中を、消え入るような呟きが撫でた。


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