地縛霊な彼女
俺の名は梶木涼。
失恋をして、今現在、崖っぷちにいる。比喩的にではなく、物理的に。
目線を下に向けると、ごつごつとした岩肌に、波がぶつかり、飛沫を舞い上げている。
崖下から、風に巻き上げられた潮の香りが、仄かに香る。
崖にぶつかる波が、泡となって消えている。
「俺もあの泡のように消えるか……」
そう思い、足を踏み出そうとするが、足が動かない。
恐怖によるものではない。まるで金縛りにでもあったかのように、足は硬直している。
「ねえ、君。なにしているの?」
その言葉に反応して振り返る。なぜか硬直は解けたようである。
(いつの間に背後にいたんだ?)
視線の先には、黒髪セミロングの女性がいた。その可愛さに目を奪われた。
(失恋したてというのに、俺というやつは……)
そんな自分に怒りがこみ上げる。すると女性は更に話しかけてきた。
「ここって自殺の名所でしょ? 自殺しに来たのかな?」
そう言われて顔を背けた。自分では深刻な問題だが、他人からしたら女性に失恋したから死ぬというのは、下らないことに思えるだろう。傷ついた心を更にえぐられるような思いはしたくない。
「そこから飛び降りると、まさに死ぬほど痛いよ?」
女性にそう言われて、恐怖が吹き出し、後退って崖から離れた。
そこでやっと俺は女性に質問をする。
「……あんたこそ、こんなところで何しているんだ?」
女性は仕草を色々変えつつ考え込んだ。
「う~ん? とりあえず、君を引き留めに来たって感じかな?」
その女性の言葉で不思議に思う。
(この人と、面識あったっけか?)
自分の記憶を探るが、思い出せない。直球で尋ねてみる。
「え~っと……あんたと俺って知り合いだったっけ?」
女性はきょとんとした表情を見せた。
「え? いや、知り合いではないよ? あ、じゃあ知り合いになろうか? 私の名前は飛田霞。あなたは?」
(なんだこの人? 知り合いになる? だが俺は人生の最後としてここに来たのだが……)
そう思う反面、女性の可愛らしさに惹かれるものがある。本当に俺ってやつは……。
とりあえず、自己紹介はしておく。
「俺の名前は梶木涼です」
女性は俺の名前を聞くと、ふふっと笑う。
「梶木涼ってまるで、『カジキ漁』みたいな名前だね」
「……学生の頃、散々いじられたのでやめて下さい……」
再び女性は笑顔になる。
「そんなことでよろしく。そろそろ陽も暮れてきたし、また明日ね。おやすみ」
女性がそう言うと、俺は眠くなってきた。まぶたの重さに耐えられなくなり、そのまま意識を失った。
目が覚めると、宿泊していた部屋のベッドで寝ていた。
(……夢……だったのか?)
カーテンを開けて外を見ると、朝日が昇ってきている。
それはまるで世界が輝いているように見えて、今の俺には眩しすぎる。
浴衣から普段着に着替え、朝食を頂く。
そして再び、昨日の場所。いや、夢の場所か?
少し頭が混乱していてよく分からないが、とにかく崖へと向かう。
崖に辿り着き、下を見る。波が激しく飛び散っている。落ちると自分もあのようになってしまうのかと想像すると、恐怖で生唾を飲み込む。
「こんにちは。また来たの?」
声のした方向に振り返る。昨日だか夢だか分からないが、逢った女性がそこに佇んでいた。
その女性を見て、ちょっと嬉しくなってしまう。そんな自分のちょろさに、情けなさを感じた。
「こんにちは。昨日……? も居ましたよね?」
「ええ、そうね。私と昨日、お会いしましたね? もしかして、忘れちゃったの?」
どうやら夢ではなく、昨日会ったのが正解だったようだ。
「飛田霞さんでしたっけ。何しにここに来たのですか?」
質問をすると、明るい笑顔でけらけらと笑う。
「やだな~もう。それも忘れちゃったの? あなたを止めに来たって言ったじゃん」
俺を止めに来た。俺が何をしに来たのか知っているのか?
とぼけ気味に聞いてみる。
「なんのことかな? 俺が何しに来たのか知っているの?」
「自殺でしょ? じゃなきゃ、自殺の名所に来る人なんて、そうそういないよ。呪いみたいな感じで崖から落とされたら、怖いじゃん」
そう言われると、俺はちょっとびびり、崖から後退る。ホントにびびったのはちょっとだけだからね?
自分に言い訳をして、とりあえずこの女性に興味がわいたので、話しかける。決してナンパではない。
「仮に自殺だとして、俺が『やっぱりやめた!』ってなったら、飛田さんはもうここにはこないの?」
飛田さんは苦笑いをして、質問に答えた。
「いや~、それは無理かな。私は毎日ここにいるから。それとそんなお固く飛田さんじゃなくて、霞って呼んでくれていいよ」
毎日ここにいる? 毎日来ているってことか? 何しに?
「え~っと、じゃあ、霞さんは毎日ここで何をしているの?」
「……海を眺めて、自分の想いについて考えているってとこかな?」
想い? 霞さんの恋の話か? 恋の悩みがあるから、ここに来て考えているという感じか?
自分なりに結論が出たところで、霞さんに提案をする。
「俺も恋の悩みで、自分を見つめなおしに来たってところですね」
嘘をついた。失恋で死のうとするのは、馬鹿らしく思われると感じたからである。
「ほうほう? それで、どうだった?」
「どうだったとは?」
「自分を見つめなおしに来たんでしょ? その結果は?」
そう言われて、回答に困る。何と言おうかと考えていたら、目の前の女性の可愛さで、勝手に口が動いてしまった。
「まあ、良いことはありましたかね? 可愛い霞さんと出会えたことですし」
言ってから照れくさくて、頬が熱を帯びた。そっぽを向き、横目で霞さんの反応を見る。
……目をウルウルさせて、口元を両手で隠しているが、めっちゃ嬉しそうにしているのが見て取れる。
「え? ……私って可愛い?」
上目づかいで見つめてくる。その仕草がもうね。可愛いんだよ。なんか自殺をするのが馬鹿らしくなってきて、霞さんとお付き合いしたいとすら、思い始めてきた。
「は、はい」
俺が照れつつ返事をすると、とても嬉しそうにしている。だが、その後の言葉に、頭が追い付かなかった。
「これでやっと成仏ができるのかな……もうその言葉を聞けただけで、満足した気がする」
……まさかの幽霊? 信じられずに、霞さんの腕を掴もうとする。だが、掴めずに通り抜けてしまった。
自分のいる場所。突然現れる霞さん。
「ま、まさか、霞さん、ここで自殺したの?」
霞さんは憑き物が取れたかのような笑顔で答える。
「うん……失恋してね。馬鹿だよね。私って。そんなことくらいで死んじゃうんだから」
「い、いや、そんなことないですよ! 俺だって失恋したらつらいです!」
なんか目的が変わってきてしまった。
失恋して自殺をする予定が、幽霊になった霞さんを励ます展開になった。
「それじゃあ、そろそろ成仏しようかな。ありがとうね。涼くん」
彼女はお祈りを始めた。
「神様、私は満足しました。成仏させてください」
すると、どこからか声が聞こえてくる。
『いや、飛田霞さん。貴女は彼氏に未練が残っているじゃないですか』
「はっ? い、いえ、ちょっとだけですよ?」
どうやら神様の声らしい。神様と霞さんが会話をしている。
『ちょっとでもだめですよ。貴女が地縛霊になった原因は、彼氏への未練。それが完全に消えないと、成仏することはできません!』
「そ、そんなぁ~、そこの所、彼氏はともかく、人生に満足したということで、なんとかしてくれませんか?」
『だめですね。では、頑張って成仏できるようになってください』
「い、いや、ちょっと待って下さいよ!」
霞さんが慌てて引き留めるが、返事は返ってこなかった。
現在、とても居た堪れない状況である。
地縛霊であった霞さん。その霞さんが満足したから、成仏しようとしたら、神様に拒否されたと……。
俺もそうなるのかと思うと、怖いものがあるな。ずっとここで孤独に過ごさないといけなくなるのかもしれない。
(やっぱり自殺はやめよう)
そう決意した。
そして、霞さんに同情の視線を向けていると、霞さんが提案をしてきた。
「涼くん! 私の彼氏になって下さい!」
「はっ?」
霞さんのいうことが俺に通じていないせいか、じれったそうに再度、説明をしてくる。
「だから! 毎日ここにきて、私とお付き合いをして下さい! そうすればきっと、彼氏への想いも消えるはずです!」
「え~っと……じゃあ、霞さんには助けて貰ったということのお返しで、お付き合いする感じで?」
「それでお願いします!」
彼女は、ぱぁっと花開くような笑顔を見せた。
俺に彼女ができた。地縛霊の彼女だが……。
その後も毎日のように一緒にここで会話をしたりした。
なかなか成仏しないので、俺はこっちに引っ越してきた。
日々を共にして、お互いに恋心が芽生えた。しかし、成仏する気配がない。
神様から、『新しい恋をしたから未練ができて成仏できなくなったんだよ』と聞いたのは、かなり後になってからである。
読んで頂きありがとうございます。
これは……ハッピーエンドと言えるのでしょうか?
一応、カップルになってますからね。
でも、バッドエンドにも見える。
それは成仏ができないから。
読者さんからは、どちらに見えますか?