第3章「代理戦争の果てに」
黄土色の砂嵐が吹きすさぶ、アフガニスタンの荒野。1990年代初頭、旧ソ連軍の撤退後も続く混沌の中、渋沢健吾は黒いターバンの男たちと簡素な石造りの小屋にいた。彼はCIAの非公式任務で、ムジャヒディーンへの武器と資金のパイプラインを調整していた張本人だった。
その回想の中で、彼は冷静な顔で語る。
「情報とは、人を撃たずして国家を崩す銃弾だ。私が信じるのは、それだけだ」
渋沢の眼には、かつて自らが育てた戦士たちが無残に死んでいく光景が焼き付いていた。生き残った者はアメリカを恨み、地下に潜り、やがてテロリストとなった。その責任を、渋沢は意図的に無視してきた。
場面は現代に戻る。東京の三国誠一の自宅書斎。三国は、旧アフガン文書をもとに河本が構築した“情報網の地図”を解析していた。文書には、カブール、クエッタ、ラホール、ペシャワールといった都市名とともに、“Zahra”という暗号名が繰り返し登場する。
その名を、三国はかつてどこかで聞いたことがあった——
「ザフラ……アラビア語で“花”か?」
森田智子がつぶやく。
三国は頷いた。
「だが、これは人名だ。『ザフラ』とは、かつてアフガン内戦の中で暗躍した女傑工作員のコードネームだった。河本は……彼女と接触したのかもしれない」
調査を進めるうちに浮かび上がったのは、河本が過去にパキスタン国境の難民キャンプに潜入していたという事実だった。現地で、旧CIAルートをたどって、“Zahra”とされる女性——現在は国際NGO職員として活動するカリーム・アル=ハサンと接触していた。
彼女は、かつてソ連に対抗するために米国が支援したイスラム戦士の娘。現在は反米思想を掲げつつ、欧米の人道主義を逆手に取って情報を拡散する“情報操作の新世代”だ。
渋沢が恐れたのは、河本がこの“Zahra”と手を組み、自身の過去——アフガン工作の痕跡を暴こうとしていることだった。
三国は、河本が使用していたノートPCを開き、最後に記された音声メモを再生する。
——「俺は、Zahraから聞いた。アメリカが、ソ連とイランを同時に敵に回しながら、イスラム世界をどう操っていたか。その証言は、証拠だ。渋沢の存在は、過去の“戦略的狂気”そのものだ」
画面には、河本の疲れた表情が映る。彼は葛藤しながらも、その目に強い意志を宿していた。
「この情報を表に出せば、日本政府、アメリカ大使館、外務省、すべてが反応する。それでも俺は書く。なぜなら……この情報は、俺の命より重い」
三国の胸に、焼けつくような痛みが走る。彼自身が過去に諦めた「真実を伝える」こと。それを、部下の河本が命を賭けて続けようとしていた。
渋沢の動きはさらに加速していた。外務省に埋め込まれた旧知の協力者を通じて、Zahraの居場所が特定され、国際テロ対策という名目で拘束命令が準備されていた。
「このままでは、Zahraは消される……」
森田が吐き捨てるように言った。三国は静かに頷いた。
「そして河本の真実も、完全に埋もれる」
彼らは行動を開始する。まずZahraの亡命申請ルートを確保するため、国際的な報道NGOへ接触。次に、河本が残した資料の暗号化解除と、公開準備。
その合間に、三国は久保茂樹——元外務省の男と再会する。久保は情報操作に関わった過去の贖罪として、三国に一つの機密ファイルを託す。
「これは、渋沢がCIAを離れた本当の理由だ。これがあれば、奴はもう終わりだ」
ファイルには、“フェニックス計画”と名付けられた、アジア各地での非合法暗殺・資金洗浄計画の痕跡が残されていた。
ついに、三国は決断する。
「この戦いは、ただの情報戦じゃない。これは、報道と国家、倫理と権力の対決だ」
72時間以内に、すべてを終わらせなければならない。
Zahraの逃亡ルートが確保された直後、彼女は渋沢の手の者に捕らえられそうになる。だが、三国と森田の協力で間一髪、彼女は匿名状態で国外へ出国する。
夜明け、三国は河本の原稿を、新聞社のデジタルアーカイブにアップロードし、特別号外として発信する手続きを始めた。
その原稿の冒頭には、こう記されていた——
《情報は、権力の所有物ではない。それを記録し、公開することで初めて、歴史が始まる》
その日、日本の政治中枢に激震が走る。
(第4章へ続く)