28
フォーゲルの寝室に着くと、シュネーがテラとフェムトをいそいそと出迎えた。
「おはよう、テラさんよろしくね。」
シュネーが待ちわびたようにやってきて、テラの手を握って挨拶をする。
テラは握られた手を、やや緊張した面持ちで見た。
「おはようございます、シュネー夫人。」
フェムトがシュネーの肩に手を添える。
「母上、落ち着いてください。」
シュネーが、テラの手を離す。
「そうよね、昨日なかなか寝付けなくて少し興奮しているのね。」
前のめり気味のシュネーに、テラが困惑をしているのを見兼ねてフェムトが窘める。
「母上、テラにプレッシャーを与えないでください。」
「まあ、そんなつもりは...」
「しかし現に...」
テラがエスカレートしそうなやり取りに、割って入った。
「あの、椅子に座っていいですか?」
「もちろんよ、こちらを使って。」
シュネーがベッドサイドの椅子を勧める。
テラは椅子に腰掛けた。
とりあえず、眠ってるフォーゲルの手を握らせてもらうために声をかける。
「初めまして、テラといいます。隣国のネフライトから参りました。ネーベル辺境伯のご病気が治るようにお手伝いをさせていただきますので、協力してくださると嬉しいです。では手を握リます。」
シュネーはテラが手を握りやすいように、フォーゲルの手の位置をテラのそばに移動させる。
テラは包み込むように、フォーゲルの手を握った。
(まずは、いつものように魔力を放出してみよう、詳しくわからないけど元気になるんだよね。)
魔力をじわじわと放出する。
フォーゲルのまぶたが少しだけ動いた。
魔力のせいなのか、手を握られて不快に思ったせいなのかわからない程度だが、テラは先程より少しだけ魔力の放出量を増やした。
フォーゲルの唇が少し開く。
テラは過去に傷を癒やしたのがフェムトにしろ、エルデにしろ狼の姿だったことを思い出した。
「あの、フォーゲル辺境伯さまは狼になることは可能ですか。」
聞こえているかわからないが声をかける。
シュネーが代わりに答えた。
「意識が戻れば獣化できると思うわ。」
フォーゲルの唇が動いたのを確認して、テラがフォーゲル自身に事前に伝えた。
「少し多めに魔力を流します。」
テラの体が発光する。
シュネーは不思議な現象に目を奪われた。
暖かくて優しい光は、その場にいるだけで穏やかな気持ちにさせる。
「う……」
吐息混じりの声と共に、フォーゲルが濃紺の毛並みの狼に変わった。
(声は聞こえていらしたんだ、濃紺ってジークと同じ色だ。)
テラはなんとなくだが、回復まで持っていける気がした。
一気に魔力を放出する。
一帯にテラの体から発した、光の粒が舞う。
体から力が抜けて、強い眠気がテラを襲う。
テラは、そのまま意識を手放した。
スープのいい匂いに鼻孔をくすぐられて、テラは目を覚ました。
(天井から吊り下げてあるレースのカーテンが豪華だ...)
目を凝らすと、視界がクリアになっていく。
「起きたか?」
大きなベッドの端にフェムトが腰掛けていて、その真横にテラは寝かされていた。
ベッドの端の方に寝かされているので、奥に無駄に広いスペースがある。
(もう少し真ん中よりに寝かせてくれてもよくなかった?)
「ここはフェムトの部屋だね、こっちに運んでくれたんだね。」
続き部屋にもシングルサイズのベッドがあったことを思い出す。
「もともとこっちに呼ぶつもりだった。」
「ふーん...そうだ、フォーゲル辺境伯さまの容態はどう?」
「きみには感服するよ。父は起き上がれるようになった。」
「そっか、よかったね。」
「ここのところ、ほとんど起き上がれなかったらしいんだ、母上は感涙していたよ。」
(私の力は獣人にてきめんに効くような気がするんだよね。研究棟の怪我人には目立った効力はなかったし。)
「スープを作って持ってきた。」
フェムトが背中を支えて、テラの体を起こしクッションを背中に差し込む。
「ありがとう、いい匂いがしたんだよ。それだったんだね。」
フェムトがサイドチェストに置かれたスープを、スプーンで掬ってテラの口元まで運ぶ。
「ほら、開けて。」
「恥ずかしいし、元気だから自分でできるよ。」
「ほら、冷める。」
フェムトがスプーンを渡さないので、仕方なく口を開ける。
フェムトが嬉しそうに、いそいそとスープを飲ませる。
「美味しい!」
フェムトが嬉しそうに頷く。
「フフ...そうか。テラ、まだ飲むか?」
「うん。お腹がすごく空いている、なんでかな…」
「2日も眠っていたからな、お腹が空いていても固形物はもう少し待ってくれ。」
テラはスープを計3杯飲んで、また眠った。
次にテラが目覚めたときは、早朝でまだ室内は薄暗い。
横を見るとフェムトが寝ていた。
(びっくりした!人のまま寝てるってこれは流石に駄目でしょ。)
テラは眠っているフェムトに興味が湧き、上半身を起こしてフェムトに近付く。
せっかくなのでフェムトの寝顔を見ておこうと思い、顔を近づける。
まるで人形のようだと思った。
まつ毛が長く、鼻筋がすっきりと通っていて唇の膨らみは上品で、陶器のような肌と銀色の髪は幻想的で、美しすぎて生きているように見えない。
フェムトが急に我慢できずに含み笑いをした。
テラの手首を掴む。
「起きてたの!?」
「フフ、すまない。テラに見られていると思ったら我慢できなくて。もう少し我慢しようと思ったんだけど。」
腕を枕にして横たわり、楽しそうにテラを見つめる。
「私の寝顔はどうだった?」
妖艶な微笑みで尋ねる。
テラは気恥ずかしくて手近にあった枕を、フェムトに投げる。
「もう、いじわるな狼ね!」
フェムトが枕を受け止めて、上半身を起こしてテラを引き寄せ膝に座らせる。
「テラ、こちらについてすぐ陛下に謁見を申し入れていたのだが......拝謁が今日なのだが、大丈夫か?」
(とうとう...)
「もう十分休んだから、大丈夫!」
扉をノックする音が聞こえる。
「入れ。」
テラは人が来たことに焦って、急いでフェムトから離れベッドから下りた。
フェムトが、名残惜しそうにテラを目で追いかける。
入ってきたのはジークだった。
「兄さん、朝食後に出発しよう。馬車の準備ができている。」
ジークはもう身支度を済ましていた。
王宮に行くので正装をしている。
ジークは、部屋の隅にいたテラを見て微笑んだ。
「テラ、父上が元気になった。ありがとう、君のおかげだ。」
爽やかな優しげな笑顔は、ジークがテラには今まで見せたことがなかったものだ。
テラがジークに見惚れる。
フェムトがそれに気づいて、テラの投げた枕をジークに向かって投げつける。
ジークはそれを甘んじて顔で受け止めると、苦笑した。
「兄上の機嫌を損ねることは、重々承知でした。」
ジークは故意に、爽やかで人を魅了する笑顔をテラに振る舞った。
「では、準備ができたらエントランスホールで待ち合わせで。食事はこちらに運ばせるようにしています。」
ジークが用件を言って部屋から去った。
二人は朝食をとって身支度をした。
テラは部屋に迎えにきたエルデと先に馬車寄せに行くことになり、フェムトはジークの待つエントランスホールに行くことになった。
テラはエルデと一緒に先に馬車に乗り込んだ。
「テラさん、次の休憩所までわたしがフェムトと一緒に馬車に乗っていいかしら?フェムトに確認したいことがあって。」
「もちろんです。」
「じゃ、その間はジークと乗ってね。」
大々的な見送りを受けて、フェムトとジークがそれぞれ馬車に乗り込む。
先頭の馬車に、フェムトが乗り込んだ。
中で待機していたのがエルデだったので、フェムトは何かあると察した。
「乗る馬車を間違えたみたい。フィーごめんなさいね。次の休憩所までは我慢なさってね。」
馬車が走り出す。
「久しいな、こうして二人で馬車に乗るなんて。」
「元婚約者ですものね。昔はよく二人で出掛けてましたわね。」
「で、私と話したいことがあって画策したのだろう?」
「何故おわかりに?」
「以前と状況は変わった。ジークが君と私を二人にするにはそれ相応の理由があるのだろうと思ってな。」
「…フェムトは、グランツェさまを説得できる材料を見つけることができたら領地を継ぐつもりなの?」
「そうだな。」
「領主の妻は同胞から選ぶという暗黙のルールがあるけど、それはどうするの?もしみんなの納得が得られないときは以前のように私が選ばれるの?」
「エルデ、ジークと情けを交わしたのだろう?」
「どうして、それを...」
エルデが頬を染める。
「ふっ...あいつはずっと君を欲していたからな。安心しろ、今さら君を私の番になど考えておらん。そんな野暮な真似はせんよ。」
「じゃあ、テラさんと?」
「それはわからない、テラの気持ちが一番だ。」
「テラさんフェムトのこと好きじゃない?」
「領主の妻だ、生半可な気持ちでは頷くまいよ。テラが領主の私でも良いと思うくらい、私に落ちて来るのを待つさ。」
「テラさんの気持ち次第なのね、テラさんが落ちてこなかったら?」
「その時は、誰か領地のためになるものと番うさ。」
「私は、もうフェムトの番になれないって伝えたかったのよ。」
「ああ、私は躊躇いもなく君を殺そうとした男だ。それがいい。」
「あれは、私がテラさんを殺そうとしたから仕方ないわ。」
「フェムトの魔力のことと、ついでにテラさんの魔力のこともわかるといいわね。」
エルデが、窓の外を見た。
「そろそろ休憩所につくわね。」




