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応接室を出ると、モラド王子が待ち構えていた。
テラがフェムトと一緒にいるところを見て、苛立つ。
「テラ、父上に会うなら私を通せば良いものを...」
モラド王子が苛立ち紛れに、テラの腕を掴んで言った。
テラが掴まれた腕を、振り解こうともがく。
「離してもらえますか?」
テラの、つれなさにモラドはカッとなり、腕を掴む力が強くなる。
「君は私の妻になるんだ、口の利き方に気を付けるんだ。」
テラは、モラドに強く掴まれたせいで腕が痺れる。
フェムトが、テラの腕を掴んでいる方のモラドの手首を強く掴んだ。
「ネフライトの第3王子、テラが離せと言っている。離してもらえるか。」
獣人は、力が強い。
フェムトに掴まれた腕が痛み、モラドが眉をしかめる。指に力が入らなくなり、テラの腕を掴む力が緩む。
「お前...無礼だぞ......」
モラドはテラの家を突撃訪問した際の、フェムトの威圧感を覚えていて臆する。
応接室から出てきたベルデが、一触即発の事態を感知して、すぐにモラドに声をかける。
「モラド王子殿下、国王がお呼びです。」
ベルデが、フェムトに目で訴える。
フェムトがそれを受け、渋々モラドの腕を離す。
腕を開放されたモラドが、ホッとした顔をしてテラの方を向く。
「テラ、ここで待ってろ。」
モラドが掴んでいたテラの腕を離して、応接室に入って行った。
「テラ、大丈夫だったか?」
「フェムト、ありがとう。大丈夫。」
「後で腕を確認しよう。テラはモラドの言うことを聞かず自由にして大丈夫だよ。」
フェムトは、テラが安心するように言った。
「フェムト、ありがとう。フェムトのおかげで今の生活が続けられるよ。」
ジークが何も言わず傍観しているのが気になったが、テラはフェムトに笑顔でお礼を言った。
ベルデが、思い出してテラに告げる。
「そうでした...テラさん、ティルケル卿から連絡がありましたよ。この間の湖の泥がかなり結果がいいようですよ。他の水門の分もお願いできますか。」
「湖の泥をご準備いただければ、すぐに取り掛かれます。」
「では、我々は今日はこれで失礼します。ベルデ閣下ご協力ありがとうございました。」
ジークがベルデに頭を下げた。
フェムトが、ベルベットの小袋をベルデに手渡した。
ベルデがその場で中を検める。
高貴な色合いの、どこまでも深いブルーはカットが細かく、光を反射して美しく輝く。
この宝石は『エーデルシュタイン』と呼ばれ、『クライノート』と同じで希少石だった。
ジークが宝石を2度見した。かつて領地から姿を消したときに、兄が身に付けていた宝石だった。
ベルデが宝石をいろんな方向から眺める。
「これは、美しい......見事な石ですね......宝石彫刻師の腕も素晴らしい。」
「『迷宮の森』の鉱山から産出される宝石は、希少価値が高く品質が素晴らしいと聞くが、国外への流通量も少なく手に入らなかったんですよ。」
ベルデが爽やかに笑った。
「宝石目当てでモラドをけしかけて、我々をここにおびき寄せた......と思うのは私の邪推でしょうか?」
フェムトがベルデに冷たい目を向けた。
「まさか、モラド王子殿下の行動をどうこうできるわけはございません。ただ、交渉に来られると聞いて乗ったまでです。これは、ありがたく頂戴いたします。」
ベルデがコートの内ポケットに、ベルベットの小袋に入れて宝石をしまった。
「しかし、まさか騎士団長が獣人だったとは......驚きました。彼は能力の高さを評価されて、10年前に騎士団長の任に付いてもらっていたのですが、全く気付きませんでした。」
ベルデは、一番気に掛かっていた事を聞いた。
「私も獣人ですが、見た目ではわからないでしょう。獣人だと心配ですか?大丈夫ですよ。」
「彼は愛妻家なので、この国を裏切ることはありませんよ。」
宰相はそれを聞いて安心した。
騎士団長のモラ・ルネス・シルエタは、国でも有名な愛妻家だった。その妻は生まれも育ちもネフライト王国で、かつ有力貴族の惣領娘だったことを思い出す。
3人はモラドが戻ってくる前に、馬車寄せに向かう。
テラは、帰りはうっかりフェムトのエスコートで馬車に乗ってしまった。
行きほどのように、ジークの追求の目がきつくない。
テラはホッとした。3人で話す内容が思い付かず、外を見る。
少し経って、ジークが口を開いた。
「テラさんは、兄上の命の恩人だったのですね。」
声の調子が和らいでいる。
先ほど応接室で、フェムトが国王に話していたのを聞いて、テラへの見方を変えたようだ。
「そんな大げさなものじゃないよ、たまたま怪我してたフェムトを見つけてお世話しただけ。」
テラがジークに笑顔で説明した。
少し関係性がよくなるかもと思って、気持ちが楽になる。
フェムトがテラの方を向く。
「テラ、もう用事も終わって帰るだけだ。私の背中にもたれるか?」
「背中?」
あっという間にフェムトが狼の姿に変わった。
(なるほど、行きは正装してたもんね......あとは帰るだけだから裸でも......って良くない!)
(良くないけど......気持ちいいんだよね。)
「フフ...ありがとう、じゃあ甘えちゃおうかな。」
テラがフェムトに抱きつくように腕を回してフェムトの背中に体を預ける。
「に、兄さん。それは......」
ジークが驚愕の表情をした。
鋭い目つきでテラを見て質問してきた。
「兄さんは、こうやってあなたの前で獣化することがあるんですか?」
「そうだね、どっちかって言うと獣人って最近知ったから...狼の期間の方が長かったよ。喋るから不思議な狼だと思ってたけど...」
「兄さん、エルデと番って領主になってください!こんな人間の女などと...」
(人間の女などって...私??)
「えっと、弟さん。エルデさんはフェムトのこと番だってちゃんと言ってたよ。」
『テラ、私はエルデと番になる気は無い。この話は2度とするな。』
馬車内の温度が、急激に下がったと錯覚するほどの声色にテラは冷や汗をかく。とっさにフェムトから離れた。
『ジーク、お前もだよ。』
ジークが拗ねて外を眺める。
馬車の揺れる音と混じって、フェムトの鼻がピスピス鳴いているのが聞こえた。
テラは、無断外泊したときのことを思い出した。
「フェムト、もう言わないよ。悲しまないで。」
「私も、モラドと無理やり婚姻させられそうで嫌な思いしたから...勝手に決められたら嫌だよね。」
フェムトがテラの方に振り向き、首の辺りに鼻を擦り付ける。
テラもフェムトを抱きしめて、首の辺りを何度も撫でる。
テラの家に着くまで、始終こんな感じだったのをジークが考え込むように見ていた。




