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ひと眠りして目が覚めたら、お腹が鳴ったのでテラは部屋にある置き時計で時間を確認した。
「けっこう、眠ってたんだ......」
扉の向こう側から声がかかる。
「パンとスープと鶏のソテーだよ、食べるだろ?」
テラが扉を開ける。
宿屋の女将が、夕食をトレーに載せて運んできてくれていた。
「おばちゃん、ありがとう!美味しそう。」
テラの反応に宿屋の女将が笑顔になる。
「うちは朝食も付いてるよ、明日の朝また持ってくるから。」
「ここにしてよかった〜!」
テラが夕飯を受け取る。
「そうかい?そう言ってもらえると嬉しいね。」
「そういや明日出立なら、ちょっと時間に余裕を見た方がいいよ、お客さんが話していたんだが、市門で急に検問が始まったみたいだよ。誰かを探しているようだよ。」
「へ......へえ」
(このタイミングで探し人って...絶対に私でしょ。)
「食べた後の皿は、ちょっとすすいでから扉の外に出しといてくれるかい?そのまま置くと虫が来たりするからね。」
テラに食器の後始末を伝えると、女将は階下に下りて行った。
テラは部屋で食事をして、指示通りに食器を軽く洗ってトレーごと外に出した。
(なんで、急に私をモラド王子の妻にしようなんて話になったんだろう......)
テラは寝る支度を済ませてから、ベッドに寝転んだ。
(逃げるにしても、明日フェムトにお別れの挨拶してから行こう。明日なら匂いも消えてるはず!)
(ちょうどよかったのかも......フェムトもそのうちエルデさんと領地に戻るだろうし。)
「検問は市門でやってるなら、家に帰る分には問題ないよね。」
テラは、翌日早起きして部屋を片付けた。
朝食の支度をしていた女将に、お世話になったお礼を言って馬車の待合所に向かった。
そう待たずに馬車が来る。
今日の御者とはテラは会話したことがなかったので、黙って外を眺めていた。
森の入口に一番近い待合所で馬車を下りる。
周りを見渡して、警戒しながら森に入った。
(市門の方を強化してくれてよかった、誰もいないみたい。)
テラは周りに気を配りながら、早歩きで家まで戻った。
静かにドアを開ける。
(鍵が掛かってない?)
上がり框に狼の姿のままで、フェムトが伏せて眠っていた。
(フェムト...眠ってる?ここでずっと待ってたの??私が無断外泊しちゃったから......)
フェムトの鼻がピクピクと動く。
フェムトが顔を上げた。
じっとテラを見てピスピスと鳴いた。
薄いグレーの瞳が揺れている。
テラはフェムトの様子に、なんとも言い難い感情が込み上げてきた。
「ごめん!フェムト、ごめんね...心配掛けてごめん〜!」
テラは、フェムトの首に腕を回して抱きついた。
「何か言ってよ〜。」
テラは涙が溢れた。
フェムトが、テラの涙を舐め取る。
『無断外泊は、初めてだったから心配した。』
「モラド王子が突然やってきて、急に抱きしめたから匂いが消えてないと帰れないって思って...」
フェムトが不安そうな目をして、テラの腕から逃れるようにして離れた。
そのまま何も言わずに2階に上がっていくのをテラは見送った。
(フェムト...何も言わずいなくなっちゃったよ、もしかして人に戻って着替えているのかな?)
しばらく待ってもフェムトが下りてくる気配がない。
(あれ...遅いな。そういえば、エルデさんはまだ寝てるのかな......エルデさんのそばで寝直していたりして...)
(とりあえず、当初の目的を果たすか...お別れの挨拶だけでもして行かなきゃ。)
テラは、静かに2階に上がった。
(エルデさんを起こしたくないしね...フェムトは私が近づいたら気配でわかるよね、部屋から出てきてくれるよね。)
テラは、フェムトの部屋の前に立ったが、扉が開く気配がない。
(あれ...もしかしていない??)
駄目だと知りながら、テラは扉を開けた。
フェムトはきちんと服を着て、人の姿に戻っていた。
ベッドに浅く腰掛けて、手のひらで鼻と口を覆ってうつむいていた。
フェムトの肩が震えている。
「フェムト?」
フェムトの足元の床に、水滴がぽたりと落ちる。
(さっきも、狼のとき鳴いていたのは、本当に泣いていたんだ!)
テラはその光景が脳裏に蘇り、胸が痛くなった。
テラは、フェムトの正面に立って座っているフェムトを胸に抱きしめた。
「フェムト、我慢しないで。大丈夫泣いていいよ。私のせいだよね。」
テラがフェムトの背中を優しくさする。フェムトが静かに肩を震わせるのが手のひらに伝わる。
(こんなに、心配かけていたなんて...)
しばらくそうしていたが、フェムトがうつむいたままでテラの腰に腕を回した。
「テラ、すまない。取り乱した。」
「もう平気?」
テラがフェムトの顔を覗き込む。
フェムトは、潤んだ目を見られたくなくてテラから顔を逸した。
「......行くのか?」
「うん...」
「テラが挨拶もせずに、ここを出ていくとは思えなかったから、待っていたんだ。」
テラは、フェムトが自分を理解してくれていたことに感動して、力を込めて抱きしめる。
「モラド王子が急に私を妻にするって言い出して、逃げようと思って。」
「は?」
フェムトが顔を上げて、赤く腫らした目をさらけ出した。
「フェムト、涙で瞳が濡れててきれい...」
フェムトが苦笑した。
「フっ...呑気だな...」
「ネフライトの王子と結婚するために...ここを出るのかと思ったんだが。」
「まさか!絶対イヤだ。」
フェムトがテラの言葉を聞いて、目を見開いた。
「...そうか、テラ......この姿のままで抱きしめていいか?」
テラは笑顔で両腕を広げた。
「うん!」
フェムトが、テラを抱きしめようとベッドから立ち上がる。
「に...匂い大丈夫かな?」
テラが恐る恐る聞く。
「テラと私の匂いしかしない。大丈夫だ。」
フェムトがいい笑顔で微笑み、テラを優しく包み込むように抱きしめる。
(匂い問題がクリアで良かった。)
「フェムト、私ここにずっと居れないんだよね。王子がまたこの家を訪ねてきそうじゃない?」
「それなら私と、隣国にでも行くか?」
「ん〜、私もそのつもりだったけど、検問がね...とりあえず、どこかもっと田舎に移ろうかと考えていたんだけど...」
「テラは、王子の問題がなければこの国にいたいのだろうか?」
「うん...ここで、えっと...フェムトが良ければ一緒にずっと変わらずにいれるといいな。」
フェムトが息を呑む。
(あれ...そんな驚くこと?あ...もしかして、私がエルデさんを仲間に入れてなかったせい?!)
テラは一度目を伏せてから、フェムトの方を見上げる。
「もちろん...エルデさんも、一緒でもいいよ。」
「エルデも?」
フェムトの声が低く響く。
(え...今度は急に機嫌が悪くなった?)
「愛の巣に、私も一緒はまずい!?」
「先々は二人の子どもとか......も、ここで一緒でも...」
(大丈夫......フェムトがいなくなるよりはいい...それに、そのうち家族愛が芽生えたりするかもしれないし。フェムトとエルデさんの子なら絶対可愛い!)
テラは言ったそばから込み上げる胸の痛みを無視した。
フェムトが両手でテラの両頬を挟んで、顔を掬い上げる。
「私が、エルデを愛していると?」
フェムトがテラを見つめて目をそらさない。
テラは、薄いグレーの瞳に見つめられて動揺した。
「えっと、番なんでしょ?」
「なぜ、そう思う?」
「エルデさんが、他の男の人の匂いを付けてたからフェムトが嫉妬?して、怒って首を噛んだって...聞いて......」
(なんだか...フェムトの雰囲気が怪しくなってきたかも...)
テラが目を伏せる。
「そうか......そう聞いたのか。」
その刹那、テラの首にフェムトの唇が触れた。
(私も噛みちぎられるの?!モラドのせいで!)
「うぅ...」
目を強くつぶる。
小さなリップ音がして、フェムトは離れた。
「お、終わり?」
「もっと欲しい?」
フェムトが上目遣いで、テラを見つめる。
「え......」
フェムトの唇が、テラの首筋を這う。
テラが硬直しているのを面白がるように、余すところなく唇を這わせる。
「愛する者が他の男の匂いを付けてきたら、こんな感じでお仕置きをする。」
「覚えて置くように。」
テラが、こくこくと何度も頭を上下させて、うなずいたのを確認して、唇を離した。
フェムトがテラと目を合わせようと、顔を上げてる。
テラの目が潤んで蕩けていた。
「......!」
フェムトが目を見張り、小さく唸りすぐに顔を背ける。
「テラ、抵抗しなさい。」
「あ、そうだね。」
「エルデのことは、誤解が無いように言っておくが、嫉妬などではなく......あの時は殺すつもりだった。」
「え?」




