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夕方、勤務時間が終わる頃に意気揚々と調剤室にテラを迎えにきたモラドは、もぬけの殻の部屋を見て声を荒げた。
「どういうことだ?!私が迎えに行くと言っていたのに先に帰るとは!」
「あの森の小屋だろう、連れ戻すぞ!!」
モラド王子の頭には、昨日の光景がフラッシュバックされていた。
「朝から機嫌が悪いのね、どうしたの。」
エルデが、フェムトにまとわり付いていた。
フェムトは、昨日買った食材で夕食の準備をしていた。
「怪我はもういいようだなエルデ、帰れ。」
野菜を切って、葉物野菜を千切って彩りよく盛り付けたあと食料貯蔵庫に入れておく。
昨日、『迷宮の森』でかなり稼いだので2、3年は働かなくてもいいだけの蓄えができた。
フェムトの手際のよさにエルデが驚く。
「え、いつもフィーが食事の支度して待ってるの?」
「いつもでは無い、テラは家で食べることは多くないからな。」
「フィー、私と戻りましょう。あなたが、こんなことする必要ないわ。」
エルデがフェムトの腕を両手で掴み、憐れみの目を向ける。
「エルデ私に近寄るな。」
フェムトが、エルデを追い払うように腕を払った。
「私たち、番になる予定だったのに......」
エルデが切ない目でフェムトを見つめる。
フェムトが人の気配を察して、人差し指を自分の唇に当て、エルデに喋らないように合図する。
「エルデ......誰か来るぞ、テラの匂いが混じっているが...これは昨日来た男の匂いだ。」
「フェムト、肝心のテラの匂いが薄い...テラは一緒じゃないのかしら?......どういうことかしら。」
フェムトの体から、微弱な静電気のような魔力が溢れ出す。
エルデがぎょっとしてフェムトを諌める。
「フェムト、魔力をしまって。」
8代前の領主が回復系の魔力持ちの娘と婚姻したことで、たまたまフェムトにその魔力が引き継がれていると言われていた。
ただフェムトの魔力は、回復系とは全く系統が違う電気を発生させるというちょっと特殊な力だった。
フェムトは深呼吸して、魔力を鎮める。
玄関のドアを壊れそうな勢いで叩く。
「テラ、ここに戻っているのか!?」
モラド王子が大きな声で、ドアの向こう側から声を張り上げる。
思い通りにならなず、むしゃくしゃしているので、かなり大きな声だ。
何度もドアを叩く。
フェムトが玄関の鍵を開けると、勢いよく扉が開く。
モラドが、ずかずかと玄関のたたきに上がり込んできた。
目の前にフェムトがいるのを見て、モラドがフェムトを睨みつける。
フェムトが先に口を開いた。
「...人の家に無断で入り込み、騒ぎ立てるとは貴様は思慮分別に欠けるのではないか。」
モラドが憤慨した。
「この私を誰だと思っている。物言いに気をつけろ、無礼だぞ!!」
モラドがつばを飛ばさん勢いで、フェムトを怒鳴りつける。
フェムトが、そんなモラドに眉をひそめ、ため息を付いた。
「お前の態度は、まだ道理をわきまえぬ幼子より酷いな。」
後ろに控える護衛は、くだらないことに振り回されていたので、フェムトの言い分に心のなかで激しく同意した。
モラドはフェムトから放たれる威圧に、負けじと要件を言う。
「ふんっ......テラを出してもらおう、今後はこの小屋には戻らん。」
「私の妻として扱うのでな。」
モラドが勝ち誇ったように言った。
フェムトは、モラドから微かに香るテラの移り香を忌々しく思い奥歯を噛み締めた。
フェムトは、しばらく沈黙してから深く息を吐く。
「テラが了承したか。」
静かで威厳のある声に場が威圧される。
モラドといえば、隣国にも名が届くほどの単細胞だが王子である以上は揉め事はまずいとエルデは思っていた。
エルデはもしものときは、命懸けでフェムトを取り押さえる心積もりで隣に控えていた。
フェムトの威圧にモラドがしどろもどろに答える。
「いや、テラは恥ずかしがっているようでな...まだはっきりとは......」
フェムトが、目を伏せて静かな口調で伝えた。
「ネフライトの第三王子、テラはまだここには、戻っておらん。急ぎなら他を当たられよ。」
エルデは、フェムトが攻撃的な衝動を抑え込んでいるのを長年の付き合いで肌で感じた。
「し...失礼する。」
モラドと護衛もフェムトの異様な雰囲気をなんとなく感じ取り、ほうほうの体で逃げるように去った。
「フィー、一緒に帰りましょう。テラはあの坊やと婚姻することが決まってここに帰る必要がなくなったのかもよ!」
フェムトが今までにないくらい静かに話す。
「私は、テラが私に一言もなく去るような不義理な者ではないと信じている。お前は早く帰れ。」
「私はフィーがいいと言ってるじゃない!二人で領地に戻りましょう。」
「私が、お前を生かしているのはお前がジークと番になればいいと思っているからだ。」
「フィーが、あの子を気に入っているのはわかったけど種族の違いは大きいわ。寿命だって、獣人と人では違うし...」
「ね、お願い目を覚まして。」
エルデが、フェムトの鼻を甘噛みして親愛の意思を伝えようと、近付いた。
フェムトが、近付いてきたエルデの額を人差し指で押しながら言った。
エルデが少し仰け反る。
「寄るな。私は、お前が思うより人に近いのだよ。」
「魔力持ちだしな、その親愛の示し方は私以外の同胞としなさい。私はそれに今まで意味を感じたことがないのだよ。」
フェムトが困ったように笑った。
エルデは久しぶりのフェムトの笑顔に頬を染めた。
「フェムト、私一旦、戻るわ。」
「やっとか。」




