〇六
砂上を駆ける――。
パワーブーストを起動したことにより、通常は脳波から得ている筋電信号を全身のセンサーから直接読み取るようになる。
センサーは私の足の動きを〇・〇〇一秒単位の正確さで捉え、そのデータをコンピューターへ送る。コンピューターは、私が次に地面を蹴り出すタイミングを完璧に予測し、アクチュエータに電圧を加えて人工筋肉を動かす。
今までよりも明らかに体が軽くなった。
敵の銃撃がはじまる。
一方向に走っていては良い的になってしまうので、ランダムに進路を変えながら、砂の隆起の陰に身を伏せる。もちろん囮なので、いつまでも隠れているわけにはいかない。また、すぐに走りだす――。
にしたって女の子を囮にする軍隊ってどうよ? いくら自衛隊が女性の活躍を推進してるからって、さすがにこれはないでしょう。
隙を見て全力でダッシュする。
敵の銃撃を予測して進路を変える。
一時的に身を隠し、またダッシュ。
しだいに息が切れてくる。
すれすれのところを弾がかすめていって、全身がゾワっと怖気だった。
もうイヤだ――。
「おい知ってるか?」
窪地の中で身を隠しながら進んでいるであろうカジオとヤマザキの会話が聞こえてくる。
「今度うちの戦闘糧食に、おでんのメニューが加わるらしぜ」
「ふん、どうせ缶詰だろう」
「いや、発熱剤で温めるレトルトタイプのやつだ。大根、たまご、はんぺん、もち巾着に、牛すじも入るらしい」
「そりゃ美味そうだ。米軍のCレーションなんかと違って、自衛隊のミリメシは味にもこだわってるからな。アハハ」
私の中でブチッと何かが切れた。
さっき手放した機関銃ミニミを拾い上げ、二〇〇発入りの箱型弾倉をセットする。銃床のアタッチメントをサンナナの肩にカチリとはめた。
「准尉、反撃してもいいですか? てゆうかもうします」
やめろ中には人質が、というモテギの声を無視して伏射の姿勢でトリガーを引いた。五・五六ミリNATO弾がフルオートで施設の壁に叩き込まれる。予備の弾倉は持ってきてないので、これを撃ち尽くしたら今度は対人榴弾でもぶち込んでやろう。
そのとき、施設のハッチが開いてナニかが姿をあらわした。
全身を暗色にペイントされたそいつは、土偶のようなずんぐりした胴体に長い腕を二本ぶら下げていた。
「准尉、あれってもしかして、かの悪名高き――」
私が今見ている光景は、サンナナの目を通してモテギにも送られている。すぐに答えが返ってきた。
「うむ、童夢零式だ。あのシルエットは間違いない」
童夢零式は、中国軍が開発している完全自律型の軍事用ロボットだ。搭載されたAIが瞬時に敵味方を判別し、ひとたび敵とみなせば問答無用で攻撃するようプログラムされている。中国はこの童夢零式を試験的に国境地帯へ配備しているが、数年前に起きたキルギスとカザフスタンの紛争では、中国側へ逃れようとした難民二百人あまりを敵と誤認して射殺している。
「ということは、この施設は中国軍に乗っ取られているんでしょうか?」
「いや、国籍マークがないからおそらくテスト用の機体だろう。しかしまさか日本のベンチャー企業があれの開発に携わっていたとはな」
「准尉、私とにかくあれ見てると生理的に嫌悪感おぼえるっていうかマジムカつくでただちに破壊してきます」
「注意したまえ。童夢零式の性能は防衛省も完全には把握していない。とくに行動予測のアルゴリズムが不明で、その精度は未知数だ」
「知ってます? AIってじつは結構バカなんですよ」
スコープを六倍率の光学照準器にかえて、サンナナのコンピューターと連動させた。立ち上がって銃を構えなおす。伏射のほうが正確な射撃を行えるが、この環境では砂詰まりを起こす危険性がある。
「とにかく私行ってきますのでっ」
熊谷基地にある第四術課学校にいたとき、人工知能を研究していたある教官の助手をつとめたことがある。助手と言ってもやることは簡単。AIを相手に碁を打つのだ。幼いころより祖父から囲碁を叩き込まれてきた私は、女流二段の位を持っている。
AIは手強かった。
大量かつ複雑なデータを迅速に分析し、あらゆる棋譜を瞬時にシミュレートして、最良の一手を導き出す。その意思決定のスピードと複雑性に対処する能力は、とても人間にはマネできない。セオリー道理に戦おうとすればするほど、相手に翻弄される。
最初は全く勝てなかった。
二段の実力を、いや人間としての尊厳をも否定されたみたいで、すごく悔しかった。
あるとき私は腹立ちまぎれに、とんでもない場所へ石を置いてみた。まったく意味のないデタラメの一手だ。相手が人間なら呆れるか笑い飛ばすだろう。しかしAIは違った。真剣に悩んでいた。その一手にどういう戦略が隠されているのか、膨大なデータを端から引っ張り出し、気の遠くなるような思考実験を繰り返した。あらゆる可能性を何度も何度も検証し、答えが出せず、そしてついにパンクした。
そのとき私は、AIに負けないコツをつかんだ。
やつらはユーモアを解しない。
気まぐれを想定できない。
たんなる石頭。
しょせん人間さまの敵ではないのだ。
照準が狂ってるというヤマザキの言葉を信じて、一直線に進んだ。銃弾が何度もわきをかすめたけど、絶対自分には当たらないという信念で突き進んだ。もちろん私のほうからも撃ち返す。まずは右肩に据え付けられた銃を破壊した。腹に数発ぶち込んだあと、左肩の武器も吹き飛ばす。
これで相手は丸腰になった。
こっちも全弾撃ちつくしたので、銃を捨てた。
一気に距離を詰める。
まさか素手で突進してくるとは想定していなかったのだろう、敵は防御姿勢もとらず棒立ちになっている。
バカめ――。
勢いそのままに拳を固めて、顔面に叩き込んでやった。
ドゴンッ、と交通事故なみの衝突音がして、童夢零式は仰向けにひっくり返った。頭部を壁に打ちつけ、胴体との接合部からスパークを撒き散らしている。断末魔のあがきに手足を数回バタつかせたあと、ついにこの軍事用ロボットは機能を停止させた。
「やりました、ワンパンですっ!」
私は勝利のガッツポーズを突き上げた。モテギが止めていた息を吐き出したのが、なんとなく分かった。
「まったく君を見ているといつも胃が痛くなるよ。このぶんだとまた病院へ逆戻りかもしれない」
「いやいや、文句を言うならご自分で戦ってみてくださいよ」
「それよりまだ他に敵が残っているんじゃないのか? 一応ハッチの向こうも調べておいたほうが――」
言い終わるまえにハッチが開いて、新たに二機の童夢零式がその凶悪な姿をあらわした。