〇四
ニリ・パテラ砂丘は、その規模が一万エーカーにもおよぶ巨大な砂の隆起だ。
上空から俯瞰すればその全貌を理解できるが、砂丘といってもきれいな円錐形をしているわけではない。大気と地表の相互作用によって、まるで気圧配置図のように刻々とそのエリアや形状を変えてゆく。
安息角はおよそ三十度。これを最大傾斜角として、風向きや砂粒の大きさによって緩急を変えている。平均斜度は二十四度。ゲレンデでいえばスキー中級者向けの斜面といったところだが、まわりに水平線などの比較対象物がないため、実際その上に降り立ってみると見渡すかぎり広大な砂地がひろがっているだけとしか感じられない。
火星特有のサラサラした細粒砂に足を取られながら、私は「ひい」と情けない声をあげた。
「准尉ィ、装備庁にかけ合って、オプションで足にキャタピラ付けてもらいましょうよォ」
降下のタイミングが早過ぎたのか、目標地点まではあと二キロメートルほどの距離がある。モテギのうんざりしたような声がスピーカーから返ってきた。
「なに情けないことを言ってるんだ。このくらいでへばってちゃ、とてもじゃないが地上部隊員など務まらないだろう」
「だってだって……」
私は左手にさげた機関銃ミニミと、右腕で抱えている四〇ミリ自動擲弾銃を恨めしげに眺めた。サンナナのインターフェイスには、生体力学に基づいたリミッターが掛けられている。そのため運動にともなって装備にかかる負荷は、装着者の肉体へとフィードバックされる仕組みになっているのだ。
ようするに――。
「これメッチャ重いんですけど。てゆうかひとつ持ってくださいよ」
モテギは、わざとらしく咳払いをした。
「私に言っても無駄だぞ。このまえ胃の手術を終えたばかりだからな。無理をすると縫合が開いてしまうと医者からも言われている」
「ちっ、使えねえやつ」
「そうむくれるな。安保理でWPS法案が議決されてから、わが自衛隊でも女性隊員の活躍を強く推進しているところだ。君にはぜひ、ジェンダーの垣根を超えて頑張ってもらいたい」
私はフェイスシールド越しに、モテギの顔を睨みつけた。
「もっともらしいこと言ってますけど、屈強な女性隊員がいるのをよいことに肉体労働ぜんぶ押し付けてるだけじゃないですかっ」
「なにを言う。君の軍服の胸にあるそれはなんだ? 体力徽章じゃないか。うちの基地で、金色の逆さベンツなんてつけてる隊員は君だけだぞ。並みの男なんかよりもずっと頼りになる」
スピーカー越しに、カジオの忍び笑いが聞こえてきた。
「弱きもの、汝の名は女なり――ってか?」
「マジぶっ殺すっ」
「あのう、アリスガワ一曹。それ片方ぼくが持ちましょうか?」
シノダくんが心配そうに声を掛けてくれた。ああ、若いって良いよね、心が純粋で――。でも可愛いキミにこんな重たいもの持たせられないよ。私はしおらしく首を振ってみせた。
「ううん、いいの。シノダくんはここへ来て間もないんだから、気にしないで」
「でも……」
「ありがとう。お姉さんその気持ちだけで嬉しいわ」
先頭をゆくヤマザキが歩みを止めた。
「おい、見えてきたぞ」
彼のアームの指がしめす先に、テカテカと光り輝く研究施設の建物が小さく見えた。
「――ふうん、あれね」
私は統合視覚拡張システムを起動して、目標物を拡大してみた。それは、いくつものデルタ二十面体を六角柱の通路でつなぎ合わせた、まるで化学の構造式をそのままオブジェにしたような建物だった。
「外から破壊された形跡は無さそうだけど……」
モテギが、ヤマザキに追いついて言った。
「まだ内部との連絡はつかないのかね?」
「はい、さっきから全チャンネル使って試してるんですが、まったく応答ありません」
「たんなる通信機器の故障ならよいのだが」
「考えたくはないですけど、生命維持システムになんらかのトラブルがあった場合、すでに生存者がいない可能性もありますよ」
「いずれにせよ中から招き入れてもらえないのなら、どこかに穴をあけて進入するしかあるまい」
「一応、半導体レーザーの準備をしておきす」
そのとき「ピピピッ、ピピピッ」という警報音が鳴った。ゴーグルのレンズに『CAUTION!』の赤い文字が浮かび上がる。これはサンナナのセンサーが、索敵レーダーの電波を感知したことを意味している。
カジオが、周囲に警戒の目を配りながら言った。
「おい、何かいるみたいだぜ」
やがて断続的な警報音は、一本につながって「ピーーーッ」という耳障りな長音になった。
「気をつけろ、火器にロックオンされているぞっ!」
モテギがそう叫んだ瞬間、シュッとマッチを擦るような音がして、オレンジ色に輝くアイスキャンディーみたいなのが私の横をかすめていった。衝突音がして、振り返るとサカモト隊の一人がオモチャのように吹き飛ばされている。火星では酸素が少ないので爆炎こそ広がらないが、低重力のために土砂が爆風で派手に巻き上げられる。飛んできた砂がヘルメットをチリチリと鳴らした。
「みんな地面に伏せろっ」
サカモト隊長の声を合図に、全員が砂の上でひざを突いて腹這いになった。
「シノダくん早くっ」
まだサンナナの動きに慣れていないシノダくんがもたついている。そこへ二発目の銃弾がかすめ、彼はみごとにひっくり返った。
「わあっ」