〇三
火星の地表を黒い影がよぎる。
V三九は、アメリカのボーイング社が開発した火星専用の輸送艇だ。
火星は、地球と比べてかなり大気密度が低い。そのため従来型の飛行機やヘリコプターは飛ばすことができない。
低密度の大気から揚力を得るため、V三九には巨大な翼が備わっている。「MANTA」という愛称は、そこから付けられたものだ。
二酸化炭素からメタンガスを作り出すメタネーションという技術を使ってロケットエンジンを動かしているが、巡航速度はおよそ八〇ノットと、地球上での飛行船なみの推進力しか持たない。そのため離着陸には機体下部に取り付けられた八十二個の高圧ガス噴射器が使われ、これによって短時間のホバリングも可能になっている。低空での飛行しか出来ないため起伏の激しい火星では飛行ルートが限られてくるが、特殊車両による輸送に比べればはるかに効率が良い。
ゴウゴウという風切音が機内に流れ込んでくる。大気が薄いとはいえ、地上三〇〇メートルという低空を気流に逆らって飛んでいるので、開け放たれた扉からは冷たい風がもろに吹き込んでくる。
貨物室とはべつに設けられた兵員室に、サンナナを身につけた二十名の空挺隊員たちが待機していた。モテギ准尉を隊長に、私、カジオ、ヤマザキ、シノダくんの五名が特攻野郎Aチーム。Bチームは去年、宇宙方面軍司令より部隊表彰を受けたサカモト隊だ。その他に二つの小隊が、後方支援のため一緒に降下することになっている。
「シノダくんは、今回が初陣だったわね」
ヘッドセットのマイクを通して話しかけると、シノダくんは目をキラキラと輝かせた。
「はい。二型を着るのもこれが初めてです。訓練で使っていたのは一型ばかりだったもので」
「着心地はどう?」
「そうですね……一型に比べると、こちらの動きに対し反応がやや鈍い気もしますが、断熱被覆がないぶん動きやすいです」
「だよねえ。一型ダサいもんね」
油圧で制御されるサンナナ一型は、空圧式の二型よりも装着者の動きに対して機敏に反応する。ただし作動油の粘度が外気温の影響を受けやすく、最低気温がマイナス百度を下回る火星では、アーマー全体を断熱材で覆ってやる必要がある。「鉄の着ぐるみ」とか「ブリキの兵隊」なんて揶揄されているゆえんだ。
それに比べて、この二型のうっとりするような造形美……いぶし銀に塗られた内骨格と、関節部分を保護するニューカーボンのプロテクター。その間にみっちり詰まった、強化ゴムチューブの人工筋肉。まるでミケランジェロのダビデ像のよう。美しい、美しいわ、筋肉最高――。
「あの……アリスガワ一曹」
「――ふぁい?」
「大丈夫ですか?」
「あらやだ、ごめんなさい。つい自分の世界へ入り込んでしまったみたい」
思わずよだれを拭こうとして、アームの先端がヘルメットの強化ガラスに、ゴンッと当たる。
「あぐっ」
兵員室の天井に取り付けられたスクリーンが、刻々と変化する地表の様子を映し出している。天気は良好、砂嵐も吹いていない。
「――降下十分前っ!」
ヘッドセットから機長の声が響く。
空中輸送員たちがサンナナへ駆け寄り、最後の点検を行う。
シノダくんの顔が緊張でこわばった。
「アリスガワ一曹、なんかドキドキしてきました」
「そんなかしこまった言いかたしないで、アリスって呼んでくれてもいいのよ。大丈夫、何かあってもお姉さんが守ってあげるから」
ヘッドセットにカジオの声が割り込んできた。
「お姉さんて……おまえ確か、あと半年で三十になるよな」
「ぶっ殺す」
ヤマザキも加勢してくる。
「ベンチプレス二百キロ上げる女に、アリスはないだろう。どちらかと言えばアンドレとか、ゴンザレスって感じだぜ」
私はモテギに言った。
「准尉、地上へ降りたらこいつら射殺してもいいですか? 大丈夫、死体はワームに食わせるから証拠は残りません。恩給が出て、家族も喜ぶんじゃないでしょうか」
「アリスガワくん、私は胃潰瘍の手術を終えたばかりなのだ。やっと普通の食事が出来るようになったのに、これ以上私の胃をイジメないでくれたまえ」
再び機長の声がする。
「一番機コースよしっ、用意、用意、用意っ!」
縦一列にならんだ空挺隊員たちが、サカモト隊長の号令に合わせ扉へ向かって前進する。
「連続歩調ととのえーっ、はい、一、二、三、四っ!」
「イチ、ニッ、サン、シッ!」
「二、二、三、四っ!」
「ニッ、ニッ、サン、シッ!」
自衛隊のこういうところ、キライ。
グレーンライトが青色に点灯して、機長が叫ぶ。
「降下、降下、降下っ!」
開放された空挺扉から、サンナナをまとった隊員たちが次々と身を躍らせる。シノダくんが飛ぶのを見届けてから、私もステップを蹴った。いきなり機外の風圧にさらされ、体がグラリと傾く。すかさず高圧ガス噴射アタッチメントが作動して、ジャイロセンサーが正しい姿勢を保とうとする。大気密度の低い火星ではパラシュートが使えないので、代わりにハーネスで固定した四つの噴射アタッチメントが、重力による加速を軽減してくれる。基本、機械任せにして良いんだけど、あまりにバランスを崩すと制御できなくなり頭から地面に突っ込むことになる。
それにしても、分担して背負わされた搬送用カプセルのパーツがすごっく邪魔!
てゆうかなんで私だけ、それとは別にグレネードランチャーと機関銃ミニミを両腕に抱えてるわけ?
この部隊は、私を女の子あつかいする気全然ない。
そもそも人間あつかいすら、されてないんじゃなかろうか?
赤茶けた地表が近づいてきた。
衝撃に備え、両足を踏ん張る。
火星の重力は地球の四割くらいしかないけど、地上三〇〇メートルから降下しているので、着地の際にはそれなりの負荷がかかる。ぼけっと口を開けていると、舌を噛んで悶絶することになる。
サンナナの両足が、ズシっと地面をとらえた。
エア・サスペンションが限界まで軋み、砂塵が舞い上がる。
いつもながらこの達成感、好き。
「さてと」
降着後はすみやかに集合地点へ移動しなければならない。ゴーグルに取り付けたマウントディスプレイで、隊員たちの現在位置を確認する。数メートル先にシノダくんがいたので、あわてて追いついた。
「ねえねえ、どうだった初降下。けっこうスリルあるでしょ?」
「……ええ、まあ」
妙に元気がないので心配になってフェイスシールドを覗き込んだら、土気色の顔をしていた。
「やだ、どうしちゃったの? もしかして怪我でもした?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
シノダくんは、しょんぼりとうつむいて言った。
「少しだけ吐いてしまって」
「なあんだ、そんなことか。ドンマイドンマイ、みんな最初はそんなもんよ。ここって地球より重力小さいから、着地のとき気合入れてないとこみ上げてくるのよね。ちなみに出撃前って何食べた?」
「牛乳と……カレーライスです」
「……」
「……」
「帰還したら、中きれいに洗っておこうね」
「はい」