アンドレイ・イワノフは村一番の時計職人だった
アンドレイ・イワノフは村一番の時計職人だった。
その丁寧な仕事ぶりは有名で、村内に限らず、村外からも多くの修理や制作の依頼が舞い込んでくるほどだった。
そんな彼の性格は真面目、寡黙といったもので、酒も飲まなければ、賭け事もしない。女遊びも当然したことがなく、唯一付き合ったことがある女性は見合い相手で後に妻となる人物だけだった。
あまりにも面白みのない彼を見て、口さがない者は、「あいつは懐中時計と同じでゼンマイ仕掛けなんだよ。だから、毎日毎日お仲間の時計をいじれるんだ」、そう言って貶すこともあった。
しかし、彼自身もそんなことは分かっていて、自分は時計をいじる以外に能のない男だと思っていたし、むしろ、そのことを誇りに思っていたくらいだった。
だから――息子が戦争に召集され、戦死したと訃報が届いた時も、娘の嫁ぎ先の土地が戦火に焼かれ、行方不明だと知らされた時も、妻が作業台に向かうことしかしない彼に失望し、家を出ていった時も――彼は、ただひたすらに懐中時計を作り続けた。
時計を作ることが好きなのか、それとも何かから逃げたいだけなのか、いつしか自分で分からなくなっていたとしても、彼にはそれしかなかった。
そんな彼が、数十年ぶりに時計に一度も触らない日を過ごしたのは、時代が変わり、その利便性から懐中時計が腕時計に取って代わられつつあった、ある日のことだった。腕時計の時代になっても懐中時計にこだわる彼のもとに舞い込む依頼は次第に減っていき、ついには途切れる日がきたのだ。
趣味などない彼はやることが見つからず、日がな一日中、誰も居ない部屋で、ウォッカの入ったグラス片手に暖炉に灯った火をぼんやりと眺めていた。そして、ある瞬間、彼は思ってしまったのだ。
懐中時計を作ってきたことに意味はあったのだろうか、と。
翌日から彼は一つの懐中時計を作り始めた。
時計を作ることしか知らない彼には、自分の気持ちを表現する術が他にはなかった。
そして、その左回りに時を刻む奇妙な懐中時計が完成したとき、彼は全ての時計工具を捨てた。
アンドレイ・イワノフは村一番の時計職人だった――これはそういうお話だ。