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神様は人の子を見る・2、夏祭りの思い出

 祭りの季節がやってきた。毎年この日は我も楽しみではある。人の子らがたくさんくるし、賑やかなのは良い。祭りが近づくと年甲斐もなくそわそわして社殿と鳥居を行ったりきたりしてみたり、屋台の準備をする人の子らをそばで眺めたりしてしまう。その様子は我を見ることのできるあの子にも気づかれていたようで、宮司と我が落ち着かぬと楽しげに話していた。だが、心が浮き立つのは止められぬ。祭り当日ともなればなおのことだ。


 祭りの日は朝からたくさん人がくる。屋台を出すものたちが境内に幕を張ったりと忙しそうに動いている。どの人も心が浮き立っているのは見ていてわかる。人の子が楽しそうだと我もますます楽しくなる。屋台の匂いや我の浮き立つ心に誘われて鳥たちが集まってくる。鳥たちは口々に祭りの祝いを述べてくれた。

 そうこうしているうちに神社にやってくる人が増え始める。だが、我を見るあの子は昼過ぎには帰ってしまった。残念なことだと思ったが、子どもたちが楽しそうにはしゃぐ様子を見て楽しむことにした。


 子どもの中には我を見ることのできるものがいる。こう人が多いと迷子は必ず出るもので、我はいつからか迷った子どもを手招きして親の元まで案内するようになった。子どもには人混みの中で手招きしている手があるように見えるが、普通の大人には見えない。子どもは親に呼ばれたと思って素直についてくる。質の悪い神ならばそのまま隠してしまうのだろうが、我は元気に親や他の子と戯れているのを見るのが好きだった。子どもにはなるべく笑っていてほしい。

 今日も迷子をひとり親の元へ送り届けると、ちょうどあの子がやってきた。隣には母親だろう女がいる。我は気づかれないようにしながらあの子の様子を眺めた。

 あまり人混みに慣れていないあの子は慣れないながらも楽しそうだった。提灯の下に立つあの子の姿にふと、我の記憶に引っかかるものがあった。

 あれは少し前の祭りのとき、やはりその時も迷子を見つけて母親のところに送ったのだ。その子どもも提灯の下に立っていた。子どもは男子で幼い容姿に似つかわしくないほど落ち着いた表情をしていた。母親と再会しても泣きも喚きもしない子どもだった。だが、母親と去るときその子が「かみさま、ありがとう」と言ったのだ。我は驚いた。人の子であれば心臓が止まるかと思うほど、というくらいには驚いた。また来ぬものかと思ったが、それ以来その子は来なかった。

 そうだ。あの子はあの時の子だ。人の子の成長は早い。あんなに小さかった子が、今ではこんなに大きくなった。しかも、本来なら成長するにつれ我らを見ることがなくなる目はそのままで。なんと喜ばしいことだろう。あの子は覚えていないようだが、それは仕方ない。あんなに幼かったのだから。また再び会えたことを喜ばねばならない。


 祭りが終わるとまたいつもの穏やかな毎日が戻ってきた。次に人が集まるのは正月かと考えていたある日、鳥たちと戯れていると突然目の前に茶とおはぎが現れた。驚いて下を見るとあの子と目があった。どうやらこれはあの子が供えてくれたらしい。我と目が合うとあの子はとても驚いた顔をしていた。確かに、今までも気づかれないようにしていたから、あの子からしたらいきなり目が合って驚いたのだろう。我はあの子ににこりと笑ってからおはぎを食べた。お供え物などどれも同じ味と思ったいたが、今日のおはぎは格別に美味かった。

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