第七話「少女の純真」
午後十時には一部を除いて蓬莱防衛隊は一番ゲットーから撤収した。そして数時間かけて蓬莱租界にある基地に戻ったのである。残ったのはイナバと議事堂を押さえた組で、翌日にやってきたビクトリア軍に引き継いだ。
ビクトリア軍は地下壕に隠れていた抵抗勢力の残党を殺し回って、完全に蜂起を鎮圧した。もっとも新聞には蓬莱防衛隊の貢献が喧伝され、良くも悪くもその名は世に知れ渡った。一方で仮面ゲットが処刑されたとも発表され、物議をかもした。
ゲットーでの戦闘の翌々日、蓬莱防衛隊基地ではレジスタンスとの戦いで命を落とした隊員の合同葬儀が行われた。
「我々はかけがえのない仲間を失った……その悲しみは癒えることはないだろう。しかし彼らの分も背負って我々は前に進まなければならない! 真に月兎族の未来を作るのは我々なのだから!」
イナバの考えた台本通り、蓬莱防衛隊の長ダイコクはスピーチした。それを大多数の隊員は感激した風だったが、訝しげに見る者もいた――ピイタである。
戯言だと彼は思っていた。この茶番を作り上げたイナバには憎悪の視線を送る。しかし彼が隊員として戻ってきたのには理由があった。
葬儀が終わった後、ピイタは医務室に向かう。扉の前でコンコンとノックして自分の名前を言うと、どうぞと返されたので中に入った。
すると髭面の軍医の他に一人、白い病衣を着た少女が立っていて、背中を向け窓の外を眺めていた。
「もう大丈夫なのか!?」
ピイタは数日ベッドで寝ている彼女しか見ていなかったので驚いた。その額に包帯を巻いた月兎族の少女は振り返る。そのあどけなさは見る者に幼く、されど儚げな印象をも与える。
とはいえ彼女こそが量産型仮面ゲットの一人であるとは、床に散らばるマスクドスーツから察せられた。そんな暴力の化身には似つかわしくない少女だったが。
「あたし……名前はテラ。それ以外のことは、何も思い出せない……」
「ドクター?」
「ああ、頭を打って一時的に記憶が混乱しているんだよ。テラちゃん、彼が君を助けてくれた人だよ」
「あたしを、助けた?」
テラと名乗る少女は少し怯えた風だった。ピイタは穏やかな声色で言う。
「僕はピイタだ。君が怪我していたから放ってはおけなかったんだ」
「耳、あたしと一緒……なぜ?」
「ああ、これ?」
ピイタは包帯を巻いた片方の兎耳を触る。
「昔憲兵に撃たれた古傷だよ。気にしないでいい」
「痛そう……あたしも痛い。大丈夫?」
労わるつもりが逆にそう言われたので、ピイタは少し驚いた。彼女の優しさは幼さ故か、それとも残酷な世界の記憶を封じられた故か。
どうしてもピイタは重ね合わせてみてしまう、亡き妹のフモカと。
「大丈夫だよ。傷自体は痛まない。君もすぐよくなる」
「そう、なのかな……あたし怖い」
少女は僅かに震えていた。ピイタはゆっくりと歩み寄り、彼女の肩を抱いた。
「大丈夫。僕が君を守るよ」
優しくピイタは言った。ちょうど妹にしてやるように。だがそんなことをしている自分に嫌悪感が湧いて、彼女から手を離した。
――何をやっているんだろう、僕は。彼女はフモカではないのに。
ふと彼は思い出す。仮面ゲットの、カグヤの視線を。自分が今していることを彼女がしていたのではないかと思い当たる。
「仮面ゲットは、死んだんだな……」
心の声を漏らすピイタ。彼が納得する一方でテラは訊く。
「仮面ゲットって、何?」
「これは何?」
基地の庭でテラは飛んでくる虫を捉え、傍のピイタに訊いた。
「ああ、それは蝶だよ」
「蝶?」
テラが人差し指を差し出すと、一羽の蝶はその上に止まる。しかしすぐ飛び去ってしまう。
そうしたら、ニャーという鳴き声が聞こえて、テラの兎耳が反応した。
「今の音、何?」
「多分猫だよ。基地の中にいるのか」
生い茂る緑の中からひょいと、野良猫が顔を出した。少女は興味津々な様子で見つめる。
「これが猫……かわいい」
テラは撫でるなり何なりしようとゆっくり近づくが、猫は自由気ままでまた隠れてしまう。引っ込み思案な奴だとピイタは言う。
「引っ込み思案って何?」
「うーんそうだなぁ、内気で積極的に行動を起こす奴じゃないというか……」
「勇気のない者のことですよ」
そう言ったのは通りがかりのイナバであった。和やかだった場は途端に張り詰める。ピイタは彼女をじろりと睨む。
状況をよくわかってないテラだが、人見知りなのか、それとも本能的にイナバを恐れたか、ピイタの後ろに引っ込んで隠れる。
「そう怯えなくとも、取って食ったりはしませんよ」
「イナバ……」
「彼女の様子はどうですか? ピイタ伍長」
ピイタは昇進し、テラの世話をするという特別任務が与えられていた。その待遇でもって彼に防衛隊へ戻ってきてもらったのだ。
「記憶はまだ戻っていませんが」
「そうですか、実戦で使えそうですか?」
「……テラはマスクドスーツを着るのを嫌がります」
意識が戻った際真っ先に量産型マスクドのスーツを脱いだとはピイタも軍医から聞いていた。そしてテラは二度と着ようとしない。無理に着せようとすると嫌と暴れるのだった。
そうですか、とイナバは感情を込めないでその話を切り上げようとした。だが逆にピイタの方が突っ込んだ。
「あんたはテラを使ってまた何か企んでいるのか!?」
「彼女は貴重な切り札です。だから今は好きにさせています。わかりませんか?」
「なっ……」
イナバの赤い眼はピイタとその陰に隠れるテラを射抜く。
「ピイタ……」
話をよくわかっていないテラだが心配そうに声を掛ける。
「今は平和ですね。何も起きなければいいのですが」
何かが起きたなら問答無用でテラを使う、そういう風に言ったのだとピイタは受け取る。
「そう睨まなくても私は行きますので」
イナバは立ち去り、緊張が解ける。怖い顔をしていたピイタもテラを不安がらせたくなくて笑顔を作る。
「大丈夫だよテラ。きっと記憶もすぐ戻るし、それに……」
ずっと一緒にいる、そこまでは言いきれなくてピイタは口籠った。するとテラはあどけない顔で彼を覗き込む。
「ピイタは大丈夫?」
「えっ、ああ。気にしなくていいよ」
テラの無垢さにピイタは心を打たれた。ああ、彼女だけは守ってやらないと――
しかし彼は悟っていたかもしれない。こんな時が続くはずはないと。
テラが目を覚ましてから一週間して包帯も取れた頃、ピイタは彼女と共に休暇を取るようイナバから命じられた。
それは基地の外からの刺激でテラが何か思い出すかもしれない、という計らいだったが、退屈していた少女はただただ喜んだ。一方でピイタは不安になった。蓬莱租界の「刺激」は生易しいものではないと知っているからだ。
ピイタは娼館の用心棒時代に着ていた黒スーツに着替え、テラは女性隊員が持っていた白いワンピースを借りた。そうして昼の街に繰り出す。
夜の租界と比べればギラギラとした雰囲気は薄れていた。大通りを車がせわしなく走る。往来するのはビクトリア人が多く、白い目で見られているようにピイタは感じた。しかしテラは気にせず上機嫌に彼と腕組みする。
ピイタは同僚からもらった地図を頼りにある場所を目指した。そこは繁華街にあって見る者を圧倒させる、大デパート「三千世界」。この世のあらゆる娯楽が集う場であった。テラは目を輝かせる。
「大きい……何?」
「ごめん、僕にもわからない。行ってみないと……」
ピイタはテラを連れて中に入る。縦に横にも広いフロアにはエレベーターが備えられ、最新の設備となっていた。
そこでピイタは服を売っているコーナーを探した。自分とテラの新しい普段着を買うために。しばらく歩き回ってようやく見つけると、少女はますます上機嫌になる。
「いろんな服がいっぱい! 全部着たい!」
「全部は無理だよ。どれかにしなきゃ」
「じゃ、あれは?」
テラが指差したのは詰襟で横に深いスリットが入った、体のラインにピッタリなワンピースであった。女性のファッションとしては最もモダンな服だとはピイタも知らない。しかし彼女がえらく気に入ったのでそのタイプの服をいくつか見繕ってどれにするか決めさせた。一方で自分の服はラフで地味なシャツにした。
そこの店員はシン人で服を買う時に一瞬嫌な顔をされたが、ピイタが金を払えば文句も言わなかった。テラはすっかり舞い上がって店員の差別意識など素知らぬ。
「早く帰って着たい!」
「じゃあもう帰るか? これからがお楽しみなのに」
「楽しいこと? 何?」
「僕もよくわかってないけど、とにかくすごいらしいから期待だな」
今後のことを考えればワクワクする気持ちを抑えられない自分を発見するピイタだった。彼もまだ18歳の若者なのである。
二人はエレベーターで上の階に上がった。すると期待膨らむ彼らを待ち受けていたのは映画館であった。
当然、テラは勿論ピイタも映画なんて見たことがない。それでも噂話を聞いていつか見てみたいと彼は思っていた。実際にそんな日が来るとは思ってもいなかったが。
だが映画館の入り口にいるインダス人のもぎりが露骨に差別心を露わにして、通せんぼする。
「おい、汚らしいウサミミは入るな。ゲットーに帰れ」
「居住許可証はある」
「水仙のでっち上げの奴だろ」
「僕らは蓬莱防衛隊の者だ」
「証拠はあるのか?」
こんなこともあろうかと、ピイタは階級章のバッジを見せる。しかしその意味をもぎりには理解できなかった。
「本当に使われてる奴なのか? 仮にお前が蓬莱防衛隊だとしても、そっちの娘は違うだろ」
「テラは……妹だ。映画ってものを見せてやりたいんだ。なんとかならないか?」
テラは無防備に純真な顔をもぎりに向ける。最終的にこのインダス人は二人の入場を認めた。
「妹って、何?」
シアターに向かう途中、テラが訊いた。ピイタは不意を突かれ一瞬動揺するが、すぐ冷静になった。
「ああ、同じ親から生まれた子供のことだよ」
「あたし、ピイタの妹なの?」
フモカの顔がちらついて、ピイタは答えに詰まる。結局彼は別の言葉でテラの気を逸らさせた。
「ああ、もうすぐ映画が始まる。静かに見ような」
二人は席に座る。目の前には大きな白い壁があって何もないように見える。だがそこに映し出される。モノクロの異世界が。
「月世界への旅、始まり始まり~」
スクリーンの傍に立っていた解説役の弁士がタイトルを言った。無声映画のストーリーをこの弁士が物語るのだ。
色もないとはいえ、いきなり現実のような光景が広がって、ピイタは目を奪われる。さらに現実ではありえないことが起き始めて、ただただ驚嘆する。
その物語は六人の学者が弾丸のような船に乗り込み、大砲で打ち上げられて月へ向かい、月に住む人と遭遇して襲われるがこれを撃退し、地球に戻ってくるという話だった。月人は兎の耳のような突起をつけた仮面を被ってアクロバティックに動くので、ピイタは仮面ゲットを思い出す。ふと横にいるテラを見ると、彼女は涙を流していた。その理由は誰にもわからない、本人でさえ。
ただ映画館を出ると、テラは大声で思いを口にした。
「すっごい! すごかった!」
「うん、良かった。こんなに面白いとは思わなかったな」
ピイタも率直に同意した。テラはまだ興奮気味である。
「でもどうして、お月さまにあたし達が?」
テラの言い方にピイタは少し引っかかるものがあったが、あたし達とは月兎族のことだろうと解釈した。
「僕達の先祖は月に住んでいて、何千年も前にここ、蓬莱島に降りてきたって伝えられている。だから今でも月に残った月兎がいるんじゃないかな。でも月になんて行けないからわからないけど」
「なんで? みんな月に行ってたよ」
「それはその……映画だから、本当に行ったわけじゃないよ、多分」
ピイタはある程度映画がフィクションだと感じていたが、テラにはそれがわからなかった。
「いつか一緒にお月さまに行こうね、ピイタ」
何も知らない少女はすっかりその気になっていた。ピイタは約束できず、無言を貫く。
そのままデパートを出ると、まだ幾分か時間があった。するとテラは空に伸びる塔を指差して、あれは何かとピイタに訊いた。
蓬莱租界のシンボル、全長七十メートルの楼閣、嫦娥タワーである。
「あそこに行きたいのか?」
「うん!」
「まだ日は落ちてないし……行くか」
二人は嫦娥タワーを目指し、歩き始めた。思ったよりも遠く、ピイタは少し疲れを感じたが、テラがぐんぐん進むので置いていかれぬよう努めた。
嫦娥タワーを下から覗いたら、巨大な鉄の塊が太陽にも届きそうで見る者を圧倒させた。ピイタは受付で通行料を払い、展望台へと続くエレベーターにテラと二人で乗った。
展望台に着くとテラは目を輝かせ、ガラス窓に張り付いた。
「ピイタ見て見て! すっごい高い! 遠くまで見えるよ!」
「あまり騒がないように……」
ピイタは他のビクトリア人の客からじろりと睨まれたので小声で注意する。だが彼も内心ではテラと同じようにワクワクしていた。あの蓬莱租界があんなに小さく見えるなんて――
けれど租界の外のゲットーが遠くに見えた時、ピイタの表情は凍り付く。そして周りのビクトリア人達を見た。彼らは何も感じないのだろうか?
「ピイタ、どうしたの? 怖い顔」
「ああ、うん、何でもないよ」
ピイタは笑顔を取り繕うが、テラは見抜いていた。
「何か嫌なこと、あった?」
「まぁ……僕はゲットーの生まれで、三年前に故郷を失ったから……その跡が見えると辛いというか……」
「ゲットー……一番ゲットー……」
テラは何かを思い出そうとして、頭に右手を置く。彼女の兎耳がかすかに震えていた。
「あたし……知ってるんだ……でも思い出せない、思い出せないよピイタぁ」
ついに彼女は泣きだして、ピイタの胸に顔を埋める。
「ごめん、僕が悪かったな……無理に思い出そうとしなくていいんだ、テラ」
ピイタは少女の背中をさすり、宥めてやる。
結局テラが記憶を取り戻すことはなく、二人は嫦娥タワーを降りて帰途につく。空が夕焼けで赤く染まる。ふと彼女は言った。
「今日、すごく楽しかった! 今日のこと、絶対忘れないよ。何も思い出せないけど……これからのことは覚えているから」
「そうだな……これから思い出を作っていけばいいさ」
「ピイタといると楽しい。楽しい思い出でいっぱいにしたいね」
テラはピイタの腕に組んでいた腕を離し、数歩先に歩いて振り返り、はにかんでみせた。
彼女の笑顔を守るためならどんなことだってしてみせる――そう思えてならないピイタだった。
しかし実際に力を持っているのはテラの方で、ピイタはまた無力を思い知らされることとなる。その一カ月後に――
死んだはずの仮面ゲットが蘇ったために。




