第四話「蓬莱防衛隊」
オキナ邸に戻ってきたカグヤは強制覚醒増幅装甲を脱ぎ、ベッドに倒れ込んだ。疲労が限界を迎えそのまま眠りに落ちるが、たちまち悪夢にうなされる。
フラッシュバックする燃え盛る故郷。カグヤが住んでいたそこはビクトリア帝国に対抗してゲリラが立て籠もる山間部の村だった。しかしとうとうビクトリア軍の攻勢の前に陥落した。
両親が戦士でカグヤも戦おうとしていたが、父母から幼い弟のアポロを託され渋々村に残った。しかしビクトリア軍が村にまで攻め入る段階になれば彼女は弟を連れて山を下りようとした。
その途中、近くにビクトリア兵の追っ手が来ていると察知したカグヤは、アポロを置いて兵士達にナイフ一本で突貫した。奇襲は成功しカグヤは四人の兵士を倒してみせる。だが弟の下に戻ってきた時、彼女は最悪の結果を見たのだ。
――頭を撃たれ絶命した弟の躯。
その無残な姿を何度も何度も夢に見て、カグヤは悶え苦しむ。
「アポロ!」
「またかね」
彼女がハッと目を覚ましたら、ベッドの横の椅子にオキナが座っていた。
「やはりセーフティ解除の負荷は大きいか。随分疲れているようだな」
「ああ……」
カグヤは否定はしない。強制覚醒増幅装甲は身体能力を限界まで高めるが、無理な強化が平気であるはずもない。狂花月餅で薬物強化された改造人間と本質的には大差なかった。
しかし負けるわけにはいかない。自分の身体を労わるカグヤではなかった。
「月天重工は強制覚醒増幅装甲を見よう見まねで作ろうとしている。それを改造人間に着せて、『量産型仮面ゲット』を作る気だ。この先は厳しくなるだろうね」
「問題ない」
「そうこなくては」
オキナは拍手する。対してカグヤは考え込んでいた。これからどうするのか、全くビジョンが湧かない。ピイタには拒絶されてしまって、戦う意義もなくなっていた。
「ピイタ君を連れてこれなかったのは残念だが、君は娼館に囚われた同胞を救ってみせた。紛れもなくウサミミの英雄なんだよ、仮面ゲットは」
カグヤの葛藤はお見通しで、オキナは焚きつけるようなことを言う。
仮面ゲットとして、自分を殺して生きていくべきなのか。それとも――だが仮面ゲットであることから逃げ出して普通の暮らしをするなんて、到底できないことはカグヤにもわかっていた。
「今は休むといい。次の戦場が君を待っている」
オキナは部屋を出て行って、カグヤ一人になる。
「次の戦場、か……」
彼女はピイタのことを忘れたくて、今後のなりふり方を考えることにした。
「いい加減解放してくれませんか。話せることは話しました」
「いいや、本当に仮面ゲットとは初めて会ったのか? 大体貴様は居住許可証もなくあそこにいた。水仙でもないんだろう? だったら帰す理由がないぞ、わかっているのか!」
ピイタはビクトリア憲兵本部の一室で尋問を受けていた。それは下手すれば拷問に代わりかねない雰囲気があった。憲兵は威圧的な態度で彼をじろりと見る。
水仙に入っていれば多少の賄賂で出られただろう――ピイタは歯ぎしりをする。水仙とはゲットーから蓬莱租界に出てきた月兎族の寄り合い所帯がやがて月餅市場を支配して資金源とし、巨大化した秘密結社であった。ほぼほぼやっていることは売春・麻薬・賭博で時には暴力を振るう、マフィアと同じだ。憲兵とも癒着しているのは言うまでもない。
ピイタがいた娼館の主は水仙にみかじめ料を払うのを嫌って独自に用心棒――つまり彼を雇っていた。それが寄る辺を失った彼を窮地に陥れる。
「さぁもう一度最初から聞こうか? 貴様は仮面ゲットの何を知る?」
強面の憲兵はわざとらしく机を叩く。しかしピイタは洗いざらい喋らなかった。今から三年前、確かに仮面ゲットに助けられた恩義があるからだ。
「同じ話を二度するのは無駄じゃないですか?」
「貴様! 何を言うかこのウサミミが! ゲットーに強制送還されたいか!」
ピイタの胸ぐらを憲兵は掴む。と同時に扉が開いて別の憲兵が入ってきた。
「おいウサミミ、お前の身元引受人が現れた。行っていいぞ」
「なんだと?」
同僚に対し納得がいかない様子の憲兵だったが、やがてピイタから手を離した。
「ケッ、グッドラックだな、てめぇ」
捨て台詞を聞くピイタだが、状況がよくわからなくて素直に喜べなかった。身元引受人だって? 一体誰が? 見当もつかないのだから。
憲兵本部の外は雨がパラパラと降っていた。出入口でピイタを出迎えたのは、右手で傘を差して左手には別の傘を持っている、月兎族の青年だった。黒いスーツに黒いネクタイの、喪服のような恰好をしていて、ピイタには死神のように見えた。
「水仙の者か?」
「そうとも言える」
ピイタの質問に死神じみた青年は曖昧に答える。だが本能的にピイタはわかってしまった、彼は決して裏社会の人間とは言えないと。目が違う。ヤクザ者はもっとギラギラとしてそれを隠さない。だがこの青年にはどこか品の良さがあった。
傘を差した青年はピイタにもう一つの傘を投げて寄越す。
「アクセルだ」
彼は名前を言った。それ以上でも以下でもないという風に。
「……僕はピイタ」
「知っている。俺と来てもらう」
「どこへ?」
「着けばわかる」
「逃げ出そうとしたら、どうする?」
アクセルは空いた左手をスーツの懐に入れてみせる。拳銃を隠し持っているのがピイタにはわかった。だから大人しく傘を差し、雨空の下に歩む。
アクセルに連れられピイタは意外な場所にやってきた。
蓬莱租界の港に近く、かすかに潮の香りがする。ピイタの目の前には広いグラウンドとその中央にある大きな館があった。ここは学校か、いや違う。門には文字が刻まれていた。蓬莱防衛隊基地、と。
雨は上がっていた。ぬかるんだグラウンドを走る集団がいる。その誰も彼もが兎の耳が生えている月兎族なことにピイタは驚く。
「アクセル、ここは一体……」
文字の読めないピイタは状況を飲み込めていなかった。
「蓬莱防衛隊。月兎族で編成された予備の軍隊だ。治安維持を目的とし、毎日演習をしている」
「そうか、ここが防衛隊の……」
噂では知っていたピイタだったが、実際にこうして基地の中に入るのは初めてだった。それと同時になんとなく自分を待ち受けているのが何なのか、わかりかけてきた。
同族ばかりとはいえ、軍隊なのである。そこに連れてこられたということは、尋問以外にあり得ない。
――もっともそれはピイタの勘違いであったのだが。
正面玄関から蓬莱防衛隊本部に入る二人。そこでアクセルは傘を返すよう言い、ピイタはその通りにする。それ以外のことはお互い喋らず黙々と進む。
途中でピイタは何人かの隊員とすれ違った。皆カーキ色の軍服を着て、やや年上の青年もいれば、同い年くらいのしかも女性もいた。そして全員アクセルを見ると右手を挙げて敬礼した。アクセルの階級が高いのだろうかとピイタは思った。
階段を五階まで登ってようやく、ある扉の前でアクセルは歩みを止めた。彼がノックすると入りなさいという男の声が聞こえてきた。
アクセルは扉を開け、ピイタを中に入れると閉めた。
「ようこそ蓬莱防衛隊へ。君の名前は?」
部屋にはすでに二人の男女がいた。ピイタに話しかけたのは恰幅のいい男の方で黒い軍服に身を包んで立っていた。兎の耳がなく、金髪のビクトリア人だ。
「ピイタです」
「そうか、よく来たピイタ君。私は蓬莱防衛隊隊長を務めるダイコク、階級は一佐だ。よろしく」
ダイコクが握手を求め、ピイタは応じる。思わぬ歓迎に戸惑うが、ダイコクではなく奥にいる女の方につい注目してしまう。
そいつは椅子に座って足を組んで煙管を手にしていた。随分と偉そうである。月兎族に違いないのだが珍しいことに白髪で目が赤く、軍服も白いものだからまるで冬の白兎のようであった。さらにピイタを驚かせたのは、自分より年下の女の子に見えることだった。
「私はイナバ。ダイコク一佐の秘書をしています。よろしく、ピイタ君。そしてご苦労様です、アクセル二尉」
そいつは秘書だと言ったが、どう見ても力関係が逆のようであった。アクセルは彼女に敬礼する。実質蓬莱防衛隊を仕切っているのは彼女だ。幼く見えるのは童顔で小柄なだけで、歳はピイタよりずっと上だなんて彼には知らぬことである。
「似ている……」
イナバはまじまじとピイタを見た。
「三年前、君は租界で仮面ゲットに会わなかった?」
「えっ」
動揺して思わずピイタは声を漏らした。イナバはクスクス笑う。
「当たりましたね。実を言うと三年前に仮面ゲットがある少年を助けた時、目撃者から少年のスケッチを取っていたんです。ああ、これはうちが独自にやった調査でビクトリア憲兵には行き渡っていない情報なのでご内密に」
ピイタは狼狽えて顔に汗をかく。イナバの赤い眼は真っ直ぐ彼を見据えていた。まるで兎などではない肉食獣のように。
「別にだからどうとは言いませんが……ただ君と仮面ゲットには強い運命を感じます。なので彼……いえ彼女かもしれませんが……仮面ゲットを追う身としては協力してほしいですね」
「協力……だって?」
「正確に言えば入隊してくれませんか? 防衛隊には君のように若くて戦い慣れている者が必要なんです」
「断ると言ったら?」
「憲兵が捕まえてゲットー送り、とどちらがいいですか?」
そう言いながらも生かして返さないような圧力をピイタは感じる。なにしろ背後のアクセルが凄まじい殺気を発していたからだ。
ピイタもここで争う理由を見つけられず、この状況を受け入れる。
「入隊します。これでいいですか」
「ええ。賢明です」
「改めて蓬莱防衛隊にようこそ、よろしく」
ダイコクが再び握手を求めた。それに応じながらピイタは内心あのイナバという白兎は何を腹に抱えているかわからないと恐れる。
「アクセル、彼を部屋に連れて行きなさい。それと後でメイ三尉に基地の案内役を引き継いでもらえますか」
「ハッ」
アクセルは敬礼した後、扉を開けた。来いと短く言ってピイタにも退室を促す。
「君には期待していますよ、ピイタ」
イナバは笑顔を向ける。それがまたうすら気持ち悪いとピイタは思いながら、アクセルの後に続いて部屋を出た。
扉が閉まる。するとダイコクはイナバに傅いて口にする。
「姫様、あの若者をどう使うおつもりで」
イナバは微笑むだけで問いには答えない。だがやがて目的を言った。
「……仮面ゲットは我々が手にする」
ピイタはアクセルに連れられて自分の部屋というものに入った後、入れ替わるようにしてメイという隊員に連れ出された。
メイは彼より少し年上の女性だった。物腰柔らかい口調で基地内を案内する。
「それでここが食堂です。いいですかピイタさん、防衛隊に入ればちゃんと食べられるから安心してください。その分しっかり働いてもらいますからね!」
「ああ、うん」
「あまり乗り気ではないのですか?」
不意に問われ、ピイタは正直に答える。
「他の選択はなかった……ゲットーには帰れない」
「そうですよね。私、実は七番ゲットーの出身なんです」
「七番ゲットー?」
久しくその名を聞いていないピイタだった。彼が失った生まれ故郷。妹のフモカが惨殺される光景がフラッシュバックする。
「どうしたんです? 顔色悪いですよ」
「ああ、大丈夫……ただ、僕も七番ゲットーにいたから……」
「浄化作戦の話を聞いた時は私も動揺しました。まさかとは思いますが、あの時」
辛うじてピイタは首を縦に振って回答とする。
「すみません、嫌なことを思い出させてしまいましたね……」
「いや、もう終わったことだから」
そう思うことで折り合いをつけてきた――ピイタは過去をあまり振り返らないように生きている。しかし嫌でも古傷が痛む。彼は包帯を巻いた方の兎の耳を軽く触った。
「それでは次の場所に行きましょうか」
メイは彼の傷口には触れずに案内に徹しようとする。それがピイタにはありがたいことだった。
一通り回って説明を受けたところで、明日からの訓練に備えよということでピイタは解放された。自分の部屋に戻って一人になる。
彼は考えていた。この先どうするのか――防衛隊に入って、いざという時は戦うのか? 仮面ゲットと――
いや、勝負になるはずもない。どんな軍隊も彼女には敵わないことを一番知っているのが自分なのだ、とピイタは思い込む。それでも娼館で再会した時戦おうとした自分がいたことを思い出す。
カグヤのやり方は正しくない、確かにそう感じた。ピイタはあの力を手に入れられるものなら手に入れたいと思う。
「協力、か」
イナバはそう言っていた。蓬莱防衛隊に入ったことを上手く利用して、仮面ゲットに近づけないかと考えるピイタだった。
防衛隊の仕事がどれほど残酷かまでは考えが及ばなかった。