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第三話「再会は嵐のように」

 一見(きら)びやかに見える蓬莱租界(ほうらいそかい)も、街灯のない路地裏に入れば深い闇が横たわっていた。


「はぁ、はぁ」


 今その闇に一組の男女が踏み込む。夜も(まぶ)しい租界の光から逃れるように。

 男の方は褐色の肌のインダス人。女の方は頭に兎の耳を生やした月兎(げっと)族で、肩出しのボディスーツに網タイツを合わせた格好をしていた。いわゆるバニーガールと呼ばれる娼婦である。首輪を付けているのは野良娼婦ではなく娼館の所有物の証であった。それが男に連れられ店の外を走っているということは、そういうことである。

 二人はロマンスなど感じていられないほど、逃亡に必死になっていた。当然追われているのだから。

 しかしこのインダス人は地理に詳しくなく、迷路のような路地に翻弄されて、結局行き止まりに突き当たってしまった。もっとも、そう追い詰めるように追っ手が仕組んだのだ。男女が振り返ると、コツコツと革靴の音を立てながらにじり寄る者を前にした。

 そいつもまた、月兎族の青年だった。しかし仕立ての良い黒いスーツを着て、赤い蝶ネクタイをしている。さらに特徴的なのは、兎の耳の片方に包帯を巻いているところだ。


「片耳のピイタ……」


 バニーガールは恐怖を込めてその名を呼んだ。


「お客さん、うちの商品は持ち出し厳禁です。そのことはご理解いただけていると思っていましたのに」


 ピイタはつかつかと歩いて娼婦に近寄る。彼女を(かば)おうとインダス人の男は手を広げて前に出る。


「見逃してくれ、頼む! あんただってウサミミならわかるだろう? ジェニーがどんなにかわいそうな目に遭ってるか。俺はウサミミも人間も同じだと思ってる。だから……ぇぶ!」


 男は顔面を思いっきり殴られ、吹っ飛ばされた。折れた歯が宙を舞う。ピイタはすぐハンカチをポケットから取り出して、拳に付いた返り血を拭いた。

 それからバニーガールの方に近づく。ジェニーという名の娼婦は恐怖のあまり震えていた。だが首輪に結ばれた紐をピイタに引っ張られた時、我に返ったように抵抗しようとする。


「いや、戻りたくない! 助けて!」


 ジェニーが喚くが大通りを行き交う人々には決して届かない。ピイタは思いっきり首輪の紐を引っ張って彼女の首を手繰(たぐ)り寄せ、根っこを掴んだ。


「旦那はインダス人だからあれで済むが、ウサミミのお前は殺されても仕方ない。わかるな?」


 ドスの効いた声と剣幕にバニーガールは打ち震え、失禁した。彼女はコクリと一回頷くと項垂(うなだ)れる。ピイタは首輪の紐を引っ張り、強引に連れ帰る。

 彼はトラブルの絶えない娼館で荒事を解決する、いわば用心棒をやっていた。あの七番ゲットー浄化作戦の後、ゲットーの跡地にいられずに蓬莱租界に出てきて、空腹で死ぬ直前に娼館の主に拾われたのだった。それからもう3年が経つ。

 月を見上げ、彼は思う。一体自分は何をやっているのだ――妹のフモカを亡くしてなお生きようとする自分が時々わからなくなる。正しいことをしているとは到底思えない。

 こういう仕事で妹と同じくらいの歳の同胞を痛めつけ尊厳を踏みにじることは、彼をひどい気分にさせた。しかし他の真っ当な職になど就けるはずもなく、悶々とした日々を送る。

 バニーガールを連れたピイタは路地裏から街灯眩い通りに出て、人ごみに混じって娼館への帰途につく。

 この辺りはあまり治安がいいとは言えず、野良娼婦が男を引っ掛けようとしていたり、麻薬月餅(げっぺい)の中毒になっている者が転がっていたりする。並んでいる店も賭博場か娼館が主だ。ビクトリア人の上流階級はあまり近づかず、よってインダス人かシン人が多い。そんな彼らの下に月兎族がいて、働いていた。ゲットーから出稼ぎに来たか、あるいは人(さら)いに遭って連れてこられたか。

 ピイタはゲットーに行って見た目の良い月兎族の少女を攫ってくる、通称兎狩りもやっていた。娼館の主の護衛としてだけでなく、同じ月兎族として相手を油断させ誘き寄せるという、阿漕(あこぎ)な仕事だ。だから「片耳のピイタ」は娼婦達から恐れられ、憎まれている。

 ジェニーを連れ戻したピイタは今の自分の家とも言うべき娼館の表口から堂々と入った。一階ロビーは広々として、左右には格子窓の部屋が張り出していた。その中にバニーガール達が座っていて、それぞれが客を蠱惑(こわく)してみせていた。客はその中から気に入った娘を選び、二階に上がって一時を過ごす仕組みだ。しかしピイタが入った途端何人かの娼婦は営業スマイルを忘れ彼を(にら)むか、絶望の表情を一瞬した。動じないのは諦めている者だった。

 裏口から入らなかったのは、他の娼婦への戒めである。ピイタはすっかり娼館の暴力装置が板に付いていた。


「ここに連れてくるなよ片耳、お客さんがいるだろう!」


 彼を待っていたロビーの受付の男が咎める。男はシン人だったので月兎族のピイタを下に見ていた。

 だがピイタは男を無視して、階段を登ろうとした――その時、バニーガールと客が大勢雪崩(なだ)れ込んできた。喚き叫びながら。


「出た! 出たぁ!」

「な、何だ?」


 人込みをピイタは避けるが困惑する。一体何が「出た」のか。そして彼は久しい名を聞いた。


「仮面ゲットだ!」




 数刻前のこと、娼館の三階主人の部屋で、娼婦の世話役がオーナーに報告していた。


「……というわけで、ジェニーを連れ戻すようピイタを向かわせました」

「そうか、それなら問題ない」


 立派な椅子に座る娼館の主はでっぷりと肥えたビクトリア人の男だった。一方でインダス人の部下の方はひょろ長く猫背で、まるで(ねずみ)のような顔をしている。


「本当に大丈夫なんですか、ウサミミに任せて」


 部下はピイタを信用ならないと言った。それは彼が雇われてまだ日が浅いからだった。主人は煙管(キセル)(くわ)え、月餅の煙を吹きかけた。


「なぁにウサミミは健気だ。恩を売れば忠実に働いてくれるのだよ。ピイタは一度も間違えたことはない」

「そうですか……」

「それより君も吸わんかね」


 上機嫌な主に対し内心仕事中に麻薬をやりやがってと苛立つ部下だったが、決してそんなことは口に漏らさず苦笑するのみだ。


「生憎持ち合わせが……」

「なら私のを」


 娼館の主はゆっくりと立ち上がり、棚に飾っている煙管のコレクションから一つを取り出そうとした。しかしそれは叶わなかった。

 突然窓が割れ、殺戮者(さつりくしゃ)が現れたのだ。

 その白色を基調として赤青の差し色を入れた強制覚醒増幅装甲を身に(まと)うは、あの仮面ゲットに他ならなかった。そいつが窓から部屋に入り、二人の男を見()えていた。


「げ、幻覚か?」


 日常的に月餅を吸い過ぎた主人は嘘か真かわからないまま、顔を掴まれ棚に叩きつけられて絶命した。頭がぐちゃぐちゃになって倒れる主を見た部下は恐れおののく。彼は正常なのである――しかしこの場合は余計可哀想とも言える。


「仮面……ゲッ!」


 叫び声を上げるが途中で遮られた。仮面ゲットのハイキックが男の頭を潰してしまったのだから。

 そのまま仮面ゲットは部屋を出る。三階には他に一番人気の高級娼婦がもてなす部屋があった。そこに入るとちょうど娼婦が踊りを披露していてビクトリア人の客が四人、感心していた。けれど仮面ゲットの姿を見たなら、客達は血相を変えて逃げ出した。

 娼婦だけは逃げ出さず、仮面ゲットを睨みつける。


「あなた、土足で踏み荒らしてはいけませんよ。営業妨害です」

「もうここにいなくていい。あなたは自由だ」


 仮面ゲットはずかずかと近づいて、娼婦の首輪を千切りとった。


「自由? 今更自由なんて……」


 しかしこの高級娼婦は身動き一つしなかった。仮面ゲットは彼女を置いて二階に降りた。

 二階は多数の部屋があり、一つ一つ入る仮面ゲット。そして客は殺されるか逃げるかで、バニーガールは首輪を外され解放される。そんな様子が知れ渡ると皆して廊下に出て階段に押し寄せた。

 ――逃げろ逃げろ。叫び声は止まない。

 二階が空っぽになると、仮面ゲットは一階に降りてきた。そうして彼女はピイタと再会した。


「カグヤさん……いや……仮面ゲット!」

「あなた達は自由だ。お行きなさい」


 仮面ゲットはピイタを無視して、格子を手で捻じ曲げ、バニーガール達の脱出口を作った。すると中にいた娼婦達は我先に逃げ出す。

 その様子を見たジェニーも動揺するピイタの隙を狙い、首輪の紐を持つ彼の手を解き、逃げていく仲間達の輪に入った。


「あなたは、何をしているんだ」

「君を解放しに来た」

「僕を……? なんで、今になって!」


 ピイタの糾弾はもっともだとカグヤも思った。3年前、少年にもう関わるべきでないと去っていったのはカグヤの方だ。しかし3年の間ずっとピイタのことが気掛かりで、だんだんと心変わりしていったのだ。

 彼を助けたい――ようやく消息を掴めたなら、考えるよりも先に行動していた。


「もう遅い、他に行き場がないんだよ! バニーガール達だって……野良娼婦か乞食になるだけだ、こんなことしたって誰も救われない。わかるだろ、なぁ!」

「それでも、君を迎えに来た。私と共に来い」

「行けない!」


 ピイタは拒絶する。しかし仮面ゲットに抗う術は彼にはなかった。それでもファイティングポーズを取り、距離を開ける。それは彼の意地に他ならない。


「ピイタ……」


 対して仮面の下では狼狽(うろた)えるカグヤだった。ピイタにこう拒まれるとは考えていなかった。己が短慮を呪う。しかしここまで滅茶苦茶にしてしまっては引っ込みがつかないので、力づくでも連れ出そうと彼女も構える。

 相対する二人。その間に飛び込まんと、娼館の入り口から一人入ってくる者がいた。軍服を着たビクトリア人の男だ。通報があって表はビクトリア憲兵に封鎖されていた。


「思ったより早く会えたな、仮面ゲット! 出口はない。貴様の墓場はここだ」


 男は長身で筋骨隆々としていて、いかにも(いか)めしい軍人だ。右手に煙管を持っている。

 超越した力を待つ仮面ゲットにはいくら憲兵がかかっても無意味に思われた。だがその男は自信満々に出入口を封じている気でいる。カグヤはピイタから目線を外してそいつに注目する。ただの馬鹿か、あるいは――

 男は煙管を口に咥え、煙を吐いた。するとたちまち上半身の筋肉が膨れ上がり、上着が破れ弾けた。人間とはとても思えぬ異様な姿に変身する。


「一体なんだ?」


 ピイタは呆気にとられる。次の瞬間には男は仮面ゲットに接近していて、思いっきり腹を殴りつけていた。その瞬発力はカグヤも予想外でもろに食らってしまい、吹っ飛んでロビー奥の受付に叩きつけられた。


「狂花月餅が仮面ゲットに並ぶ速さと力を授ける! いや、超える、か。噂ほどではなかったなぁ!」


 男はビクトリア軍の開発した改造人間で、しかも特殊な麻薬で身体のリミッターを外し極限まで強化されていた。常人では束になっても敵わない仮面ゲットに対抗すべく。そして今、その力を見せつけた。

 しかしそれで倒れる仮面ゲットではなく、ゆらりと立ち上がる。そして彼女の方から男に殴りかかった。猛スピードで振るわれるパンチは鉄塊をも砕く、が男は横に移動して一撃をかわし、さらにローキックで反撃する。仮面ゲットはジャンプしてそれを避け、天井を蹴って男の頭上から強襲する。相手はまた距離を取って、攻撃を外した仮面ゲットが着地する。


「見える、見えるぞ、俺には貴様の動きが見える! ぬるいなぁ仮面ゲット!」


 改造人間は(わら)う。だが彼は仮面ゲットを侮ってしまった。


「セーフティ解除。強制覚醒増幅装甲、フルパワー」


 仮面ゲットの強制覚醒増幅装甲各部にある溝が血を流したみたいに赤くなった。すると一瞬で男の視界から仮面ゲットは消えた。気が付いたのは背後から腹に大穴を開けられた時だった。視線を落とせば仮面ゲットの腕が腹を突き破っているのが見えたのだ。


「馬鹿な、これが貴様の本気だと?」


 改造人間と仮面ゲットの間にはまだ埋めがたい差があった。男は膝を付く。すると仮面ゲットはトドメに男の頭を掴み、脊髄ごと身体から引っこ抜いた。なんたる残虐性! ただ超人達の戦いを眺めることしかできなかったピイタは戦慄(せんりつ)する。


「仮面ゲット……」


 カグヤは改造人間の首を捨て、何も言わずに娼館の出入り口に向かった。決別は決定的だった。ピイタのことは諦めて、彼女は外に出た。ビクトリア憲兵の包囲網は容易く破って夜空の闇に消える。

 ピイタはまた取り残されていた。全てを失い。彼はあまりにも理不尽な世界を憎んだ。そして、恩人ではあるものの自分を(もてあそ)ぶ仮面ゲットをも恨んだ。

 でもどうにもならない。またも無力さに打ちひしがれるピイタだった。

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