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短編・童話集

友人はクラスメイトの男子が好き。クラスメイトの男子は友人が好き。二人が両片思いなのは誰もが知っていることなんだけど、友人はなかなか告白しない。なぜ? あなたとあなたの好きな人の間には、何があるの?

 泉はわたしの友人で、わかりやすい女の子だ。

 彼女の目を見ているといまなにを考えているのかすぐにわかるし、仕草を見ていればいまの機嫌がどの程度なのか一目で看破できる。

 一緒にいれば一体誰が好きなのかも、すぐに。


 そうして泉は、わたしの友人でかつ、非常に素直ではない女の子だ。

 それはまあ、ウソつきである、という意味ではなしに。

 わたし?

 わたしは彼女の友人で、それはまあ、どうでもいい。

 大事なのは名前が竹本であるぐらい。


「竹本ってさ、人の考えを見抜く名人だよね」


 泉はたまにそんなことを言うけれど、わたしにいわせればそれは真実ではない。

 正しいのは、泉は自分の考えを見抜かれる名人だってこと。


「……だってさ。どう思う?」


 泉の言葉を受けてわたしは、さっきから隣に立っていた神田に聞いてみた。


「本気で言ってるんだなって思うよ」


「だろうね」


 私が神田にうなずき返すと、泉は不安げな顔で私たちを交互に見る。


「なに? どういうこと?」


「あなたが何を考えているのか当てて見せましょうか」


 きょとん、という顔を泉がする。

 わたしは自分では口にせず、ほら、という風に目で神田をうながした。


「何でこの二人、こんなに仲がよさそうなの、とか」


 ちょっと恥ずかしそうに神田が言う。

 泉はぽっと顔を赤らめる。

 自分の考えていることであり、それが意味することをわからないはずがない。


「違うよ。全然違う」


 そう言いつつ首をぶんぶんと振る。

 これがまあ、泉って人。


 それからわたしに顔をうずめるようにしてもたれかかり、神田から自分の顔を隠しにかかる。

 そうしてわたしたちは目を見合わせ、いい加減素直になればいいのに、などと無言の会話を交わす。

 なかなか複雑な構図。



   ※※※



 付け加えるのなら、泉ってば結構かわいい。

 ちょっと落ち着かないきらいもあるけれど、表情にはメリハリがあるし、誰とでもすぐに打ち解けるし、仕草や受け答えには愛嬌がある。

 

 そりゃ、万人が一目ぼれするような美人ではないものの、外見だけ見ても最悪、中の上はいってるから、彼女と少しでも話した男子は大抵、好感を抱くだろう。

 女子のわたしでさえ、はじめて会ったときから、この子とはいい友達になれそうだと思った。

 そうして実際そうだった。


 であるからして、泉はモテそうなのだけれど、実のところはそうでもない。

 人気は高いし、誰とでもざっくばらんな彼女の性格からして、男友達は多い。

 けれど泉を彼女にしようという男子生徒はまずいない。


 いや、正確にいうのなら、知り合ってはじめのうちは大抵の男子が彼女を狙う。

 泉のそばにいて、そういう多くの人間を見てきた。

 泉も泉で、知り合って間もない男子とすぐに親しそうな、気のおけない間柄になるから、むしろ男子が勘違いすることの方が多い。

 こいつってば俺のこと好きなんだろうか、なかなかかわいいし話してても楽しいし、それって、いいじゃんいいじゃん、とかそんな風に。


 しかしすぐに当該男子は、それが単なる勘違いであったことに気がつくのだ。

 なんたって少し付き合えば、泉は誰とでもそういう間柄になることがわかる。

 そしてやがては、その中でも別格で、誰とでもそういう間柄になるはずの泉がちょっと距離を置いている人間の存在が明らかになる。


 神田という名前のその男子は大体、泉のそばにいて、気の抜けたような顔で話をしている。

 相手はいたって自然体でそこにいるのだけれど、その男と会話をするときだけ、泉はどこかぎこちない。


 あからさまに恥ずかしがっているとか、そういうわけでなく、なんていうんだろう、無理に自然体であろうとしているのが一目でわかる。

 目を泳がせながら相手の肩をはたくとか。

 いつの間にか彼の顔をじっと見ていて、そのうちはっとして目を逸らすとか。

 そのくせちょっとした親切をされると(例えば昼休みに自販機でジュースを買ってきてもらったりとか)、目を丸くして中にきらきらする何かを(いうなればハートの形をした乙女心を)を浮かべ、素敵な笑顔で「ありがと」と言うとか。


 まあその男を見ると、他の男子はすぐに勘付く。

 ああ泉はこの男が好きなんだな、俺なんてお呼びじゃなかったわけだ、と言う風に。

 そうしてはっと気がついて見ると、泉の男友達の多くがそういう道を通ってきたわけで、彼らは実際そのことを話しはしないが目で通じ合う。

 死屍累々。

 そうして死中に活あり。

 いや、違うか。


 そんなわけで、誰の目から見ても泉はその男のことが好きなんだけれど、前述したように彼女は非常に素直ではない。

 というか、本人としては胸に秘めている想いらしい。

 少なくとも、そうであって欲しかったらしい。

 きっと泉の胸は、ザルみたいな構造になっているのだろう。



   ※※※



「しかしそれも、どうなんだろうね」


 わたしは神田にそう話しかけた。

 音楽の授業の前の休み時間で、そこに泉はいなかった。

 なぜなら泉はその選択授業の時間に、なぜか書道を選んでいる。

 日本の心を知りたかったそうだ。


 神田はぼんやりとした顔をして答えた。


「そうはいってもさ、泉がそれを認めない以上、どうしようもないわけじゃない」


 ふーん、と私は答えた。

 そんなものかね、と思う。

 そもそも泉はなぜあんなにかたくななんだろうと考える。


「それで、もうすぐバレンタインデーだけど。そんな悠長なこと言ってていいの」


 その話から泉のことへと話題が飛び、そうしてまた元の場所へとわたしたちの話が戻ってきた。

 高校に入って二回目のバレンタインデー。

 大学受験や自由登校なんかで、三度目はないようなもんだと、二つ上の姉から聞いている。


「わたしたちの青春も、あと一年もないわけなんだよ」


 まったく実感を持たずにそう言ってみると、神田はぽりぽりと頬をかいた。


「まあ、ちょっとは、何かしらの変化があってくれるといいなあ、なんて思っているわけだけれど」


「しかし、何で泉は認めたがらないんだろうね。わたしにはよくわからん」


 わたしは実際不思議だった。

 もしもわたしが告白するとして、一番怖いのは相手の気持ちだ。

 断られたらどうしよう。

 嫌いだとはいかないまでも、恋愛対象にはなりえないと宣言されたらどうしよう。

 そういう不安が非常に大きい。


 だけども泉は、鈍感じゃない。

 わかりやすくて素直じゃないけど、鈍くはない。

 だから、わかっているはずだ。

 神田の気持ちのことだって。

 神田はどこか気の抜けたような顔をして答える。


「俺としてはさ、本当は嫌われてるんじゃないかって、たまに思うぐらい。あんなに豪快に否定されるとさ」


 まさか、とわたしは答えた。



   ※※※



「人を素直にさせるためにはどうすればいいと思う?」


 その日の帰り道、わたしは直球で泉に聞いてみた。

 わたしたちは二人きりだった。

 もしいつものようにもう一人いたら、多少面白いことにはなっただろうが、生産性のない会話に終始するに違いない。

 そういった意味では都合がよかった。


 泉は目を細めてわたしの顔色をうかがう。

 何かたくらんでるな、という表情だ。

 実際はたくらんでいるどころか言葉の通りである。

 わたしが素直にさせたいのは泉なのだから、本人の意見は参考になるに違いない。


「もちろん、他意はないよ」


 そう付け加えても、人をまったく信用していない顔つきで泉は私を見る。

 疑いを隠す気もないらしい。

 それを言うのならわたしだって隠さずあけすけにやったっていいんだけれど、でもそうすると泉はがんこに否定をするから面倒くさいのだ。


「……素直じゃない人には、素直じゃない理由があるんだろうから、それを取り除けばいいんじゃないでしょうか」


 適当な口ぶりで泉は言ったけれど、そこにはたぶん本音が含まれていた。

 なぜなら目が真剣だったからだ。


「素直じゃない理由ね。一体なんだろう」


「ところでさ、正直は美徳って一体誰が言い出したんだろうね」


「さあね」


「ウソつきは泥棒のはじまり。ねえ、どうして?」


 話題を変えたいんだな、と私は思った。

 まあ少しはヒントを得たから、今日のところはいいかもしれない。


「さてねえ」


「斧で桜の木を切ってしまったことを正直に話した子どもって誰だっけ?」


「それはワシントン」


「でもあれって親の方がえらいよね。怒る人だって絶対いるもん。なんかウソとか正直とかいうまえに、子どもに不安でびくびくして暮らす体験をさせないだけえらいっていうかさ」


 うん、そうだね、とわたしは相槌を打った。

 じゃあ、絶対に許してくれる親がいるのに、なぜワシントンは名乗り出ないのでしょうか?

 絶対に成功するはずの告白を、あなたがしないのはなぜなんでしょうか?



   ※※※



「素直じゃない理由ねえ」


 電話の向こうで神田が言った。

 今日、泉と話したことを報告がてらアプリでメッセージを送っているうち、面倒になって電話をかけたのだ。


「想像つく?」


「いや、わかったら苦労はしない」


 むむむ、と神田がうなる。わたしもうなる。


「もしかしたら、やっぱりあの子は不安なのかもしれない。というわけでこっちもストレートにいってみない? 『好き』っていったことはある?」


「あるよ。なんか突き飛ばされた。どっかに走っていって、戻ってきて、今のなしね、って言われた」


「……あ、そう」


「どうして? って聞いたら、どうしても、ってさ」


 わたしは泉のことを考えてみる。

 泉の立場だったらわたしはどうだろう。

 いやあ。

 何の問題もないじゃない。


 互いの気持ちがわかっていて、むしろもう、この状態は言葉が云々という問題ではない。

 チョコを渡す必要もない。

 あとはもう当然のように、二人寄り添っていてもおかしくない。

 言葉なんて要らない、というか、自然とそうなった、とでもいうか。


「バレンタインデーというのはひとつの契機になるだろうか」


 まじめくさった声で神田が言った。

 わたしは少々疑問だった。

 あの日って、なんというか、勢いをつける日だ。

 相手の気持ちがよくわからん。でもこのままでは埒があかない。だったらチョコでも渡してしまえ、というような。


 泉はそういう勢いを必要としていない。

 どころかそこはもう過ぎ去っているのに、そこから先を断固拒否をしている。


「むしろこっちからチョコを渡してしまえば。最近流行っているらしいじゃん」


「うーん、投げ捨てられたらどうしよう」


 その明確なビジョンが浮かんできた。

 泉がチョコを教室で受け取って、それから真っ赤な顔をして『変なの』とかつぶやく。

 そうして冗談めかしつつも『それ本命だから』なんて神田が口にしてみるともう、泉は恥ずかしがって顔をうつむけて『何言ってるの、バカ』とか言ってしばらく黙る。

 それから周りのにやけた連中からの視線に気がつくと『こんなの』とか言いつつ教室の窓を開け、一面に雪の積もった美しいグラウンドへチョコをぶん投げる。

 積もった雪にチョコが埋まる。

 ぼすっ、とか音を立てて。

 開けた窓の向こうの冷たい空気に、つい衝動的にやってしまった自分の行動の意外さに青い顔をしている、泉の白い息が散る。 


 それはまあ大げさすぎるけれど、まったくありえないというわけでもなさそうだ。


「やりかねないね」


「まったくだ」


 その後しばらく、わたしたちはよもやま話をした。

 やがてふと窓の外へと目を向けると、カーテンの隙間の真っ暗い空間の向こうに、ちらりと白い何かが動いた気がした。

 もしかして。

 電気を消し、窓を開けてみると、私の予想は当たっていた。


「ところで、外には雪が降ってきたよ」


「本当に? ああ、本当だ」


 電話の向こうに窓を開ける音がする。

 きっと神田も、わたしと同じ様な格好になっているのだろう。

 わたしは言ってみた。


「雪は美しい」


「まったくもって。冬っていいな」


 寒いのが嫌いっていつもつぶやいているくせにそんなことを言う。


「うまくいくといいね」 


「本当に」


 しみじみと神田は言った。

 わたしもなんだかしみじみした。

 それから、じゃあね、といって電話を切った。



   ※※※



 いよいよバレンタインデーが近い。

 にも関わらず、私たちは相変わらず三人で寄り集まってくだらない話に終始している。

 まあ、居心地はいいんだけど。


 けれども周りの雰囲気はやっぱりそれなりに変わるもので、神田がいないとき、泉がクラスメイトにからかわれる回数も増えてきた。


「ねえねえ、泉は今年、チョコあげるの?」


 昼休み、それまでわたしとけらけら笑い合っていた泉が、きょとん、という顔をする。

 それからはっと気づいて周囲にはバレバレの、思い当たる事など何もない、と装ってとぼける。

 クラスメイトは悪意もなくにやにやしている。

 からかうのが好きなのはみんな同じだ。


 一方泉は、わたしたち以外にはもちろん自分の気持ちを隠しおおせているつもりでいるから、首をひねってこう聞いたりする。


「誰に?」


「誰かに。ね、誰かいい人いないの?」


 考えているようでいて、すっかり特定の人しか思い当たらないように口元を緩ませてから、残念そうに首を振る。


「うーん、誰かいたらいいんだけどね」


 わたしとクラスメイトは、ちらりと視線を交わす。

 そんなところにしておきなよ、と軽くわたしは目で咎める。

 クラスメイトは顔をほころばせて、うん、と小さくうなずく。

 泉はそのわずかな目配せには気がつかない。

 そうこうしていると死角から唐突に神田が現れたりする。


「甘いものはいいよな」


 つぶやいてからじっと泉を見る。

 泉はむっとひるんでから、照れ隠しに髪をなであげたりする。


「ま、まあ、義理ならあげてやらないこともないけど。義理だけどね」


「ねえ神田、甘いものって具体的に何よ」


 なんて重箱の隅をつつくようなことをわたしが言う。

 それに答えて神田はしれっとこう言ってのける。


「ようかんとか、おはぎとか。好きなんだよ、和菓子」


「そうか、甘いものって別にチョコには限らないわけだよね」


 わたしも相当しらじらしい。

 視界の隅で赤くなっている泉を見ると、やっぱりこの子はかわいいなあ、わかりやすいなあ、からかいたいなあ、なんて思いが強くなる。


「じゃあわたし、今度の十四日にはようかんをあげるね」


「おお、それはありがたい」


「でも何だか泉はチョコをあげるつもりだったようだけど」


 神田とふたり、じっと泉を見る。

 泉はもうこちらに背中を向けている。

 搾り出すような声で、必死で反論する。


「だって、バレンタインデーっていったら普通、チョコじゃない……」


 そういう泉の両肩に軽く手を置いて、冗談めいた甘い声で、神田が言う。


「待ってるよ、泉」


 泉はしばらく固まった。

 たぶん、脳内では彼女の生み出す電流が感情のどこかを貫いていた。


 泉の硬直が終わったのは数秒後のことだった。

 彼女はこちらを振り返りもせず、何も言わずに駆け出していった。

 神田はいつもの通り、気の抜けた顔でわたしに目を向ける。


「今の、どうだった?」


 わたしは両手の平を上に向け、肩をすくめて答える。


「どうかと思わないでもないけど、いいんじゃないの? 青春というか、若いんだし」


 泉が教室に戻ってきたのは、授業がはじまる直前のことだった。

 ちょっとからかいすぎたらしく、教室の扉を開けた泉は不機嫌そうだった。

 けれどその感情は、怒りとか憤りに類するものではなく、さっきのが図星ですねてしまったとか、言いようののない想いのはけ口に困ってぷんぷんしているとか、表現するのならそんな感じだった。


 現在の泉の席はわたしのすぐ前に位置していた。

 わたしの方へと一度も目を向けようとしなかった彼女の背中をつついてから、わたしは言った。


「ねえ。チョコ、あげれば」


 誰に、とは言わなかった。

 口にしなくても泉本人が一番よくわかっている。


「素直になれないのはどうしてなのか知らないけどさ。もう、いいんじゃないの」


 不意に泉は振り返り、横目でわたしをじっと見た。

 そのまま何も言わず、チャイムが鳴る音と共に教室の黒板へと目を向けた。



   ※※※



 バレンタインデー当日。

 金曜日だった。

 わたしは朝のうち、神田へようかんを渡した。


「マジか」


 どうやら本気にはしていなかったらしい。

 マジよ、とわたしは答えた。

 案外そうな顔で受け取ってから、神田はいつもの柔らかい笑みを見せた。


「俺も実は、マジでようかんが好きなんだ」


 それはよかった。

 わたしたちのやり取りを、泉は遠いところから横目で見ていた。

 わたしはまだ教室へやってきたばかりで、泉と話をしていなかった。


「どうかな」


 泉を見ながら神田がそうつぶやく。

 チョコを持ってきているかどうか。


「どうだろうね」


 それから泉のそばに近づき、おはよう、と声をかける。

 泉は普段なら元気な声で返事をするはずなのだけれど、その日は違った。

 どこか困ったような顔で、にこりと微笑んでうなずいた。


 何だか、違和感。

 感情が読めない。

 相手は泉なのに。


 首をかしげつつ、わたしは泉の後ろの席に座る。

 彼女の感情がわからない不可解さと、好奇心とで声をかける。


「ねえ、チョコ、持ってきた?」


 泉は振り返り、この前のように横目でわたしをじっと見た。

 それからゆっくりとうなずくと、一度前にむきなおり、ぶるぶると首を振った。

 もう一度振り返ったときにはもう、いつもの泉になっていた。

 にっこりと笑い、誰の目から見ても上機嫌な声で外を指差す。


「今日、雪がすごいね。どこまで積もるかな」


 窓の外では大粒の雪が空から静かに降下している。



   ※※※



 放課後が来るまで雪は降り続けた。

 そうして、放課後が来るまで、泉にチョコを渡す気配は見あたらなかった。

 わたしたち三人は、普段どおり間抜けな話をしながら時間を過ごした。


 神田は少々そわそわしていた。

 いつもの泉と同じくらいわかりやすかった。

 普段の調子でからかおうとしながらも、どこか真剣味がこもって上手くいかなかった。


 一方で泉は、表面上はいつも通りのあけすけの感情の流れを見せながらも、その奥に何かを隠していた。

 隠していることはわかる、でもそれ以上はわからない何かを。

 チョコがもらえるかどうか、この関係が発展するかどうかばかり気になっている神田は、どうやらそのことに気がついていない。


 そうこうしているうちに、放課後がやってきた。

 やがて泉が、わたしには何もいわずにどこかに消えた。

 気がついてみると、神田の姿もない。


 いつ、泉はチョコを渡すのかな。そればかり気になっていたわたしは、いよいよかもしれない、なんてどきどきしはじめた。

 そのくせ表面は冷静を装って、窓の外を眺めた。

 雪球を作って投げ合っている生徒たちが見える。子どもじゃあるまいし。でも楽しそうだな。

 電線の上に細く積もった雪がかすかな揺れに応じて落下する。帰り道はあれに気をつけねばなるまい、なんて考えていると不意に声がした。


「あのさ」


 目を向ける。

 神田だった。


 わたしはてっきりチョコをもらってきたものと思い、やったな、という笑顔を向けた。

 しかし神田は不可解そうな表情をしており、そのためにわたしも似たような表情をする羽目になった。


「どうしたの」


 わたしが聞くと、神田はほおをぽりぽりとかきつつ答える。


「うん。……さっき泉に呼ばれたんだけどな。図書室の隅っこに」


 それなのにどうして神田は嬉しそうじゃないんだろう。


「よかったじゃない。それで? チョコはどうしたのよ」


 ううん、と神田は首を横に振った。それから言った。


「竹本を呼んできて欲しいってさ」



   ※※※



「泉?」


 呼ばれた場所に泉はいなかった。

 図書室の隅、窓と本棚の背に挟まれた小さな空間で、一人がけのこじんまりとしたソファーが一組置いてある。わたしたちも暇つぶしによく使った場所だった。


 ふと、背後に気配が現れる。

 泉だった。


「何の用? こんなところに呼び出して」


 どうせ大した用でもないのだろう。

 ソファーに腰掛けながらわたしは聞いた。

 それは実に安易な考えだった。


 少しの間泉は、顔をうつむけたまま動かなかった。

 やがてその目が上がった。そうしてじっとわたしを見つめた。

 朝に見せたような、泉らしからぬ、得体の知れない表情だった。

 泉の表情ってほら、もっと単純な。

 わかりやすくて。


「……まさかわたしにチョコをあげようっていうんじゃないだろうね」


 慌ててわたしは目を逸らしながら言った。

 いま口に出せるのはせいぜいが軽口だった。

 いまだかつてわたしと泉の関係に重い何かが張り詰めたことなどなかった。

 それがいままさに重量感を増している。

 空気がねっとりと絡みつく。非常に嫌な気分。


 嫌な予感。

 泉の声がする。 


「ねえ、いいの……」


「何が?」


 彼女に目を向けながらわたしは言った。

 泉の目を見てはっとした。

 ああ、そうか。泉はもう隠してなんかいないんだ。

 いまわたしが彼女の表情をわからなかったのは、それが普段は決して見せない表情だからだ。


 意思的な眼差し。


「竹本、神田くんのこと好きなんでしょう?」


 ……ああ、なんだ。

 知ってたんだ。



   ※※※



「いつから気がついてた?」


 わたしは隠そうとはしなかった。

 だって泉の感情のことなんて完璧に読み通せていたつもりだったのに、実のところは全然的外れだったのだから。


「いつからだろう。忘れちゃった。でも、竹本はわたしより先に神田くんのことが好きだった」


 だったら、ずいぶん前からばれていたことになる。

 何しろそれは昨年の中ごろ、三人でしばしば顔を突き合わせて話すようになってすぐのことだから。

 少し恥ずかしい。


「私はそんな竹本を見て、神田くんが気になったんだから」


 泉は唇をきゅっと引き締めた。

 泉はよく笑っている。よく恥ずかしがる。よく慌てるし、よく驚く。

 でもこういう、秘めた何かを表に出したことはなかった。


 この顔を覚えておこう。

 これが彼女が本気で何かをするときの顔だ。

 強い決意の表情だ。


「でも、ごめんね。私も神田くんのことが好き」


 わたしはふっと笑ってみせた。


「知ってるよ」


「今から神田くんのところに行ってチョコを渡してくる」


「きっとうまくいくと思うな」


 いまさら、言うまでもなく。


「…………」


「素直になれなかったのはわたしのせいだったんだね。そんなの、気にしなくてもよかったのに」


「……気にするよ。友達の好きな人だもん……」


 わたしはそんな泉の気持ちに気がついていなかった。

 そして泉はその葛藤に、どれだけ苦しめられたのだろう。

 ため息が出る。


「だいじょうぶ、ずっと神田くんはあなたを見てた。わたしはその神田くんの視界に入りたかったから、泉のそばにいた」


 ソファーから立ち上がりながら、わたしは笑った。


「でもそれははるか昔の話。いまのわたしが何を考えているかわかる?」


 泉はぶんぶんと首を振った。


「そこまで当ててみなさいよ。わたしの気持ちがわかってたのならさ。中途半端はよくないんだよ」


 お互いにね、と胸の中でわたしはつぶやく。

 顔をうつむけて、再び首を振る泉の肩に手を回した。

 そうして彼女の頭をわたしの肩に寄せ、その頬に流れる涙を手で拭った。


「泣かないで、泉。涙を拭いて、笑いなさい。そうしてチョコを渡してくるのよ」


 これがたぶん、今のわたしの本心。

 泉は、くすんくすんと泣きながら、それでも力強くうなずいた。



   ※※※



 かくして、ワシントンは自ら出頭を果たし、父親はその正直さを褒め称えた。

 要するにすべてが丸く収まり、泉はやっぱりわかりやすくて、素直ではない女の子であったけれども、わたしの友人であり、そうして神田の彼女になった。


 一方、わたしはまあ、平常どおりだった。


「泉ってさ、付き合う前の方が神田の彼女っぽかった」


 それもやっぱり昼休みのことで、わたしたち三人は普段のとおり教室の隅で適当にだべっていた。

 わたしがそういうと、泉は途端に顔を赤くする。

 いまだに自分を神田の彼女と認識することに慣れていないらしい。


「そ、そんなことないよ。じゃなくて、別に何も変わってないよ」


 そうして何だか相変わらず、わたしという障害がなくなったにも関わらず、照れ隠しは収まらないわけで。


「だよねえ、神田くん?」


 けれども神田と話すときの様子は、ずいぶんぎこちなさがなくなった。

 初々しさ、緊張感が消えたとも言う。

 それはつまり神田に対する扱いが他の男子と大して変わらなくなったとも言える。

 それがちょっと神田には残念そうでもあり。


「だけど最近何だかさ、泉、妙に手をつなぎたがるんだよね」


 ぱっと驚きの表情をあげた泉が何かを言う前に、わたしが口をはさむ。


「顔見てればわかる?」


「うん。顔っていうか、仕草。肩とか、妙にぶつかってくる」


 泉は唇をへの字にまげて、ばらさないでよ、という顔をしている。

 神田はそんな表情を見つつ、にへらっ、としている。


「違うよ。そんなの、全然思ってもいないのに……そっちから手をさ……」


「わかるんだってば、泉の場合」 


 仲のおよろしいことで。

 変わったことといえば、それまで泉はわたしと一緒に帰ることが多かったのに、今は神田と一緒に帰ることが多い。

 きっと帰り道、泉は何にも言わずに体をぶつけて、そうして思惑通り手を握ってもらっているのだろう。

 二人で教室を出て行くとき、泉の表情はすごく幸せそうだ。

 もうそれは、誰が見てもわかるぐらい。

 出口のところで二人して振り向いて、こっちに手を振る。


 わたしも小さく手を振り返す。

 若干、心がちくりとしないでもない。

 けれどそれにも、嬉しさと安堵が多量に含まれていたり。



   ※※※



 ところで、春が近い。

 そのうちきっと、校門のそばの桜たちも見事な花を咲かせるのだろう。

 その桜が舞い散る中で、わたしたち三人はきっと、あの混沌としたバレンタインデーの思い出でも語ったりするのだろう。

 ワシントンの桜の木の話でもしながら。

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― 新着の感想 ―
[一言] 良い関係でした。 竹本さんの語りに嫌味がなくて、良い子だっていうのがわかって、それがとても良かったです。
[良い点] 地の文の語り口が最高です。 登場人物みんないい子だぁ………… [気になる点] 竹本ちゃんと友達になりたいんですけど、どうすればいいですかね?笑 [一言] 恋と友情、永遠の命題ですね! よう…
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