表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

色彩は果たして明瞭か、それとも霧か。

作者: 静 霧一

ご評価お願いします。


Twitter:@kiriitishizuka


 

「色盲」という言葉を一度は耳にしたことはあるだろうか。

 正確には「色覚異常」というのが正式な呼び名ということになるが、それは今は置いておいてもいいだろう。


 一口に色盲といっても、その種類は多数存在する。


 まずは「色覚」についての説明をさせてもらう。

 まず第一に、皆に問うてみたいが、理科の授業で習う「光の三原色」という言葉を覚えてはいるだろうか。

「赤・青・緑」という三原色ではあるが、これらの色については眼球内に存在する視細胞が関係している。


 まず、赤に敏感な視細胞"L錐体"。

 次に、緑に敏感な視細胞"M錐体"。

 そして最後に、青に敏感な視細胞"S錐体"。


 それら三つの視細胞の働きによって、私たちの眼は色を捉え、認識している。

 今これを読んでいるかたはもうお分かりだろうが、色盲とはそれらの視細胞の働きが欠けていることを指し、また、機能が弱ければ「色弱」となる。特に赤はP型、緑はD型と呼ばれている。(青色にいたってはごく稀に存在する。)


 視える景色というのは通常色覚を持つものとは大きく異なり、色の組み合わせによっては、例えば5色配置したうち、判別できるものは二色だけであり、それが青や茶色といった色であるということもある。

 最近では、カラーユニバーサルデザインという考え方が進み、身近なところでは有名なスマホゲームアプリがその機能を取り入れているが、やはり一般的な認知度は低いものがある。


 さて、ここまで「色盲」、つまり色を欠いた状態の説明をさせていただいたが、先ほど話の隅に置いてしまった「色覚異常」について話を戻させてもらう。

 余談にはなるが、「ダイエット」という言葉は、太っている人が痩せることにも使われるが、痩せている人が太るという言葉にも使われる。


 では「色覚異常」はどうだろうか。

 色が欠けている状況を色覚異常というのなら、そのまた反対、つまり「色が視え過ぎている状況」も色覚異常と呼べるのではないだろうか。


 世界には、この色が視え過ぎている眼のことを「スーパービジョン」と呼んでいる。

 スーパービジョンとは、本来3種類であるはずの視細胞の中の錐体細胞にもう一つ、存在しえない錐体細胞が存在するということになる。

 4つ目の錐体細胞には正式な名前はないものの、紫外線色覚と呼ばれ、主に鳥類や昆虫などがその錐体細胞を持つとされている。


 通常、3色覚である場合は、認識できる色の範囲は100万色と言われているが、4色覚になるとその色の範囲は一気に増え、一億色を認識できるとされているのだ

 それらの能力については決して物珍しいものではなく、全女性の12%が潜在的にその能力を持っている可能性があると推測されている。


 だが、残念なことに、それらの能力を生かすことは現代社会においては非常に難しく、その潜在能力を開花しないまま、沈んでいくことがほとんどであるという。

 さて、色覚についての説明が長々と伸びてしまったが、ここである一人の女性への取材をしてまとめたものを見ていこう。


 彼女は名は「東条 麻衣」。

 奇しくも先天的にこの4型色覚を自覚した、女性画家の名である。

 これは私が彼女にインタビューをしたときに得られたものを書き留めるが、少し物語調で語ってしまうことを、ご了承頂きたい。


 まず初めに、私は彼女へ「あなたにとって色とは何ですか?」と質問した。

 すると彼女は、「障害よ」と一言答えた。

 その意味を聞いてみると、「4型色覚」という言葉が飛び出し、人とは色の見え方が違うといことを私に教えてくれた。

 私はさらなる質問として「いつから自分は人と違う色の見え方を自覚していましたか?」と聞いた。

 すると彼女は即座に「幼稚園生の時かしら」と答えた。

 その時の思い出を彼女はこう語っている。


 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 私は小さい頃より、人よりも繊細に色を見ることができた。


 まだ、私が幼稚園の頃、クレヨンの色はどうしてこれだけしかないのだろうと疑問に思ったことがある。

 先生から好きな絵を描いてみようと言われても、私は確か白紙で提出した記憶が残っていた。


 先生に「茜ちゃんは何か好きなものないの?例えばお母さんとか、お父さんとかさ」と、その白い紙に何かを描くように促された。

 決して、絵を描くのが嫌だとか、好きなものなんか無いとかそんな反抗的なことではなくて、ただただその白い紙とこの数少ないクレヨンに戸惑ってしまったのだ。


 私はとにかくこの白い紙に何か描かなきゃお外に遊びに行けないと思ったのか、しぶしぶそのクレヨンに手に取った。

 右を見ても左を見てもお父さんとお母さんを描いていたものだから、私も当たり障りなくお父さんとお母さんを思い浮かべその紙に絵を描いた。


 お父さんは少し茶色みがかった肌色に、顔には黒子が点々とまぶされ、髪には白髪が入り混じっていた。そして母には、なにかに追われるように生活を頑張る苦労がうかがえ、すこしばかり茶色のしみが顔に浮き始め、髪はカラーリングする暇もなく、プリンのような髪色に変色していた。

 幼いながらに、私は体のパーツの色の配色ばかりが気になり、両親を思い浮かべても、まずどの色を使うべきなのかと迷いながらも、顔の輪郭を描いて、パーツを描き、最後に髪の毛を塗った。


 先生は私の完成した絵を覗き込んだが、あまりいい顔をしていなかったのを覚えている。


 幼稚園生の絵のレベルなどは知れたもので、私もそのころはまだまだ絵を描くのが好きぐらいだったので、郡を抜いて上手いとかそういうことはなかったのだが、どうも先生はその絵の上手さとかではなく、絵の配色に首を傾げているようであった。


 クレヨンで描いていたせいか、あまり色のなじみはなかった気もするが、肌色にはベージュと茶色を織り交ぜ、髪の毛には黒と白と茶色を何本も重ねて描いていた。


 今であれば、油絵とか水彩画とかを使えるので、そんな汚い混色にはならないはずだが、先生は私のクレヨンの絵を見て、「髪の毛はみんな黒いのよ」と一言を私に落とした。


 私はその言葉に納得はしなかった。


 確かにみんな遠目では髪の毛は黒いかもしれない。

 だけど髪の毛の黒にも濃淡があって、光に照らせば赤にだって茶色にだって変色する。

 人間の肌だって、薔薇の赤い花びらだって、紋白蝶の白い羽にだって、私にはその濃淡が浮き出て見える。

 一つの色が単色であるのは、私にとって異常なことであった。


 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 さて、彼女は幼稚園生の時より、色について、かなりの疑問を持っているようであった。


 それを両親に相談をしたものの、まともには取ってもらえず、それでもしつこく言ったものだから大学病院で検査を受けたところ「4型色覚」ではないかという診断を受けた。

 だが、現状それは病気とは違うため、あくまでも推測の域をでることはできない。


 それでも、彼女にとってそれは幸福なことであったらしく、原因が分かったことに満足をしたとのことであった。

 その原因が分かったという納得感と表裏するように、彼女にはまた別の寂しさという感情がふつふつと私の中に湧き出してきたのだという。


 子供ながらに、「人には理解されない事情を抱えるというのは、世界から孤立したような疎外感を感じることなのだろう」と心の底からおもっていたのだとか。


 さて、彼女には次の質問に移ってもらった。

「あなたの描く絵はなぜ、全てモノクロなのですか?」という質問だ。


 今現在、彼女は日本を代表する若き天才画家として名を馳せている。

 その代名詞というのが、モノクロで描かれた絵画である。


 絵画というと、油彩画や水彩画を思い浮かべると思うが、それら全ては色彩豊かに描かれている。

 彼女の4色覚があれば、過去の偉大な画家をも超える傑作を描ける可能性を持ち合わせているはずだが、彼女はそれらの絵を一度も発表をしてはいない。


 世間が大いに疑問を持つ点の一つでもあった。

 私はこの質問は彼女の本質を突くものだとして、今後の取材の出禁を食らわざる得ない質問だと覚悟したが、彼女は案外すんなりと答えてくれた。


 彼女がモノクロの絵を描くきっかけとなったのが、中学生の頃、とある絵画コンクールに展覧するための絵を描くところまで遡る。

 彼女はその時の心情をこう語ってくれた。


 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 夏休みに入り、私はぽうとオレンジ色の電球が光る仄暗い画室の椅子に座り込んでいた。

 イーゼルに乗せられた画用紙は白紙のままで、私はそれを何も考えず、ただ眺めている。


 私はずっと疑問でいた。


 絵画教室では、水彩画と油彩画を主に描いていたが、どうも生み出せる色には限界があって、私は物足りなくなっていた。

 私の瞳に映る色を、真っ白なキャンバスに描き切れないことは、私にとって苦痛でしかなかった。


 色は有限でありながらも、私には無限の色が映っている。

 何百枚と描いてきた絵は、そのすべてが未完成の作品なのだ。

 いくつかはコンクールで賞を貰ったり、公募展示されたりと、世に出て評価をされているがどうも私は腑に落ちずにいた。


 そんな完成への渇きが私の創作意欲を蒸発させていく。

 もう私には、真っ白なキャンバスに色彩を描く気力など残ってはいなかった。


 ふと、床に転がっている中途半端に芯が削られた硬筆が目に入った。

 そういえば最近は絵具ばかりで、長らく鉛筆画などは描いていない。


 大概はシャープペンシルで軽く下書きをしたり、ノートに落書きほどのスケッチを描いたりはしているが、それはそれであって、決して絵を描くと呼べるほど代物でもない。

 どうも絵画教室に通うと、皆が水彩画だの油彩画だのと目立つものばかりを描くものだから、私もそれにつられ、不完全燃焼ながらも筆ばかりを握ってしまっていた。


 私は少し埃をかぶった硬筆を拾い上げ、画用紙に一直線の線を引いた。

 黒という色は、その希釈度によって無限の濃淡を出すことができる。


 絵具では難しかったことが、この硬筆一本で、自在に無限の黒を生み出せることに感動を覚え、私は白い画用紙に力の強弱をつけながら、思いのままに絵を描いていく。


 それはまるで私にとって虹のような光景であった。

 こんなにも身近に私の色彩は転がっていたのかと思うと、私自身が今まで自分の悩みを正当化しながらも可能性を探さずに、子供のようにただ茫然としていたことが悔しくてたまらなかった。


 絵画コンクールのテーマなどは特に決まっておらず、特に使う絵具などに指定はない。

 私はこの硬筆一本で色彩を描こうと思い立ち、その持ち手を強く握る。

 そうして、絵の構図を考えるために、腰を下ろした椅子の上で目を瞑り、私は深い意識の中へ身を沈めていった。


 黒という無限の色彩を得た私は、深い深い意識の中に一筋の光を見出した。

 この一筋の光をいかにして具現化していこうかと、私は自分の意識の深海を回遊する。

 私は今まで、目で視た風景だけをひたすらと描き続けたが、自分の心情を描いたことは一度たりともなかった。


 表現方法がなかったわけではないが、現実の風景の鮮やかさとは反対に、寂しさというフィルターがかかってしまった心情はモノクロにしか映っていなかったために、自分でそれを美しいとは思えていなかったために、今まで描くことが出来なかったのだ。


 その心情のフィルターの一点から差し込んだ一筋の光からは、心の色彩が温かな光となって漏れこんでいる。

 私はその光に向かって両手を組み握り、意識を飛ばす。

 きっと世界の隔たりを受け入れ、寂しさを愛するようになった時、このモノクロのフィルターが消えてなくなることを想いながら、形なき神に祈りを捧げた。


 ふと、手に持った硬筆が床にコトンと落ち、その音に私は意識の深海から引っ張り上げられるようにして、目を開けた。

 私はその落ちた硬筆を拾い上げ、何かに憑りつかれるようにして、仄暗い画室で白いキャンバスに色鮮やかなモノクロを描き始めた。


 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 さて、長々とインタビューを彼女に続けてしまったが、これが最後の質問となる。


「あなたが視た景色の中で、最も美しいものは何ですか?」


 彼女はその質問に少しばかりの間、黙りこくってしまった。

 私はその回答に、どう答えるのだろうと期待していたが、一向に彼女が口を開けようとしない。

 その姿に私はしまったと思ったが、我慢するというのは素晴らしいことで、彼女はゆっくりと口を開けてくれた。


「高校生の時に見ていた、美術室の夕日ですかね」


 私はその回答にポカンとしてしまった。

 てっきり、ユウニ塩湖だとか熊野古道だとか、はたまたタイで行われるコムローイ祭りのランタンが上がる風景なのかと思たら、美術室から見た夕日という突飛な答えが返ってきたもんだから、私は思わず呆気に取られてしまった。


「それは……どうしてですか?」と私は聞き返した。

 彼女は笑いながらこう答えた。


「私にとって、世界の色彩はそれほど美しくは映っていませんよ。申し訳ありませんが、最も美しい景色という質問に対しては真っ当なお答えが出来ませんので、印象的な景色という意味合いで、美術室の夕日というお答えをさせて頂きました。そうですね……(数秒の間)、緒方さん、あなたは夕日が何色に見えますか?」


 私は質問を質問で返されたことに、少しぎくしゃくした。

 しかも質問の内容が途中ですり替わっていたが、私はそれを気にせずに質問を返す。


「赤でしょうか?」

「正解です。皆さんは真っ赤に見えているはずです」

 真っ赤に見えているはずという言葉に、私は引っ掛かりを覚えた。


「東条さん、あなたは夕日が何色に視えているんですか?」

「私にはね、夕焼けというのは緒方さんが視ているような「赤」ではなくて、水の上に浮かんだ油のように、何色も入り混じって見えているんですよ」


 彼女はそう答え、席から立ち上がった。

 ちょうど向こうでは彼女のマネージャが時間ですよという催促のジェスチャーを私に向けている。


「本日はありがとうございました」

 私は彼女に深々と頭を下げた。


「いえいえ。私にインタビューをする方は皆さん、年収や描き方の技法のことしか聞いては来なかったので、緒方さんの取材はとても新鮮でしたよ」

 そう言い残すと、彼女は微笑み、部屋を出ていった。


 色が視え過ぎてしまうということが、こんなにも苦しいものだとは私も考えてはいなかった。

 彼女は才に恵まれた天才であったがゆえに、これほど苦しんでいるということを初めて知ってしまった。

 そんな苦しみがない私は、必然的に雑誌記者という平凡な職業についているのだと、この取材で悟ってしまった。


「天才」と一口に呼んでいた、凡人たちの蔑称が、こんなにもひどいものだとは私は知る由もなかった。

 彼女は周りから、天才だ天才だと持て囃され、祭り上げられてきたのだと思う。

 だがそれらの苦しみを分かろうとする者など誰もおらず、微塵も理解をしようとも思っていない。


 凡人である私は、天才に嫉妬し続けた。

 だが、今日その嫉妬があまりにも幼稚でお門違いである事を思い知った。


 天才になれずとも、凡人としての私には何ができるのだろうか。

 私はそんなことを考えながら、自動販売機で青い缶コーヒーを一本買った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ