自殺を防がれたと思ったらラブコメに発展するってどういうことだよ。
幼馴染の部屋に拉致監禁されました。
「マー君。勝手に死のうとするなんて私は悲しいよ」
「静音……?」
明かりがカーテンから漏れる光だけの暗い部屋で、簀巻きにされ床に転がっている俺を幼馴染が見下ろす。正直言ってわけがわからないシチュエーションだ。
おかしい。確か、自分の部屋で首を吊ろうとしてたはずなんだけど……。
「やだなぁマー君。いつもみたいに、しぃって呼んでよ。私とマー君の仲じゃん。ほら、そんな目を濁らせてないで、いつもみたいにニコニコ笑ってよ」
しぃがしゃがんで俺の顔を撫で始める。
ハーフアップの黒髪が一緒に流れ落ち、顔に影が出来る。後ずさりたくなったけど、ロープでぐるぐる巻きにされてるから何も出来ない。
死ぬことも、させてもらえない。
「……なんで死なせてくれないんだ?」
「さっきも言ったじゃん。あんな死なれ方したら私は悲しいんだよ。だからちょっと身動きを取れなくさせてもらったよ」
「俺の勝手だろ。……もういいんだよ、死なせてくれよ」
『──はぁ? 俺たちが友達なわけないじゃん』
『──使えないやつの有効活用に決まってるだろ』
『──もういいや。お前』
ズキズキと頭と胸が痛む。
思い出したくもない記憶が今になって目蓋と脳裏から離れなくなる。
辛い、苦しい。頼む、俺を死なせてくれ。
「たかだかクラスの子達に貶められた程度で人生を諦めるなんて許さない、って私は言ってるんだよマー君」
「たかだか、か……。言ってくれるなぁ」
俺からしたら惜しみなく命を捨てられるほど絶望するレベルの事態なんだけど。それをいきなり部屋に入ってきて……?
「そういえば、お前どうやって家に入ってきた? 確か父さんと母さんは家にいなかったはずだが」
「……てへっ」
「……」
「ジョーダン。そんなに睨まないでよ。おばさんから緊急用に予備の鍵を持たされていたの。今日ほど貰っておいて良かったと思える日は無いと思うよ」
スっと学校指定にされている制服のスカートから見覚えしかない鍵がしぃの白く細い手で取り出される。
ちっ、と心の中で舌打ちをしてしまう。
母さんがしぃに家の鍵を渡したりなんかするから俺は死ぬのを止められ、挙句の果てにはこんな身動き取れない状態にされ……。なんだかもうどうでも良くなってきたな。
「さてマー君。一応、念の為に聞いておくけど、どうして自殺をしようと?」
「さっきしぃも言ったでしょ。それが全てだよ。今まで信じてた、友達だと思っていたものが全部嘘だったんだ。中には小学生からずっと続いてたヤツも……」
「それで絶望して、生きるのを諦めようとした、と」
「そうだよ。だから──」
「ダメ。死なせない」
「……なんでだよ」
わざわざ俺の発言を覆い被さるようにそう言うからにはそれなりの理由があるんだろう。しぃと話すのは別に苦じゃないし、どうせ死ぬことに変わりはないなら最期の会話を堪能しよう。
「それはねマー君。君が私の嫌いな人になろうとしているからだよ」
「それがなんで俺の自殺を止める理由になるんだよ」
「それに関してはまず、私の好きな人について話す必要があるかな」
ひたひたと裸足で歩くしぃ。よくこんな暗いところで動き回れるな。自分の部屋だからか?
そして満を持して言い放たれた言葉が、
「まず一つ目は赤ちゃん」
思いっきり警察案件だった。
「……はぁ、お前その趣味はちょっと引くぞ……。ていうか一つ目って、まだそんな感じの趣味が他にもあるのかよ」
「当然。私を舐めないで欲しいね。それと、何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど、私の好きは性的とかそういうのじゃ一切無いから」
心外だ、とでも言わんばかりに肩を竦める。
いや、もうそうとしか思えなかったんだけど……。
「言い方を変えると、好きな存在。その人自体じゃなくて在り方の事を言ってるの」
「……スマン、まだよくわからん」
「そう? じゃあ今は理解してなくてもいいよ。どうせすぐわかるから」
しぃはカーテンのある壁に歩き、俺に向き直る。逆光のせいで顔に濃い影が出来て見えるはずもないが、なんとなく良い顔をしているんだろう。自分の興味のある事や好きな物を話してるしぃは大抵嬉しそうにしてるからな。
「まずマー君。赤ちゃんってどんな存在だと思う?」
「……どんな存在? 産まれたばかりの子、とかだな」
「その通りだね。それに付け足すと温くて、すべすべで、柔らかくて……。しかも指を差し出すときゅって握りしめてくるの。とってもかわいいと思わない?」
「まぁ、そうだな」
特に否定するような事じゃないから肯定すると、しぃは興奮するように腕を大きく広げて声を張り上げる。
「そんなかわいい存在が、今の私たちみたいに成長するんですよ! たまらないじゃないですか!」
一気に言ってることがわからなくなった。
「お、おい? しぃ?」
「あんな穢れを一切知らないような満面の笑み! 他の大きな存在に護られていないとたちまち死んでしまいそうな生命! とってもいい!」
ダメだ。全然聞いてない。自分の世界にのめり込んでる。
でも、ここまで夢中になってるしぃを見るの、十年近く一緒にいるけど初めて見たかもしれない。
そうしてしばらく興奮が収まらないしぃを見ていると、俺から見て横向きにピタッと止まってそっとお腹の辺りに手を当てる。
「私も早く赤ちゃん欲しいなぁ。そうしたら三百六十五日二十四時間ずっとその子を観察し続けられるもん。そしたら、いつどのタイミングで醜く穢れていくのか見られるし」
そう言ってワイシャツを握りしめる。その時、握った分の面積が手の平に集まり、他の部分に必要な布が足りなくなり、パツパツになる。
もっと言うと、ワイシャツのダボったくなって俺も知らなかった、それなりに成長しているしぃの胸が浮き上がる。
カーテンが受け損なった光によってそれはより強調され、ついそこを凝視してしまう。
「……あ、ごめん。ちょっと語りすぎちゃったね。でも、これで何となくわかってくれたかな? 私の好きが何を示してるか」
「……あ、あぁ。まぁなんとなく」
しぃから声をかけられ、ようやく胸から目線を外す。
こんなことでまさかさっきまで使う気も無かった頭の回転が戻ってくるとかアホみてぇ……。いやまぁ、俺も歳頃の男だからな。うん、仕方ない。
「じゃあお前の嫌いな存在? っていうのか。それってどういうやつなんだ?」
頭の回転が戻ってきたついでに質問をしぃに投げかける。
決して、胸を凝視していたのを悟らせないよう、他の話題をすぐに出したわけじゃない。
「うんうん、少しだけマー君の声に覇気が戻ってきてよかったよ。それで、私の嫌いな存在のことだよね。簡潔に言うと『生きるのを諦めて、自分から死のうとする人』かなぁ」
「なんかさっきのよりわかりやすい例えだな……って、それ俺のことじゃないか?」
「うん、だから止めたんだよ」
少しだけ目が慣れてきたのか、しぃの顔が見えた。
とても怒っているような、そんな顔が。
「……それで、なんでそれが嫌いなんだ? 理由とかあるだろ?」
「もちろん。こっちは説明がしやすいね。マー君、ちょっと舞台劇を観てるところを想像して?」
言われた通り、ライトに照らされながら舞台上で演技をしている俳優たちを思い浮かべる。
「そしたら主役の人がいるよね?」
「あぁ、いるな」
「その人が突然、舞台から降りて帰らせて」
「おう……ん?」
帰らせるの? なんで?
「マー君、今なんで? って思ったよね」
「そりゃあそうだろ。何してんだよ主役。勝手に帰るって」
「それが私の中にあるの」
なるほどな。これは赤ちゃんのくだりよりわかりやすい。納得するかはまた別としてだけど。
「つまりしぃは、自分の幼馴染がそんな死に方するのが気に食わないってことだろ? もしそうだったらふざけるなよ。俺はお前のおもちゃでも観賞用ペットでもねぇんだぞ」
「……んふふー。半分正解。半分間違ってる。それに、私はマー君をそんな風には思ったことは無いよ」
にぃ、と笑みを浮かべる。そして俺に向き直り、
「愛してるから。それだけの事だよ、マー君」
そう言った。
「……は?」
愛? 今、しぃが俺のことを愛してるって?
「存在が好きとか嫌いとか、そういうのが私の中で定着してからかな。マー君を分類分けする時どう考えてもマー君は私の定義のどれにも合ってないから後回しにしようとしたの。だけど、意識し始めたらずっと頭の中から離れなくてね」
「ちょ、ちょっと待て」
戻ってきたはずの頭の回転が置いてかれる。
しぃの言っていることが耳に入らない。
「それでクラスの子に表現を変えて聞いたら、それは愛だよって言われちゃってね。まぁ、そう言われると納得しちゃったよ。だからこの気持ちは愛なんだよ、たぶん」
手を重ね、胸の前で大切そうに握りしめる。
外も日が沈んできたのか紅く染まる。それに伴って、しぃの顔にも赤みがかっている。
「いや、それは」
「だからね、マー君」
気の迷いだ。その言葉はしぃによって阻まれる。
一息おいてから、しぃは俺が見た笑顔の中で一番のもので俺に言った。
「今のまま死んだら、許さないから」