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いずれ神様になる君との間の300日記

 3月1日(日曜日)――今日、園華に告白された。




 消毒液の香りが漂う、白を基調とした廊下。午後の日差しが壁を照らし、仄かな温かさを肌に感じる。305号室、個室の入り口には神渡(みわたり)の札が掛けられていた。


園華(そのか)ー?」


 扉にノックしながら呼びかける。もう起きているはずの時間だが、いつもの蚊の鳴くような返事は聞こえない。


「居ないのか……?」


 呼びかけながら扉を開けると、窓から景色を眺めている彼女の後姿が目に入った。


「……起きてて大丈夫なのか?」

「あ、文人(ふみひと)じゃん。久しぶりー」


 気付かなかったというように彼女は振り返り、にっこりとほほ笑んだ。


「……元気そうだな」

「うん。今日は調子いいんだ」


 そう言いながら腕を伸ばし、元気だと体でアピールする。


「手ぇ震えてんぞ」

「ちぇっばれたか」

「寝てろ寝てろ」


 ちょっと悔しがるような表情をした後、彼女はベッドへと横たわり、ゆったりと力を抜いた。


「折角久しぶりに来てくれたのに、いつもと一緒かあ……」 

「……大丈夫か?」

「うん。文人(ふみひと)を驚かせてやろうと思って、ちょっと無理しちゃったけどね」


 青白い顔で少し苦しそうに笑った。


「…………受験はもう終わった?」

「とっくにな。結局水高(みずこう)受けたし、多分受かってる」

「そっかー……。私も高校行きたかったなー」


 悲しそうに呟く彼女に、かける言葉も見つからない。


「……ちょっと、トイレ行ってくるわ。ちゃんと寝とけよ」

「言われなくても、もう立てないよー、だ」


 パタパタと手を振る彼女に見送られながら、病室から廊下へと逃げ出した。




 神渡(みわたり)園華(そのか)は俺の幼馴染で、昔から体が弱くて、ちょっとしたことで入院しがちだった。中学に入ってからは、病院で過ごすことの方が多くなって。ずいぶんと髪が長くなったし、手足も細くなった、と思う。

 学校に通えない彼女に授業で習ったことを教えるのが俺の習慣になっていて、そのせいか俺の成績はなかなか悪くないほうだった。元々頭の良い方だった園華は、教えたことをすぐに覚えてくれたから、時々しか学校に来れなかったけどテストの点数はいつも良かった。きっと俺が居ない間も、ずっと勉強していたんだと思う。


(もしかしたら、と思ってたんだけどな)


 冬は特に体調を崩しやすい彼女だったけれど、今年ばかりは神様が味方をしてくれて、健康でいてくれたら、そう思っていた。


(そうすれば、あいつと一緒に……)


 俺が受験した水鏡(みかがみ)高校は、この病院から近くて、神渡の家からも通学しやすい場所にある。

 彼女が受験するならここだろう、と前々から二人で話し合っていた。


(そろそろ、戻らないとな)


 本当は泣きたいのは園華の方のはずなんだ。だから、俺は涙を流さないし、弱音も吐かない。そうじゃないと駄目なんだ。

 鏡を見る。少し寝癖が付いていたから、ついでになおしておく。ちゃんといつも通りの俺の顔だ。ちょっと眠そうな顔で、でも、ちゃんと笑える。

 頬を両手で軽く叩く。渇いた音がトイレに響いた。


「よし、大丈夫」




「遅かったね、寝ちゃうところだったよ」

「久しぶりに来たから迷ったんだよ」


 そんなに遅くなったつもりは無いけれど、嘘をついて誤魔化した。


「文人、方向音痴だもんねー」

「これでもマシにはなってきたんだぜ?」

「ほんとかなー?」

「ほんとだって」


 なんでもない会話をしている間は、悲しまずに済む。園華も、笑っている間は少し顔色が良くなっているような気がするし、せめて俺と居る間くらいは、明るい顔で居させてあげたい。


(……お節介なのは分かってるけどさ)


 思い返せば、俺のお節介が原因で喧嘩になったことも多い。いつも最後には俺が折れて謝るんだけど。

 それでも止めないのは、やっぱり、園華のことが好きだからなんだろう。

 受験もひと段落して、ようやく自分の思いと折り合いをつけて、今日はそれを伝える為にやってきたんだ。


「……あのさ」

「なに?」


 いざ、口にしようと思うと、声が出ない。練習をしてきたわけじゃないけど、イメージは出来てたはずだ。それに、此処でもし振られたとしても、それで俺達の関係が終わるわけでもないし、俺が園華を嫌いになるわけでもない。そもそも、付き合いたいから告白するんじゃない。そりゃ付き合えたらいいのは当然として、付き合いたいからじゃなくて、俺の気持ちをただ伝えたいだけで……。

 自分に言い訳してどうするんだ。覚悟を決めろよ。


「俺さ……、……えっと、これからもお見舞い、来るから」


 ……結局、言えなかった。いつも通り、言えないままだ。


「なによ改まってさー。文人らしくないよー?」

「…………こっちにもいろいろあんだよ」

「ふぅん。でも、いいよ。別に」


 園華は言う。何かを気取られたのかと焦ったけれど、続いた言葉は俺が思っていたものとは全く違っていた。


「私ね、もう暫くすると、もう入院しなくて良くなるんだー」

「……本当か?」

「本当だよ。だって、私、神様になるんだから」

「は?」


 唐突に出た言葉を飲み込めない。

 あっけに取られている俺をよそに、園華はスマホを弄り始めた。


「えっと、今日が3月1日だから……。わっ、すごい。ちょうど300日だ」


 スマホの画面をこちらに見せながら、続けて言う。


「実はね、今日から300日で、私は死ぬの」

「死ぬって、……え?」

「私ね、死んだら神様になるんだって」


 それぞれの言葉が全く繋がっていない。それなのに、園華の顔は真剣で、全く嘘をついている風でも、正気を失って戯言を吐いている訳でもない。


「夢で見たの。私は神様が振ったサイコロの目に選ばれて、次の神様になるんだって。それで、その日が次の私の誕生日。12月25日ね、文人も覚えてるよね」

「……うん。覚えてるよ」

「ありがと。それでね、もう少しだけなら神様の力? みたいのが使えるんだ。あんまり使うといろいろおかしくなっちゃうからって言われて使わないことにしてたんだけど。文人の話を聞いてたら、ずっとこのままは嫌だなって思っちゃって」

「……俺だって嫌だよ」


 嫌だ。あと300日で園華が死んでしまうなんて、ずっと園華が入院したままだなんて。

 折角、園華と一緒に(・・・・・・)高校に通えることに(・・・・・・・・・)なったのに(・・・・・)

 

「だから、ちょっとだけ、使っちゃった。何が起こるかはまだよくわからないけど」

「……次、退院っていつなんだ?」

「まだ、もう少しだけかかるのかな。大丈夫、始業式までには間に合うから」


 園華の笑顔は、どこか後ろめたそうで、そして、なんだか儚げだった。

 今にも消えてしまいそうなほどに。




 病院からの帰り道、園華の表情を思い出しながら歩く。

 きっと、12月に死ぬって言った園華の言葉は本当だ。あんなに真剣に嘘を言える奴じゃないのはよく知っている。じゃあ、神様になるって言ったのは?

 熱心に宗教をやっているタイプでもない。死ぬのが怖くて、宗教に頼るってのも聞かないじゃないけれど、今年中に死ぬほども体が弱り切っている訳じゃないはずだ。

 確かに、今回の入院は長かったし、俺も受験でしばらく顔を見に行けていなかった。

 その間に弱り切ってしまったんだろうか……?


(……? 何かがおかしい。何かを見落としているような気がする)


 しばらく顔を見に行けなかった? 長い間ずっと入院していた?

 じゃあ、俺の記憶にある園華との経験はなんだ?

 模擬試験の時の会話や、水鏡(みかがみ)高校の試験会場までの会話も、俺の記憶にはしっかりと残っている。試験の出来が良かったと喜んだことも、問題の答え合わせを二人でしたことも、全部鮮やかに思い出せる。だって、あれからまだ一週間も経ってないはずだろう?


「どうしたの?」


 隣を歩く園華(・・・・・・)に問いかけられる。


「……いや、ここ最近の記憶がなんだか、曖昧だなって」

「ふぅん」


 興味無さげに園華は相槌を打つ。


「そんなので大丈夫? 私と居られるの、もう300日しかないんだよ?」

「そうは言うけど、誕生日になったら死ぬなんて、そんなことすぐ信じられる訳無いだろ?」

「でも、ほんとだもん」


 そっぽを向いて膨れる園華。怒った時のいつもの癖だ。


「……分かったよ」

「何が分かったの?」

「あー……。じゃあ、今日から日記をつけるよ。300日間。お前が死んで神様になるって言うその日まで」

「日記? うん。いいね。私もつけようかな。私と文人の、300日の日記をさ」

「交換日記はしねえぞ?」

「うん。いいよ。でも、私が死んだら、きっと日記を読み返してね。約束だよ」


 子供のように小指を差し出して園華は言った。いつ以来かの指切りだ。


「……なんか恥ずかしいなこれ」

「言わないでよ、私も恥ずかしくなっちゃうじゃん」


 そう言う園華の顔は、仄かに赤く染まっていた。

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