異世界転移保険調査員・平賀
今の世の中、異世界転移が大流行だ。
何って? 小説の話だって? 違う違うそうじゃない、これはまごうこと無き現実問題。くそくらえの日常問題だ。
昨日まで元気に虐められていたクラスメートが、ある日屋上から身投げしたと思ったら、地面にその姿は無い。
昨日まで元気に引きこもっていたクラスメートが、奇跡的な外出を果たしたと思ったら、警察には報告されないタイプの交通事故に合って現場から消失する。
昨日まで元気に死にそうな顔をして満員電車に揺られていたサラリーマンが、ふらりと落ちた線路から消失する。
被害者? は主に社会的弱者、彼らはある日突然現世に別れを告げる、しみったれた怨みの言葉や、煮えたぎった悪意を残す事すらなく。そんな事に使うカロリーなんて残っちゃいないと言わんばかりに、儚く消える。
そして彼らはしばらくすると帰ってくる。それはもう突然に、夜が過ぎると朝日が昇るみたいに極々当然な顔をして戻ってくる。
だが、彼らの大部分は手ぶらで帰ってくる訳じゃなかった。
今日も新聞の3面記事に乗っている。『異世界転移者また大乱闘。〇×ビルが崩壊』
彼らは転移先から異能力を持ち帰ってくる。それは人知を超えた超常の力、物理法則なんて鼻で笑っちゃうような何でもありの超能力だ。
彼らはその力を存分に現世で振るう。それが当然の権利であるとばかりに、今まで虐げられてきて十二分に高まった圧力をここぞとばかりに解放する。
まぁ、分からないでもない。
転移する前の彼らは何処までも無力な虫けらだった。
誰からも顧みられることの無い、社会の歯車以下だった。
普通に生活することが困難な、色んな意味での不適合者だった。
そんな彼らが何でも思い通りになる力を手にしたらどうなるか? 決まってる、何でも思い通りにするのだ。
彼らは涙を流しながらその超常の力を振るう。ここは自分の場所では無い、元の世界に返してくれと訴えながら。
彼らがどんな世界で、どんな生活を送って来たのか、それは彼らにしか分からない。
だけどその世界は、彼らにとってはきっと理想的な世界だったのだろう。
少なくとも、カーテンを閉めっぱなしの部屋で、24時間ベッドの中にこもりっきりと言う生活よりはマシな筈だ。
「平賀さーん、出動要請でーす。現場は――」
やれやれ、今日もまた下らない仕事が始まる。俺は新聞を畳んで席を立つ。俺の仕事は保険会社の調査員。それも唯の保険会社では無い、異世界転移保険会社の調査員だ。
★
「どうも初めまして、私異世界転移保険の平賀と言います」
「うるせえ! 俺は! 俺は!」
目の前の彼は興奮状態。とても呑気に話なんか出来る雰囲気じゃなかった。
異世界転移保険それが俺の仕事だが、お客さんには大きく分けて2種類に分類される。
ひとつは、今目の前で大騒ぎしている彼の様に、異世界転移を果たしてきた人間。彼らの現世復帰後の生活のサポートだ。
そしてもうひとつが……。
――俺は、元の形が分からないほどにぐちゃぐちゃの肉塊になった何かを横目で見る。
もう一つのお客さんは、ソレの様に、異世界転移者に危害を加えられる人に対するケアだ。
もっとも今回は生命保険と言う形で支払われる事になりそうだが……。
異世界転移者が起こしたことを現代の法律で完璧に裁くのは難しい、何しろ現代の常識を遥かに超えた超能力だからだ。
例えば、現代の科学力ではどう調べても自然死にしか見えない様な、高度な呪いの力を持って現代に復帰した人間を、どうやって殺人罪で裁くかと言う事だ。
これは難しい問題だ、彼にしか行えない、彼独自の法則によって行われた、他の人間では再現不可能な犯罪をどう立証するのか。
そんな法整備が追い付いてない隙間産業として成り立っているのが異世界転移保険と言う事だ。
「まぁまぁ落ち着いて、お気持ちは十分に分かります」
「何がだ! 俺を! 俺を元の世界に返してくれ!」
彼は泣きながらそう訴える。異世界を救った勇者様とは言え、排ガスだらけのこの世界じゃ、何一つ……自分の心さえ救えやしないと言う事だろう。
彼らの大部分は超常の力を持って現代の世界に帰ってくる。それはとても幸運で、とても不幸な話だった。
俺は何時もの台詞を告げる。
「その力は、近いうちに消えてしまいますよ」
彼らの力は彼らが転移した世界で発揮できた力だ、それはこの世界では明らかな異物である。
この世界に意思があるのかどうかは知らないが、彼らの力は短期間で消滅してしまう、要するにガス欠だ。
俺がこのセリフを口にすると、彼はくしゃくしゃの顔をよりくしゃくしゃにして訴える。
「だったら! なんで俺をこんな世界に連れて来たんだ! 俺を元の世界に返してくれ!」
大昔の(フィクションの世界での)転移ブームの時は、最後は現世に戻るのが鉄則だったようだけど、価値観は変わってしまった。
ともかく最近の転移者は基本的には社会的弱者が被害者? になる、彼らにとっては転移先こそが元の世界、約束された理想郷だ。
「私に言われても困ります」
彼らの訴えに、俺は苦笑いをするしかない。強力な力にはそれ相応の制約があると言う事だろう。
「帰して……帰して……くれ」
転移は突然に、そして帰還も突然に。異世界とやらは、容赦なく人の人生を弄ぶ。現代に帰還した彼は、混乱した頭で、無自覚に異能の力を振るいまくった。自覚して復讐を果たした。
その報いは直ぐに訪れる事となる。自分の力が現世と言う冷たい熱に炙られ、どんどん蒸発していくのが彼にも分かっているだろう。
「……分かりますよ」
ああ、その気持ちは十分に分かる。
「何がだ! 何がだよ!」
「俺も転移経験者ですから」
俺はそう言って肩をすくめた。
俺が転移したのは、ありふれた剣と魔法のファンタジー世界だった。そこで輝かしい冒険をし、恋をして、愛を知り、魔王を倒した所でお役御免となった。
絶望し、後悔し、悲嘆した。こんな事になるのが分かっていたら、魔王なんて倒さずに何時までもあの世界で暮らしておきたかった。
だが、現実はこれ以上なく非情だった。楽園から追放された俺は元の生活に戻った。即ち、カーテンを閉め切った部屋で、24時間布団に籠り切る生活だ。
そんな日々を繰り返していたら、ある日スカウトを名乗る人物が現れた、そう、『異世界転移保険会社』を名乗る不審者だ。
生きる屍と化していた俺は、その手を振り払う気力も無く、言われるがまま、調査員となり今に至ると言う訳だ。
「今回の事は事故として処理されます」
超常の力をもってして行われた犯罪を裁ける法律は現代にないからだ。
「貴方の身柄は、我が社で保護される事になります」
とは言え、無罪放免と言う訳にはいかない。彼は我が社のとある部署でその罪を償ってもらう事になる。
まぁどうせお互いここから先は人生のアディショナルタイム。余生を過ごすには十分なほど暇を食いつぶせる場所だ。
「大丈夫ですよ」
俺はそう言って空っぽな笑顔を浮かべたのだった。
★
「いやー、今回は楽な仕事で助かりました」
もっとも、彼が力を使い果たしたであろうタイミングを見計らっていたのだ、実力行使でも何とでもなった事だった。
「ご苦労様、それにしても最近は手馴れて来たわね」
「いえいえ、これも社長のご指導のおかげです」
彼の確保が終了したことを社長に報告する。特殊な会社の特殊な業務だ、社長との距離は他の会社よりは近いだろう。
もっともこれが初めての社会人生活なので、他の会社と言っても想像上の事ではあるが。
俺の報告を受けた社長は、にこやかに笑って報告書を受け取ってくれる。外見は20代に見える社長だけどその年齢経歴は一切不詳、怪しい事この上ない社長だけど、僅かな期間でこの会社を設立したその手腕は確かなものだ。
そして何より美人なのがいい、どうせ働くなら目もくらむような美人の下で。
あの夢の様な異世界を手放したんだ、これくらいのご褒美を願ってもばちは当たらないだろう。
★
月のない夜空の様な静かに響く社長室にて、彼女はカタカタとキーボードの上に指を踊らせていた。
「今回は『ISBN1234‐5‐……』からのお客さんね」
彼女は悪戯が成功した幼子の様にクスリと微笑を浮かべる。
「スローライフだのなんだの言っても行き着き先は皆同じ、終焉からは逃れられないのよ」
どんな世界にも、どんな物語にも終わりと言うものはある。ここは終焉の世界、物語が行き着く終着点。幸せな結末を迎えた物語があれば、不幸な結末を迎えた物語、あるいは結末を迎える事すら出来なかった物語等々、彼女は様々な物語を蒐集していた。
「全く、飽きもせずによくやるわい」
彼女以外誰も居なかったはずの世界に、ボンヤリと影法師が浮かび上がる。
「あら、しょうがないじゃない。これは私にとって呼吸の様なものなのよ」
彼女は突如掛けられたその声に振り替える事無く返事を返す。
「貴方たちだってそうでしょう? むやみやたらに移動させて。私は貴方たちの後始末をしている様なものよ」
「それを纏めてどうしようと言うのじゃ?」
「さて、どうでしょう? この絶望と堕落の世界、それを抜け出せる子が居たら、面白いとは思わない?」
彼女はそう言って、無邪気に虫けらを踏みつぶすような微笑みを浮かべたのだった。





