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私のマスターは地上最強、でも定時には帰っちゃうんです!

 私の隣でマスターがそのすらりと長い腕を翳して天を仰いだ。途端、ふわりと色とりどり、五色の魔法陣が空に咲く。それは真っ赤に燃える西日に彩られて、キラリと輝きを放ち。


 ――――フレアティックエクスプロージョン。


 マスターの囁く声が私の耳にも届く。刹那、密集陣形で目前に広がる数千の敵部隊が、轟音と共に爆散した。


 蒸気爆散(フレアティックエクスプロージョン)。同時に五つの魔法を展開するこの技はマスターのオリジナル。


 水を発生させる魔法、それを高密度に圧縮する魔法、熱を加える魔法、爆発を制御する魔法、そしてそれらを百分の一秒単位で管理する魔法。


 マスターはそう話したが、私には何の事やら、ちんぷんかんぷんへのへのもへじだ。

 尤も理屈が解ったところで二種類以上の魔法を同時に展開するなど、私は勿論マスター以外の何者にも出来るとは思えなかったのだが。


 そんな事をうつらうつらと考えながら私がマスターの横顔を眺めていると、やがて周りの味方兵士達から大きな歓声が沸き上がった。


「敵は怯んだぞ! この好機を逃すな!」

「サゴマイザー殿がやってくれたぞ!」

「俺達は伝説を目の当たりにしたんだ! この戦、勝てるぞ!」


 私同様、目の前で起こった大魔法に一時我を忘れ呆然としていたのだろう。徐々に現状を理解し始めた味方の軍勢が崩れた敵軍に進撃を開始する。


 私達も行きましょう! 怒濤の進軍に砂煙舞う中、私がそうマスターに尋ねた時だった。


「ふむ」


 そっと右腕に目をやったマスターは私の発言などまるで聞いていないかの様な素振りで、くるりと踵を返した。


「ま、マスター! 何処へ行くんですかぁ! そっちは反対方向ですよぉ」


 人の流れに逆らう様にその合間を縫ってするりと歩むマスターに必死で追い縋る。すると並んだ私に、マスターはついと右腕を差し出した。腕に巻かれた時計という道具が西日を受けてキラリと黄金色に輝く。


「ほら、もうこんな時間ですよ。直ぐに日が暮れます。私達は帰る事にしましょう」


 は? 帰る? さらりとそんな事を口にするマスターに私は目を剥いた。だってまだ戦いは始まったばかりなのだ。


「あのぅ、マスター? 帰るって、本陣に戻るって事ですか? 撤退命令は出てませんよ」


「違う違う、ほら街に宿をとったでしょう? そこに帰るのですよ。まあ本陣にも寄りはしますがね。もしかしてノエル君はまだ働きたいのですか? それなら別に構いませんが、私はお先に失礼させてもらいますよ」


 よ! ってそんな力強く言われても困る。いくら雇われの傭兵だからって戦闘の途中で勝手に帰るなどという事が許されるのだろうか。だがマスターが帰るというなら私もそれに倣うしかない。


 ……ああ、これ絶対に叱られ案件だよぅ。



 そして私が思った通り、ふらりと立ち戻った本陣では部隊の指揮を執るドゴール将軍が私達の帰還に額に青筋を立て怒り出してしまった。それ見た事か、だ。


「さ、サゴマイザー殿! これは一体どういう事かね。其方は前線で戦っている筈ではないのか。いや、其方の活躍は私も聞き及んでいるが、だからといって勝手な真似をされては困る。一体どういう了見でここに戻ったというのかね!」


 どうやら前線の様子は早馬でここ本陣にも伝わっているらしい。マスターの活躍が知れているのは正直有難かったが、ドゴール将軍、この怒れる偉丈夫の言う事も尤もである。


 しかし私のマスターはというと、どこ吹く風。煩そうに服に仕舞ってあった一枚の紙切れを取り出して、さらりと口を開いた。


「了見と言われましても、ほらこの契約書に書いてありますでしょ。勤務は日の出から日没まで、と。丁度今、陽が沈みました。定時になりましたので私は帰ります」


 定時? 私がその紙を覗くと確かに書いてある。契約は三日間、日の出から日没まで傭兵業務に携わる事……


「なんだ、その紙は! うっ、確かに書いてある…… いや、だからといってここで帰られるのは困る。其方のおかげで敵の砦に肉薄しているのだ。これから夜営を敷き砦を包囲しなければならん」


「それはそれはご苦労様です。でもこれはそちらの後方担当幕僚と正式に交わした約束ですから。反故にされても困りますよ。それで、ここ、見てください。賃金は日払いでとなっているでしょう? ですから今日の分を頂いて私達は帰ります」


 その為にマスターは本陣に寄ったのか。それが無ければそれこそ挨拶の一つも無しに帰ってしまったかもしれない。


「ち、賃金!? 急に言われても、いや、そもそも帰らんでくれと言っておるのだ。な、頼む。そこのお嬢さんも何とか言ってくれ」


 そう言って将軍が私の腕をぎゅっと掴んだ。その顔に当初の怒りは既に無く、縋るような様子に同情はするが、そんなこと私に言ってもらっても困る。それに掴まれた腕がちょっと痛い。

 そうして私が俄かに顔を顰めた時だった。


 ――――あなた、それセクハラですよ。


 これまでにない重たいトーンでマスターの声が響く。


「せく? 何だって? よく聞こえなか……うぐっ!」


 私の腕から将軍の手が離れたかと思うと、次の瞬間、ズガンと音を立ててその顔が地面にめり込んだのだ。勿論それをやったのはうちのマスターで、押さえ付けたその手を将軍の頭から離し、ぱんぱんとはたいて辺りを見渡している。


「ああ、そこの君、ちょっとこちらへ来てくれ」


 青ざめた顔で一部始終を目撃していたその男が慌てて飛んでくる。人はこんなに速く走れるのかというくらいの猛ダッシュだ。


「わ、私は作戦幕僚のパラライヤであります!」


 マスターに向かって敬礼を示したその彼が緊張に声を震わせる。


「いやいや、私は君の上官ではないのだから、そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。見ての通りドゴール将軍は不慮の事故で会話が出来なくなってしまった。それで君に伝言を頼みたい」


「イエッ、サー!」


「私は約束を破られて尚平穏でいられる程、人間が出来てはいないのでね。三日間という契約だったがそれは無かった事にしてもらおう。わかるね? こうなったのはそこで寝ている君の上官が悪い。今日の分の日当と私が倒した敵兵の数に相当する報酬、ほらそこに書いてあるでしょ、歩合報酬って。それと後の二日分は違約金として頂戴する。これを一週間以内に私のところに持ってくるように。もし約束を違えれば……」


 マスターを包む空気に凄味が増し。


「今度は君達がさっきの敵部隊みたいになるよ。なんてね」


 私は知っている。冗談めかしてはいるが、マスターなら本気でそれくらいの事はやり兼ねない。魔法一撃で倒した敵の数は二個大隊、おそらくその報酬は巨額なものとなるが、このパラライヤという青年がきちんと上層部を説得し約束を守ってくれることを切に願うばかりだ。



 そして最後まで緊張を顔に貼り付かせ棒立ちのまま見送ってくれたパラライヤさんに手を振り、私達は本陣を後にした。


 辺りはすっかり暗くなっている。今頃包囲した砦に向けて攻撃を始めているのだろうか。それとも逆に暗がりの中、奇襲に遭ったりしているのかも知れない。まあ、最早私達には関係が無いのだけど。


 そんな事を考えながら私はそっとマスターの横顔を見詰めた。


 私のマスター。サゴマイザー・栖川(すがわ)。細身の長身に異様に長い手足、オールバックに撫で付けられた黒髪。それは自他共に認めるこの世界最強の魔導師で。


 曰く、小石を投げてドラゴンを倒した伝説の英雄。


 曰く、一晩で国一つ滅ぼした破壊神。


 曰く、百万の兵に匹敵する最狂の戦士。


 真しやかに囁かれる噂の数々はきっとどれも本当の事なのだろうと私は思う。


 そしてこれも噂の域を出ないのだけど、極希に産まれながらに神様から与えられる特殊な能力というものがこの世にはあるらしい。人並外れた強い力、神の如き明晰な頭脳、別世界の記憶。

 子どもの御伽噺のようなそれは話だが、贈物(ギフト)と呼ばれるそれらの特殊能力を仮にこの人が持っているといっても私は決して驚かないだろう。


「ノエル君、今日は遅くなってしまいましたね。お詫びとして街に帰ったら夕食をご馳走しますけど如何ですか?」


 無言になってしまった私をどこか気遣う様に、マスターが目を細めて微笑む。


「勿論嫌ならいいんですよ。君の勤務時間は終わっていますからね。今は勤務時間外です。私はノミニケーションという言葉は好きではありませんから」


 ノミニケ? 何だろう、時々マスターは訳のわからない事を言う。だけど私がわからないだけで、きっと何か意味があるのだろう。その意味が解る日が来ればいいなと思う。


「勿論ご馳走してもらいます! それにしてもマスター、さっきのはちょっとやり過ぎではありませんでしたか?」


 私がそう言って笑うと、マスターは、ふむと小首を傾げた。


「私はね、どうやら忍耐というやつを王国軍に置いてきたようです。遠い昔、辞表と一緒にね」


 私のマスター、かつての王国軍最強の魔導師、そして戦争中でも必ず定時に帰る男。


 ――――サゴマイザー・栖川。


 月明かりの下、私はその名前をそっと呟いてみた。

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