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歌姫の身代わりになった俺と魔王城と音楽の時間

 森に囲まれた小さな町にしては、少し贅沢な広さの酒場がある。

 そこで誰かがギターを弾き始めると、酒が入った男たちは手際よく机と椅子を端に退け、ドタドタとブーツの音を響かせながら好き勝手に踊る。

 俺はその店の皿洗いだった。


「エータ、呼ばれてんぞ。歌えって」

「ウッス」


 手に持っていた大皿の泡だけ流して、タオルで雑に手を拭く。

 厨房を出ると髭面のおっさん達が「おー来た来た」「おせーぞエータ。ずっと呼んでンのによ」と笑って迎えてくれた。

 店の端にある低く狭いステージに向かう。そこには常連の初老の男性がギターを抱えて座っている。


「ご指名あざっす。でもね、俺はシンガーじゃなくて皿洗いなんですよ。知ってました?」


 そう笑って俺もステージ上へ。作業が追い付かないくらい汚れた皿が積まれると思ったら、今日はちょっと客が多いな。

 選曲はいつも奏者がしてくれる。流れてきたイントロを聴いて、集中するために目を閉じた。

 その曲は、女性でも難しいくらいの超高音で始まる。そこにビブラートがうまくかかると最高に気持ちいい。

 ギリギリまでゆっくりと深く息を吐き出す。


 さあ出番だ。



◇◇◇◇



「……ああ、ねみぃ」


 歌い始めた時には閉店時間をとっくに過ぎていたため、2曲だけ歌ってお開き。

 テーブルと椅子の水拭きを終えた仕事仲間のベディンが、身体をねじって骨を鳴らしながら厨房にやってきた。


「今日も日付が変わっちまったなあ」

「なんでも大物が何頭も狩れたとかで、みんな浮かれてたからな。最近は誰々の畑がやられただの、家に獣が入り込んで大怪我しただのって出来事が続いたけど、これで少しは落ち着くかな」


 グラスの水滴を拭き上げ、俺の仕事も終わり。

 静かになったベディンを不思議に思って振り向くと、彼は壁にもたれながら腕を組んでこちらをじっと見ていた。


「え、何?」

「今日の歌はアレ、歌姫の曲だろ。あんなのよく歌えるよな」

「“あの月は誰のものか?”のこと?」


 王都にある劇場で、昔から毎年やっているミュージカル『あの月は誰のものか?』の一番の見せ場で“歌姫”が歌う曲である。

 歌姫は役の名前ではない。この国でたった一人、歌う事で人々を癒す力を持つ女性の事だ。

 王族と変わらない扱いを受け、普段は城から出ない。だから、彼女の歌声を聴く事が出来るミュージカルは、2ヶ月の公演期間が設定されているにもかかわらず、国中から人がやってきて空席ひとつない。


「本物には遠く及ばないよ」

「でも毎回みんな聞き惚れてるじゃないか。客が喜んでるんだからいいんだよ。くぅーっ! 今年こそは俺も本物を――…」


 そこまで言ってベディンが急に表情を消した。


「……ああ、いや、これ噂なんだけどさ」


 彼は厨房内に人がいないのを確認すると


「魔王が“歌姫を生贄に寄越せ”って要求して来たらしい」


 声を潜めてそう言った。


「ええ? そうだとしてもさすがに応じないだろ」

「でも応じなきゃ王都が襲われる。歌姫の能力って大体5年くらいで別の人間に移っていくだろう? 今の歌姫もそろそろだ。で、あれば……あり得なくはない」


 そして、と彼は続けた。


「私ひとりの犠牲で人々が救われるなら。歌姫ならそう言って引き受けそうじゃないか」


 そうだろうか。

 しかしまあ、大勢の人にとって歌姫のイメージとはそんなものだ。

 伝説の勇者も変身するヒーローもいないこの世界では、人間の平穏な生活は年に一度の生贄を差し出すことで保たれている。


「エータ!」


 裏口の扉が勢いよく開かれ、先に帰ったはずの従業員が血相を変えて飛び込んできた。

 無駄話が長いと怒られるのではないかと背筋を伸ばしたが、どうやらそういう事でもないようだ。


「すぐ家に帰れ! マリーちゃんが毒持ちの魔物に咬まれた!」


 少し思考停止した後、ハッと我にかえってエプロンをつけたまま店を飛び出す。


 仲の良い夫婦と、9歳の娘マリー。この3人家族が暮らす町外れの家に、俺は居候させてもらっている。

 半分森に入ったようなところに建っている家で、時々すぐ傍まで鹿などの動物が来るのだが、魔物なんて滅多に見かけなかった。

 マリーの両親は、4年前に金もなく空腹で森の中を彷徨っていた俺を保護してくれた恩人だ。言葉もわからず身元もハッキリしない俺に丁寧に言葉や文字を教え、今の仕事を紹介してくれた。マリーとだって、本当の兄妹のように過ごしてきた。


 家の外には心配して集まってきたらしき大人達がいたが、挨拶をする余裕もなく家の中に飛び込む。

 居間にマリーを含む家族全員と、この町で唯一の医者が揃っていた。俺に気付くと、奥さんであるシーロさんが唇と手を震わせながら、近くにおいでと手招きする。

 ソファーにぼんやりとした表情で横たわっているマリーの顔色は真っ白で、唇が紫色になっている。それに加え、額には汗が噴き出していた。


「エータ、ちゃん……?」


 彼女が俺の名前を弱々しく呼んだ。そばに寄っていき、手を握って「しっかりしろ」と声を掛ける。

 そんな俺の肩を医者が叩いた。話をしたいから廊下に出ろということだった。


「先生、マリーはどういう状態なんですか」

「傷は深くないんだが、厄介な毒でな。命に関わる。しかし治療できる薬も希少なものでここにはないんだ。今、手分けして他の町へ馬を走らせている。」

「俺も行きます……!」

「落ち着きなさい。町の馬は全て走らせてある。」


 全て、と言ってもこの町に馬は3頭しかいない。どこにあるかわからない薬を探すのに3人……。

 シーロさんが手に持っている薬のメモが目に入った。

 仕入れの手伝いなどでそれなりに色々なところへ出かけたが、こんな薬は一度だって見たことがない。


「どのくらい、時間はあるんですか」

「……」

「先生……!」

「マリーちゃんはまだ幼く体力もない。明日の夜まで頑張ってくれれば……」


 つまり、頑張っても明日?

 いてもたってもいられず、家を飛び出す。その背中に「どこへ!?」といくつもの声が飛んでくる。


「隣町まで走ってそこで馬を借りる! そこから俺も薬を探します!」

「エータ!!!」


 呼び止める声に構わず再び駆け出し、森の中に入った。


 木の根に躓きながら、最寄りの町を目指す。徒歩で1時間だ。走れば当然もっと早く着く。

 息はあがってしまっているし転ぶのは怖いが、少しでもスピードを落としたくない。本気になれば、暗い森の中をこんなにも早く走れるのだなと少し驚いた。

 だから木の陰から人が出て来た時、急に止まる事も出来ずに、俺は何者かとぶつかって転んだ。


「っっつ!!!」

「くぅ……!」


 激痛を堪えて起き上がる。相手も同様にすぐ立ち上がった。

 赤と黒のドレスを着た、ベリーショートヘアーの女だった。

 ……俺はその顔を知っている。


「う、歌姫……!?」


 この国でたった一人、歌う事で人々を癒す力を持つ歌姫がそこにいた。

 そしてその手にはなぜか短剣が。


「ごめんなさい。まさか人がいるなんて思わなくて」


 彼女は隠すでもなく、短剣を握った手をだらんと下げ、ニコリとも笑わずに機械のようにそう言った。


「こちらこそ、すみません。急いでいて」


 無我夢中で走っていたのはこちらだ。申し訳ないと言う気持ちは当然あるが、そのあまりに物騒な様子に、謝罪しつつ後退る。彼女も当然それに気づいていて、こちらを睨んでいた。


「こんな時間に、何をそんなに急いでいたのです?」

「あ、その……妹が」


 マリーと自分の関係を説明するのに長ったらしい言葉を使う時間が惜しかった。

 パンクしそうな頭で、必死に事情を説明した。


「早く助けないと……」


 焦りで息が荒くなる。声も震えて喉が焼けるように痛い、視界が歪む。

 ああ、だめだ……動くための気力が、涙で流される。


「……ああ、そう。わかりました」


 パサッ、と何かが茂みに放り投げられた音が聞こえた。そして彼女がパキパキと小枝を踏みながら近づいてくる。


「お家へ案内して下さい。助けられる命なら、急ぎましょう」


 その手に短剣はもうなかった。

 

 歌姫は転んだ時に足を痛めたらしい。

 ヒョコヒョコと後ろをついてくるので、恐る恐る「背負いましょうか」と声を掛けたが丁重に断られた。

 足を治して走ってもらいたいのが本音だが、癒しの力は自分自身には効かないらしい。


「それにしても、どうして貴女がこんな所に」

「あら、私の事をご存知ですか」

「ええ?今更そのとぼけ方はないでしょう。俺は劇場にも行ったんです。一目でわかりましたよ」

「ふふ」


 先程までとは違いその笑顔に敵意はないが、鋭くギラギラした目で俺を見る。


「どうせ話すのです。遅いか早いかの違いなら先に貴方には話しておきましょう」


 彼女は獲物を見るような視線を、俺から逸らさない。


「生贄として魔王城に向かう途中、護衛達の隙をついて逃げてきたのです」


 出会った時に彼女が持っていた短剣の事を思い出し、嫌な想像をしてしまう。

 薄ら笑みを浮かべたまま話す彼女が恐ろしい。


「……でも、それでは魔王側からも王国側からも追われる身になるんじゃ」

「エータさん」


 突然名前を呼ばれる。

 ただそれだけで射抜かれたような気がして心臓が痛くなる。


「お互い困っているのです」


 ああ、その後に続く言葉も予想できる。

 予想できた瞬間、マリーを助けると言ったのは「先払い」の行為なのだと理解した。


「困っているのなら、助け合いませんか」

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