幽霊メイドは幽閉王子を守りたい
「きみは、そんなところで何をしておるのだ?」
幼い声が、薄暗い廊下に響き渡ります。
こんな時間になんでしょうね。
とうの昔に日は沈んでいますのに。
ここは、離れとはいえ王城の一部です。
石造りの廊下の両脇には、等間隔にランプが灯されています。
この時間では流石にランプの明かりも控えめに抑えられているのですが……。
すぐそばの人が見えないほど真っ暗というわけではありません。
ですが幼い子供が出歩くには、いささか問題がある時間なのではないでしょうか。
「……きいているのか?」
幼い声が、ちょっとした苛立ちと、不安の混じった声に変わります。
なんでしょうね。
早くきみって呼ばれてる人、彼に返事をしてあげたらどうかしら。
口調からして、良いところの子息でしょう。
使用人達が常にそばについていそうな雰囲気です。
でも声の感じからして、まだまだ小さい男の子のようですし。
無視しては可哀想ですよ。
あぁ、今日は一段と星が綺麗ですね。
天窓に腰かけて見上げる星は、いまにも降り注いできそうなほど輝いています。
庭に雪が積もっていましたから、いまはきっと冬ですね。
「……きこえていないのか? それともボクの目がおかしいのか?」
うーん、この男の子、もしかして迷子でしょうか。
今日はお城の広間でパーティーがあったはず。
夕刻時にこの城のメイドたちが話しているのを聞きましたから、来客のお子様でしょうか。
第二王子の誕生会だとかで、国外問わず貴族達がお祝いに訪れたそうですから。
あぁ、でも、第二王子と口にした年若いメイドが、先輩メイドに叱られていましたわね。
「ロシアン王子とお言いなさい、王妃様に聞かれたらどうなさるの」って。
聞かれた場合はどうなるのでしょうね?
まぁ、わたしには関わりのない事ですから、特に話を聞いてはいなかったのですけれど。
そう思いながら、わたしは美しい夜空から視線を下に移しました。
……ん?
とても綺麗な男の子がいます。
さらさらとまっすぐな銀髪は、いま見上げていた星の輝きが、そのまま降ってきたかのようです。
少しだけ不安げな紺色の瞳はくりくりと大きくて、夜空のように澄んでいます。
くすんだ金髪のわたしには、うらやましい限りです。
天使でしょうか?
背中に白い羽根が付いていてもおかしくないぐらい、愛らしいです。
5歳ぐらいかしら。
もしかしたら、もう少し幼いかもしれません。
ちょっと子供にしては、痩せすぎているのが気にはなりますが……それよりも。
この男の子、真っ直ぐにわたしを見上げていませんか?
わたしは、出窓になっている天窓の縁に腰かけていますから、男の子からすると、相当上のほうにいることになります。
男の子は天井を見上げるかのように、ぐっと上を向いています。
でも、男の子の目線がしっかりわたしと合わさっているような。
そんな事はありえないのですけれど。
後ろに誰かいます?
振り返ってみても、誰もいません。
当然ですよね。
窓辺にわたしは座っているのですから、窓とわたしの間に立てる隙間はありません。
そもそも、ここには普通のぼれませんし。
掃除をするときは、メイド達が柄の長い棒に雑巾を付けて磨くような場所です。
外に誰かが立っているというのも無理ですね。
ここ、三階ですから。
「何をきょろきょろしている。きみにきいておるのだぞ」
真っ直ぐに、男の子の夜空の瞳がわたしを見つめています。
気のせい、では、ない……?
ぱちり、ぱちりと瞬きをしてみます。
そうしてみても男の子が消える気配はありません。
目線も、わたしに固定されたままです。
こんな事、ありえるのでしょうか。
わたしがここで過ごすようになってから、誰とも目線が合ったことなど無かったのに。
「そんな格好で、そんな場所で、きみはなんなのだ?」
なんなのだ、と聞かれたなら、答えたほうがいいのでしょうか。
もう間違いようがなく、彼はわたしに聞いているのでしょうから。
格好はね?
メイド服なんですよ、こちら。
この城に仕えているメイド達とは、少しデザインが違う気がするのですが。
きっと、わたしのメイド服は古いデザインなのでしょう。
この城に仕えるメイド達の服は、袖がすとんとしていて、エプロンもフリルが少なく実用的に見えます。
それに比べてわたしの着ているメイド服は、肩回りがふんわりと膨らんでいて、襟もとにはレースがあしらわれています。
スカート丈は変わらずくるぶし近くまでありますし、履いている靴はショートブーツで、この城のメイド達とさほど変わらないのですが。
そんな格好といわれるほど、奇妙ではないはず。
それでも聞かれてしまうのは、この場所が悪いのでしょうか。
メイドが掃除道具も持たず、窓辺に座っていては、不思議な光景ですよね。
誰にも見咎められることは無かったのですけれど。
えぇ、視られることがありませんでしたから。
わたしは、とんっと片手で窓枠を押して、男の子のところへ飛び下りました。
「うわっ、あぶないよっ?!」
男の子が、慌ててわたしを抱き留めるかのように手を広げました。
でも大丈夫ですよ?
「えっ、えっ?!」
男の子の前で、ぴたっと宙にとどまりました。
ぶつかったら、多分ちょっと身体がひんやりしちゃいますから。
以前わたしに不意にぶつかって突き抜けてしまった人が、真っ青になって倒れちゃいましたからね。
視えていなかったのに。
「きみ、えっと、えっと、うわあっ?!」
『あら?』
ぶつかっていませんのに、気を失ってしまいました。
慌てて、わたしは彼の頭を支えます。
ふぅ、危ない。
危うく、廊下に頭をぶつけるところですよ。
ちょこっと、わたしが触れている部分が寒いかもしれませんが、そこは我慢してくださいね?
こんな寒い廊下にこのまま横たえたら、風邪をひいてしまいますね。
悪化したら、わたしのようになってしまうかもしれませんし。
こんなに小さいのにそんなことになっては、可愛そうです。
生きている人がうまい具合に通りかかってくれればいいのですけど……。
男の子の声が響いても誰も来てくれない辺り、期待できなさそうです。
きっと、使用人達はパーティーの後片付けで忙しいのでしょう。
仕方ありません。
わたしが適当なお部屋に運びましょう。
運べるといいのですけど。
うんしょっと、男の子を抱きかかえます。
あぁ、思ったよりも軽いですね。
この子が普通の子供よりも痩せていて助かりました。
わたしは軽いものしか動かせないのですよ。
一番近くの部屋のドアに片手を【突っ込んで】、鍵を内側からカチリと開けます。
部屋の中には幸いにしてベッドがありましたから、そこに男の子を寝かせてみます。
暖房は……よかった、魔導暖炉がありますね。
さすがお城。
薪だったら、火をおこすのに相当時間がかかるところですよ。
暖炉の横に埋め込まれた魔導石を操作して、部屋を暖かく整えます。
といってもわたしには暑さ寒さがわかりませんから、男の子の様子を見ていないといけませんね。
いまのところすやすやと寝息を立てていますから、暑くも寒くもないといいのですけど。
『起きたら、ゆっくりお話ししましょうね?』
愛らしい額を撫でながら、わたしはそんな事を思います。
魔導師ですら、わたしを視れたことは無いのです。
この子が明日もわたしを視れたなら、きっと今までにない楽しい一日になるでしょう。
だってわたしは、もうずっと誰にも見られない日々を送っていたのです。
幽霊になってしまった。死んでしまった。
そう理解したのも随分と前の事。
自分の死因が何だったのかすら、思い出せません。
アリスという自分の名前も、いつか忘れてしまうのではないでしょうか。
日々ぼんやりと、成仏する兆しも見えないまま、この世界を彷徨って。
やっと出会えたわたしを視える特別な人。
お話しできるなら、いろいろお話してみたいではありませんか。
でもこの子、どうしてこんなに痩せているのでしょうね?
服装も、みすぼらしいとは言わないまでも、くたびれています。
首をかしげるわたしの前で、男の子のお腹がクゥーっと鳴りました。
こんなに小さいのに、お腹を空かせているのでしょうか。
痩せすぎていることといい、気になりますね。
殴られた跡などは無いのが、救いでしょうか……。
明日もわたしのことが視えていたなら、いろいろと聞いてみましょう。
だって彼は、初めてわたしが視えた人なのですから。
どうか、明日もわたしが視えますように。
わたしはもう一度、男の子の頭をなでて、ベッドの横に腰かけました。





