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夜の新宿、十二単

 終電を、見送った。


 美夜みやは、手中の切符を見つめる。今しがた紙屑ごみになってしまったものだ。


 目の前には、綺麗な顔の吸血鬼。この状況が普通ではないことは、自覚している。だからといって、逃げれば良いという話でもない。ここは新宿という名の檻の中なのだから。


 彼は、ウィリアムと名乗った。


 その名に相応しく、西洋系の顔立ちをしている。ただ、昼間にすれ違うような、いわゆる外国人とは明らかに違っていた。


 豪奢ごうしゃな金髪と、薔薇の如き深紅の瞳。人の持つ色ではない。名のある彫刻家が、生涯をかけて魂を吹き込んだ作品だと言われた方が納得できる。


「……それで、吸血鬼さんは何が目当て? 私の血なら不味いわよ。蚊も寄りつかない」

「今のところ、血は間に合っているよ。これでもモテるんだ。それに、君とは対等に話したいしね。どこかゆっくりできる場所で話をしよう」


 当たり前のように、ウィリアムは美夜の肩を抱いた。それを、蚊を払うが如くはね除ける。人の減った駅前に、軽快な音が響いた。


「五百十円。それと、ご飯も」


 手にあったゴミを、無遠慮に男の手にねじ込んだ。それが、全財産だった。少しくらい苛立っても仕方があるまい。夜食という利子を貰っても良いだろう。


「勿論だよ。ドンペリとフルーツの盛り合わせなんてどうかな?」

「馬鹿言わないでよ。牛丼大盛りで」

「へぇ……ミヤは牛肉が好き? 一杯でも二杯でも構わないよ。ああ、でも、牛丼なんて出してくれる店、あったかな?」


 ウィリアムが首を捻る。彼は店の名を上げながら、あーでもないとかこーでもないと言い始めた。このままでは、キャバクラに真っしぐらだ。


「ついてきて」


 美夜は彼の手首を掴むと、記憶を頼りに歩き始める。


 鉄の塊が動きを止めてもなお、輝き続ける街――新宿。


 この街には、時間の概念などない。鎮まることを知らないのだ。昼に生きる人が去り、夜に生きるヒトが集う。


 一ツ目のオトコがふらりとビルの階段を降りる。大きく口が裂けたオンナは、でっぷりと腹の出た狸にすり寄った。


 夜はよく見える。昼以上に。美夜はゆっくり息を吐いた。熱い息が空気を曇らせる。


 なぜこんなことになったのか。思い出してこめかみを抑えた。隣を歩くのは、三十分前には赤の他人だった男だ。


 夜は人を狂わせる。判断が鈍ったのは夜のせいだ。


「そろそろ用件くらい言って」

「ん〜、ご飯を食べながら、ゆっくり話そうよ」

「私、暇じゃないの」

「朝まで時間はたっぷりあるのに? ミヤはせっかちだね。女の子が好きそうな場所、沢山知っているよ?」

「多分、あなたの知ってる女の子とは趣味が合わないと思う。だから、今、はっきりさせて」

「短気だなぁ。ミヤは損するタイプだよ。直情型だ」


 ウィリアムの態度に苛立ちばかりが募った。強く睨めば、降参とばかりに両手をあげる。


「OK。そんなおねだりされたら答えないわけにいかないかな」

「おねだりはしてない」

「ハイハイ。単刀直入に言うよ? 心の準備は良い?」


 ウィリアムの言葉に、美夜は静かに頷いた。既に腕を組み、仁王立ちである。


「絵を描いてくれないかな?」

「……は?」

「絵だよ絵。ミヤは画家だろう? 勿論、タダでとは言わないよ。なんなら、君の支援をしても良い」

「支援?」

「ほら、なんと言うんだっけ? えーと、パトロン? ああ、スポンサーの方が分かるかな?」

「パトロン……スポンサー……。つまり、資金援助してくれるってこと?」

「そう、それ。僕は絵を描いてもらえる。ミヤは働かないで、絵に集中できる。悪くない話だろう?」


 悪くはない。生きるためには金が必要だ。しかし、その金を稼ぐために、今は一日の三分の一も使ってしまう。その時間が丸々絵を描く時間にさけるのであれば、なんと幸運なことだろうか。


 芸大を出て二年。美夜の描いた絵は一円にもなっていない。近所のコンビニでのアルバイトが生活の要になっていた。


「でもなぜ? 私に描いて欲しいわけ?」


 自身には特筆した才能があるわけではないことを、よく知っていた。他にも画家と名乗る者は沢山いる。美夜である必要性を感じなかった。


「ミヤは特別なを持っているよね? 僕達のことを認識している」

「確かに私はバケモノが見えるけど、そんなことが理由?」


 この眼が人と違うことに気づいたのは、まだ小学生の頃だ。近所に一人で住む男の額につのを見つけた。しかし、家族は誰もその男のことを知らないと言ったのだ。


「ミヤの眼ははっきりとあやかしを捉えている。それは凄いことだよ。今の人間は殆ど見ることができなくなってしまったからね」

「全然嬉しくないんだけど」


 この眼のせいで、どれほど苦労しただろうか。家族や親戚からは奇異の目で見られ、友人は離れていった。隠すことを覚えたのは、大学に入ってからだ。


 ウィリアムは怒る美夜を宥め、牛丼屋へと促した。歩くさなか、彼は美夜の眼について語る。


「人間の眼は、進化の過程でかくり世の者を認識する力を手放したんだ。時々、妖や幽霊なんかを認識できる人間が生まれることはあるんだけどね。大体は不完全なんだよ」

「不完全?」

「んー、例えば。幽霊なら、足が見えないとか。透けて見える。とか、かな」

「漫画みたいな?」

「そう、そんな感じかな」

「でも、私は幽霊なんて見たことないけど」


 美夜が見ているのは、あくまで妖の類いだけであった。しかし、ウィリアムは歯を見せて笑う。鋭い犬歯が見え隠れする。彼の場合はきばと呼んだ方が正しいだろうか。


「だから、言っただろう? ミヤの眼は完全なんだよ。人間と幽霊の区別がつくわけないじゃないか」


 美夜はこめかみを押さえた。どうりでおかしいわけだ。大学時代、いくら妖が見えることを隠しても、遠巻きにされていた。今更理由が分かっても意味がない。


「でも、私の眼は人間と違うのであって、あんた達と変わらないんでしょ? なら、価値なんてないと思うけど」

「そんなことはないよ。ミヤは特別だ。君の作品を見たよ。今日やってた個展。とても美しい絵だった」


 今日までの三日間、美夜はバイトで貯めた貯金をはたいて、小さな個展を開いた。一枚も売れなかった絵は、六畳ワンルームの一角を占領する予定だ。


「……で? 私に何の絵を描いて欲しいの?」

「妖を描いて欲しい」


 突然、空気が変わった。ウィリアムの顔から、緊張感に欠けた笑顔が消える。黙っていたら美しい顔だと、改めて思う。


「ふーん。そんなこと。その様子だと、何か理由がありそうね?」

「美夜は妖のことをどのくらい知っている?」

「さぁ……あまり近づかないようにしていたし」

「じゃあ、今までどうやって彼らを見分けていたのかな?」

「奇抜な格好をしているヤツはすぐにわかるから。あとは……鏡ね。バケモノはなぜか鏡に映らない」


 ウィリアムは相槌を打つ。『鏡』という単語を聞いて、嬉しそうに目を細めた。


「そう。僕達はうつり世の物に姿を映すことができない。だから、すごく不安定な生き物なんだ。人間は生まれたら死ぬまでが生の刻限だろう? 妖は違う。認識されなくなった時が生の刻限なんだ」


 ウィリアムはビルのショウケースに向かって手を振る。しかし、薄っすら映るのは、美夜の影だけだった。


「つまり、忘れ去られたら終わりってこと?」

「そういうこと。そして、消える間際の妖っていうのは必死だ。そこに存在するために、むやみやたらに人を襲う」

「まぁ、人間に認識されれば消えなくて済むならそれもそうかもね。でも、あなたには困ることじゃないでしょ?」


 襲われるのは人間で、妖ではない。ありていに言えば、終わるのを眺めていれば良いのだ。しかし、そうもいかないようで、ウィリアムは首を横に振る。


「たしかに僕は大丈夫だよ。吸血鬼は市民権を得ているようなものだからね。でも、妖っていうのは人間から生まれたモノだ。人間がいなくなったら僕達も消えてしまう」

「つまり、暴れるバケモノを放っておくと、他のバケモノの存続も危ういってことね」

「そういうこと。だから、ミヤの力が必要なんだよ。僕達はうつり世の物には姿を映せない。けど、ミヤの眼を通せば僕達は確かに存在していることが証明される」

「ふーん。じゃあ人助……バケモノだから、妖助けをしたいってわけ?」

「そんなところかな。詳しくは食事をしながら話すとしよう。聞きたいことが沢山あるって顔に書いてあるよ」


 ウィリアムは目の前の牛丼屋を指差す。


「待って。一つだけ言わせて欲しいんだけど」

「なに? やっぱり違う店の方がいい? この辺ならいい店もいっぱ――」

「違う。私が言いたいことは一つだけ。興味のないものは、いくら積まれても描かないってこと。人助けだか妖助けだか知らないけど、義務で描くのは趣味じゃない」


 画家というのは往々にして偏屈へんくつなものだ。なんでも描くというのなら、職業選択は他にも沢山あった。


「それなら、大丈夫。ミヤなら気に入ってくれると思うよ」


 ウィリアムが含みのある笑みを見せる。嫌な顔だ。人に近くて遠い、なんでも見透かすような笑顔だった。


「描いて欲しいのは、最近、この街に出る妖なんだ。それが、ちょっと変わっているんだよね」

「何が?」


 問いに対し、ウィリアムの口角が三日月のように上がる。彼はまっすぐネオン街を指差した。


「この夜の新宿に、十二単じゅうにひとえのオンナが現れる。どう? 興味、あるだろう?」

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