表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/27

春のやみ 黄泉ヶ褥の 狂ひふじ 水面向かひて しとりぞ穢す


 洞穴の闇に、ひたり、と雫が落ちる。


 その玉響を感じた幻一郎は、微睡みから覚めた。


 ―――来たなァ。


 この黄泉ヶ褥(よみがしとね)を『音』が揺るは、狂恋の訪い。


 が、今の震えは常とは異なる感触だった。


 瞼を捲れば、藤色簾の前髪。

 穴蔵埋める封じ符の、朧な青光りも瞳を差す。


 その先には褥と平坂を断つ、幽玄に不似合いな樹脂の(さえ)があった。


クスリ(・・・)の時間に、テメェの顔なんざ見たくもねェんだがなァ……?」


 現れたのは影二つ。

 黒の襤褸を纏った幻一郎に、現世(うつしよ)から冷徹な声音が返る。


「数十年経っても相変わらずか」

「俺の恋は不治だ。テメェは老けたが、俺に構ってるほど暇になったかァ?」


 不惑を過ぎた背広の男が、その嘲りに眦を震わせた。


 時流すら縛る最上の鎮めにより、同齢なれど未だ青年の幻一郎は、ギヒヒ、と嗤いながら腕を広げる。

 じゃらりと鳴った手鎖にも無数の符が巻かれ、貼られ、垂れていた。


「しとり」


 名を呼ぶと、共に現れた女は塞を水面に波紋を立てるように容易く抜け、するりと幻一郎の胸元に収まる。


 女が宿す色は、香と彼岸花の瞳のみ。

 傾城の白貌を眺めて口元を緩めると、昂ぶる劣情を男の声が阻んだ。


「悪神、春日幻一郎。お前を解放する」

「望んじゃいねェなァ……」

「天津神が動いた」


 告げられた言葉に興を覚え、改めて背広の男に目を向ける。


「昔と同じく、在れば風が変わる」

「ギヒヒ。〝国譲り〟か……だが和御魂たれと、しとりを人柱に俺を封じたのはテメェだ」


 ーーー人が、虚空と水底に手を届かせてなお抗し難き『神代の再来』。


 それは八岐大蛇と眼前の男が降るを端緒に、今生に於いて必定となった。


「テメェが荒ぶれよ、草薙八雲。いや……〝化生〟素戔嗚(スサノオ)


 彼には出来ないと知りながら、幻一郎は煽る。

 既にして己が霊威を大国主たる息子に継いだか、魂力の大半が失せていた。


 表の世界でどれほどの権を握ろうと、現人神の相対においては無意味。

 三貴紳が一柱、草薙自身が知らぬ筈もない。


「現世の流れは急だよなァ。だから夕立ちの如く神も降る」

「例え必然であろうとも、奴らを放置すれば世界が滅ぶ」

「人の世が末だなァ……だが俺にゃ露とも関係ねェ。(あい)さず禊いだ国産みと違い、俺のしとりは黄泉(ここ)に居る」


 幻一郎は薄く嗤い、白艶髪を撫でつつ言葉を重ねた。

 

服う(・・)御霊を引きずり出して、テメェだけが益を得る、は通らねェ」


 幻一郎は記流に故なき者だ。

 が、演義に近しき縁にて共に大蛇を退けた盟友は、打てば応えを響かせる。


「全てを終えた後に、お前たちに自由と俺の命をくれてやる」

「ギヒヒ、嘗ての災神も人の親……子に日和ったなァ」

「もう戯言に付き合う猶予はない。これは誓約(うけい)だ」


 その詞に、幻一郎はさらに口の端を釣り上げた。


「で、戸隠れからの神逐(かんやらい)かァ?」

「そんなつもりが微塵でもあると思うか?」

「委細承知だよ唐変木。……で、しとりよ。テメェも己の犠牲を無駄にしてなお、救世を求めるのかァ?」


 次ぐ問いに、彼女がこくりと一つ頷くと、黄泉路の入りに自身の口にした恋歌が耳を撫でる。


 ーーー春のやみ 黄泉ヶ褥の 狂ひふじ 水面向かひて しとりぞ穢す


 その返歌が、喪われし囀りの断末魔。


 ーーー曼珠沙華 一方ならず 燃ゆる色 乾きに褪せど 想ひ染まらじ


「テメェが望むなら、黄泉返るに否はねェ」


 幻一郎が立ち上がると草薙は脇の壁に触れ、軋みながら樹脂の塞が開いた。


「なァ、草薙。人は皆、愛故に狂うもんだなァ」

「……俺の行動を息子の為だと決めつけるな。これは大義だ」


 皺の増えた戦友に、近づいて首を傾げる。


「天邪鬼だなァ、テメェは。だから生き辛ェのさ」


 そうして只人惑わす平坂を連れ立って渡った幻一郎は、ひゅうと口笛を吹いた。


「へェ。こいつァ思った以上に枯れた(・・・)もんだ」


 八雲立つ葦原中国の首都。

 高台の先、半分が抉れ土に還った摩天楼を背景に、眼前に停まる一台の鉄馬。


「アレの中身は?」

「かつて俺が使った神器霊装【十拳(トツカ)】を改良させたものだ」


 鉄馬の荷台が草薙の手振りで開くと、左胸に黒藤紋を刻んだ鬼面白鎧が現れる。


「封印霊装【倭文神(シトリガミ)】……完成させる猶予は、なかった。既に霊装者の半数は天津神に憑かれ、残りは人を守る為に散った」


 元々幻一郎は、草薙の生み出した霊装【八百万(ヤオヨロズ)】を纏う一兵卒だった。


 ―――彼同様に荒御魂が降らねば、自身も諸共の運命を辿っただろう。


「霊装は諸刃の剣だった。遺ったのは俺とお前だけだ」


 内心を見せずに草薙がそう告げた時、びょう、と風が吹く。


 空が揺らぎ天鳥船が首都上に出現すると、甲板から人がわらわらと降り、異形に姿を変えて空を舞い始めた。


 それを眺め、幻一郎は嗤う。


「大蛇と大して変わらねェなァ」

「総じて御霊だからな。俺も、お前も」

「ギヒヒ、違いねェ。天津神でございと気取ったとこで所詮は化生だ」


 と、そこに一柱の影が差した。


『平伏せよ』


 只人ならば魂振る霊呪と共に鉄馬を拉させ、鎧武者に似た天津神が舞い降る。


「……ギヒヒ、小物だなァ。建御雷(タケミカヅチはどうした?」

「俺が知っていると思うのか?」


 その神気を涼しく流してやり取りする幻一郎らに、敵が誰何した。


『不可解。人の身において我、天菩比(アメノホヒ)が天命に抗えり。何者』


 幻一郎は応えず、手鎖を鳴らしながらしとりを抱き寄せた。

 その薫り立つ首筋に鼻を埋め、玉敷きの鎧と輝く瞳を持つ菩比を見やる。


『人の身に、瘴気が一つ、神気が二つ。覚えあり。解せぬ』

「解せぬなら教えてやろう」


 腰に片手を当てた草薙が、逆の手でネクタイを緩めた。


「俺は、貴様の父を身に宿す者だ」

『……げに疑わしき。神逐の、者……?』


 戸惑う声音の背後で、天命と火器の遠雷を響かせる首都が黒煙に覆われていく。


「なァしとり。これが、テメェの望んだ平和の景色かァ……?」


 少女は、滅びに瀕した首都を見つめながら小さく首を横に振った。

 横からちらりと見やった花唇は、憂いに硬く引き結ばれている。


 ―――ああ、泣くな、泣くな。


「違うよなァ」


 この愛し女は、幻一郎の全てだ。

 しとりが望むなら。


「敵を尽く弑し、俺がテメェにそいつをくれてやるよ」


 言葉を受けて身を預けたしとりの首筋を……幻一郎は、ゾブリ、と喰い破った。


 芳しい血が口腔に溢れ、喉を鳴らして吞み下す。

 途端に、手鎖の封じ符が軋み。



 ―――幻一郎は、禍つ気を立ち上らせた。



 髪がぞわりと長じて風に巻き、めりめりと額に一対の角が生ずる。

 すると、狂恋の名を冠す霊装が菩比の足元でこちらの〝化身〟に応じた。


 弾ける勢いではためく封じ符の効が失せるを、察したかの如く。

 鬼面白鎧は紙吹雪と変じ、幻一郎へと吹き荒れて鎧う。


『あなや! 其は、服わぬ悪鬼……ッ!?』

「ギヒヒ。そいつァ随分な物言いだ」


 神代より最凶の悪神と呼ばれた御霊の力は―――此ぞ正に、諸刃の剣。

 魔性が幻一郎を呑めば、比類無き厄災となる。


 それが御霊鎮めの所以、転じて【倭文神】が神生みの所以。


 障らねば祟らじと、巡る輪廻を幾星霜。

 嘗てと未だ、変わることなく。



 ―――願いは永劫、しとりと共に在ることのみ。



「思い知らせてやるよ、雑魚ども。テメェらの身の程をなァ!」


 手鎖のまま和合せし鬼面白鎧は、一瞬にして漆の毒に染む。

 新たな封じの外殻に拠って己を律した幻一郎は。


「俺ァ〝化生〟天津甕星(アマツミカボシ)……」


 しとりを手放して一歩踏み出しながら、ゆっくりと名乗りを上げた。



「名は、春日幻一郎―――狂い咲きの、藤の恋花さァ」

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  ▼▼▼ 第八回書き出し祭り 第二会場の投票はこちらから ▼▼▼  
投票は1月11日まで!
表紙絵
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ