夏風ボンバー
玄関を開けると襲いかかってくる熱波。
見上げれば、どこまでも広がる青い空と入道雲。
そして、背後には下着姿で見送る姉貴。
バタン!
勢いよくドアを閉めて俺は自転車に股がる。
暦は八月。そう夏休みだ。
一学期の成績なんてすっかりしっかり忘れて自転車を走らせ、俺はタカヤナギ楽器店へ駆け込む。
「いらっ………また今日も来たの?」
店内に入れば椎名が嫌そうな顔でもてなす。
「ああ。また来てやったぞ。」
「誰も頼んでないし。」
せっかく来てやったのに椎名はホコリ取りで陳列されたギターの掃除に勤しむ。
そんなのには構わず俺はギターを指差した。
「とりあえず試し弾きしたいから、よろしく。」
「よろしくじゃないわよ。買わないなら触んないで。」
「買わないんじゃない。買えないんだ。」
終業式の次の日から毎日タカヤナギ楽器店に出向き数日。もうセッティングは自分でできるようになっていた。
「勝手にセッティングして弾こうとしないでよね。」
ホコリ取りで椎名が顔を攻撃してくるのをかわしつつ、俺はギターとアンプをシールドで繋げ、覚えたてのコードを押さえてみた。
「金があったら買ってるんだけどな。」
「それならバイトするなりして自分で稼ぎなさい。」
ごもっとも、だ。できるならバイトでも何でもやってるが、学校に申請する正当な理由が俺にはなかった。
「お年玉、貯金しとけばよかったな。」
「自業自得。後の祭り。」
これまたごもっとも、だ。
掃除をしながら嫌味を言う椎名に反論する事ができない。
「そういえば神宮寺はベース買ったんだよな?」
だから話をそらそうと話題を変えてみる。
「夏休みに入ってすぐにね。アンプもシールドも、ストラップまで買ってったわ。」
うん。実は神宮寺からラインが来て知ってるんだけどな。
「そっか。楽器がないのは俺と勇也、男子二人ってわけか。」
「ドラムは仕方ないわよ。買い揃えても鳴らせないでしょうし。」
勇也が買い揃えられない理由は自分と同じだけど、確かに自宅でドラムを叩くのは近所迷惑だから買わないと言えば理解ができる。
なんとか弦を押さえてピックで弾くとアンプからポロロンと音がした。
「あれ?」
期待したのはギュィーン!という音だったのに。
「ちゃんと押さえてないからよ。あとアンプのゲインが低い。」
「…………。」
自分でセッティングできると思ったのは俺の独り善がりだったみたいだ。
客のいないタカヤナギ楽器店に椎名と二人きり。ホコリ取りから雑巾に持ち替え椎名は忙しなく動き続ける。
「そういや店長さんは?」
「休憩。もうじき戻って来るわ。」
噂をすればなんとやら。そう言っていると店長さんが戻ってきた。
「ああ、いらっしゃい。Cは押さえられるようになったかな?」
店長さんはギターを抱えた俺に椎名みたいに嫌な顔を一切せず、ニコニコと手元を覗き込む。
「しっかり押さえないと音は出ないよ?」
「それさっき私が言った。」
カウンターを拭きながら椎名が白い目で見てくる。
「買って自宅でも練習したら、もっと早く上達するんじゃないから、ねぇ?」
拭き掃除も終えて本格的な嫌味が始まりそうだと俺が冷や汗をかいていると、店長さんは「そうそう」と助け舟を出してくれた。
「さっき商店街の会長さんに会ってね。これ渡されんだけど、椎名さんたちで使ってくれないかな?」
店長さんが差し出した物はプールの無料優待券。
「僕はプールに行くような歳でもないし、だからって捨てるのはもったいないから、みんなで使ってくれたら助かるんだけど。」
困った顔で懇願する店長さん。
「それなら有り難く………。」
「私、パス。」
ヘコヘコとしながら俺は手を出したが、椎名は興味ないとそっぽを向いてしまった。
「せっかくの御厚意。店長さんに悪いだろ。」
「行きたきゃ三人で行けば?四枚中三枚が無駄にならなかったら十分よ。」
椎名と出会って話すようになってから約三ヶ月。俺とて学習能力がないわけじゃない。そろそろ椎名の扱いにも慣れたところだ。
「はっは~ん。さては椎名、おまえって………。」
「な、何よ?」
案の定、俺が意味深にニヤリとすると椎名に動揺の色が見えた。
「あれ、だろ?」
「あ、あれって何よ?」
さらに俺は追い詰める。
「あれだよ。あれ。早い話が………自信がないんだろ?ん?」
「!!!!」
後退りして口をつぐむ椎名。俺の考えは図星だったようだ。このまま畳みかける!
「そんなの気にすんなって。別に恥ずかしい事じゃないしさ。」
「ぁわぁわぁわ………?!?!」
完全に俺のペース。ここで椎名を指差し決めの言葉だ!
「むしろ俺は嫌いじゃないぜ?」
パーーーーーンッ!!!!
…………え?
左の頬に痛みが走り、強制的に視界は右の方に。
「ぶぁわっかぁぁぁっっ!!!!」
多分「バカ」と椎名は叫び、そのまま店内から走って出ていってしまった。
「そ、そんなに気にしてたのか?泳ぐの苦手っての………。」
「あー、いやぁ、今のを聞いてたら誰でも違う事を言われてると勘違いしちゃうかな。」
「??」
熱を持つ左頬を押さえながら俺は店長さんの言ってる意味が分からず、ただただ途方に暮れるしかなった。
『とにかく椎名さんに謝らなきゃだね。ちょうど休憩時間だから、今のうち、さぁ』
店長さんに言われてタカヤナギ楽器店を出てみたが、椎名の行き先が分からない。
「コンビニか?」
自転車は店に置かせてもらい、俺は近くのコンビニに向かった。
自動ドアが開くと定番のメロディ。そんなに広くはない店内をグルリと見て回ったが椎名の姿はなかった。
「あてもなく歩いてたら、みつけられないぞ。」
それならタカヤナギ楽器店で待っていたほうが確実だった。
舌打ちしながらコンビニを出て、空き缶でも蹴り飛ばしたくなる。
「店に戻るか?それとも。」
仮に店に戻って椎名の帰りを待ったとしたら、俺はどんな言葉をかければいいんだろう。
そして、椎名はどんな言葉をかけてくるだろう。
「きっと何も言ってくれないだろうな。」
俺から何も言えず、椎名からも何も言ってもらえない。
それを想像したら左頬よりも左胸がいたくなって、気付けば俺は走り出していた。
夏の上昇した気温。商店街に行き交う人や車の熱も加勢して俺のTシャツは一瞬で重たくなる。
駅前のハンバーガーショップ、ドーナツショップ、本屋、さっきとは違うコンビニと走り込んでは飛び出す。
「一体どこ行ったんだよ?」
吸い込む息も吐く息も熱い。
商店街の表通りから内側に入り顎から落ちる汗を袖で拭くと、脳裏に椎名はタカヤナギ楽器店に戻ってるんじゃないかという考えが浮かんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ………公園?」
どんな顔をして戻ればいいのかと諦めた俺の前に小さな児童公園の入口が見えた。
この炎天下だ。子供の姿も声もない。それなのにブランコが揺れて鎖の軋む音が風に混ざっていた。
あまりの暑さに乾ききった地面。所々ペンキの剥がれたジャングルジム。象の形をした滑り台が落とす影法師。
「こんなとこにいたら熱中症になるぞ?」
キィ、キィと音をさせるブランコに椎名は座っていた。
「…………。」
何も言わない隣に俺も座り鎖を掴む。
「さっきは、ごめん。」
とりあえず謝らなきゃ。店長さんに言われるまでもなく、そうしなきゃならないのは分かっている。
だけど、それだけでは椎名は黙ったままだ。
「そんなに気にしてるなんて思わなかったんだ。本当、ごめん。」
『バカなの?』『デリカシーなさすぎなのよ』『サイテー』
どんな言葉でもいい。こうして黙っていられるくらいなら何を言われても構わない。
「ごめん………。」
もう言い訳も思いつかない。
それ以外の言葉が出てこない。
ブランコで隣同士にいる俺と椎名の間を、夏の風が好き勝手に吹き抜けていく。
「………ほんとに?」
鎖を握り下を剥いたまま、独り言のように椎名が声をこぼしてくれた。
「何、が?」
しかし、言葉の意図が汲めずの俺は恐る恐る続きを訊ねるしかない。
「ほんとに、私みたいな………の。」
らしくない小さな声で椎名は続けてくれた。
「嫌いじゃないって………。」
「もちろん!」
思わず俺は立ち上がり、ブランコに腰かけた椎名の前で両手を広げた。
「あ、あんたが言ったとおり、私、自信ないわ。」
「だから気にしなくてもいいって!」
そんなに泳ぐのが苦手なのだろうか。いや、苦手というレベルじゃくてカナヅチなのかも。
「たまに神宮寺の事、羨ましいなって、思ったりもするけど。」
ん?どうしてここで神宮寺が出てくるんだ?ああ、神宮寺は泳ぐのが得意だからって話か。
「人と比べるなんて椎名らしくないぞ?」
「そうだけど、やっぱ気になっちゃうのよ。」
そんなに気になるものか?
「気にしなくてもいいんだって。」
「だけど………。」
いつもの椎名なら『そうよね。泳げなくなって生きていけるわ』とサバサバと言い切るだろうに、どうしてだか煮え切らない態度だ。
「店でも言ったし、さっきも言ったけどさ。俺は笑ったりもしないしバカにしたりもしない。誰だって自信がないってのは一つや二つあるもんだろ?だから椎名が自信ないって言っても、俺は可愛げあっていいと思ってるから。」
一つくらい苦手があった方が人間味あって親しみやすいしな。
「男子って神宮寺みたいな方がいいって思ってたけど………。」
「神宮寺みたいって言われてもなぁ。」
神宮寺か。容姿端麗で勉強もトップクラス。椎名の話によると泳ぎも得意となるとスポーツもできる。ついでに物腰も柔らかく上品。考えてみりゃ非の打ち所がない奴だな。
「あんたは違うのね。」
「うーん。そうだな。」
「神宮寺みたいに大きな方より、私みたいな、その………。」
「うん。そうだな。………ん?」
「そっか。そうなのね。」
「あ、え?」
さっき椎名は『大きな方』とか言わなかったか?
泳ぎに大きい小さいなんてあるのか?
「なんか、吹っ切れたわ。」
首を捻っていると椎名はブランコから立ち上がり、気持ち良さそうに伸びをした。
「そろそろ戻んないと。」
「俺も自転車を置きっぱなしだから。」
妙な違和感は残ったけど、どうにか椎名は納得してくれたから善しとしよう。
二つ微かに揺れるブランコに別れを告げて、俺たちはタカヤナギ楽器店まで並んで帰る事にした。
店長さんからプールの無料優待券を貰ったその日のうちに勇也と神宮寺にラインで通達。もちろん二人ともOK。
約束した日は椎名のバイトのない日を選んだのは言うまでもない。
そして当日。お天道様は俺たちの味方をしてくれたようだ。
「雅之………俺、夢でも見てるのかな?」
「それは熱中症だな。奥で休んでろ。」
プールサイドに立ち、鼻の下を伸ばす勇也に退場を薦めたが聞き入れはしない。
「お待たせいたしました。」
「読者サービスターイム!!」
声がして勇也が振り返る。
もちろん俺も振り返る。
さすが神宮寺だ。輝く黒髪。スラリした四肢。白い肌と同じ色のビキニが目に眩しく、一瞬裸に見えてハッしてしまう。
肌と水着が白いのに、その体のメリハリが光と影の絶妙なバランスを生み出している。さすが神宮寺だ。
「あ、あんまり見ないでくださいますか?」
俺たちの視線にほんのり頬を染めるのも、大人プロポーションと内面少女というギャップで高得点を叩き出した。
そんな神宮寺に勇也が反応しないわけがない。
「み、み、見ないから、見ないから写真を!せめて写真を!!」
「やめろ変質者。」
倫理的に勇也の言動は問題だ。まずは水に沈めておこう。
「さっきからギャーギャーうっさいわね。」
勇也を蹴り落とし頭を足で押さえていると聞き慣れた不機嫌な声。振り向けば椎名が腕組みをして口唇を尖らせていた。
神宮寺の後では見劣りして仕方ない。と、水中の勇也ならフォローして殴られていたかもしれない。
「…………。」
「な、何よ。ジロジロ見ないでよ。」
目の前の椎名の肌の白さは神宮寺とは違い薄い桃色で、それはそれで女の子らしい感じが溢れている。
全体的シルエットも小柄な体で手足はスラリという表現は似合わないが、細過ぎず太過ぎずでまとまっていた。
「あのさ、椎名………。」
言うか言うまいか少し悩んだが、まじまじと見てしまった後で何も言わないのもおかしな話だと、俺は素直な気持ちを椎名に伝える事にした。
「………なんでスクみっ!?」
その時、突然足首を掴まれグイッと引っ張られ俺は音を立てて水中に引きずり込まれてしまった。
犯人である勇也は俺をプールの底へと足蹴にし、代わって水面から顔を出した。が、何やら言った後に水中に再び沈められた。
きっと椎名にセクハラ発言でもしたに違いない。
沈んでいく勇也に合掌。
プールに勇也と腰かけ、肌と肌とを合わせて戯れ水を弾く椎名と神宮寺を眺めながら、目の保養と堪能する。
「後で写真撮らせてくれっかなぁ?」
「それは心のフィルムに焼き付けな。」
「何そんなとこでボーッとしてんのっよっ!」
まるで足湯を楽しむ老人と化してる俺と勇也に椎名は水をかけて舌を出す。
「ほらほら!人を誘っておいて傍観者は許さないからね!」
「ちょ!やめろって!」
何度も水をかけてくる椎名に反撃と俺も水をかけようとしたけどすぐに遠くに逃げられてしまう。
「くっそぉっ!」
なんだか悔しくなってプールに飛び込み椎名が逃げるのを泳いで追いかけてやった。泳ぎが苦手、もしくは全く泳げない椎名に負けるはずがない。
クロールで速攻で近づき手を伸ばして捕まえようとしたが………。
「バーイ!」
捕まえられると革新した手をすり抜け、あれよあれよと椎名は見事な泳ぎで去って行った。
「は、はぁ?泳げないんじゃなかったのかよ?!」
どんどん遠くへ泳いでいく椎名。あの日の話は一体何だったんだ?
「意味が分からん!」
とにかくこのままだと気が済まない。話は椎名を捕まえてから直接本人に聞こう。
必死になって椎名を追いかけてもスルリと避けられ、ついには俺の体力が尽きてしまった。
「なっさけないわねー。」
プールサイドでへたばってると椎名が勝ち誇った目で近づいて肩を叩いてくる。
悔しい。なんか悔しいぞ。
「って、あれって神宮寺よね?」
ポンポンと叩いていた手を置いたまま遠くを指差す。
げんなりと見ると、目の神宮寺と勇也がプールサイドを歩き、二人してどこかへ行こうとしていた。
「勇也と一緒にどこ行こうってんだ?」
「俺がどした?」
「どわぁっ?!って勇也?じゃあ、あれは??」
不意に声をかけてきたのは勇也そのもの。
あっちにいる白ビキニ神宮寺と一緒にいるのは誰だ?
急いでプールから上がるが、今まで泳いでいたせいで体が重くて走れない。
「とりま行きますか?」
ギクシャクしながら歩く俺と椎名に構わず勇也は軽い足取りで先に神宮寺の元に急いだ。
俺と椎名が神宮寺と見知らぬ男まで辿り着いた時には、すでに話はややこしくなっていた。
男の仲間も三人加わり半ば喧嘩腰で勇也を取り囲んでいる。
「だーかーら、声かけてOKされたわけよ?何か文句あんのか?」
ガラもタチも悪そうなのは一目瞭然。男は勇也に絡み、他の仲間も加勢する。
「友達かどうか知らねーけどよ。この子は俺たちと遊びたいんだとさ。」
そんなわけがない。しかし神宮寺は怯えているのか何も言えずに震えるだけ。
「いや~、んなわけないっすから。」
ヘラヘラと勇也は首を横に振り、その飄々とした態度が男たちを必要以上に刺激する。
「なんかムカつくな、こいつ。」
「ちょっとあっちで話そうか?な?」
完全に喧嘩する気でいる。それなのに勇也の態度は変わらない。
「そんな趣味ないんで俺。いやマジで。あははは!」
「ふざけてんのか?もういいや、ここで締めようぜ。」
俺と椎名が口を挟むより早く男たちは勇也を取り囲む幅を狭めた。
「こりゃあ困ったな~。うんうん。そんで、何だって?締める?誰が?誰を?」
「それなら今からすぐに分かっ!?」
ゴッ……!
何か鈍い音がした。
そう思った矢先、勇也の前にいた男が顔を押さえてうずくまった。
「あ~、分かった。締めるって、あれだろ?俺が、おまえらを締めるってわけだ?」
いつもの勇也と雰囲気が違う。
「それなら別に場所を変えなくても構わないけど?ま、思う存分やっていいなら行ってやってもいいけどさ。」
うずくまった男の下には血が溜まっていくのが見える。
「こいつ何かヤベェぞ。」
その血を見て仲間の男たちはしだいに勇也との距離を広げ、その間を悠々と勇也は歩く。
「知らねー野郎にホイホイついていくなんてよ………。」
言いながら神宮寺に近づき、その肩に手を回して抱き寄せた。
「後でキツイお仕置きをしなきゃ、な?」
一体どうした勇也?!キャラが違う!違いすぎるぞ!!
「………で。まだ俺の女をナンパしようってか?」
「い、いや、もういい、です。」
「だったら、そこの鼻血野郎をつれて消えろや?」
あまりの迫力に男たちはうずくまる鼻血野郎を立たせ、一目散に逃げ出していった。
何だか見てはいけないものを見てしまった気がする。そこにいたのは俺の知っている勇也じゃなかった。
「ヒュ~♪」
椎名は口笛を吹いてニヤッとしているが、俺には理解ができなかった。
「勇也………?おまえ、勇也、だよな??」
「ああ。ごめん。ちょっとキレちまった。」
ちょっとキレた?ちょっとか?キャラ変わるくらいキレてなかったか?
「昔っからキレたらこうなっちまうんだよな。俺。」
「そ、そっか。でも助かったから、うん、いいか。」
「さすがにビビるよな?」
バツが悪そうにする勇也に椎名は親指を立てて白い歯を見せる。
「私はスカッとしたからオーライよ!あんたって単なるバカじゃなかったのね!見直したわ!」
そう椎名は言うが、正直なところ俺はビビっていた。
いつも一緒にふざけて、叩いたり、叩かれたり。それでも勇也は笑っていた。
それなのに目の前の相手の鼻を殴ったりするなんて………。
「あ、あのぅ………勇也君?そろそろ放してくれませんか?」
俺と勇也の間の空気が重くなる中、神宮寺のか細い声が聞こえた。
「え?っあ!わ、わりぃ!!」
完全に忘れていたが勇也は神宮寺を抱き寄せたままだった。
慌てて離れる二人は揃って赤面して、それを見た俺と椎名は吹き出してしまう。
「じ、神宮寺ごめん!思わず、その、ああすりゃ奴ら引くかなって思って、つい!」
「わ、わわ、分かってます!分かってますから!!」
「いや、こいつの事だから、どさくさに乗じて神宮寺を触るのが目的だった可能性も………。」
「ま、雅之?!それは酷い!」
「そうよ。こいつバカなんだから、そこまで考えて動けるわけないわ。」
「椎名も酷い!!」
勇也の意外な一面が露見した一日だったけど、こうして笑えるなら問題はないだろう。
キレさせないようにしなければ………。
それにしても、どうして神宮寺は見知らぬ男について行ってしまったのか、だ。
プールから出て、着替えた俺たちはジュースを飲みながら神宮寺に訊ねてみた。
「私、あまり視力が良くなくて、いつもはコンタクト付けているのですが、プールなので外していたのです。」
ああ、椎名で見た中学の卒アルの神宮寺って眼鏡かけてたな。
「それで、あまり見えなくて。あっち行って二人で遊ぼうって勇也君が誘ってくれたものだと思ってしまいまして………すみません。」
深々と頭を下げる神宮寺。
「でも、椎名とは普通にプールで遊べてたよな?」
勇也と見知らぬ男を間違えてしまうくらい目が悪いのにと首を傾げると、神宮寺は微笑みながら答えた。
「それは当然ですわ。匂いだけで椎名さんって分かりますもの。」
おまえは犬か?!
こうして勇也の意外な一面だけでなく、神宮寺の意外な能力も露見した一日は終わるのであった。