記憶にない名前
いくら来るな来るなと願っても、今日という日は来てしまう。
いくら行くな行くなと願っても、今日という日は過ぎてしまう。
どんなに充実した一日だろうと、どんなに物足りない一日だろうとそれは同じ一日なのだと思うと気分が重くなる。出会いも、変化も、成長もない一日が今日も過ぎてゆく。
何か行動を起こすでもなく、ただ机に座って黒板に書き込まれる白い文字を、白いノートに黒く書き写していく作業だけで一日が終わる。この時間はきっと必要なものなのだろうけども、必要不可欠だからこそ誰もかれもが過ごす時間なのだろうけども、俺にはどうしても時間を無為に消耗しているように感じられる。
しかし、だからと言って中卒で働くような根性もない。
日々の変化といえば黒い板に書き込まれる白い文字の内容と、それを書き写しているノートの残りの枚数だけである。ノートの書き込まれたページ枚数が確かに過ぎていった時間をカウントしていた。
なにも起こらないままになんでもなく終わる日々。「こんな毎日を過ごしているだけでいいのだろうか?」とたまに不安になる。しかしどう過ごせというのだ。どうしたいのだ俺は。
そんな稚拙な問いに答える人はなく、また答えられるわけもなく、ただただぼーっと授業の時間が過ぎるのを待っていた。
そんなことをしていたらいつの間にか放課後になっていた。
何も生産せず、何も考えない時間の過ぎるのがはやいこと! そりゃ人生は短いなんて言葉が生まれるわけだ。
いつもならこのまま帰るために正面玄関に向かう。しかし昨日に続き、まったくありがたいことに担任にお呼びされている。
昨日帰り際に話していた仕事の話である。
確か、集合場所は職員室ではなく別校舎の第二国語準備室だったか? 遠いのだからそんな場所を指定するのはやめてほしい。
というか、第二国語準備室ってなんだよ。いらんだろそんな教室。第一準備室も聞いたことがないのに謎過ぎる。
なぞは謎でも一番疑問に思うのはなぜ俺に仕事の依頼もとい協力を願うのか、だ。
本当に謎。
頼む理由がなさ過ぎて頼まれたのが気持ち悪いくらい分からない。
まあ、家に帰っても特にこれと言って何かするわけでもないのだからそこまで仕事をすることに不快には感じない。むしろ担任に恩を売るという意味ではむしろ快いものである。
鼻歌でおじいさんの古時計を歌うくらいにはいい気分だった。
……いい気分じゃねえなそれ。
いや、実際仕事投げられてうれしい奴なんていないって。しかも給料はなし。生徒の事をなんだと思っているのだろうか?
ああ、いつもは何とも感じないこの通学用の鞄も今日に限って重く感じるなぁ。あっ、辞書入れてんだった。
気分はまるで落ち武者。打ち取られる寸前の絶望を胸に秘め、別校舎へと足を向けた。
* * *
俺たちの通う市立秋積高等学校は開校七〇年を誇るそこそこに歴史のある学校だ。
校舎は木造でこそないが、つくりは古く、よく言えばおもむきがあり、伝統を感じさせる。悪く言えば古臭く、かび臭いただただ掃除の面倒くさい校舎である。
秋積高校は割と珍しい四階建ての本校舎、音楽室、理科実験室など実習室のある三階建ての別校舎、この二棟で構成される。
俺が呼び出されているのは三階の階段上がって右側、三つ目の教室である。
「いちいち呼び出す場所が遠いんだよなぁ」
今日何度ぼやいたか分からない。しかしあえて言おう、遠いんだよ!
別校舎は建築六十年で本校舎ほどではないにしても、実際に建物に入るとかなり年代を感じさせる。
本校舎と違って放課後は生徒が立ち入らないのか、別校舎は静かなものだった。
練習をはじめた運動部のかけ声がどこか遠いところから聞こえてくる。そんな落ち着いた静寂の中、ペタペタと目的の場所まで向かう。
授業で使われることもあるので別校舎に来るのは初めてではないが、生徒のざわめきのない別校舎は授業で来る時とまた別の印象を感じさせる。
しんと静まり返った別校舎は本校舎よりいくぶん古く見える。まったく来たことのない場所に来てしまった感覚に襲われあまり気分が落ち着かない。
そんな中思うことはただ一つ。
めんどくせぇ。
一旦そんな風に考えてしまうとさらにその感情が加速する。
人は流される生き物だ。
時に流され、人に流され、感情に流される。
大勢が集まればダムのように流れをせき止めたり、流れを断ち切ることができるかもしれない。
しかし、今現在ここにいるのは一人。
人は群れることによって力を得、支えあって生きてゆく動物なのだという。そんなちっぽけな存在一人で流れに逆らうことができるのだろうか?
いや、できない。
うん、サボろう。サボタージュろう。そして明日安井にむかつくJkみたいなノリで「ごっめメーン、忘れてました~テヘッ」って謝ろう。
そう思うと、なんだか気が楽になった。やっぱり仕事って害なんだなぁ~。
もうこの先に進む意味は消滅した。あと腐れをなくすためにもさっさと帰るのが得策だろう。家路に着くためにクルリと進路を変える。
「蜂飼さん、どこに行くんですか?」
後ろを向いたとたんに声を掛けられた。前から。
「え、えっと、どなた……さんです?」
予想外の出来事に動揺を隠せない。
後ろめたいことを実行しようというさなかに声を掛けられて動揺しない人はそういないだろう。
コンビニでアダルチックな本を手に取ろうとした瞬間、店員に「こんばんは」と声を掛けられるのと同じだ。ってか、その店員俺の事万引きだと思っていたのではないだろうか? 客が品物を手に取るときに挨拶なんてしないだろ。普通に買い物すらさせてくれないとか死にたい……。
まあ、そんなビックリ体験なんてどうでもよい。
問題はいま俺の前に立ちふさがっているこの女だ。
「信之下霞実です。信之下霞実。分かりませんか?」
同じ学校に通っているものだから一度くらいはすれ違ったことはあるかもしれないが、特にこれと言ってかかわった記憶がない。俺は自分はつまらない人で人間だと自覚しているが、一度面と向かって話した人の名前を忘れるほど薄情な人間ではないと思っている。それでもやはり信之下という名前に聞き覚えがない。
「すまん、とんと記憶にない。何かしたか?」
これで会ったことがあるというならば俺は自分の評価を「つまらない人間」から「人間の屑」に引き下げなければならない。
「あります、よく思い出してみてください」
はい「人間の屑」確定。
しかし本当に会った記憶がない。上靴の色からして信之下さんは同じ学年のはずだ。しかし俺が同学年の女子とお近づきになる機会なんてあったことなんてあっただろうか?
そんな事態にならないように今まで気を配って生活してきたはずだがどこかで漏れがあったのだろうか? 校外清掃活動、球技大会、写生大会。どれもこれも一人で黙々と過ごしていた記憶しかない。
「う~ん、球技大会…………?」
「校内行事ではありません。大丈夫です、蜂飼さんならきっと思い出せます。頑張ってください!」
外れた。適当に言っても当たらんか……。
もう少し真剣に考えてみよう。信之下さんは同じ学年。そして俺の事を知っている。俺との接点はなんだ? 校内行事ではないとすれば個人的に会ったことがあるということだ。しかし俺にはその記憶がない。
いや、あったかもしれない。
そういえばまだ入学したての頃、バスの定期を拾ったことがある。たしか文字がかすれていてよく読めなかったが『信─下』とか何とか書いてあった気がしなくもない。
「もしかして一年のとき定期落としたことがあるか?」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
投稿遅れて申し訳ございません。
しかし、投稿ペースはあまり変わらないと思います。
仕事ってめんどくさいですよね。