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第二画  ムチニゴスルハムチナラズ

第二画  ムチニゴスルハムチナラズ


 「いってきまぁす」

 永はいつものように玄関を出て2歩目くらいで、靴のつま先で地面を叩く。

靴を履く時にソックスが引きつった気がして、我慢できなくなるのだ。軽くトントンとした程度で直るとも思えないのだが、やらないと落ち着かない。

 ここから20分は学校まで徒歩。

同級生の多くは自転車通学をしているが、ズバリ、永は自転車に乗れない。

 こげないのは勿論のこと、2人乗りの後ろもできない。

横座りに乗れば曲がる際に背中側に落ちるし、前向きに乗れば発進時に後ろに落ちるか、段差でバランスを崩して落ちる。

 しかし、自転車に乗れなかったのは、永にとっては幸運だったかも知れない。

 「……昨日は楽しかったなぁ。佐天君とタイ焼き半分コしちゃったし」

 家から出て1分も経たないうちに、いつものように脳内活動を活性化させる永。

 今朝は、たまたま『回想』に過ぎないが、往々にして『夢想』や『妄想』にも浸りがちだ。

もし、自転車をこぎながらコレをやっていたら、彼女の人生はとっくの昔に終わっていたに違いない。学校までの市道はそれなりに交通量も多い。

 「ボクがどうかした?」

 予想外の声に振り向いた永は、回想と現実が混線し、軽度のパニックに陥る。

 「んげっ?! しゃ、しゃ、しゃてん君?」

 「おはよ、永ちゃん」


 え?

 えぇ~っ!

 どうして佐天君がここに?!

 サッカー部って朝練あるんじゃなかったっけ?

 しかも、またワタシ今の口に出してたの?


 見事な狼狽っぷりの永。狼狽する、という日本語の映像資料が公募されたら採用間違いなしだ。

そんな挙動不審少女の正面に立つのは、紛れもなく佐天祐自だった。さらに、その背中から、ひょいと顔を出す影がもう1つ。

 「アタシ、いない方がよかったかな?」

 赤坂禾生が意味ありげな視線を永に向けた。確かに、3人とも『2丁目40番』まで住所が同じ。一緒に登校しても不思議ではないのだが。

 「あれ? まーしゃんも。練習は?」

 「今日はナシ。んでもって、えいりゃんを驚かそうと思って祐自も誘ってみた♪」

 「迷惑だったかな?」

 「い、いえいえ、滅相もない!」

 降って湧いた幸運に舞い上がる永だが、夢見心地の永に対して、佐天と禾生の表情はいまひとつ冴えなかった。


 「実はさ」

 歩き始めて3、4分が経った頃、いつもより口数の少なかった禾生が口を開いた。

 「ん?」

 佐天と一緒の登校シーンに舞い上がっていた永は、ようやくまーしゃんの異状に気付き、次いで佐天の様子もおかしいと気付いた。

 「ユキがさ、きのう襲われて怪我したんだ」

 「えっ!?」

 禾生がユキと言うなら、それは同じサッカー部のマネージャーである参組の岸幸生のことである。選手兼マネージャーである禾生と異なり、ユキは専業マネージャー。そのくせ、仕事振りはお世辞にも熱心とは言えない。と言うか、偏っている。

 理由は極めてシンプル。彼女はいわゆる『佐天祐自狙い』だからだ。佐天の世話は非常に、時には過剰に熱心にするが、他の仕事はサボリ気味。そんなわけで、禾生や先輩マネージャーによる評価は最低。そのあらましは、永も聞かされている。

 「それって、どこで? 怪我は大丈夫なの?」

 「部室棟の前でだって。ホラ、あの子って『出待ち』してることが多いんだけどさ」

 「うん、聞いたことあるかも」

 禾生はあえて、曖昧な言葉を選んだ。

 簡単に言えば、男子更衣室から佐天が出てくるのを待ち伏せしている、と言うことだが、当の佐天が目の前にいては明言しにくい。

 「ああ、ボクも見たことある。部活の後にノンビリしてるよね」

 佐天は佐天で、多くの人間から好意を寄せられることに慣れていて、単なる好感や友情と、恋愛感情との境目が分かっていない。

 ユキのように、オンナ目線で見たら露骨な直球で来る人間を見ても、気付いていないようだ。

 「そ、そうだね。ハハ……」

 これは永にとっても、重大問題である。要するに永がユキの立場でも、事情は変わらないからだ。

他のマネージャー陣が呆れるくらいに露骨なユキの気持ちにさえ、気付かないのが佐天祐自という男である。引っ込み思案な永のそれになど、気付くべくもない。

 事実、永はこれまで何度となく、サッカー部の試合を応援しに行っているが、彼は幼なじみの禾生を応援しに来ているのだと信じている。女子である禾生は公式戦には出ていないのに、だ。

 「でさ、きのうはアタシが追っ払った後も舞い戻ってたらしいんだよ。その時みたい」

 「佐天君は会ってないの?」

 「うん。ボクはきのう、ボール磨きの当番だったから。それが終わった後は、用具室から直接、校門に向かったんだ」

 「部長に聞いた限りでは、怪我は大したことないらしいんだけど、ショックだったみたいで、学校は休むって。現場を学校が調査するとかで、とりあえず朝練も含めて今日は練習ナシ」

 「お見舞いには行くんだよね?」

 せっかくの佐天との登校シーンだが、楽しかったのは最初の瞬間だけ、その後は暗い話に終始したまま学校に到着しようとしている。それでも、永はユキを気遣う。

 「きのうのきょうで押しかけても、逆に落ち着かないでしょ?」

 やれやれ、とでも言いたげな顔で肩をすくめ、口角を上げるまーしゃん。特殊な状況とは言え、佐天に見舞いを促すような物言いまでするとは、永のお人好しもたいがいだ。

 この子ったら、敵に塩どころか、満漢全席でも贈りそうだな。

 「いずれにしろ、犯人が捕まってない以上、日没後は要注意だよ。ミーティングは別室でやるけど、女子は全員日没前に帰宅だね」

 「え? それアタシも? マネージャーだけじゃなくて?」

 予期しない佐天の言葉に、禾生が慌てた。

 「もちろん。女の子全て」

 「えーっ! アタシを襲う奴なんかいないって」

 「そういうこと言わない」

 女子サッカー部がないので公式戦には出られず、男子部での練習が生きがいといっても過言ではない禾生。その練習さえ奪われた彼女は、非常に不満そうだ。

 「それに、永ちゃんも今度から部活なんだから、一緒に帰ってあげるぐらいじゃないとダメでしょ」

 「う、確かに。じゃあ、えいりゃん、今日も一緒に帰ろうか?」

 「で、でも、ワタシは大丈夫だから」

 「ん? そっか、書道部員がいるのか。頼りになんない気もするけど」

 「いち、おう……部長だけ、だけど」

 「はぁ?! それでよく廃部にならないね。で、その部長って誰よ?」

 「陸組の、雛鳥って人」

 「ヒナドリ? ヒナドリ、ヒ、ナ、ド、リ、って、ああっ! あのデッカイ丸眼鏡!」

 禾生の大声に、周りの生徒が一斉に振り向く。

 「そう、その人」

 「アイツ、グラウンドや体育館で見ないと思ったら、あのガタイで書道なんかやるんだ。

ほら、春に祐自と一緒に目ぇつけてた、『伝承者』だよ」

 「あ! あの必殺拳の使い手みたいな人か!」

 どうやら、サッカー部周辺では、尊は謎の拳法の達人として認識されていたらしい。実際、きのうは似たような立ち回りをしていたけれど。

 「へぇ、確かにアレなら、防御壁にはなるかな。けど、アタシはアイツの方も信用ならないよ」

 大丈夫。何かあっても、1分逃げ回ればダウンするから。

 永が軽く冗談で答えようとしたところで、3人は校門に到達した。


****


 「一文字! ちょいと顔貸せ、がっ!!」

 昼休み、名前を呼ばれた気がして、教室の入り口に目を向けたけど、そこには誰もいなかった。

と言うか、目を向けた先には誰も見えなかった代わり、下の方で雛鳥君がうずくまっていた。額を押さえて、忌々しそうに謎の言葉を吐いている。

 あ、そっか。だから、きのうも絆創膏貼ってあったんだね。

 教室の鴨居に頭をぶつける。

高身長人間の定番ネタだが、現実にはそうそう起こらない。通常、不特定多数の人間が出入りする場所の出入口は、寸法に余裕を持たせてあるからだ。

 「この、オンボロ校舎が……」

 尊にとって不幸なことには、この校舎は築70年オーバーと非常に古かった。当時の日本人の平均身長は、現在よりもかなり低い。しかも、その頃の日本は他国と戦争中。厳しい国内情勢を考慮して、低めの天井で設計、建設資材の節減が企図されている。

 靴底の厚みも入れると190センチを超える尊であるが、家や外出先では特に問題はない。それだけに、いつもの調子で気を抜くと、学校ではこのようになる。

 「なんですか? 部活なら放課後に行きますよ」

 「んなんじゃねぇ。いいから、屋上まで来い! 弁当あるなら持参、ないなら3分でパンと牛乳買ってから来い」

 「お弁当なら持ってますけど、飲み物がないので……」


 あ、でも自販機まで行って戻ってくるのは時間かかるし、

 だけど、お茶くらいは欲しいところだし、

 いや、今は我慢してお昼の後で、

 あ~、やっぱり食べてる時にも欲しいかも、


 「いいから、ブツブツ言ってる間に、とっとと買って来い!」

 「は、はいっ!」

 尊に一喝された永は、出入口付近で一度立ち止まり、教室内を軽く見渡した。

 明らかに、しかも悪い意味で目立つ尊の言行。クラスメイト、特に佐天が2人の仲を誤解しないだろうかと気が気でない。だが、尊は容赦なく催促の視線を投げかける。

 結果、永は追い立てられるように、一番近い自販機に向かって走り出した。

 当然、残された弌年壱組の連中は呆然である。その中には、永と机を並べて弁当を食べる予定だったまーしゃんこと赤坂禾生、今にも売店にパンを買いに行くところだった佐天祐自も含まれる。

 「永ちゃん、どうしたんだろ?」

 禾生の机の横を通りがかった佐天が、心配3割、不思議6割といった表情で問いかける。残りの1割は、展開について行けなかった『キョトン』の分だ。

 「さぁ? アタシが聞きたいくらいだよ。だけど」

 お手上げのポーズをとりながら、禾生は教室を見渡した。

 「お昼のニュースには、もってこいだったみたいだね」

 事実、尊の勢いに呑まれて静まり返っていた教室が、だんだんと我に返ってザワついてきていた。言うまでもなく、ザワザワの内容は10秒前にここで起こった出来事の確認と分析、推測と憶測、再現と流布、つまりはウワサ話だ。

 永が教室に戻ってくるのは、午後の授業開始ギリギリがベストだろう。そうでないと、あっという間に取り囲まれて、質問攻めに遭う。


 「はぁ、はぁ……疲れた」

 尊に急かされながら着いた屋上には、既に多くの生徒が集まっていた。

 施設の不備・不具合が多い本校の数少ない長所が、屋上からの眺めの良さだ。山城の天守閣跡に建てられたおかげで、毎日、坂を登って登校するのは大変だ。けれでも、その苦難に報いるかのように、見晴らしが素晴らしい。

 おのずと、昼食を屋上でとる生徒は多い。もちろん、各所に置かれたベンチは満席。

 そこで2人は、フェンス際の一段高くなっているコンクリートの部分、いわば校舎のフチに座る。フェンスに背を向ける形なので、背中側の景色は見えないが、それでも反対側のフェンス越しに犀角川沿いの崖線や三の丸公園が見える。

 呼び出された理由を聞きたいものの、もう一つ勇気が出なくて逡巡している永をよそに、尊は手にしたビニール袋からパンを1つ取り出して食べ始めた。


 一体なんの用?

 きのうのきょうで屋上に呼び出して、

 でも何も言わずにパンなんか食べてるし。

 もしかして、言いにくいことなのかな。

 は! ま、まさか、いきなり告白とか!


 「それは絶対にねぇ!」

 むっとした顔で永を睨む尊、右手に握られた焼きそばパンが見事に潰れている。

 こぼれ落ちそうな焼きそばを切り目の中に戻した尊は、残された半分ほどを一気に口に放り込み、再びビニール袋に手を突っ込み、またもや焼きそばパンを取り出す。

 「味付けが違うんだからな、味が」

 突っ込まれないうちから言い訳をすると、大きな一口目でパンの半分をもぎ取る。

 「どした? 喰えよ。昼休み無くなるぞ」

 「あ、はい」

 派手かつ強引に呼び出しをかけたと思ったら、単にパンを食べているだけ。そんな尊の態度は全く要領を得ないが、永は言われるままに弁当箱を膝の上に乗せ、包みを開ける。

 既に昼休みを20分ほど消費してしまったので、とにかく食べ始めなければ午後2の体育がツライ。満腹なら満腹で、午後イチの数学で寝てしまいそうだが、それはそれで幸せなひと時かもしれない。

 「そんで、本筋だが」

 永が、一口目の鶏のから揚げを飲み込み、ご飯に箸を伸ばした時、尊が本題に入った。

 当たり前の話だが、それは愛の告白からは程遠く、

 「きのう、参組の奴が襲われて怪我したって話、聞いてるよな?」

 「サッカー部マネの岸幸生さん、のことですね」

 「お、よく知ってるな。知り合いか?」

 「いえ。でも、友達が同じマネージャーなんで……」

 実は片想いの相手がレギュラーです、なんて重要な事実を悟られる訳にはいかない。

 「部活仲間と知り合いか。なら、詳しそうだな。で、どこまで聞いてる?」

 珍しく肯定的な態度の尊は、興味深げに身を乗り出す。

 しかし、アンダー150の永には、190センチ弱の人間の圧力は強烈だった。息苦しさに耐えかねて、座る場所を拳2つ分ほど離し、人差し指を唇にあてながら回想する。

 「んと。夕方、サッカー部の部室を出た辺りで、暴漢に襲われて怪我をした、って聞きました。首を痛めたのと、擦り傷や打撲とか」

 「犯人は?」

 「岸さん本人は、いきなり至近距離で襲われたから見てないって」

 「目撃者がいるんだよ。遠目だがな」

 「へぇ……それは初耳です」

 今朝の校内は、この事件の話題一色だった。誰もが事件の話をしていたが、内容はほぼ一緒。

 まともなニュースソースは被害者であるユキ本人に話を聞いたサッカー部部長が唯一で、他は無関係な人間の憶測や噂話だった。

 目撃者がいたなんて話はチラとも出てこなかった。この丸眼鏡の伝承者は、一体どのような情報網を持っているのだろうか。

 「なんかよ。ウサギの化物みたいなのに攻撃されてたらしい」

 「……はい?」

 面喰らった。謎の情報網に驚嘆して損した気がする。誰がどう考えてもガセネタだ。

 だって、

 「あの手足の長さじゃ……無理じゃないですか?」

 「おい! どのウサギをイメージしてる? まさか口がバッテンで、シンプル・イズ・ベストなアレじゃないだろうな」

 「……違うんですか?」

 今度は尊が面喰らう番だった。

 「なぜ、最初にイメージするのがそれなんだ?」

 しかし、言われてみれば、あの無表情な姿で襲ってくるのも、ある意味で迫力がある気もする。精神的にショックを受ける気持ちも十分に分かる。って、そうじゃないだろ!

 「オレは文字化怪だと考えてる。オマエの出したのと合わせて、きのうだけで2体が出現、ってのも豪華過ぎる話だがな」

 怪物的な存在が全て文字化怪だとまでは言わないが、今回は思い当たるフシがあった。

 「デカイ筆の毛で首を絞めてた、って話がある。首を痛めたのはそのせいだろうな」

 「……筆、ですか? まさか?!」

 「言っとくがオレじゃねぇぞ! そもそも、事件の起こった時間は、オレたちが部室でドッペルゲンガーと格闘してた時とカブってるんだからな」

 あからさまに疑惑の視線を向けられ、抗議の声を挙げる尊。一方、永は尊がウサギの耳を着けて、巨大な筆を振り回す姿を妄想中だ。

 う、でも、衣装まで徹底されると、ちょっと厳しいかも。

 「バニーガール姿とか想像してるんだろ?! オレじゃない。たぶんソイツはユウヒツって文字化怪だ」

 「祐自君?」

 「誰だよ、それ? 右に筆って書いて右筆(ゆうひつ)だ」

 思わず佐天の名前を口走る永。即座に下を向いて、『しまった!』という表情を必死に隠す。

 彼女の中では、とてつもなく大きな地位を占めるのだから、仕方のないことかも知れないが、尊に悟られたくはない。

 幸い尊は、単純な聞き間違いだと解釈したようで、永が詰問されることはなかった。

 「ウサギっぽい姿で筆を武器にする、ってんなら右筆で間違いないだろうな。ウサって呼ばれる文字化怪の片割れだな」

 「ウサギのウサ、ですか?」

 「むしろ逆だ。右と左って書いて右左(うさ)っていうから、ウサギの姿で発導する、というのが正解だろうな」

 「もご……駄洒落で怪物を形作った?」

 実は永は、先ほどから尊の話を聞きつつも、しっかり箸だけは止めず弁当を食べ進めていた。だが、今回はさすがに動きが完全停止する。お行儀の悪いことに、十分に噛む前に喋りだしてしまった。

 「誰が作ったってワケじゃない。その言葉から連想されることとか、文字にまつわる様々な事象が総合的に、文字化怪の特徴に反映されるんだ」

 「反映、ですか?」

 「雑に説明すれば、言霊みたいなモンだ。右左が今の形に定着したのは江戸時代らしいから、当時の駄洒落のセンスが影響しているのは否定できないけどな」

 「はぁ……」

 永の反応は極めて鈍い。きのう、じかに文字化怪と対戦した人間とは思えない。

 言霊、ねぇ。郷土史でもそんな話を聞いた気がするけど、なんか眉唾だなぁ。そもそも、『右左』って順番がおかしいじゃない? 普通に『左右』でいいのに。

 それとも、書導の世界でも右の方が優先されるってワケ?

 「正体が分かったところで、それだけじゃ大した役には立たないんだがな。そうそう偶然で出現するってモンでもないから、必ず出した奴がどこかにいるはずだし」

 「え? だって、きのうワタシが出したのは、

 「いくらなんでも、純粋な偶然で、あんなおっそろしい文字化怪が出てくるワケないだろ。あれはあれで、オレが色紙に力を封じてから渡したからだ。ドッペルゲンガー級の誤導を招いたのは、想定外だったけどな」

 つまり、きのうの騒動に関しては、起爆剤は永の能力だとしても、燃料を用意したのは尊だったわけだ。全部が自分のせいではないと分かって、永はちょっぴり安心した。

 「というわけだから、放課後は必ず部室に来い。じゃな!」

 「え? あ、あの」

 言うだけ言うと、尊はすっと立ち上がり、すたすたと屋上を去ってしまった。

 何がどういうわけなのか、サッパリ分からない。とは言え、ちょうど弁当を食べ終わった永も、これ以上、屋上にとどまる理由はない。

 弁当箱を包み直し、お茶の紙パックをキレイにたたんでから、立ち上がって歩き出す。階下に向かう階段の手前で立ち止まり、向かいの旧校舎の壁面に備え付けられた大時計に目をやって気付いた。

 あぁ、まだ15分もある。こんなんだったら、お茶を買うのは後にしとけばよかったよぉ。

 今から弌年壱組の教室に戻っても、確実に時間が余る。それはつまり、先ほどの派手な呼び出しについて、クラスメイトからの追究を受けることを意味する。

 不幸なことに、屋上にも壱組の生徒が何人かいたから、屋上での尊とのやり取りも話題になるに違いない。

 「いっそ、時間ギリギリまで話し続けてくれればよかったのに」

 毒を喰らわば皿までも、そんな言葉を思い浮かべつつ、永はのろのろと教室に向かった。


****


 「来たか。入れよ」

 放課後、永は尊に言われるがままに、旧校舎の書導部部室を訪ねた。

 そこで永を待っていたのは、机の上に用意された2冊のノートとボールペンだった。1冊は白紙、そしてもう1冊にはひらがなとカタカナ、英数字、さらには無数の漢字が全ページに渡って書かれていた。

 「あの、これって?」

 「はぁ?! バレンタインに備えてペン習字の練習したい、って言ったのオマエだろうが! だから、合わせてやったのに、その言い草かよ」

 「いえ、そこまでワタシは言ってないですけど……そうじゃなくて、こっちの、

 「あ?! お手本がなきゃ練習できねえだろうが」

 「じゃなくて……これ、手書きですよね?」

 「ったり前だろ。ペン字の手本なんか持ってねぇもん。オレが作るしかないだろ」

 「……やっぱり」

 「あんだ? なんか文句あんのか? ペン字は得意分野じゃないんだから、その程度で我慢しろよな」

 そうじゃない、そうじゃなくて……。

 このノート、きのう作ったのよね?

 丸々1冊にギッシリと字が書かれてるし、それに1字1字が凄く綺麗。

 これをたった一晩で?

 「ま、これで用具も揃ったし、下手な言い訳もできまい。キリキリ練習してもらうぞ。なんせ、お手本は常用漢字を全て網羅して、十分なボリュームを、って、ああああっ!」

 「わっ! ど、どうかしました?」

 尊は自慢げに語っていたかと思うと、突然、耳をつんざくような絶叫を上げた。ビックリしてカバンを取り落とす永。

 「オマエ、これ1日でできるか?」

 「まさか。絶対に無理ですけど」

 「だよな。あ~、だったら一晩で完成させる必要なんか、なかったじゃん!」

 「……ですね」

 普段の尊大な態度はどこへやら。こうして大げさに嘆き悲しむ姿は、彼も1人の高校生であることを示していた。

 「いや待て。今ここで、ラブレターの文面決めろ! それで、ココから必要な文字だけ拾って練習だ。その方が効率的に上達する。いいな!」

 「……良くないです。ラブレターの公開練習って、なんですかソレ?」

 それでも、永の眼には自然と気になる文字が飛び込んでくる。

 尊が書いた『好』の字。普段の彼の言動には到底そぐわない字だが、ノートの片隅に小さく書かれたそれは、とても柔らかくて優しい字だった。

 こんな字が書けたらなぁ。

 でも、目の前で練習するのもイヤだし、あとはウチで、

 「言っとくが、持ち帰り厳禁だからな」

 「え? どうして……」

 「見ながらじゃないと、オレが直せん。それに、練習のし過ぎは手首や指に負担がかかって、逆に悪い字になる。下手すりゃ腱鞘炎だ。

だから、部活以外では練習すんな。その分、ここでみっちり鍛えてやる」

 そ、そんなぁ。

 あ、そうだ!

 文字を偏と旁に分けて、別々に練習すれば気付かれないかも。

 ナイスアイデア!

 「女と子に分けて練習しても、無駄だぞ。文字にはそれぞれのバランスってモンがあるんだ。単に部品を繋いでも完成はしない。意味は通じるがな。

でも、それじゃ、今のオマエの字でも変わんないだろ?」

 ……この人って、書導師とかなんとか以前に、エスパー?

 「オマエが単純すぎんだよ。ノートの1点だけ凝視してりゃ、馬鹿でも気付く」

 すっきりくっきりと通った高い鼻筋をフル活用して笑うと、尊は永の真後ろに立った。

 「さ、始めるか。まずは姿勢からだな。口頭で告った方がラクだった、って思うくらいにビシビシ行くから覚悟しろよ」

 背後に立つ尊の姿は、永には一切見えない。だが、その顔に満足そうな、そして意地悪な笑顔が浮かんでいることは、声色だけで分かった。


 「よぅし。今日のひらがな練習はここまで! そろそろ日没だし、次はメインディッシュだな」

 およそ2時間弱、一度の休憩もなし。ただひたすらに、ひらがなの練習をさせられた永。白紙だったノート1冊は、あっという間に埋まっていた。

 「日付……その意味だったんだ」

 永はガックリと机に突っ伏して、ぼんやりと練習ノートを見つめた。

 このノートの表紙には、ど真ん中に日付が書き込んであった。最初は『使用開始日』だと思っていたのだが、まさか『使用日』の意味だったとは。

 「でも、最初に知ってたら、萎えてたかも」

 既に左手の指はガチガチで、肩も鎧を着込んでいるかのように凝り固まっている。豆になったり、剥けたりしなかった指の皮膚を褒めてあげたい気分だ。


 早く帰ってお風呂入りたい。

 ってか、『次は』って言ったわよね、今?

 もうこれ以上の練習は無理だよぉ。

 それに時間も遅いし、ほとんどの部活は終わってるはずなのに。


 「何してる? 早く片付けして荷物まとめろ、部室出るぞ」

 「え? じゃあ、メインディッシュって言うのは一体?」

 「行けば分かる。あと、これ持っとけ」

 そう言い捨てると、尊は1冊のメモ帳を永に投げた。

 きのう、永が使ったチラシの裏紙に比べると高級そうと言うべきか、古めかしいというべきか。とにかく、なんとなく時代を感じさせる薄茶色の紙が、これまた古風に和綴じで束ねられていた。

 「ペンはさっき使ったのにしろ。今の練習でそこそこ馴染んできただろ」


 え、と、今からメインとやらで、

 字を書く用紙を渡されて、

 ペンは書き慣れたのが良くて、

 きのうのこの時間は、岸さんがウサギの怪物に襲われた……、


 「まさか?」

 「他に何がある? ほら、行くぞ」

 部室の外で待っていた尊は、これっぱかしも悪びれずに永をせっついた。

 来たるべきバレンタインデーのために悪筆を直したくて、書道部に入った永。

 だが、恋する気持ちを書き綴るはずが、なんの因果か、2日続けて文字化怪退治である。

 今までも散々、自身の悪筆を呪ってきた永だが、どんなに凹んだ日でもこの日ほどではなかった。

 「はぁ……今日は、まーしゃんは早いんだっけ」

 襲撃事件のあおりで、サッカー部の練習はない。男子陣はミーティングだけはするような話であったが、禾生を含む女子は早々に帰宅したはずだ。

 ということは、帰りは暗い中を1人。つい2日前までは帰宅部だった永にとって、夜の帰り道は不安の塊だ。

 「きのうの状況、覚えてるか? 説明した奴」

 ほどなくサッカー部部室前という地点で、唐突に尊が話しかけてきた。

 先ほどまでと比べて、真剣な表情。釣られて立ち止まった永は、古びた木造長屋の前で昼休み中の会話を思い起こしていた。合わせて、登校中に佐天や禾生と話した内容も。

 「えぇと。確か、岸さんが更衣室の前で、佐天君が出てくるのを待っていて、

 「そう! 分かってるじゃねえか。じゃ、頼んだぜ」

 「あ! それって、あの」

 戸惑う永を部室棟の前に残し、尊はその外れにある焼却炉の陰に回ってしまった。

 部室棟の一番端、永から最も近い位置にあるのは、各クラブ共通の男子シャワー室と兼更衣室。

 だが、全ての運動部は本日の練習を取り止めており、朝から始まった学校側による調査も一通り終わっていた。日没はまだだが、辺りに人気は全くない。

 そんな場所に女生徒が1人、放置に近い状態で佇んでいる。

 「……ヒドイ」

 自分が先陣を切るどころか、永をオトリに使おうという、尊のせせこましい作戦。文句の1つも言いたいところだが、尊に聞きとがめられないよう、小声で呟くのが精一杯だ。

 はぁ、ワタシってちっちゃいなぁ……。

 だいたい、こんな単純な手に引っかかるものなの?

 サッカー部どころか、運動部の練習が全部ないのに。

 ザラザラとしたモルタルの壁に寄りかかりながら、地面を見つめる永。

 次々と口をついて出てきそうな愚痴を、必死に喉元で抑えている。不満をいっぱいに抱えつつも、オトリ作戦を台無しにしないように頑張ってしまう自分が悲しくなる。

 それもこれも、被害者のユキが禾生や佐天と同じサッカー部だから。2人が、もっと正直に言えば、特に佐天が心配だからこそだ。

 が、肝心の佐天は今頃は帰宅。対する自分は、怪物退治のオトリ役と来た。


 太陽と共に永の気持ちもすっかり沈んだ頃、とうとう雨粒まで落ちてきた。

 「やだ、傘持ってない」

 頭に手をやって空を見上げたものの、頭上に広がるのは夕日の最後の輝きを染み込ませた薄い赤紫色の雲ばかり。雨雲には見えなかった。

 再び視線を地面に落とすと、まだ部室棟の影がうっすらと判別できた。そして、その屋根に立つ黒い影も。

 ところどころバランスがおかしい人型で、長いホウキのような物を持っている。そして頭部には2本の長い突起が……まさにウサギの耳のような。

 ハッとした永は振り向き、部室棟のすすけたトタン屋根を見上げて、影の本体を視界におさめる。

 〝グ…ガ…〟

 ソイツは機嫌の悪い大型犬のような低い唸り声を響かせ、牙をむき、よだれを垂らしながら、屋根の上からじっと永を凝視していた。


****


 「あ・・・・・・」

 永は足がすくんだ。

 『ウサギのような』はずの文字化怪の姿の醜悪さは、永の想像を超えるものだった。

 確かにウサギの要素はある。長い耳、薄茶色の毛皮に覆われた四肢、目立つ前歯、そして赤い眼。

 でも、それが同時に『人間のよう』でもあったなら? 潰れた鼻、今にも突き刺さりそうな牙、視線のおぼつかない目つきといった要素を備えつつ、それでもどこか人間的な風貌。そもそも、二本脚で直立しているシルエットは、人のそれだ。

 怪物とも断じがたい、だが決して人間そのものではない姿は、1人の女子高生を畏怖させるに充分過ぎた。

 屋根から飛び降り、15メートルほど先に仁王立ちしたソイツが手にする人類的な道具、巨大な毛筆が、逆に本体の奇怪さを際立てている。

 「やっぱり右筆か!」

 今までコソコソと隠れていた尊が、一声叫ぶと同時に飛び出してきた。

 左手には前日にも使用した矢立があり、右手には既に墨液を滴らせた小筆が握られている。剣術で言えば抜刀した状態だ。

 やけに説明的に右筆の名を出すのは、自分の読みが正しかったというアピールだ。しかし、肝心の永はそれに気付く余裕はない。専ら呆然と、右筆たるウサギもどきの文字化怪を見つめるだけだった。

 「……」

 永には良く聞き取れなかったが、尊は後方にあった荒縄の両端をつかむと、その両端になにやら文字を書き込んだ。『宇野殺す』とも聞こえた気がするが、当然ながら宇野さんに心当たりはない。

 あの文字化怪が宇野さん? まさかね。

 「荒縄で(くちなわ)。我ながらいいセンスだ」

 一人悦に入る尊。その手に握られた荒縄の両端から徐々に淡い光が拡がって行く。

 光は地面に半分埋められていた荒縄に沿って、大きな弧を描くように進み、ちょうど部室棟を包み込んだ辺りで合流して楕円形を完成させた。

 淡い緑色に光る楕円は、直径25メートル前後だろうか。プールやテニスコートの奥行きと同程度のサイズに見える。尊や永、そして右筆と名指しされた文字化怪は、その楕円に囲い込まれている格好だ。

 「これって?」

 「ウロボロスの結界。手っ取り早く言えば、この中の空間を封鎖した。逃げられたら面倒だからな」

 〝ガッ!〟

 言っているそばから、右筆が不機嫌そうな吼え声をあげた。

 尊に気を取られて後ろを向いていた永は、慌てて文字化怪に向き直る。化物は、咄嗟に飛び退ったものの、ウノなんとかの結界に阻まれて体勢を崩したようだ。

 結界線ギリギリに立ち、大筆の柄で付近の空間をつついているが、その度に見えない壁が行方を遮っている。だが、この空間が閉鎖されていると理解した流れで、永や尊を倒すべき敵と認識したらしい。結界にちょっかいを出す一方で、視線を永に据え続けている。

 先ほど視線を外した際に、右筆が脱出ではなく、攻撃を選択していたら。そう思うと、永は背筋が強張るのを実感した。


 ああぁ、完全にマークされちゃった……。

 しかも、逃げられたら面倒って何よ?

 むしろ、ワタシが逃げたいんですけど。


 嘆いてはみたものの、結界まで張って舞台を整えられてしまった以上は、目の前の文字化怪をなんとかするしかない。

 永は自分が出来そうなことをするため、きのうと同様『正』の字を発導させるべく、手にしたペンとメモ帳を構えた。

 さっき手渡されたばかりのメモ帳だが、いつの間にか強く握っていたようで、汗で湿った部分が濃い茶色に変色していた。和綴じの紐もところどころ歪んでいる。永は濡れていないページを選び、ひらがな練習に使ったペンで『正』の字を書く。

 都合3枚。口の悪い尊が褒めるだけあって、バランスの良い『正』の字が、サラサラと綴られていった。

  ひゅっ!

 最後の1枚の、最後の1画を書き始めた時、前方で風鳴りがした気がした。

 反射的に半歩だけ横に避ける永。すると、直前まで立っていた場所から土埃が立ち上がっていた。

 まずい! また目を離しちゃった。

 仕方なく3枚目の完成を先送りにして、視線を部室棟の屋根に戻す。右筆自身は、一歩も移動していないように見えたが、手にした大筆の毛が、最初よりも随分長くなっていて、それが鞭のようにくねっていた。

 「あれって、おーちゃんが観てた……」

 永は、家で妹が観ていた中国の武侠ドラマを思い出した。

 劇中で筆を使った闘術が出てきた時は、ユーモアあふれるフィクションだと笑っていたのだが、今は笑う余裕などない。あの大筆の一撃を喰らったら、ユーモアやフィクションでは済まないだろう。

 「……まるな!」

 尊の声が響いた。

 「え?!」

  ちりっ!

 聞き返そうとひねった上半身を、右筆の鞭が掠めた。一瞬間を置いてから、左の脇に疼痛が走る。

 「うぅ……」

 「止まったら奴の鞭にやられるぞ。逆に動いていれば、簡単に当たるモンじゃない」

 確かに、弧を描いて目標物に当てるという鞭の性質上、急激な照準変更は難しいだろう。右筆が鞭を、と言うか筆の毛の部分を繰り出してから移動すれば、攻撃をもらわないで済むはずだ。

 よけながら機会をうかがって接近し、本体に『正』の字を貼り付ければ相手を沈黙させられる。ドッペルゲンガー戦で見せた永の集中力をもってすれば、不可能ではない。

 問題は、

 「これって、1回でもまともに当たったら、ゲームオーバーな気がするんですけど」

 続いて繰り出された攻撃を何度か上手にかわしてから、永が指摘した。


 尊の目論見通り、永の『正』の字が、右筆を一瞬で沈黙させられるだけの効力を持っていると仮定しよう。その意味では、永は必殺の一撃を放てると言える。

 だが、そのためには、右筆の懐に潜り込まなければならない。永と右筆との距離は約15メートル、既に相手の射程圏内だ。永の手が右筆に届くまでの間に何回、あの鞭攻撃をかわさなければならないのだろう? 鞭の攻撃が及ばない至近距離まで接近したとしても、筆の柄を棍棒として使用されたら?

 妹と一緒に観た番組では、そのような使い方もされていたし、そもそもその侠客は体技も巧みだった。


 実は筆しか使えなくて、体捌きはからっきしです、なんて……ないだろうなぁ。

 それに、制服のままだと動きにくいよぉ。


 もともとが楽観論者からは程遠い永は、鞭が掠めた脇腹を押さえながら、自身の置かれた境遇を嘆いた。

 スローテンポながらも休みなく続く右筆の攻撃。視線を逸らせない以上、目視確認はできない。だが右手の指先は、制服の上着が切り裂かれ、ミミズ腫れができていることを教えてくれる。掠っただけで制服を切り裂くような攻撃が、もしクリーンヒットしたら……相手の攻撃も永にとっては必殺なのだ。

 その上、制服の短いスカートで派手に立ち回ることへの抵抗もまた、尋常ではなかった。

 まーしゃんみたいに、スパッツ穿いてれば良かった。

 「あ! 忘れてた。ちょっと待て」

 右手に荒縄の両端を持ったままで、尊が手招きをする。とは言え、結界の外に出られない以上、端まで行ってしまうと追い詰められる。

 「でも、動いてないと、って」

 「いいから、来い!」

 永は強い口調に背中を押され、尊の立つ場所に向かって、素早く歩み寄った。

 右筆の一撃をかわした直後のタイミングで、しかも右筆から目を離さないように後ろ歩きなので、軽く蹴っ躓いてよろめいた。

 「よっと」

 そんな永の首根っこを軽く左手で、まるで子猫にするかのようにつかんで支える尊。そして、右手に持った荒縄を上下に大きく動かして波打たせると、一言。

 「跳べ」

 そう言って、そのまま社交ダンスのようにターンした。

 「え?」

 尊の回転に合わせて、永の右側にあった荒縄は宙を舞って左側へ、そして左側にあった部分が地面を擦って右側へと入れ替わる。永は慌てて、縄跳びの要領で結界線を跳び越した。

  じゅっ!

 結界に触れた靴のつま先が軽く焦げた。巨躯を誇る文字化怪、右筆ですら怯んだ結界。それを一切の説明なしで振り回すとは。

 「危ないじゃ、

 永が尊に文句を言おうとした矢先、顔面の高さ、50センチもない距離で火花が散った。ビクッと首をすくめた永の眼前には、オーロラのような緑色のカーテンがかかっていた。

 「これって……」

 「一時的に結界を分割した。もって20秒だ。チャッチャとやるぞ」

 尊が波打たせてねじった荒縄、それが作り出す結界は今、8の字状に2分割されていた。小さい円の中には永と尊が、もう一方には文字化怪・右筆がいる。

 どうやら、右筆の攻撃は8の字の交差部分で阻まれているようだ。だが、2つの結界の境目、ねじった縄が接する部分は妙に明るく輝いていて、じきに焼き切れそうだ。尊が言う20秒と言うのは、決して誇張ではない気がする。

 この安全地帯は間もなく消える。

 「一体、どうすればいいんですか?」

 「黙って立ってろ。忘れてたんだよ、防御のことを。今から急いでやるってことだ」

 乱暴に言い放つと同時に、永の首根っこから左手を離し、筆を構える尊。

 「左手だから出来は微妙かも知れないが、我慢しろよ」

 「ひゃっ!!」

 永は思わず悲鳴を上げた。

 こともあろうに、尊は冷たい墨液に浸した小筆で、彼女のうなじをなぞったのだ。冷たさと、なんとも言えない感覚とで全身に鳥肌が走る。


 なに今の?

 こんな場面で、筆でくすぐった?

 え、変態?

 でも、何だか体がポカポカと……

 まさか、ワタシってば!?

 あ~、佐天君ごめんなさぁい!


 「アホか! また跳べ、妄想女!」

 「ちょ、ちょっと待っ、

 言い終わらないうちに、尊は再び結界を波打たせ、先ほどと反対向きにターンした。永が不器用に縄を飛び越え、着地すると同時に結界が元の楕円形に戻る。

  ばちっ!!

 その直後に左肩に衝撃が走り、永の意識は結界から逸れた。

 「いたっ……くない?」

 確かに衝撃はあった。右筆の持つ大筆の先端が軸の方向に戻って行く姿が、視界の端に映ったから、アレが直撃したのは間違いない。

 だが、平手で軽く叩かれた程度のショックがあった他は、永の体にこれといった変化は起きていなかった。掠っただけで制服を切り裂き、皮膚を腫らした攻撃が、今回は直撃したのに、である。


 「あ、あのぉ」

 右筆の攻撃を受けたものの、永の体調にはこれといった変化はなかった。体調にはなかったが、永は重大な変化に気付いていた。

 「このカッコは一体?」

 数秒前までは制服姿だった一文字永は、いつの間にかラベンダーのチャイナドレスに身を包まれていた。

 「一種の防護服だ。奴の攻撃でも数発は受け切れる」

 「いや、そうじゃなくてですね……」


****


 「かえって動きにくいんですけど!」

 珍しく強い調子で、永が抗議する。それだけ事態は切迫しているのだ。

 「お望みどおり長くしたんだから、グダグダ言うな」

 ところが、尊の返答はおざなりだ。土ぼこりも気にせずに地面に座り込んでいるから、体力的に厳しいのだろう。

 「でも、これじゃあ、余計に気になって……」

 永の装いはなぜか制服姿ではなく、薄紫のチャイナドレス姿に変わっていた。

 左手に握られた物体は棍棒にも見えなくはないが、分かりやすく言えば魔法の杖。それも、ファンタジー世界の魔法の杖ではなく、テレビアニメで活躍する魔法少女が使う『なんとかステッキ』に近いデザインだ。

 闇が迫る中で、高校の敷地には不似合いな中華風魔法少女もどきは、しきりにドレスのスリットを気にしている。ドレスの裾は足首までのロングなのに、両サイドのスリットが腰の高さまで通っている。

 ここまで開いてるのに見えないってどういうこと?

 まさか、あの時に消えちゃった?!

 スリットのせいで太ももの露出度が高いことも不満だが、永が心配するのは、隙間から『何も見えない』ことである。足首から腰骨の高さまで、永の脚『だけ』が覗いている。

 あれ、この辺りにあるはず、なのに。ベージュなんて持ってないし、確か今日はベビーピンク……。

 モジモジしながら、手さぐりで腰骨の少し下を確認する永。手応えのなさに不安を覚えながらも、視線は前方に据えたままだ。

 まずいなぁ、全然近づけないよぉ。

 それに、この結界、かえって邪魔だし。

 尊が荒縄を媒体にして『ウロボロスの結界』とやらを発導させ、永の制服を奇妙な防護服に変えてから、3、4分は経過しただろうか。


 結界によって右筆の逃亡を防ぎ、ただのチャイナ服に見える防護服で奴の攻撃を受け切る。尊は前日のドッペルゲンガー戦でそうであったように、文字化怪の動きを止める手助けをする。その上で、永が『正』の字を書いたお札を体のどこかに貼り付ける。

 そんな作戦は、早くも企画倒れの様相を呈している。

 まず第一に、尊が使い物にならない。

 この戦いに永を巻き込んだ張本人であり、書導や文字化怪の存在を永に知らしめた雛鳥尊は、昨日に引き続き、体力切れでダウンしている。きょうは、結界の作成、8の字結界への変成、防護服の作成と、能力を使う回数が多かったので致し方ないようにも思える。

 だが、結界と防護服の作成は当初の作戦通りらしいし、8の字結界を作る羽目になったのは、防護服の作成を失念していたからである。それに、あの体格にして、体力不足の文化部キャラなのは納得がいかない。

 だいたい、ちょっと不測の事態が起こっただけで頓挫する作戦なんて、作戦じゃなくてただの思い付きじゃない!

 第二に、永が右筆の懐に飛び込むのは、想像以上に困難そうである。

 「縄跳びとか、ドッジボールとか、苦手なのに……」

 文字化怪・右筆の繰り出す筆状の鞭は、想像以上にテンポよく襲ってくる。かなりの遠距離から攻撃しているにも関わらず、8秒前後で次の一振りが襲い来るのが現状だ。延々と攻撃を繰り出す右筆のスタミナを前にして、永は接近する糸口がつかめないでいる。

 それに、例え鞭の攻撃をかわして懐に飛び込んだとしても、拳や脚、牙も強敵である。一度、右筆の判官筆のすぐ脇まで接近できた場面では、文字化怪は即座に足を飛ばしてきた。運よく当たらなかったものの、頬に感じた風圧の大きさから、その威力はかなりのものだと推測される。

 「っつう……ちょっと厳しいかな」

 蹴りをかわした際に、永は左の足首をくじいた。ラベンダーの防護服は、右筆の攻撃の威力を殺いではくれるが、永の肉体そのものを強化してはくれない。露出した顔や腕に攻撃を食らうリスクを考えると、むやみやたらと突進するのは得策ではない。

 そして今回、雲行きが怪しい極めつけの原因は、永が全力を発揮し切れていないことにある。

 相手云々の問題ではなく、どうもチャイナドレス風の衣装が気になって、動きが鈍くなっているように見える。むしろ重要なのは、腰の辺りに『あるべきもの』が感じられないことが問題だ。


 いくらなんでも、これはマズイよね。

 でも、このままじゃ負けちゃうし、

 勝ち負けどころか死んじゃう?

 さっきから、かするだけでも痛くなってきたし、

 あぁ、もう! 他に方法ないのぉ?!


 「仕方ないか。一文字! 脱出するぞ」

 「へ?」

 永の心中で手詰まり感が湧き上がってきた時、尊が何かを決断したようだった。

 「このままじゃ、その服ももたない。結界を脱出するぞ」

 「え? でも、それじゃ、

 「奴は結界から出さない。そして結界は、極限まで収縮して消滅する。その時に巻き添えにする」

 尊の仕かけた結界には、ゆっくりと小さくなる性質がある。ウロボロス、すなわち自らの尾を飲み込んだ蛇を模した結界は、口の部分が徐々に尾を飲み込んでいき、それに従って全体が狭まってくるようになっている。結界の壁を通過することは不可能なので、内にいる者は最終的に結界に押しつぶされる格好となる。

 「だったら最初から、それで良かったじゃないですかぁ……」

 永はボヤかずにはいられなかった。

 そんな簡単な作戦があるなら、こんな痛い思いをしなくても、こんな恥ずかしい格好をしなくても済んだのに。

 「忘れたのか? 文字化怪を単純にぶっ倒した場合、発現させた人間に反動があるって」

 「あ!」

 「これが意図的に引き起こされたんなら、術者がどうなろうが知ったこっちゃないんだが、どうも微妙な感じだしな。それに」

 「それに?」

 「もし、術者以外に媒体になった人間がいた場合、簡単に言やぁ、ヤツの中身が人間だった場合はちょっと、な」

 「ちょっと、どうなるんですか?」

 「大丈夫だ。巻き添えって言っても、死ぬほどじゃない、と思う。どの道、このままじゃオレたちが死ぬぞ」

 愛用の矢立から小筆を抜き、紙に何やら書き付けた尊は、見えない壁に向かって大きく踏み出す。すると、今までは触れる者をことごとく阻んでいた結界が、尊の体をするりと通した。

 「ほら、出るぞ」

 右脚を結界から出した状態で、尊は左手を永の方に伸ばす。

 「でも……」

 「ここらが潮時だ。お前のせいじゃない」


 確かに、そろそろ全身が痛いけど。

 このまま結界ごと文字化怪を消滅させたら、罪のない人が傷付くかもしれなくて、

 でも、このカッコじゃ……

 そんなこと言ってる場合じゃないんだろうけど、


 「早く!」

 苛立った尊が、さらに腕を伸ばす。既に腰から下は、完全に結界の外だ。

 「いたっ!」

 動きが止まったところで鞭の一撃を貰った永は、心を決めて尊の左手首をつかんだ。

 

 佐天君以外と手をつなぐワケには行かないし。

 それに、


 永に手首をつかまれた尊は上半身を引き、その身を完全に結界の外に置いた。尊に引っ張られるように、永の体も結界の外に向かうが、

 「それに、あと一手だから!」

 「え? お、おい……うわっ!」、

 つかんだ手首を離した永は、さっと身を翻し、結界の中に残った。驚く尊は、再び閉じた結界に弾かれ、背中から地面に叩きつけられる。

 結界の向こうからなら、見えないはず。

 先ほど結界を8の字に変形させた時の、結界越しの視界を思い出す。大まかな形状は判別できたものの、細かいディテールは分からなかった。あの程度の見え方なら、この恥ずかしい魔法少女コスチュームで立ち回っても『大丈夫』な気がする。

 「いたたた……。でも、1回ならなんとか」

 右筆との間合い合戦のさなか、何度か喰らってしまった箇所が痛む。顔をしかめつつも、手にしたペン、変身の時に魔法のステッキに姿を変えたそれに目をやる。

 変身前から左手に握られたまま、先には若干の土が付いていた。


 場所は?

 オッケー。

 なら、最後!


  ひゅん!

 「ぐっ……」

 繰り出された右筆の鞭を全くよけずに、あえて左腰で受け切る。

 想像以上の痛みに苦悶の色が隠せない。それでも、先端を腰と腕で挟み込んだまま、右筆に向かって大股でダッシュする。本人は気付いていないが、昼休みに尊に急かされた時とは比較にならない速さだ。

 〝ガァッ!〟

 異変を感じた右筆は、力ずくで筆の穂先を永の脇から引き抜き、半歩引いて身構えた。

 そこに、永が低い姿勢から左脚で足払いをかける。

 飛び上がってそれをかわす右筆。

 一方、永は払った左足に体重をかけて一旦停止。

 空中の右筆が初めて両手で大筆を持ち、大上段に振りかざす。

 永は魔法のステッキを地面に突き立て、

 左足で強く蹴り出しながら、ステッキで地面をガリガリと右方向に削った。

  ずぅ……ん

 右筆の太い両腕で渾身の力をこめて振り下ろされた一撃が、地面に激しく打ち付けられる。周囲の土が吹き飛び、大人の体ほどの大きさの穴が開いた。

 直撃こそ受けなかったが、永は衝撃で1、2メートル飛ばされ、うつぶせに倒れた。

 飛び上がって武器を振り下ろしていた右筆が、土煙を立てて着地した。すかさず左側に倒れている永を見やる。今、攻撃をされたらおそらく永によける術はない。

 〝ク……カ……〟

 ところが、右筆は永に必殺の一撃を放つどころか、窒息でもしたかのような呻きを搾り出すと、体を硬直させてしまった。そのまま、身動き一つ出来ない。

 「5画目!」

 永は固まった右筆を確認すると、土埃まみれの顔を拭きもせず、満足そうに宣言した。

 すると、凍りつく右筆を黄色い光が包み始める。その光は右筆の足元、直前に永が魔法のステッキで土を削った辺りから立ち上っていた。

 「まさか!」

 結界の外側で、尊は直近の永の動きを振り返ってみて驚嘆した。

 「全部、計算ずくだったってのか?」


 最初に踏み込んだ時に大きく右に、

 次は真っ直ぐに大きく後退、

 続いてやや踏み込んでから小さく右に、

 4回目は左に踏み込んでから小さく後退、


 その都度、永は足を引きずるような動きを見せていたが、それは足を傷めたせいではなかった。

 全ては最後の1回と同様、魔法のステッキに変化したペンで地面を削っていたのだ。

 その最後の、5画目の筆致は左から右に。完璧なまでの(ろく)、即ち横画。

 結界のほぼ中央で完全に動きを止めている文字化怪・右筆の足元でひときわ明るく光る『正』の字、その最後の1画だった。

 こうしてる間にも光は右筆の全身を覆うように拡がっていき、やがてその体は徐々に光の粒となって消えていった。


 文字化怪・右筆は消えた。しかし、ウロボロスの結界は未だに有効で、今この瞬間もジリジリとその範囲を縮めてきている。現時点で、直径わずか2メートル。

 尊によれば、結界の消滅に巻き込まれても死ぬことはない「と思う」そうだが、無事で済む可能性は限りなくゼロに近い。その尊は、今ようやく立ち上がったばかりで、すぐに結界をどうこうできるとも思えない。

 だが、永は縮み行く結界には目もくれず、右筆が消滅したことを確認、その意味を整理し、理解した。『正』の字による正常化が成功したのなら、術者なりなんなりがいたとしても、無事なはずだ。

 「よかった」

 永は満足そうに笑みを浮かべ、

 そして、力尽きた。


****


 「ん……?」

 薄ぼんやりとした視界に映ったのは、真新しいアスファルトだった。

 それがユラユラと前後しながら流れて行く。時々、白いラインが見えては通過した。それと、一定のテンポで現れては消える人間の脚、この色と形はウチの男子の制服だ。

 「あれれ?」

 目を覚ました永は、早い話、道路を上から眺める格好で前に進んでいた。だが、見えている脚は男子の物であって、自分のではない。そして心なしか頭が重く、腹が苦しい。

 「起きたか」

 「あ! やだっ! きゃっ!」

 やけに左耳に近いところで響いた声に振り向いた途端、永は現状を認識した。そして、慌てて身を翻そうとした結果、バランスを崩して落下した。

 「いたたたた……」

 つい今しがた見えたアスファルトの上で、腰をさする永。頭上からは尊が、これ見よがしの呆れ顔で見下ろしている。

 「え、と……つまり」

 どうやら、永は気を失い、今まで尊に担がれていたようだ。

 そう、背負われてではなく、文字通り担がれて。腹が痛かったのは、そこを支点に尊の肩に乗っていたから。頭痛は頭に血が上ったせいで、見えていた景色は担ぎ手である尊の脚と道路だった。

 何これ? どういうこと?

 ワタシって米俵とかと一緒?!

 「悪かったな。背負うのは無理だったんだよ」

 荷物のように『運搬』されたことに不満を感じると、即座に尊が反論した。

 またもや口に出してしまっていたのか、表情に出ていただけなのかは分からない。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 「ワタシ、そんなに重くないです!」


 自慢じゃないけど身長は150に届かないし、

 悔しいけれど隠れグラマーな可能性もゼロ、ってかマイナス。

 巨とか爆なんて当然のこと、微すら誇大広告なんじゃないかというこの体。

 重たがられるいわれは全くない。

 羨ましがられもしないけど!


 「なんだ元気じゃねぇか。じゃ、テメェで歩け」

 「……もちろんです」

 予期されたこととは言え、こうまで完全に無視されると、噛み付いたら負けのような気がする。永は、これ以上の抗議を断念すると、スカートのお尻を払いながら立ち上がった。心なしかやれた生地と各部の疼痛が、先刻までの戦いを思い起こさせる。

 「そうだ。ここまで運んでやったんだ。ちょっと、買い物でも頼もうか。腹減った」

 コンビニの前まで来ると、尊がおもむろに口を開いた。

 「どうしてワタシが……。自分で買ってくればいいじゃないですか。それとも、お財布も持てないほどお疲れですか?」

 「ん?……ま、そうかもな」

 永としては、精一杯の皮肉を言ったつもりだった。なのに、あまりに歯切れの悪い返答に虚を突かれ、思わずマジマジと尊を見てしまった。

 「あ……」

 永の腕の3本分はありそうな尊の太い腕。それは、そこかしこが焼けただれ、ピンクの真皮や深紅の血、黄色い血漿や焦げ茶色の表皮がモザイク模様を成していた。この腕では、体重5キロの乳児だって抱えられはしまい。

 出来ることといったら、せいぜい肩に担ぐだけ。

 そういえば、ウロボロスの結界はどうなったのだろう。あのまま消滅していれば、残された永は『死なない程度』にダメージを受けているはずなのだが、自覚症状はない。

 そこまで考えて永は、尊が結界を8の字に変形させた時の事を思い出した。あの時も、結界をつかんだ尊の掌からは、皮膚の焼ける臭いが漂ってきていた。

 「……分かりました。なに買ってきますか?」

 「わりぃな。財布はこっちのポケットだ」

 「お、おごります」

 尊は怪我に気付かれたことで、永は気付いてしまったことで、お互いにバツが悪そうだった。極力気に留めないようにして、永は自分の財布を持ってコンビニに入っていった。


 「ほらよ、半分やるよ」

 「いりません」

 「別に血とか付いてないぞ」

 「欲しくないです」

 尊が頼んだのはタイ焼きだった。

 よりによって、きのう佐天君が分けてくれたのと全く同じ栗餡なんて。

 もしかしたら、流行りの味なのかも知れないけど。

 「遠慮するな」

 「いーりーまーせー、もがっ!」

 全力で拒否する途中で、強引に口にねじ込まれた。

 『せ』の口の形が横向きのタイ焼きとぴったりマッチ。いちいち音を伸ばしながら、大げさに発音していたのが仇になった。

 「まったく、人の親切は素直に受けるモンだ。ちゃんと喰っとかないと、その破産乳、いつまで経っても黒字になんねぇぞ」

 「んが?! ふぁ、ふぁはんゆうっへ」

 一瞬、意味が分からなかった。

 だが、巨でなく、微にも足りず、とは言え自分ではどうしても認めたくなかった『貧』を通り越して、『破産』、つまり終わってると言われたことに気付いて愕然とする永。

 そして何よりもショックなのは、ねじ込まれたタイ焼きだ。


 ふわぁ~ん、佐天君ごめんなさい。

 永は、永は、他の男の子からのタイ焼きを口にしてしまいました。

 それも、尾っぽを!


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