5
終礼前、下川先生は皆になるべく早く帰るようにと念を押した。
何か事件でもあったのかと思ったがどうやらこの町で数年前に起こった未解決傷害事件の名残のようで、特に今日に限った話では無い形式的なものらしい。
その事件の概要とはこうだ。当時、何者かに襲われた被害者は意識を取り戻すと身体に違和感を感じて病院で診察を受けた。調べてみるとどうやら一定量の血液を抜かれている形跡が見つかったという。
その後面白おかしく喧伝されたそれは吸血鬼の仕業だなどと呼ばれた。傷害事件自体は実際に起こったようだが血液云々の下りはさすがに噂についた尾びれにすぎないとは思うけれど。
とにかく当時そんな障害事件が何度か続いていたのだという。だが警察による巡回のおかげもあってかある時期から被害はぱったりと無くなったらしい。けれどそれと入れ替わりのように動物の惨殺死体が見つかるようになった。今でも大体月に一~二度そういった動物の死体が見つかる事があるのだという。
個人的には物騒な事件の影響でそう言った物に注目が集まっているだけで最もありえそうなのは野犬の類ではないかと思った。周りを山々に囲まれたこの田舎町においてはその可能性が恐らく最も高い。
ペットとして犬が一般化している為軽視してしまいがちだが、しつけられていない野生化した犬というのは実際にはかなり危険な生き物だと聞いた事がある。
気をつけなければな、と考えながら帰る準備を整えていつものように黒木に声をかける。
「じゃ、帰るか」
「うん」
最近では黒木と下校する事が習慣になっていた。転校初日、俺がクラスメイトに強い口調で返してしまったため、未だに黒木以外でまともに会話を交わす生徒が居ない。流石にあの対応は大人げなかったと反省はしているのだが、今更それを挽回する手も浮かばない。そしてそういったいじめのような陰湿な事をするクラスメイトに俺自身が多少の嫌悪感を感じていたこともこちらから歩み寄る事を阻害していた。
黒木はというと相変わらずつかみどころの無い雰囲気を纏っている。
今日も俺の家に来たい、と言ってきた。前に聞いたときは相談事とかではないと言っていたけど、黒木のテンションにはかなりのムラがあるし、実は周りにクラスメイトがいる状況では言い出しづらい何かがあるのではないか。とりあえずそのまま一緒に教室を出る。
二人で歩いているとクラスメイトのじっとりした視線が絡みつく。気にしないようにはしているが、気持ちの良いものではない。それは黒木も感じていたようで、
「ごめんね、アタシのせいで」
ぽつりとそう言った。今はとても暗く、落ち込んでいるように見えた。
ただでさえ女の子の扱い等解らないのに、こういう湿っぽいのはより一層苦手だ。
「ああ、ほんとにな。詫びる気持ちがあるならちょっと付き合えよ。一人じゃ行けない店があるんだ」
気分転換がてら、思いつきでそう誘ってみた。
「いいけど? ……え、変な店じゃないよね?」
ほっぺたをつまむ。
「聞こえんな」
「ひょ、なにすう(ちょっと、何する)」
はは、と笑いながらそのまま引っ張って学校を出た。
「お待たせいたしました。和栗モンブランお二つ、ホットコーヒーとエスプレッソでございます」
あ、ども。と会釈して受け取るとにこやかな笑顔で店員は戻っていった。
先日下校中に見つけたカフェに黒木を連れてきていた。田舎町ゆえ外観は古びた古民家のようなそれなりの見た目ではあったが、モダンに改装された内装の雰囲気は抜群に良かった。
秋といえば栗、栗といえばモンブランである。小さい頃は脳みそとか言ってげらげら馬鹿にして笑っていたケーキが食べるとこんなに美味いものなのかと衝撃を受け、以来好物となっている。
けれどこの手の店に男一人での入店となるとやはりつらいものがあるので丁度元気の無さそうな黒木を景気づけがてら誘ってみたのだった。
「はいよ」
黒木にモンブランとエスプレッソを渡す。エスプレッソなんて渋いチョイスだと思ったら、
「ん? なんかちっちゃいね」
としょんぼりしていた。名前の響きだけでエスプレッソが何か解らずに注文したのだろうか。ちなみにざっくり言えば量が少ない濃くて苦い珈琲の事だ。
とにかく本題に入る。
「あのさ、違ったら悪いけどお前何か悩んでる事とかあるのか?」
コーヒーカップに口をつけながら聞く。割と好きな味だった。
「へ? ……いや特に無いけど」
じっと目を見るがやはりいつものように表情は読みづらい。
「ほんとか?」
いぶかしみながらそう問いかけると黒木は驚いたような顔をして、
「や、アタシ別に何も言ってないのに。どうしてそんな事聞くの?」
言葉の割にはニコニコしている。一方俺は勘が外れてしまったらしい事をやや残念に思ったがよくよく考えればそういう悩みを抱えているわけでは無いならそれは良い事だった。
「そっか、違うなら良かった。いや、妙に俺んちに来たがるから何か学校じゃ言えない話とか相談とかあるのかと思ってたんだよ」
少し照れくさいので視線を外しながらそう答えると黒木になるほどそういう事か、という顔をされる。その表情は少しだけ嬉しそうにも見えた。
「それは、勘違いさせてごめんね。別にそういう訳じゃなかったんだ。何、気にしてくれてたの?」
「いや、そんな事も無いけど」
ぶっきらぼうに答えたが図星でもあった。
「でも、それなら何でそんなに俺の家に来たがるのかが解らん。お前は吸血鬼か何かかよ」
冗談めかしてそう言った。
「……それって、どういう意味?」
そう返した黒木の表情はいつものように読めない。一度口にした冗談を自分で説明するというのはなんとも恥ずかしい物だったが仕方が無い。
「あーっと、俺も詳しくは無いけど吸血鬼ってニンニクとか十字架が嫌いなのは知ってるだろ? それと同じように家には招かれないと入れないってルールがあるんだ」
それを聞いて黒木は、ふふ、と笑ってモンブランを一口食べる。
「オカルト好きなの? ははん? 成る程なんであんたがアタシを家に招待してくれないか解ったよ。つまりアタシのこと吸血鬼だとでも思ってた訳か」
茶化しながらそう言われた。
「うーん、何て言ったら良いんだろ。メタルってさ、音楽性は好きなんだけど歌詞はそうでもなくて、和訳を見ると悪魔だ魔王だ吸血鬼だのいっぱい出てくるんだよ。凄くカッコイイ曲でも歌詞を翻訳してみたら『魔王が世界を狙ってる。サンダーアックスで一刀両断だ~』みたいな良くわからん内容の歌詞とかさ。だから知らない固有名詞とか出たら色々調べたりするし、その流れでちょっと普通よりは詳しいかもしれない」
むしろそういった系統の話が好きで中学時代はいろいろなオカルト本を集めていたこともあったがその話は伏せたまま照れ隠しにずずっとコーヒーを啜る。
「それと別にお前の事はちゃんと無愛想だけど案外良いやつだと思ってるからそういうだまし討ちみたいなことを警戒してるわけでも無いよ。一応言っておこうか。『うちに来てもいいぞ』って。まぁ今日はダメだけどな」
黒木はふーん、と言ってこちらを見つめている。相変わらず感情の読めない表情だが怒ったりはしていないようだ。一拍おいて、
「あんたってさ、結構優しいんだね」
「そりゃ相手によるけどな」
ぶっきらぼうにそう返すと黒木は、あっそ、と答えてそれまで手をつけていなかったエスプレッソを煽る。
男らしいが、さっきの反応を見るにこの後の結果は容易に想像できた。
「――――ッ!」
目を白黒させて必死に耐えている。そりゃあ苦いわ。
はい、とお冷を差し出すと黒木はそれを涙目であおった。
黒木は普段クールを装っているようにも見えるがふとした拍子に妙に子供っぽい部分が見え隠れする。かと思えば異性特有の仕草でドキリとさせられる事もあったり。やはり不思議な奴だ。
暫くとりとめも無い談笑をしていたが日も暮れてきたので店を出ることにした。とりあえず付き合わせたのは俺だったので強引に会計を済ませて店を出た。
「ね、ありがと。アタシ誰かに何かおごってもらったり経験無くてさ。レジ前で恥かかせてごめんね」
先ほどの事だ。店を出る事になり、奢りで、と伝票をぴっと取ると良いんだ! アタシは自分の分は自分で出すから! と黒木がゴネてちょっとひと悶着があったのだ。
「いや、そこで当然でしょみたいな顔されても萎えるし、気にしてない。ただまぁこういう時はかっこつけさせてくれよ」
「なんで?」
「さあ? そういうもんなんだよ」
多分だが。まぁ男ってのがそういう事に幸せを感じる阿呆な生き物だから、なんだろうけど。
普段表情から感情を読みづらい黒木にしては珍しく嬉しそうな表情が見て取れる。
ふうん、と答えてからすこし間を空けて、
「よし、じゃあ挽回させてやる。格好を、付けさせてやる」
すっと、黒木は笑顔で手を伸ばしてきた。意外に思ったが、反射的にその手を取った。
黒木の手は相変わらず小さくて柔らかい。この前握手した時はなんとも思っていなかった。
それなのに、今の俺は妙にどきどきしていた。