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千貌の華 forbidden blood  作者: 猫文字 隼人
最終章 かっこうのつけかた
31/33

29

 真っ白な天井が目にまぶしい。先ほどまで真っ黒な海の中でふわふわと浮遊しているような感覚を味わっていた気がしていたのだが、視線を動かし周囲を確認すると白い壁の小綺麗な部屋に居るらしい。だがその光景に見覚えは無く自分がどこにいるのかはやはり解らない。ただ、どうやら天国だというわけでも無いらしい。

 次に自分が今どうなっているのかを確認してみる。身体と四肢の感覚は確かに存在していた。それを動かそうとしてみるとじくじくと鈍い痛みを感じた。それでもゆっくりと動かすことが出来た。

「いつつ……」

 上半身を起こすと俺の右手を黒木が握りしめていたらしい事に気がつく。黒木はと言うと俺の寝かされたベッドに突っ伏している。肩が上下しているので眠っているだけだろう。成る程、つまりここは黒木の部屋だと言うことだろうか。握られている手を小さく振ってみる。

「……おい、黒木。朝だぞ」

 実際にはカーテンが掛かっているため朝かどうかは解らないのだけれど。

「……うーん、あと五分……」

「それ間違いなく五分後に起きる方が難易度高いからな」

 なんとなく黒木の頭を撫でてみる。この感触とぬくもりは、きちんと実在していた。

「ん~? ……むにゃ……」

 黒木が起き上がり、寝ぼけ眼でこちらをじーっと見ている。

「おはよう御座います、お嬢様。……よだれ垂れてるぞ」

 普段通りそう声をかけた。黒木の寝ぼけた顔は徐々に覚醒していき、ついにはわなわなと震えだし漫画のように真っ赤になっていく。

「佐倉く――!」

「ストップ」

 俺に抱きつこうとした黒木のおでこを手で押さえて制止する。

「え、な? なんでさっ!」

「いや、今抱きつかれたら傷口から色々出そうだし」

「ばか! 冗談言ってる場合じゃ無いでしょ!?」

「冗談みたいな目にあったんだから冗談くらい言わせてくれ。とりあえず色々聞きたいことはあるんだけど……何で俺生きてるんだ?」

 素直に疑問を口にすると黒木は怒ったような表情をした後、何か喋ろうとした。けれどその言葉は泣き声と鼻水に邪魔されて『ふにゃふにゃなにがし』としか聞き取れない。

 その様子を見て俺はくすりと笑い、そのままゆっくりと手を伸ばしその頭を胸に抱いた。

「おかえり」

「――――ッ! それ、私の台詞なのに!」

 黒木はそう言って号泣している。俺は静かにそのまま見守った。この何気ない時間こそが俺の求めた物だった。そうやってひとしきり泣いた黒木は恥ずかしそうに座り直した。

「ほらティッシュ」

「うー」

 手渡したティッシュを受け取った黒木はずびーと鼻をかみ恥ずかしそうに顔を赤らめ、ゆっくりと言葉を継いだ。

「……もう会えないと思ってたんだ。あの時、その覚悟はしていたから」

 恐らくそうだとは思っていた。黒木は俺を救う為に自らの意志、そして心を切り離す事を知った上でアニムスを引き出していたのだから。

「……最後にばいばいって言われたしな。だからこそ俺は黒木を救えたんだけど。俺の知らない何かを黒木が知っているって事にその時気づいたんだ。そこになら何かヒントがあるんじゃないかって」

「そっか、詰めが甘かったんだなぁ。……なら佐倉くんはもう全部知ってるんだね」

 黒木は少しだけ悲しそうに笑って、そう言った。

「……ああ。黒木の兄さん、雫が生き延びるために何をしていたか。黒木を守るために最後に下した決断。……そして黒木が自分の最期が近いって知ってたって事も」

「……うん。……そう、私には近いうちに佐倉君とお別れする運命が決定づけられていた。私はね、アマデウスになって化け物を殺すことでしか生きながらえることが出来なくなってしまって、そんな自分を自分自身ですら肯定できなくなっていたの。ああ、私はただの殺戮者なんだ、化物なんだって絶望しながら生きていたんだ。けれど六年前、私のあの姿を見ても怖がらなかった男の子、幼い日の佐倉君だけが私を肯定してくれた。その記憶だけが私の心を繋いでいたんだ。けれど、それでも私の限界は近づいてきた。だから私はヒトとして壊れてしまう前に自分を終わらせるつもりでいたんだ。馬鹿みたいだけど……その為の準備だってしていた。けれど二ヶ月前、私はもう一度あなたと出会った。私は弱かったんだ。それだけで私の意志は揺らいだ。あと少しだけ生きてみたいと思ってしまった。人間として、幸せな記憶を持って終わらせたかった。私の心を繋いだ唯一の男の子と、友達になって、最期に少しでも綺麗な記憶を作りたかった。それだけだった。……でも、私は意気地無しだった。一度手を繋いだら、もっと欲しくなった。死ぬのが怖くなった。なのに破壊衝動はお構いなしにどんどん膨れあがっていって……私はどうすれば良いのか解らなくなってしまった」

 視線を合わさず、震えながら黒木は語った。俺は黙って話を聞きながら、黒木の頬を流れる涙をそっと指で拭った。

「私は弱虫だったから。怖かったの。死ぬことを覚悟していたつもりでいたはずなのに、それでも、あなたを欲しいと思った。けれどあの日、日没前なのに暴走したアマデウスが出現した。そのせいで私は一番見られたくない物をもう一度あなたに晒した。怖がられて、嫌われて、拒絶されるのだとしてもそうするしか無かった。……けれど、あなたは、佐倉くんはもう一度私を認めてくれた。救ってくれた。……私を、救ってしまったの」

――救ってしまった。それが意味するのは、俺が黒木をこの世に繋ぐ未練になってしまったということ。自らの存在を否定し、呪いながら生きてきた黒木にとって俺は希望であり、同時に絶望でもあった。

「そこから先の日々、私は幸せだったんだ。今まで生きてきて、きっと一番だった。何をするでもないけれど、佐倉くんと一緒にいるだけで私は幸せだった。けれど私は幸せになるのに比例して、恐怖も肥大化させていた。私にはもう時間が残されていなかったんだから。失う事がこんなに怖いだなんて思いもしなかった」

 静かな部屋の中で響く嗚咽が黒木の独白を何度も遮った。

「毎晩ね、寝る前に思ってたんだ。もう私はたくさん貰ったから。綺麗な物をたくさんもらったから。もう十分だって。だからもう今夜で終わるんだって。けどその覚悟はやっぱり足りなくて、私は幸せな明日を思い描いてしまった。目が覚めたら普通の女の子に戻ってるんじゃないかなって。……あはは、ありえないよね。そうして私はその弱さから、その命を自分で断ち切ることが出来なかった」

 それは黒木の心の底からの、悲痛な叫びだった。

「そんな限界を超えた状態で迎えたあの満月の夜、未知のアマデウスが出現した。ここだって思った。私が終わるのはこの時なんだって。私が死んでしまうとしても、佐倉君のためであるなら、怖くなかった。私の命がそのためにあったんだって、価値のある命だったんだって私はそう思って死にたかった。……そうして、私は……あの剣を引き出した」

 恐らく黒木が暴走したのはアニムスを引き出したからだけではないのだろう。既にその身を破らんばかりの破壊衝動は限界を超えていた。それでも少しでも長く俺と過ごすために、黒木はぼろぼろになりながら、必死に耐えながら生きていた。

「そこで、私の人生はおしまい。佐倉くんを救い、命を散らしました。あはは、映画だったらエンドロールの途中で帰っちゃうね。でもね、私にとってはそれでもハッピーエンドだったんだ。……そう、そこで私の命は終わったの。そのはずなのに、私は今生きてる。これが異常なことだって事くらい、私にだって解るよ。きっと佐倉くんがあの後、何かとんでもない事をしたんだって。私をまた救ってくれたんだって。けど、どう考えてもそんなことは出来ないはずなんだ。……一体、佐倉君は私に何をしたの。何をしてくれたの。私は、それを聞くのが怖い。私のために佐倉君が何をしたのか、一体どんな代償を払ったのか。それを聞くのが……怖い……怖いんだ……!」

 そう言って黒木は声を震えさせた。

 まただ。黒木はまた、自分のことでは無く俺のことを気にして泣いているのだ。

「それに答える前にひとつ、いいか」

「……もちろん、聞くよ」

「そうか。俺はお前が好きだ」

「……へ」

 単刀直入にそう言った。黒木はショートでも起こしたかのようにフリーズしてしまった。

「え、ちょ、な、なにさ……いきなり」

 たっぷりと目を白黒させた後、黒木はそれだけぽつりと返した。

「俺はさ、今まで女の子と一緒に過ごすなんてあんまりなくてさ。だから黒木と仲良くなってから肩肘張って、格好付けなきゃってずっと思ってたんだ。けどさ、そうやって俺がやってたのは結局ただの、誰かの真似事だった。格好付けたつもりになっていただけだった。俺は今まで一度だって黒木に格好を付けられた事なんて無かった。俺が、黒木をどう思っているか、前に確かに伝えたことがある。けど、それだけだった。勿論何度だって伝えるチャンスはあったんだ。でも伝えられていなかった。けど今回のことがあって俺はそのことを凄く後悔した。もしこのままこの気持ちを黒木にきちんと伝えることが出来なかったなら、俺はきっと死んでも死にきれないと思った」

 しどろもどろだった。けれど、どんなに不格好でも伝えると、そう決めたのだ。視線を合わせる。

「もう一度言う。俺はお前のことが好きだ。ずっと一緒に居たいと思ってる。月並みだけどさ、なんていうか……俺と、一緒に居て欲しい」

 何のひねりも無い。ロマンチックでも無い。声は震えた。顔だって真っ赤になっているのだろう。でも、それで良い。構わない。

 黒木は俺の告白を予想していなかったようでぽかんとした表情をしていた。一瞬の間を置いた後、我に返ったように、少しだけ慌てて、けれどまっすぐに居住まいを正して答えてくれた。

「……私、さ。知ってると思うけどヘッドホン外せないし、不良の真似事だってしてるし、たまに血まみれになったりするんだよ。スカートだって持ってない」

「いいよ」

「破壊衝動だって、いつまで抑えられるかわかんないんだよ。進行も……してる。それに……そう遠くない未来、お別れしなきゃいけなくなる」

「いいよ」

 その言葉と同時にせき止められていた黒木の涙は決壊する。

「無理してくれなくていいんだ! 学校にだってさ、いっぱい可愛い人居るんだ! 別に私はいいんだよ、今までの事だって責任を感じる必要なんて全然無いんだ……私は、佐倉くんの重荷になりたくない! 佐倉くんは私を忘れたって良いんだよ! それでも私は思い出――!」

 涙をぼろぼろとこぼす黒木を抱き寄せた。

「俺は黒木が良い。お前じゃ無いと嫌なんだ。こういう時どういう手順を踏めば良いのか、とか断られたら、とかずっとうじうじ考えて結局言えていなかったんだ。失う事にびびってたんだろうな、とんだへたれだった。だから、今度こそ格好付けさせてくれるなら、そうさせてくれ。想った事はさ、口に出してちゃんと伝えないと駄目だなって俺は想う。これは俺があの時、最後にどうしても伝えたいと願った気持ちだったんだ。この先どうなるかなんて誰にも解らないだろ。だからもう一度、言わせてくれ。俺は、お前のことが好きだ。一緒に居て欲しい」

 緊張した。恥ずかしかったし、怖かった。けれど、それでも俺は伝えた。

 黒木は自分の終わりが近いと知っていた。だから決して二人の関係を形にはせず、曖昧なままにしようとしていた。自らが去った後、俺の重荷になることを考えて。

 けれど人は弱い。支え無しでは生きていけない。俺達はお互いの気持ちを知っていたはずなのに怖がってとても歪な関係だった。

 俺が今やっていることは形式的なことで些末なことなのかもしれない。けれど、それはきっと黒木にとっては喉から手が出るほどに欲しかった物だと思うから。黒木はその境遇から、その優しさから、本当は求めるのが当たり前の物なのに、欲しいと言えなかった。

 だったら。黒木がそれを躊躇するなら俺が求めよう。もっと早くそうするべきだった。

 かっこうよく伝えることは出来なかったけれど、黒木に届きさえすればどうでも良かった。

 たとえ不格好だとしても、これが俺の格好の付け方だと思った。


 黒木は声を上げて泣いた。泣きじゃくりながら、震えながら。

 いつもみたいにわんわんと泣きながら。

 きっと諦めていた物を、本当はずっと欲しかった物を、ようやく手にして。

「本当に、黒木は泣き虫だな」

 子供みたいに泣き声を上げ続ける黒木を、泣き止むまで力強く抱きしめていた。

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