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千貌の華 forbidden blood  作者: 猫文字 隼人
第四章 千貌の華
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28:蒼の福音 Heinrich von Ofterdingen

 彼岸花の咲き誇るこの丘で俺と黒木は獣のように踊っていた。黒木の斬撃をはじき、兜越しに頭部を殴打する。対する黒木の動きはどんどん鋭く、早く、そして正確になっていく。当初黒木はアニムスを薙ぐのでは無くただひたすらに突きを繰り返した。それだけでも遠近感が読みづらく、避けづらい。ヒガンバナで切っ先を反らし、かわす。今は先ほどまでとは違い黒木の動きが見える。五感全てを使い、黒木の猛攻を防ぐ。

 破壊的な衝動が内部を駆け巡っては居るが、それでも俺は自我を保ったまま黒木と対峙出来ている。

 だが、俺が疑似アマデウス化した理由は何だった。黒木と戦う為? 違う。

 俺がすべきことは、黒木に俺が殺されないこと。であるならば今すぐ俺はここから逃げ去ればいい。黒木と戦う必要は全く無い。今のこの身体であれば逃げるだけならば容易に達成できる、

 それだけで俺は自分で死を選び取ることが出来るのだ。ならばなぜそうしない。自問する。

――何かが引っかかっていた。


 俺にはまだ、残された何かがあると、そう何かが俺に囁いている気がしていた。押し込められた知識の中に恐らく答えはある。だがそれを紐解く余裕は存在しない。

 ふと油断した隙に黒木の蹴りが跳んできた。首を反らしてかわしたつもりのその踵が俺のあご先をかすめ、がくんと膝を落とす。更に左から右に弧を描き振るわれた蹴りをまともに側頭部に喰らう。意識が刈り取られそうになったが、なんとか踏みとどまれた。

 黒木は着地と同時に回転し、その勢いでアニムスを横に薙ぐ。黒木の持つアニムス、ムカデのような七支刀の形状は戦闘用では無く儀礼用であるはずだったが、それでも黒木の圧倒的な膂力が備われば、その刀身より分岐した副刃は相手に受けることを許さない。下手に受ければ先ほどのように得物を絡め取られ奪われるからだ。突きよりは読みやすいが、躱すことしか許されない横薙ぎはトリッキーで対応が難しい。そして当然行動のパターンが増えていく事は喜ばしい事では無い。俺だけでは無く、暴走した黒木も徐々に戦闘に慣れが生じてきているという事だろう。突然の行動の変化に動揺し、防戦一方になる俺は次の瞬間黒木に足を払われた。まずい、と認識すると同時に地面に身体を叩き付けられる。

「がッ――!」

 直後くるりと跳んだ黒木は俺に馬乗りになりマウントを取る。黒木はアニムスの剣を俺の心臓めがけて突き立てようと振りかぶった。即座にヒガンバナの残骸で黒木のアニムスを受け止める。

 黒木のアニムスを何とか防いだ、そのはずだったが音がしない。様子がおかしい。

 直後、りいいいいと小さな高音が響きだし、黒木が手にしたアニムスが昏く光り輝いていく。そして次の瞬間それはじわりと進み始める。ダマスカス鋼で出来たヒガンバナのブレードをいとも簡単に、まるでアイスクリームへスプーンを突き入れるかのようにゆっくりと侵食、貫通していく。

 アニムス、それは黒木の願いの具現化。黒木が熊型アマデウスから俺を守ると願い産み出したそれは、物理法則すら無視して目の前の障害を破壊する為の力。黒木のアニムスの特性とは、恐らく全てを貫通する破壊によりその願いを顕現している。

 俺の先ほどの傷口は、ふさがっては居るが回復した訳では無い。既に致命傷であり、応急的に傷口をふさぐことで活動を可能にしている。ならばその上でもう一度大きなダメージを受ければ疑似アマデウス化していようと俺の身体は持たない可能性が高い。

「らああああああ!」

 アニムスには触れられない。その剣を握りしめた腕を横にはじくことで黒木のバランスを崩す。ここぞとばかりに脚部で黒木の身体を強引に蹴り上げ、即座に横へ返すことでなんとか黒木を振り落とした。

 もう何度目か解らない仕切り直し。けれど徐々に黒木の動きは進化し、アニムスの本当の力も引き出した。相手に受けることを許さない絶対貫通の刃。その刀身に宿る昏い光は更に強くなっていく。今度受ければ恐らく何の抵抗もなくヒガンバナすら貫通するだろう。

 対する俺は致命傷を何とか誤魔化して動いているだけの死体に過ぎない。もう後が無い。

 黒木の願いの結晶アニムス。けれどそれは、同時に俺にも残されてはいるのだ。

 最後のワイルドカード。

 疑似アマデウス計画が頓挫した理由。それは実験体の引き出すアニムスが予測できず、物理法則すらねじ曲げる力を拘束できない為だった。つまり、それならば、俺にもそれを引き出すことは出来る。

 黒木が俺を守るために、全ての敵を貫き排除するアニムスを引き出したように俺にも俺の願いを叶えるために、その剣を手にする資格はある。

 恐らくはその先にのみ俺の求める物が存在している。

 だが、それは万能の願望器では無い。

 それは願いを破壊によってのみ叶える歪な存在。

 俺が黒木を救うために、破壊すべき物、それは一体何だというのだろう。


 彼岸花の咲き誇る丘で、俺と黒木は対峙していた。

 数年前、俺はこの丘で黒木に確かに命を救われた。

 黒木はそのとき俺が発した何気ない言葉を胸に生きてきた。

 そして、再会した俺達が、最後に決着を付けるのもこの丘だった。

 黒木との思い出が次々と浮かび上がり駆け抜けていく。楽しい物も、悲しい物も。


 唐突に脳裏をよぎったのは先月黒木と花火をした時の記憶。

 あのとき黒木は既に来年の夏一緒に俺を過ごすことが出来ないことを理解していた。

それを知らずに俺が告げた言葉。

 それはもう叶わないはずの願い。

 けれど。


「そう……か……!」


 不意にかちりとピースがはまる。俺の中で混沌を描いていた渦はその瞬間、形を成した。

俺の中にある何かが、ずっと囁いていた黒木を救うための答え。

 これが、これこそが俺に残された本当の、最後の可能性だった。

 けれど俺の身体は既に感覚が衰えだしている。暴れていた破壊衝動もさざ波のように引き始めているのを感じる。もう俺に残された時間は少ない。それでも俺は必ずやり遂げる。

 俺が破壊すべき物が、黒木を救う為の奇跡がようやく見えたのだから。


――アマデウスが人間社会で生きていく為に必要な最後のピース、RhNull(アンブロシア)

 黒木の呪い、絶望。その元凶。アンブロシアは奇跡であり、そして呪いでもあった。

 黒木を救うには彼女以外のアンブロシアがどうしても必要だった。

 考え得る唯一のアンブロシア所持者。それは黒木の双子の兄、雫。

 だが雫は自らを癒やすアンブロシアを得る為には妹のアマデウス化が必要であると知り、絶望し、失踪した。つまり、アンブロシアの入手方法は既に絶たれている。


 黒木も雫の日記は見ていたのだろう。だから、俺にその存在を、情報を隠していた。

 自らが破壊衝動に蝕まれ、遠くない未来暴走し、破滅する事を知っていた。

 花火の時感じた違和感。黒木は、来年の夏、二人で過ごす事が出来無いと知っていた。


 黒木が生き残る為に必要なアンブロシア、そのものがなくとも雫のように人間の血液を接取すればある程度の代用にはなったはずだ。けれど黒木はそれを選択しなかった。

 それは、過去の俺が黒木を肯定したからではないのか。

 黒木は俺の言葉によって、化け物になる事すら出来なくなったのではないか。

 黒木がただ生きる事を願えば、雫のように人の血液を接取する事でその寿命を延ばすことが出来たのだから。俺の言葉は黒木を支えていたのではない。縛り付けていたのだ。


 黒木は暴走アマデウスを狩ることで間接的にアマデウス化した他生物の血液を代替接取し、今日まで持ちこたえてきた。けれど恐らく適合しない血液により拒絶反応を引き起こし、俺には想像できない苦痛に耐えていた。まるでがん細胞のように自らの細胞が自らの細胞を拒絶していたのだ。その極限の苦痛の中で、けれど黒木はいつだって笑顔だった。身体を蝕まれながらも、そんな姿は俺にはちらりとも見せなかった。

 そうして黒木は俺を救うために、大型アマデウスを屠る為に更に限界を超えた。

 アマデウス化したヒトの最後の姿。自らを人間たらしめる意志、心。

 俺の事を想っていてくれた、その気持ちごと身体から切り離して。


 こうなってしまった黒木を救うことは出来ない……確かに先程まではそうだった。

 黒木を見やる。

 人間の成体、真のヒト型アマデウス。

 かつて人間達に吸血鬼と恐れられた存在。黒い外骨格によりその身を覆われた異形。

 それは破壊し、殺戮する為の存在。


 黒木の目元を覆い隠す仮面の下部から、もう一度涙が頬を伝っていくのが見えた。

 黒木は破壊衝動に身体をつき動かれて尚、泣いていた。

 俺はもうこれ以上黒木に冷たい涙を流させはしない。

「……もう泣かなくていい。お前を苦しめた衝動は、俺が全部ぶっ壊してやる」

アニマを得る方法はどこにも記されては居なかった。けれど、それは本能のように、欲した瞬間にその方法を理解していた。俺はもう一度嗤った。そして。

「おお、おおおおおおおおお!」

 右手を自らの胸に突き立てた。皮膚を破り肉を裂き俺の指先は体内に沈んでいく。鼓動により脈動するマグマのような極熱の中、絶対零度が指先に触れる。それをつかみ、一気に引き抜いていく。直感が告げていた。これこそが、俺が黒木を救うための力。

 俺の願いを具現化した、アニマ。

 破壊によってのみ願いを遂げる最後の希望。

 俺の胸から引き抜かれた不定形の光を放つ物体はぎちぎちと硬質な音を立てて凝固していく。そうしてそれは一降りのナイフへと姿を変えた。

 青黒く、そして小さな刃はとても黒木のアニムスに対抗できるような物では無い。

 けれど、その必要も無い。俺の生み出したアニマが破壊すべき物。俺が成すべき事。

――存在しないアンブロシアを入手すること。

それはどう考えても『不可能』だった。

「黒木を……救うための、アンブロシアはこの世界には存在しない……? ……そうかよ」

 血を吐きながらも嗤う。俺が、救い出す。救ってみせる。

「だったら……! こうすりゃいいんだろうが!」

 俺はその刃を――自らの胸に突き立てた。

「があああああああああ!」

 極熱の鉄杭を胸に差し入れたような鋭い痛み、直後にじくじくと肉を焼くような歪な感覚が俺の身体を侵食していく。肋骨の隙間をこじ開けて肉を裂き、もう一度体内へと侵入したそれは心臓に到達し、その動きに呼応し激痛を吐き出す。そうして生じた更なる痛みは血流に乗り俺の全身を駆け巡り、その痛覚を蹂躙していく。


 暴走し、アニムスを引き出してしまった黒木を救う事はもはや『不可能』だった。だが、それが何だというのだ。黒木を救う為に『奇跡』が必要だというなら、俺が起こせばいい。


 俺のアニマが引き起こす、破壊による奇跡。


 かつて不可能と呼ばれたそれは人の弛まぬ努力と願いの果てに顕現し、神の祝福と呼ばれた至高の蒼き薔薇。いつか黒木が教えてくれたその華の名は――!

 

「【蒼の福音(ノヴァリス)】……! 俺の、血中Rh抗原を全て、破壊しろ! 俺の血液を、O型RhNull(アンブロシア)に変えろ!」


 その声に呼応するかのように俺の胸に突き立てられた刃は強い光を放ち、とろけるように消えた。それは極小無限の刃となり俺の血流に溶け込み全ての血中抗原を破壊していく。

 雫の残した世界の秘密。そして黒木の血液に対する知識。それらを知りえた俺だからこそ起こす事の出来る『神の祝福』。

――血中Rh抗原の破壊による人造O型RhNull(アンブロシア)精製。

 俺の願いの具現化たるアニマ、ノヴァリスの真の力。ただ黒木を救うために。

 神は何者をも救わない。この世の奇跡は神の起こしたものではない。

 人の願いが、意志が、未来を変えようとする強い想いだけがこの世界に奇跡を引き起こす。


「黒木!」

 俺の呼び声に呼応するかのように黒木は俺の元へ飛び込んで来た。その手に構えられる黒いアニムスの剣。もう今の俺にその一撃を避ける余力は残っていない。黒木は手にしたそれを、もう一度俺の腹部に深く突き立てた。涙を流しながら。

 黒い七支刀、アニムスの刃は何の抵抗も無く俺の腹部に深く突き刺さり、同時に黒木は動きを止めた。既に弱まっているとはいえ疑似的にアマデウス化した再生能力は俺に気を失うことを許しはしない。破壊と再生による激痛の波が断続的に俺の神経を蹂躙する。

 俺の腹部に突き刺さったその刃は黒木が俺を守るためにすべてを犠牲にした意志そのもの。

 それは遮るもの全てを貫き破壊する絶対貫通の刃。

 すべてを拒絶し、けれどすべてを救う黒木の血液を体現したかのような存在。

 この世界に見放され、この世界に絶望した孤高の華だった。

 何者もその刃に、黒木の心に触れることは叶わない。

 それは絶望の具現化だった。けれど、それは紛れもなく黒木のもの。

 恐らくはこの世界で俺だけがその刃を受け入れる事が出来るもの。

「がふっ……!」

 血を吐きながらも、それでも俺は手を伸ばし、黒木の涙が伝うその頬へ手を添える。


「……さいご、くらい……かっこ、つけさせて、くれよな……」

 既に手足に熱は無く、感覚すらも無かった。けれど、俺はその命の最後の煌めきをもって力を振り絞る。黒木の頭を仮面ごと力強く抱き寄せて、口付けた。

 最後に唇が離れると血まみれにも関わらず、黒木の流した涙の味を感じた。

「かえってこい……澪……!」

 黒木のアニムスによりずたずたに切り裂かれた俺の腹部を覆っていた外骨格がぼろぼろとはがれ落ちていく。腹部の傷口から広がる冷たさは今度こそ俺に確実なる死を突きつけてきた。自らの身体からアマデウス特有の高揚感、破壊衝動が消えていく。


――ここまで、か。


 不可逆の存在であるアマデウスに時間制限付きで変貌した俺が迎える結末は既に理解している。

 出来ればもう一度黒木と話してみたかった。デートもしたかった。料理だって作って欲しかった。手を繋ぎたかった。けれどそれはもう叶わない。俺には叶えられない。

 だがそれでも、目的は達した。今まで幾度と無く俺の命を救ってくれた黒木を、たとえ一度であろうと救えたのであればそこに何の後悔も無かった。


 俺のアニマ、ノヴァリスが作り出した奇跡。それを直接確認できない事だけは心残りだった。おぼろげな視界に映る黒木は未だ動かない。俺たちを静かに見下ろす満月はぼんやりとあたりを照らしている。ただただ、無音だった。


 やがて。小さく、甲高い音が鳴る。気のせいかとも思えるほどの小さな音。

 けれど、その音は断続的に続き徐々に大きなものへ。

 黒木の頬を伝う涙は勢いを増していく。

 亀裂は黒木の仮面、そしてアニムスの剣にまで至り、やがて光の粒子となって砕け散った。

「かっこう、つけさせてあげる」

 そう聞こえた気がした。けれどもうそれ以上は何も聞こえない。何も見えない。

 俺の身体は柔らかい暖かさに包まれていく。

 それが現実かそうでないのかはもう判別が付かない。

 ただそのぬくもりを感じながら意識を闇の中に落とした。

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