20
黒木と一緒に花火をしてから一ヶ月が過ぎ、秋が終わろうとしていた。黒木との関係は特にそれらしい進展はなかったし、俺たちは相変わらずクラスでは浮いた存在のままだった。それでも二人一緒に過ごす事で毎日が楽しかったし、新鮮だった。
けれどあれから一ヶ月が経過したと言う事はつまり、また満月の夜が来たという事だった。
それが意味するのは恐らくまたアマデウス化した生物が暴走する。普段は見た目が変わらなくても満月の夜だけは黒い外骨格に覆われ、他のアマデウスを探して暴れるのだ。
黒木は一人で暴走アマデウスを狩るつもりだと言った。出来れば俺にあの姿を見せたくないとも。
だけど俺は俺の知らないところで黒木が独りでアマデウスを狩る事を受け入れられなかった。
俺のエゴだったし何の役にも立てないという認識は勿論あったが、それでも譲れなかった。黒木をどんな時でも肯定する為に、俺は傍にいたいと思っていた。
その事で初めて喧嘩になった。けれど、結局黒木が折れた。
満月の浮かぶ夜空の下、俺と黒木は彼岸花の丘で暴走アマデウスの到来を待っていた。
「流石に冷えるな」
黒木は答えず、けれど頷いて、そっと俺の手を握った。その手は不思議なほどに温かい。
黒木の格好はいつぞやと同じ、口元まで隠れる黒いジャケットにショートパンツ。血の色が目立ちづらいのと外骨格による破損を考えてこのチョイスが定番らしい。ヒガンバナも勿論持ってきていた。
満月の夜、アマデウスの破壊衝動は極限に達し、暴走する。それは黒木も同じだ。
そして暴走するアマデウスは何らかの方法でお互いを感知し、探し当てる事が出来るのではないかと言っていた。どういうわけか黒木にはその能力が無い。けれど、満月の夜、遭遇する可能性が高いのは、そういう事なのだと思うと言っていた。だから俺と黒木が今できることは動き回ることでは無くひたすらに暴走アマデウスの出現を待つ事だった。
黒木の狩るアマデウスは生物が真の成体になった姿。それはつまりベースとなった生物が存在するという事だ。この付近に出現するアマデウスは多くのベースが野犬だという。これらは素早いが、外骨格も薄めでそんなに苦戦はしないらしい。
破壊衝動による侵食度により外骨格の面積も徐々に上がり、酷いものになると全身が外骨格に覆われると言う。
前回現れた大型アマデウスは破壊衝動に飲まれ、侵食度も高く、ここいら一帯では最も危険なイノシシのアマデウスだった。それはつまりかなりの強敵だったという事。それでもあっさり勝つ事が出来た黒木は相当戦い慣れしているのだろう。
かつて幼い俺が黒木に救われた場所、彼岸花の丘。可愛がっていた犬の太郎のなきがらを見つけた場所であり、先月再度俺が黒木に命を救われた場所でもある。何かと縁がある場所らしい。
「出ないな。今日ははずれとか、あるのか?」
腕時計の時刻は二十二時を指していた。すでに三時間この場に留まっている。
「いつもはこのくらいの時刻だけど、もう少し待ってみる。佐倉くんは先に帰って」
さっきからこの調子で露骨に遠ざけようとされる。けど、それでも黒木を満月の夜一人にしない。その事は何度も説明したが、結局まだ完全に納得はしてもらっていない。
その時、人の悲鳴が聞こえた。黒木と顔を見合わせる。預かって、と俺に鍵と電話を渡すと黒木はガスマスクを引っ掴み、すぐさま駆けて行く。俺もすぐに後を追う。
徐々に若い女の叫び声が近づく。そしてそこには案の定暴走アマデウスがいた。一般人がこんなところを通りがかるとは想定していなかった。今回の個体は遠目にも前回のものより小型で華奢だ。おそらく過去俺を襲ったのと同じ犬型アマデウスだろう。
大型犬より二回りほど大きく、狼に近いシルエットだが、やはり外骨格に覆われている点で明らかに違うと見て取れる。
だが黒木であれば問題ない、そう思った。
けれど。
襲われていたのは――同じクラスの委員長と秀才くんだった。二人寄り添ってがちがちと歯を鳴らし、地面にしゃがみこんでいる。恐怖で動けないようだった。
俺より先に駆けつけた黒木は動揺しているように見える。知っている人間の前であの姿を晒して良いものか、と。しかも相手は中学の時黒木の暴走を目にした委員長だ。
黒木が破壊衝動に飲まれる前に二人をこの場から離脱させる事。それが今の俺に出来る最上の行動だと判断した。幸い黒木はまだぎりぎり踏みとどまれているようだ。
付いて来て良かった。黒木と対峙した犬型アマデウスを大きく迂回して走り、二人の元に駆けて行く。
黒木が犬型アマデウスの注意を引きつけていてくれたこともあり、特に問題も無くそこまでたどり着く事ができた。
「おい、立てるか?」
呆けている二人に声をかける。どうやら二人の意識は犬型アマデウスに釘付けだったようでそう声をかけて漸くこちらの存在に気付いたようだった。
「さ、佐倉君!? どうして……!? あの人は……!?」
二人は尚も抱き合って震えている。
そこで俺も顔を隠すべきだったと今更ながら気付く。完全に失態だった。
突然俺が顔を隠した女と現れたとなると、もう一人が誰かなど考えるまでも無いだろう。
けれどそんな事は今更だった。
「話は後だ。俺と一緒にこっちに来い」
「でもあの人は!? 私たちだけ逃げるわけには……!」
「いいから! 頼むから言うとおりにしてくれ。あいつのことを想うなら、なおさら」
何を言っているんだという顔をされたがこっちの真剣な表情に何かを察してくれたのか、二人は震える足で立ち上がった。
「こっちだ」
後ろの黒木と犬型アマデウスの動向を気にしながらもすぐ下の一般道まで連れて行く。
懐中電灯は待機していた場所に慌てて置いてきてしまったが、満月のおかげでかろうじて足元は見えた。慎重に二人を先導し、なんとか舗装された道路まで出た。その間誰も口を開かなかった。
「ここまで来れば大丈夫だろ。すまんが何も説明は出来ない。助けた事を恩に着せるつもりは無いけど少しでも感謝してくれるなら見たことは忘れてくれ」
「せ、説明できないって! なんなんだよ! あの黒いバケモノは! それにあいつは! 黒木なんじゃないのか!? あいつはあんな格好で一体何を……」
秀才くんがヒステリックに掴みかかってきたが、同時に遠方で短い爆音が鳴り響き、それに驚いて秀才くんは俺を掴んだ手を離した。
二人がわけが解らないといった表情でこちらを見つめる。
黒木の叫び声は聞こえない。あれだけは二人に聞かせたくなかったので、良かった。多分あちらは決着したのだろう。けれどそれはどうあっても説明できない。首を横に振る。
「繰り返すけど、説明は出来ない。イジワルじゃない、ちゃんとした理由がある。それよりもお前らだってなんだってこんな時間にこんな場所に居るんだよ」
「……それは佐藤くんと……」
「ああ、違う、そうじゃない。理由を聞きたいって訳じゃない。お前らだって知られたくないだろ。お互いこの事は忘れよう。俺達は今夜出会っていない。それでいいだろ?」
納得はしていないようだった。けれど、説明するわけにはいかない。アマデウスの事を説明するという事は極低確率とはいえアマデウス化のトリガーにもなり得るからだ。けれど、委員長も馬鹿ではない。
「あ、あれが黒木さんなら、もしかして……あの時、私が見たのは……」
恐怖か、それとも後悔なのかはわからない。委員長の頬を涙が濡らす。
出来る事なら今すぐ誤解を解いてやりたい。説明できない事が歯がゆかった。
「繰り返す、この件で俺はお前達に何も伝えることは出来ない。……でも、一つ言えるのは、俺は事情を知って、その上であいつと居る。それだけ」
委員長と秀才くん……佐藤と言ったか。その言葉を聞いた二人は顔を見合わせている。
「……解った、誰にも言わないよ。佐藤君も、それでいいよね?」
短い逡巡の後、佐藤もこくりと頷いた。
「恩に着る。じゃ夜道気をつけて。佐藤、お前ちゃんと委員長家まで送ってやれよ」
佐藤のケツをばしんと手で叩く。こういう時、むしろ男より女の子の方が肝が据わってるもんだな、と思いながら黒木の元へ戻った。
広場に戻るとやはり既に決着していた。真っ赤な肉の絨毯の上にしゃがみこみ、肩で息をする黒木の姿があった。ほんのり月色が残る髪からゆっくりと光が失われていき徐々にいつもの黒髪に戻っていく。
ガスマスクは既に外されていた。何て声をかけていいか解らない。
「……動けるか? 帰ろう」
黒木は不安そうな顔をこちらに向ける。その不安を少しでも解消できるよう、笑顔を浮かべて答える。
「大丈夫、説明はしてないけど、解ってくれたはず。言わないって、見たことは忘れるって約束してくれた」
「うん……」
手を差し出して、黒木の血まみれの手を掴んだ。ぬるりとした感触があった。滑らないように力強く、握る。
「……独りで良い、なんて言っておいてみっともないところ見せちゃったな。今日は一緒に居てくれて助かったよ、二人を見てどうしたらいいか解らなくてパニックになっちゃってたから」
黒木はえへへ、といつもの笑顔で笑ってくれた。これでまた一ヶ月はなんとか過ごす事が出来る。そう思い俺も笑顔を返した。
直後、ばきばきと木々を折る音と共に黒い巨体が木々の中から姿を現す。以前黒木が戦ったものと同じ、イノシシ型のアマデウス。ぎいい、と声を上げながら広場に躍り出たそれを視認した黒木は即座に身構え地面に転がっていたヒガンバナに手を伸ばす。
だが様子がおかしい。イノシシ型アマデウスはところどころ外骨格が剥げ、ピンク色の肉を露出させ、さらにその体は血に塗れていた。
動きもぎこちなく呼吸が荒い。負傷したアマデウスは広場の中ほどでがくりと崩れた後、ようやくこちらに気付いたようだった。黒木は再度ガスマスクを被る。
直後ボオオオと汽笛のような、深く重い音がイノシシ型アマデウスの来た方向から聞こえた。
大気を揺るがすような重い音が響き近づいてくる。心なしか地面に揺れすら感じる。何だ。
顔を見合わせる。急いで二人で周りを見回し警戒する。
何かを蹴るような鈍い音が響き、一瞬の無音が訪れた。
直後、静寂を轟音が切り裂く。そして衝撃。絶叫と共に何か生暖かい物が飛び散り、俺の視界をさえぎった。何が起こった。
「まさか」
目を開くと広場の真ん中で先ほどのイノシシ型アマデウスがべこりとひしゃげ、色々なものを撒き散らしぎいぎいと虫のように鳴いていた。
そしてその上には未知の大型アマデウスが覆い被さっている。当然のように黒い外骨格で全身を覆われているそいつはゆっくりとその身体を起こし、イノシシ型の体に突き刺さった丸太のような腕をずるりと引き抜いた。
非対称のシルエットを月の光が照らし出した。そして知る。これはイヌ型でもイノシシ型でもない。負傷したイノシシ型より更にふた周りは大型。
イノシシ以外でこのサイズに変異する生き物。何だ。わからない。
そして、そのイノシシ型を、負傷していたとはいえ一撃で粉砕したその膂力。
未知の大型アマデウスはばふばふと息を吐き散らしながら足元でぴくぴくと痙攣し、もがいていたイノシシ型の頭部を掴む。ぶぎい、と力なく泣き叫ぶイノシシ型アマデウスの首をそのままぎりぎりと音を立てて、ぷちんと引きちぎった。力任せに、なんでもないように。
勝利の雄たけびのつもりだろうか。イノシシ型の首を掴み、月に向かって咆哮した。
その巨大な頭部はベース生物が何であるか判別できないほどに外骨格が肥大化し、異形を成していた。さらに異常に発達した右腕、付随する大胸筋に相当する部位が大きく膨れ上がりコブのようになっている。
そしてイノシシ型の頭部を掴んだその腕には一本一本がチェインソウのような大きさの、見るものを震えさせる獰猛な形状をした黒い爪が生えていた。
未知の大型アマデウスはこちらを見やりぎちぎちと爪を鳴らし、大きく口を開く。
ぶちゅん、とイノシシ型の頭部を柔らかいフルーツであるかのように握りつぶし、ぶおおお、と先ほどの汽笛のような轟音の咆哮。大気が揺れ、湿った空気が充満する。
真っ赤に染まった巨大な右手を開き、ぼどぼどと細切れになった肉片を落とし、血を滴らせる。
隣の黒木を見る。その表情は冷静に見えた。だが。
「佐倉くん、今すぐ帰って」
小さく、けれど鋭くそう言った。巨大なイノシシ型ですら訳無くいなす黒木が、警戒している。
ここまで異常なアマデウスと戦うにあたって俺がここに居ることは黒木の負担にしかならないだろう。
「解った。俺は離れる」
帰るとは言わなかった。黒木は視線を大型アマデウスから離さずこくりと頷いた。




