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千貌の華 forbidden blood  作者: 猫文字 隼人
第一章 血染めの華
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「ま……間に合った……」

 なんとか遅刻せずに校門をくぐる事が出来た事を間延びしたチャイムが知らせていた。同時に襲い来るのは猛烈な疲労感。転校初日の始業前だというにも関わらず俺のエネルギーは既にマイナスに振り切っている。

 どうして朝っぱらから良く知りもしないど田舎で右往左往しながら全力疾走する羽目になったのか。――それには深い理由があった。


 時間にするとつい二十分程前の事だ。目を覚ました俺はじりじりと音を鳴らす四角い物体を掴み上げてまどろみの中でその文字盤を見つめていた。そこに表示されている時刻をたっぷりタイムラグを生じさせてから理解すると、人生で最高の微笑を浮かべた後で、

『なんじゃこりゃあああ!』

 太陽に向かってそう吠えた。一拍の小休止を挟んだ後、たっぷりの空気を吸い込んで、

『なんじゃこりゃあああ!』

 ついでにもう一度吠えた。


――冷静に思い出してみると想定していたより随分浅かったが、つまりは誰しも経験のある大事な時に限って引き起こされる早朝の時間圧縮現象だった。ロマンの無い奴はただの寝坊というだろうが。とにかくもう俺の心はこの先一生目覚まし時計などという直方体に心を許すことなど無いだろう。

 本当に悪いのは時刻を設定し間違えた上、寝ぼけていた俺なのだけれど。

 ようやく呼吸が整ってきたのでへとへとの身体に鞭を打ち、歩きながらクールダウンする。気管にひりつくような痛みを感じながらそのまま案内板に従ってまばらな生徒の間を縫って職員室へと足を向けた。


 予定時刻を多少オーバーしていたのもあり怒られることを承知で恐る恐る職員室に顔を出すと俺の担任であるという下川先生に大笑いされてしまう。

「君が転校生の佐倉くんか。こんな田舎にはるばる良く来たね。それはそうと初対面でそんな汗だくだくだくな格好を見せられるとは思ってなかった」

 どうやら汗で張り付いたシャツはそこらのグラビアアイドル顔負けのすけすけ具合を発揮していたらしい。笑いをこらえながらも俺の姿を見かねた先生はおもむろにタオルを手渡してくる。ピンク色で花柄の入った可愛らしいデザイン。

「こんな可愛い奴使っちゃっていいんすか」

「もちろん。道具は使う為にあるんだから、遠慮なんてしないでいいよ」

 もう一度視線を先生に向ける。小柄でショートカット、起伏の乏しい身体に化粧っ気の無さ。先生に対してボーイッシュなイメージを抱いていたので、その女性的なタオルのギャップには少々驚きを感じた。

「じゃ、お言葉に甘えさせて貰います」

 少しだけ気が引けたが好意に甘える事にした。

 少しして下川先生の先導で俺が今日から転入することになるクラスまで案内してもらう。――その前に職員室の扇風機でスケスケのシャツを乾かす時間を貰えたのは素直に有り難かった――やや古めの校舎内には木造特有の匂いが充満していて、恐らく古くさいはずなのだけれど、俺にとってはその古さこそが逆に新鮮さを感じさせた。都会と違ってクーラーなどは勿論無いし、扇風機だって職員室にあるものだけだと言う。その為、窓は全開なのでセミの合唱に先生の話が何度も邪魔された。教室の前で先生は唐突にくるりと振り返り、笑顔を向けて来た。


「――というわけだから、くれぐれもよろしくね?」

「へ? あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」

「うん? ……ちゃんと私の話聞いてた?」

「……勿論聞いてましたよ」

 ほとんど聞き取れていなかったがつい反射的にそう答えてしまった。

「ほんとにー? なんだか目がすごく泳いでるし怪しいよ? よし、それなら先生何て言ったか復唱してごらん」

「……みーんみーん?」

「そうそう先生いつもの癖でミンミンと――ってそれセミだから! そこまで必死で相手探してないですう!」

 セミの鳴き声とは求愛行動である。さすが生物教師、けど別にそんな細かいネタを披露して自虐しなくてもいいのにと思いつつ、笑顔で躱す。

「ま、いいか。君なら大丈夫かな。さて、ここが今日から君の通うことになるクラスね。皆と――仲良くしてね」

 先生はそう言ってもう一度にこりと笑うと教室に入っていった。


 先生の後について教室に入るとざわついていた教室が一瞬で静かになり俺の緊張を更に煽った。

「はいはーい、みんな夏休み元気にしてた? もう知ってる人もいるかもしれないけど新学期は転校生の紹介から始まります」

 先に教壇に登った先生に一通り紹介された後、ちょいちょいと手招きをされた。

「じゃあ佐倉くん、自己紹介をしてくれる? 簡単にで良いよ」

 そう促され、緊張しつつも教壇の横に立った。だが自己紹介、と言われても何を話せばいいのだろう。まったく考えていなかった事を今更後悔する。

「えーと……神水(かみず)市から来ました、佐倉大地です。趣味は……ええっと、音楽を聞くことです。よろしくお願いします」

 クラスメイトからはぱちぱちとまばらな拍手が起こる。本当はもっと喋ろうかと思ったのだが緊張のせいか頭が真っ白になってしまい、超無難かつ簡潔に自己紹介を終了させた。自分でも全く面白みの無い自己紹介だったと若干の後悔をする。

 小学校や中学校であれば転校生というだけで一種のステータスだ。半分ヒーローのようにちやほやされるものだが高校の、しかも二年となれば若干の異物感はぬぐえないのは仕方が無いのだろう。

 別に友達をたくさん作りたい目標がある訳でもないのでそれはそれで構わないのだが、それでももやっとしたものがしこりのように胸に残った。

「じゃあ、佐倉くんは、後ろの空いてる席に座ってくれる? ええと、教科書が届くまで隣の黒木さんに一緒に見せて貰ってね。あー、あと黒木さん。いつも言ってるけど教室でヘッドホンはやめてね。先生が怒られちゃうんだからさ」

 指定されたのは窓際の一番奥。なかなか良い席だ。そして、その隣の席には黒髪の少女。白く目立つ大きなヘッドホンをつけたまま席についていた。

 一瞬だけ目が合ったがすぐに逸らされる。黒木と呼ばれたその少女は無言で先生にひらひらと手を振っていた。

 彼女について特に説明を受けた訳ではないが(もしかすると先ほどの廊下でのアレはそうだったのかもしれない)その姿を見て即座に理解した。所謂問題児という奴なのだろう。当の本人はヘッドホンを外したかと思うと取り出したカナル式のイヤホンを耳に挿している。

……確かにヘッドホンは外しているけどこれではただのとんちだ。

 俺自身も別に品行方正と言うわけではないがこれは流石にどうかと思う。

 自席へ向かう道中おかわいそうに、といった感じの視線をちらちらと投げかけてくるクラスメイト達。確かに転校早々そんな奴の隣の席だなんてちょっと気が滅入りもした。一応礼儀としてそんな問題児にも会釈だけして席に着く。

「……何、聴くの?」

 金属部分のさびが目立つ古めかしい椅子を引くと同時にそう聞こえた。ぶっきらぼうだけど、丁寧で透明な、何か相反した物を組み合わせたかのような声色。

 俺にだろうか? 隣を向くと問題児、黒木と呼ばれた生徒は頬杖を付いてぼんやりと視線を前に向けている。

 気のせいだったのだろうか。けれどそうで無かったのだとすると、初対面の人間にイヤホン付けたまま視線も合わせずに話かけるというのは確実に無しだろう。じゃあ、きっと聞き間違いだろう。それで通すことに決めて座席に着席した。

 その後、先生はいくつかの事務連絡を伝え終わると手を振りながら教室を出て行った。

 ぴしゃりと扉が閉まると、ほぼ同時にダン、と机に手を下ろされた。クラス内の雑音はその音で断ち切られる。

「ね、聞いてんだけど」

 黒木が脚を組んでこっちを見ている。薄く笑みの浮かんだその顔は、けれど冷たい表情をしている。黒髪ロング、そして痩せ気味のスレンダーな女。着席しているから正確には解らないが恐らく女子としては背は高めのように見える。綺麗な目鼻立ちをしているが、色白の不健康そうな肌の色がそれを相殺していた。

 いきなりなんだというのだろう。

「……とりあえず人と話する時くらいはイヤホン外せば」

 とんとんと自分の耳の辺りを叩くジェスチャーを送りつつそう返した。クラスメイト達が小さくざわつく。

 黒木は意外だ、と言う顔をしてイヤホンを片方雑に引き抜く。だらしなくぶら下がったイヤホンからはシャンシャンと音が漏れ出ている。

「アタシさぁ、変な事いった? 好きな音楽なんですか? って聞いただけじゃん、何熱くなってんの、テンコーセー」

「別に熱くなっちゃいないけどな。けど俺は常識の無い奴とはあまり関わりたいとは思わない」

「へえ……」

 黒木はにやっと笑って俺に絡むのを止めた。


 それからしばらくして英語担当の教師が入ってきた。夏休み明けという事もあってか、初老の英語教師はしばらく新参者の俺にはよくわからない小話を交えて雑談をし始め、しらばくはのんびりとした時間が続いた。

「はいじゃあ教科書八十九ページを開いてー」

 教科書と言われてようやく気が付く。そうだ俺、まだこっちの教科書貰ってない!

 冷静に状況を再確認する。俺の席は一番後ろの窓際。つまり横に座っているこの問題児しか教科書を見せてくれる相手が俺には居ないという事。

 あれだけ火花ばちばちした後に頼み事するのも恥ずかしいが、背に腹は変えられない。

 相変わらず両耳にイヤホンを着けたまま机に突っ伏して授業など聞く気毛頭無し、といった態度の問題児黒木、そのわき腹を指でちょいちょいとつつく。

「――ッ!? ……何」

 一瞬びく、と驚いてから不機嫌そうな顔でこっちを一瞥。心なしか少し目が赤い。

「いや、すまん教科書見せてくれよ。俺まだこっちのやつ持ってないんだよ」

「でもアタシの事嫌いなんでしょ?」

「あーいや、別にそんなことは無い。それにいきなりきつい事言っちまったのは悪かったと思ってる。許してくれるなら……頼む」

 ちょっとだけ軽めの雰囲気も織り交ぜつつ手を合わせて頼んでみる。顔を上げると黒木は少しだけ驚いた顔をして、

「はは、アタシはあんたのこと嫌いじゃないよ。いいよどうせ授業なんて聞かないから貸してあげる」

 はい、と教科書を渡してくる。だが流石にそれをそのまま受け取るわけにはいかない。

「いや、お前が問題児だろうが腐ったミカンだろうがこれでお前が怒られたら俺も気分悪い。一緒に見させてくれ。机くっつけるぞ」

 ミカン? という顔をされる。親父の見ていた古いドラマでは不良を指した台詞のようだったがあまり一般的ではないのだろうか。とにかくがたがたと机を移動させる。それに気付いた先生がこっちを一瞥し目が合った。

「あ、今日転校してきた佐倉です。まだ教科書貰ってないので、えっと……黒……木さんに教科書見せてもらいます」

 名前が一瞬出てこなくて言いよどんだ。

 黒木の名前を聞いた先生はぎょっとした顔をしていたが、ああ、と応えてそれ以後普通に授業が始まった。


 で、その問題児黒木はというとまた突っ伏して寝るのかと思いきや今度は腕を組んでこっちをじーっと見ているようだった。

「……俺に何かついてるか?」

 視線がむず痒いので『やめてくれ』という意味を込めてそう聞く。

「別に?」

 黒木はそう答えつつ、けれどその表情は笑っているようにも見える。

 何なんだ、この女は。訳がわからんと思いつつも、気にせず授業に集中した。


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