11:Full Moon “amadeus” Ⅱ
「【神に愛されし者】」
そう呟いた黒木の右腕、その皮膚が内側からはじけるように見えた。その直後黒木の腕は黒い外骨格にぎちぎちと覆われていく。
それは腕だけで無く靴を裂き両足にも及んでいく。
その冗談みたいな外骨格は有機的な曲線を描きつつも、凶悪な禍々しさを感じさせる鋭角で彩られている。そしてそれは極限まで蒼を濃縮したかのような冷徹な黒で染め上げられていた。
これは、同じものだ。黒い異形を覆うものと、同じものだ。
更に、黒木の髪は根元からまるで月のように青白い色へと変色していく。
仄かに光を放つ月色の髪が風に吹かれ舞い踊る。
状況を忘れて、俺は蒼黒の夜空に浮かぶ青白い月を思わせるその姿に見蕩れた。
青白い月。それは幸運の象徴でもある。けれど、その身に青い月を宿したかのような今の黒木はまるで獣のように獰猛な暴力の具現化そのものにも見えた。
黒木は黒い外骨格を纏ったその手に握りしめた鉄塊を軽々と一回転させる。半呼吸の完全停止、直後黒い異形へ向けて地面を蹴った。黒い異形はその動きに呼応するかのようにぎいいい、と嘶く。黒木は黒い異形と激突する直前、右に小さくステップを踏み、次の瞬間一気に身をかがめ逆方向に飛び込み黒い異形のサイドを取る。黒い異形はそのフェイクに惑わされたらしく反応が一瞬遅れた。
その隙を黒木は逃さない。刃を備えた鉄塊をぐるりと回転させ、黒い異形の外骨格、その隙間へ刃先を乱暴にねじ込む。黒い異形はたまらず悲鳴を上げ、反撃すべく噛み付こうとその黒牙を振るうが黒木は既に異形の外骨格にねじ込んだくさびのような刃の先端を即座に切り離し既に離脱していた。
黒い異形はその大きさ、怪力、そして最初に見せた直線スピードの速さを持っていた。
けれど、初速は遅かった。巨躯ゆえに小回りは利かないのだろう。
黒木は異形の後ろを取るように、まるで踊っているかのように相手を翻弄しながら地面を蹴り飛び跳ねる。月色の髪を振り乱し、そして真っ赤な血に濡れたトンファーを回転させながら淡々と黒い異形の外骨格の隙間に刃をねじ込み、切り離していく。ざくざくと、めきめきと。
やがて刃の先端を楔のように撃ち込んだ理由を理解した。黒木はそのねじ込まれた楔へ打撃を集中させていく。テコの原理を応用し、めぎりめぎりと外骨格を浮かせていく。
悲鳴をあげ、混乱している黒い異形。けれど、パニックに陥っている異形は既に黒木の姿を補足できては居ないのだろう。まるで自分の尻尾を追いかける犬のように、意味の無い動きを繰り返しながら絶叫を上げるのみだった。
そして、楔によって引き剥がされかけた一部の外骨格の隙間に鉄塊の刃を差し込みこじり、そうして出来た隙間に手をかけ無理矢理に、力任せに剥ぎ取り引きちぎった。再度壮絶な絶叫が響き渡る。ピンク色の肉が露出し、血があふれ出てくる。黒木はその肉へも刃を突き立て切り裂く。黒木の鉄塊がピンクの肉を削ぐたびに彼岸花のように鮮やかな血が散った。それを繰り返した黒木は赤黒い返り血に染まり、てらてらと光っている。
黒い異形を翻弄しながら斬、打、突全てを駆使して凄惨に舞い続ける。月色の髪が闇の中翻るたびに地獄のような絶叫が鋭く空間を揺らした。
頭部の外骨格すらも剥ぎ取られ、黒い異形は頭蓋骨の形状が顕わになっていた。そこでようやく黒木は距離を取り、動きを止める。消耗しきった黒い異形はチャンスとばかりに突進していく。けれど激突の瞬間黒木はひらりと飛び上がり、猫のようなしなやかさで黒い異形の頭部に張り付いた。その状態で黒木は右手に携えた鉄塊の先端を相手の眉間にそっと、何かを祈るかのように押し当てる。
刹那、爆音が鳴り響く。トンファー先端から火花と共に飛び出た黒い鉄杭が異形の頭部を粉砕した。これはパイルバンカーと呼ばれるものだろうか。細かいところは解らない。爆音と共にくるりと宙を舞い地面に降り立った黒木はだらりと下げた右腕を左手で押さえ、ごきりと関節を入れ直した。
頭蓋骨を鉄杭で破壊され大穴を空けられた異形は頭部から灰色の器官をだらしなく垂れ流し、咆哮した。同時に赤黒いどろどろとした何かを吐き出してその場に倒れ、びくびくと痙攣しながらうめき声を上げている。
ついにこの悪夢が終わった。何がなんだか解らない。だが漸く終わった。
終わったと、思っていた。
「がああああああ!」
黒木は黒い異形に馬乗りになり、叫びながら黒い異形を殴り続けた。
一心不乱に。握りしめた鉄塊を使い、ひたすら殴り続けた。鬼気迫る表情で時には相手に噛み付きひたすら殴りつける。殴る。殴る殴る殴る。
重く鈍い音が断続的に響き渡り、おべえええと奇怪な鳴き声を立ててもう抵抗できずびちびちと動くしかできない黒い異形を押さえつけ、ひたすらに殴り続けた。
殴打、破砕、殴打、引きちぎり、突き刺し、抉り、殴打、殴打殴打殴打。
黒木の叫び声と黒い異形の呻き声の間にぐちゃぐちゃと肉を裂き砕き千切る音が絶え間なく響く。
どれくらい時間が経過しただろう。俺はまるで夢でも見ているような心持ちでその凄惨な光景を呆然と眺めていた。ようやく黒木の動きが止まる。随分体積の減った黒い異形だったもの。今となっては細切れになった赤黒い肉塊。その傍には額に大きな穴が空き、灰色の何かを垂れ流しているイノシシのような生き物の血塗れた頭部がそこにあった。黒木は血まみれになりながら息を荒げて呆然と赤黒い血と肉の絨毯の上に座っていた。
いつの間にか黒い腕と脚、そして月色の髪は元に戻っている。
何が起こっていたかは見ていたから解る。けれど、理解は追いついてくれない。
俺はこの凄惨な状況を目前にして恐怖と嫌悪感に染め上げられつつも、それと同時に心のどこかで小さな安堵を感じていた。委員長が目にした黒木が動物を虐殺し、ばらばらにしていた状況。それは、これの事だったのだと。
とにかく今はぼけっとしている訳にはいかないと黒木に駆け寄り、恐る恐る声をかける。
「お、おい。黒木。大丈夫か?」
赤黒い肉の破片の上で呆けていた黒木はゆっくりと俺の顔を見上げ同時に泣き叫びだした。
どうすればいいか解らず、とにかく抱きしめた。背中に手を回し胸に頭を押し付ける。それでも黒木はいやいやと暴れた。
「落ち着けって!」
そう叫ぶも、声は黒木に届いていない。泣き叫びながら俺を突き放そうとしてくる。
考える前に身体が動いていた。
「…………ッ!」
とっさに唇を合わせていた。黒木は尚も暴れた。だが、しばらくしてようやく落ち着く。
唇を離す。血の味がする。黒い異形の返り血なのか、黒木の血なのかは判別が付かない。吐き出したい気持ちを何とか我慢する。
もう一度黒木の頭を抱きとめる。
「大丈夫。大丈夫だから」
何が大丈夫なのかは解らないが、そう言って子供をあやすように黒木の頭をぽんぽんと叩く。黒木はまたわんわん泣き出した。ごめんなさいごめんなさいとひたすらに繰り返しながら。
生臭い臭いが辺りに漂う。この場にとどまるのは流石に不味い。もう日も落ちているし、ここから俺の家までならそう遠くは無い。
「とにかく、ここを離れよう。おぶるから俺んちまで行くぞ」
もう震えも大分引いていた。女の子を背負って家まで行く位なら問題ないはずだ。
鼻水と涙をたらしながらわんわん泣いていた黒木は一瞬だけ泣き止むと鼻声で、
「でも、汚れるよ」といってまたわんわん泣き出した。黒木を抱きとめた時点で俺の制服も既に血塗れになっている。今更多少汚れる部分が増えたところで何も変わりはしない。着ていた学ランを脱いで黒木に被せた。
「ほらこれでどのみち同じだろ。人に見られたらマズい。一応それで体は隠してくれ」
多分見られたら隠れてない部分の方が多いし、意味は無いのだが。
とにかく今はしゃがんでおぶされ、とジェスチャーを送る。
「でも……」
黒木はまだ躊躇している。
「あのなぁ、お前裸足だろうが。言っただろ、こういう時位は格好つけさせろって」
足元にはぐにぐにとした肉の感触があった。気持ち悪いが気にしている場合ではない。
ややあってウン、と聞こえた後に柔らかい重さを背中に感じた。




