マリンの行方
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部屋を飛び出し、ただ闇雲に走り続けていた。
目的地なんてない。
ただ、あの部屋から逃げ出したかっただけ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
気がつけば、修練場近くまで走ってきてしまっていた。
校舎や寮などの建物を挟んで、訓練場の反対側にある広い場所。
修練場、という名前は付いているが、三年生が自主訓練の時に利用する訓練場とは違い、敷地として囲うための壁が見えないため、どこまでも果てがなく広がっているように見える。
とてもじゃないが、修練場と校舎を繋ぐ出入り口から、この敷地全てを見渡すことなんて不可能だろう。ここからなら学校の外に逃げ出すことだって出来るかもしれない。
……尤も、半円に囲うように広がる森を抜け切らなければいけないし、抜けた先にある街の外壁すらも超えなければいけないのでほとんど不可能に近いが。
そもそもその壁を超えるということは、街そのものから出るということになるので、試みるのは止めておいた方が良いだろうが。
「…………」
昔はよく訪れ、しかし今となっては訪れることがないその場所。
あと少し歩いていけば、基礎体力訓練という名の地獄を体験している下級生を見ることが出来るだろう。
と同時に、教官に見つかったら最後、自主訓練をサボっていると見做されて、マリンもまた何かしらの罰を受けることになるに違いない。
どうしてこんな場所まで走ってきてしまったのか……そう思考すると同時、昔リフィアと出会ったのがこの場所だったからだということを思い出す。
リフィアが、自分を助けてくれた場所……何となくそちらへと歩を進める。
校舎と修練場を繋ぐ廊下に壁はない。
あるのは雨除け用の天井と、ソレを支える柱だけ。
雨水が入ってこないよう左右に細い穴を掘ることで、まるで道になっているように見えるだけでしかない。
校舎から修練場出入口の建物へと繋がるその道から、もうほとんど外である。
それでも修練場の入口なんてものがあるのは、そこから校内への侵入者が来てもすぐに分かるよう、夜には警備員を雇っているからなのだが……。
(それでも魔物が入ってきて、リフィアさんが戦って退治したんだから、あまり意味がないように思うな……)
なんて思いながら、穴を跨いで先へと進む。
本来この先にあるのはただの行き止まりだ。
学校と外とを区切るための壁。
その向こうに広がるのはこの街にある水源の一つである湖。
そのため壁を越えようとも本当に何も無い。
つまり、この隙間のような場所には、誰も来ない。
まだ修練場に行くばかりだった頃のマリンは、襟元にある学科証を外した男の貴族に、ここに呼び出された。
訓練中にマリンが粗相をしたとかなんとか、難癖をつけて。
人気のない場所に男が女を呼び出す。
しかも男は数人の腰巾着を連れて。
何が目的だったのかは言うまでもない。
胸元が甲羅のような素材で固定されている制服とは言え、その大きな物が揺れて訓練に身が入らなかった。
お前のせいで教官に怒られた。
これはお前が解消するべきだ。
気になって仕方がない。
触らせろ。
……そんな感じな言葉だったと、マリンは記憶している。
正直、呼び出された先でそんなことを言われ、怯えないはずがない。
まして相手は貴族。
迂闊な抵抗はそのまま迫害へと繋がる。
ただでさえ友人のいない自分が、その言葉に逆らえるはずがない。
だからといって、そういうことをされる覚悟なんて出来るはずもない。
身体に指一本触れてほしくない。
でもこれは避けられないこと。
でもイヤだ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだイヤダイヤダイヤダ――
「気持ち悪い」
――そんな時、そんな言葉が、遠くから聞こえた。
繋ぐ廊下を歩く、遥か遠い場所にいるリフィアからの声。
叫んだようにも聞こえなかったのに、いやに鮮明に聞こえた。
それは、相手の貴族とその連れも同じだったのだろう。
対象を、彼女へと切り替えた。
貴族への無礼がどうなるのか分かっているのか、といった定型文から始まったその言葉を……この学校にいる間は全員戦えない蛆虫だと教官が言っていたと一蹴し、暴力を振るってきた腰巾着全てを、叩きのめした。
そんな……よくある物語。
自分の悪くなる立場も考えず、助けてくれた。
ありきたりな話。
……だけど、実際に直面したら、安堵と喜びに支配される、そんな出来事。
以来、リフィアを追いかけるようになった。
偶然にも同室になった時は一人泣いて喜んだ。
弓騎士科以外とは言え、この出来事を聞きつけた人と、友人にだってなれた。
この学校にいる理由。
そう言っても過言じゃない。
リフィアがいないのなら、もうこの学校にはいられない。
そう思えるほどの相手。
それが、いなくなった。
あの、打算的な――助けてくれたらリフィアも喜ぶから、と言った言葉を聞いて……本当にリフィアじゃないと、思い知らされた。
嘘か本当か、自分なんかと親しくなるためのキッカケなのではとか、そんな考えが一気に吹き飛ぶ、そんな言葉。
貴族に楯突けば己に損しか無い。
そんな打算から遠く離れたことをしてくれたリフィアが、打算まみれの言葉を吐いたその時点で……中身が違うのだと、分かった。
確かにここであの中身が分からない相手を助ければ、戻った時にリフィアは感謝してくれるだろう。
でも……そうじゃない。
そうじゃなくてアレを助けようとも思えるが、感情の行き所がない。
きっとそれは、マリンにとっての心の拠り所が、失くなってしまったせいで……。
「女、ちょうど良いな」
出会いとも呼べる嬉しいことが会った場所。
でもここは元々、過去に酷いことがあった場所。
それを忘れて、過去を思い出しながらフラフラと歩いていたマリンは、気づかなかった。
壁際でもたれるようにしてサボっている――新入生の男貴族と、その腰巾着として二人の男がいることを。