白竜と滅びた国の老人
「おお、これはこれは。この滅びた国に、ようこそいらっしゃいました。何か御用がおありで?」
老人は白い竜に向かって大きな声で問いかけた。四方を囲んでいたであろう壁は崩れて跡形もなく、建物は滅びの風が吹いたように一面中瓦礫の山と化していた。そしてそれは、遠くに見える城でさえも例外ではない。遥か過去の残骸と化した街に、巨大な白き竜と老人が向かいあっていた。
白い竜は煌めく細やかな鱗が美しい体を揺らし、その首を傾げた。竜に、これと言ってこの国に来る理由はなかった。それに、この老人も妙だ。竜はそう思った。私を見れば皆が恐れるか、逃げるか、崇めるかのどれかであったからだ。白い竜、ハルアはこの老人に興味をもった。
老人は、筋骨隆々な訳でも、酷く小柄な訳でもない。いたって普通の背、格好である。しかし、灰色の擦り切れたローブを纏った老人の背筋はピンと伸びており、一本の針のようであった。そして、巨大で誰もが恐れる竜に対して余裕をもったその態度。さすがに、竜の中でも中の下といった程度の知能しかもたないハルアでも、おかしいという事はわかっていた。
「御用は、おありではないのですか? まぁ、そうでしょう。この街、いや国には、もはや財宝の一欠けらもございませんからな!」
カカカカカ、と独特の笑い方で声高々に老人が笑う。何がおかしいのだろうか。もしくは、この老人は気が違ってしまったのだろうか? 竜は老人に問いかけた。とはいっても、声で問いかけた訳ではない。思念でだ。竜は声で語らずとも、その不思議な念で自らの思いを伝える事が出来た。
「気が違っている訳ではありませぬよ。何、おかしくてたまらぬだけです」
老人は竜の問いかけにそう答える。にこやかな雰囲気だが、決して楽しそうな顔はしていなかった。
「この滅びた国に、竜のお客様が来るなど。愉快ではございませんか」
その声は先程の老人とは思えぬほど、貫禄を持っていた。愉快と口にしながら、顔は全く無表情。平民を褒める時の貴族のようだった。竜は覗き見た人の暮らしからそう感じ取った。しかし……。と、竜はヒョイと首を伸ばしてあたりを見回した。変わらず荒野もかくやといった姿を晒す街並が広がる。
此処はそれなりに大きな国だった筈、と竜が問う。何故に滅びた? 竜はそこだけが疑問であった。此処の者達は良く美味い物をよこすので、少し気に掛かってはいたのだ。しかし十二年の間に一体何が起こったのか。竜にとっては、瞬きもしないうちに滅びたも同然だったのである。
老人はなるほど、と呟いた後、少し考える仕草をした。老人はどう伝えたらいいかと思案しているのだ。竜は待った。年にして数千という長い時を生きる竜は、待つ事は得意であったのだ。だからこそ、半刻の時が経ってようやく口を開いた老人に何一ついわなかった。
「この国は。客人を迎え入れ過ぎたのですよ」
だからこそ、侵入した敵国の騎士達に気付けなかったのだ、と老人はのたまう。いずれ起こる事だった、と。
老人はかたり始めた。この国がどれだけ客人を大切にしていたのかという事を。それは間違いだったのだと言うことを。竜はその細く長い首を優雅に揺らしながら老人の語りを聞いた。刹那のヒマをちょっとした好奇心で潰すのも悪くはないと思いながら。
かつて存在し、今は滅びた国、リブラーク。領土が広く、温厚な国柄のその国は、客人をもてなすべしと言う考え方が強かった。しかし、それは大きな災難を招いた。
二年前のある日、大量の武具を運んだ商人がいた。また、ある日はやたらと大柄な旅人、旅芸人が来ていたりした。それら全ては、唯一の敵国である帝国の諜報員、そして兵士だったのだと言う。無論、関所ばかりが悪かった訳ではない。だが、客人はもてなすべしの考え方が判断を鈍らせたと言うべきだろう。
そうして、唐突な宣戦布告と同時、一斉に手に武器を取った帝国兵士の首都攻撃によって、この国はあっけなく滅びたのだ。老人の語りは短かったがしかし、飾りがない分状況をよく示していた。
「その国があったのだと言う記憶も、直に皆から失われます」
あれを、と老人はその腕を上げて指さした。崩れた防壁の切れ目から、僅かに金属の照り返し。はためく布が見える。帝国兵士が、この国の跡を我が物にせんと進行して来たのだ。老人の、常人に過ぎない目にも見えるのだから、人間の数倍いい竜に見えぬ道理はない。竜ははっきりと、剣を二本交差させたその旗を目にした。
そして、竜の耳に鞘鳴りが聞こえた。剣を抜く音だ。老人の方を振り向けば、老人はその腕で剣を引き抜いていた。――戦うつもりか。竜は思わず聞いた。老人は、あの大軍に立ち向かうつもりであるのだ。
「何。所詮、老い先短いこの身です。それに――」
バサリ、と唐突な風が老人のフードを引き剥がした。露になった老人の頭には、銀色に光を反射する、埃をかぶった王冠がひっそりと佇んでいた。
「――国の主賓です。王が出張らずになんとしましょう。客人は、もてなさなければなりません」
鎧も着ず、剣を肩にのせて、大軍へと歩いて行く老人。白竜ハルアは、その背にどの英雄とも比べがたい信念を見た気がした。故に、ズシンと足音が響く。白竜が、老人の背を追っていた。
「おや、白竜様。共に戦ってくださるので?」
――構わん。それに、元々やつらは気に食わなかった。ふしゅうと口から息を吐き出した竜が、思念にてのたまう。度々討伐に来ては、竜が長年蓄えた財宝を盗んで行こうとする帝国は、きっと白竜にとって鬱陶しくてたまらなかったのであろう。良い機会だと息巻く白竜に、老人は快活に笑う。
「カカカカカ! 帝国も竜に嫌われたものですな!」
一頻り笑い終え、静かな湖の様な顔に戻った老人――元リブラーク王、ノンヴァルクは改めて剣を握り直した。その剣は護身用にと前王が誂えた特大剣であったが、幾人ものドワーフの名工にて作られたそれは、戦場にて鍛えられた血を欲す魔剣にも劣らない。
「それでは、いきましょうや」
今度は無表情ではなく、心底楽しそうに笑顔を浮かべる老人。うむ。と、白竜は返事をして、老人と肩を並べて歩いていった。
帝国はものの見事に一人と一匹に掻き乱され、撤退を余儀なくされた。その後も隙あらば数を増やしてリブラーク王国主都跡へ送り込むものの、須らく一度目と大差なく蹴散らされ、その姿は愉快痛快と言う他なかったという。
竜と肩を並べ、快活に笑いながら淡々と幾千幾万を屠って行く老人の姿は、後に"竜騎士"と呼ばれるほどだった。
今でも竜と老人が守っている滅びた王国に、一度いって見てはいかがだろうか。もはや泊まれる場所も少ないが、それでも飯は美味いと言う話。それに、老人も竜も客はもてなすし、どんな人でも拒まないと言う話だから。
こちらはしきみ彰様の『ドラゴン愛企画』参加作品です。
ドラゴンへの愛を伝えたい方、ご興味のある方は、
ドラゴン愛企画で検索してみては如何でしょうか。