report.24 ~セピア色に輝く世界で~
ただ駆けた。一心不乱に、駆け抜けた。
草木で肌が傷つくのも忘れ、全速力で唯一赤が見える場所──第143期がいるはずの廃屋へと向かう。
──ダメだ。
──あれだけは、失ってはいけないのだ。
彼女の世界を一変させてくれた彼らを、失うわけにはいかないのだ。
走れ。走れ。走れ。
何度も、何度も、はやる気持ちをどうにか抑え、全力で足を動かす。
後ろからの追撃を心配しなかったわけではないが、その心配はいらなかったようだ。包帯男は、何もしてこない。
今シルヴィアを足止めして、間に合わなくすることが一番だと言うのに。それをしなかった。
それが、今のシルヴィアにとって救いになるかどうかは判断がつかないが。
そうして、駆け抜けて。もう少しで辿り着くと言う所で──。
「なんで、貴女が……」
思わず、呟いた。
圧倒的な、強者の予感がシルヴィアの背中を殴りつけて、この場から離れることを良しとしない。
これは、何度も味わった感覚だ。
もしかすれば、自分が死ぬかもしれない感覚。絶対に届かないような感覚。
ダンテとの修行の成果──まるで赤子のように捻られた経験が、今この場において役に立つとは思わなかった。
「シルヴィア様。ここで、退いてください」
五人将の一人。最強の一角、ローズ・ウェルシア。シルヴィアであっても及ばない程の強敵。
そんな彼女が、今ここにいる理由がシルヴィアには分からなかった。
彼女はその強さから王様の付き人──もしくは暗殺者を退ける役割を与えられている重要人物のはずなのだ。
なのに、どうして。
今、この瞬間に、出てくるのか。
「どう、して。どうしてですか!? まだ、あの中に人が……」
そう言って、シルヴィアが指さすのは赤色に燃え上がる廃屋だ。あの中には、救わなければならない誰かがいる。
救わなければ、ダメな存在がいるのだ。
シルヴィアに、大切な時間を与えてくれた大切な人たちが、いるのだ。
しかし、シルヴィアの希望はローズの次の言葉によって粉々に打ち砕かれる。
「王より勅命です。シルヴィア様を救え、と」
「え……?」
シルヴィアを、救え──?
最初、シルヴィアには意味が分からなかった。
いや、理解したくはなかった。だって、それは大切な者たちを見殺しにすることで──。
「既に、状況は詰んでいる。よしんば救ったとしても最早呪いが発動している。もう、助かりません。ですから、貴女だけでも」
「そんな……」
そして、気付く。もう、彼らを救う手段は残されていないのだと。
その事実に、唇を噛んで睨みつけることしかできない。
──五人将最強、ローズが相手では、勝てる気がしない。
間違いなく、ダンテを抜けば最高峰だ。当然、シルヴィアでは及ぶべくもない。
ならば、どうするか。諦めるのか。この場で、彼らを救い出すことを諦め、項垂れるのか。
──違う。それは間違っている。
それは、シルヴィアの願いに反するものだ。彼女が強くなりたいと願った理由からは、かけ離れている。
「私は、それでも行きます!」
「そうですか……少々手荒ですが、ご許し下さい」
剣を抜いて、ローズに戦う意志を見せる。その仕草に、ローズは嘆息し──最早力ずくでしかシルヴィアを止めることが出来ないと悟ったのだろう。
彼女も彼女で、仕方なさそうに剣を抜く。
そして、シルヴィアが突貫し──。
ローズがシルヴィアを迎え撃ち──。
そして、決戦は終焉を迎えた。
「はあ……はあ……」
燃え盛る炎の中で、ユキはただ喘ぐことしかできなかった。
呼吸が浅い。空気が余りにも入ってこない。酸素を求め、足掻き手を伸ばすも、そもそも空気は掴めないのだから、無理な話だ。
木材が焦げ、火花によって燃えていく様を見つめながら、ユキはただ抵抗することもせずに寝転がった。
この場で消火したとしても、もうユキは助からない。呪いが、ユキの体を侵している。
確かに、ナルシアほどの腕を持った魔法士ならば呪いは解けるかもしれない。だが、全員の分を解呪する時間は残されていないし、何よりもう間に合うことはないだろう。
だからか。心のどこかで死を受け入れている自分がいる。
──きっと、悔いはない。
元々、何かの手違いで残ってしまった命だ。それが、今この場で命を散らすだけ。命を失くすのが昔だったか、今だったかの些細な違いに過ぎない。
それに、そんなことを今更気にする必要性もないのだから。
──ああ、でも。最後にわがままが許されるのなら。
「会いたい……」
あの少女に、会いたい。
「普通に、生きてみたい……」
普通に、生きてみたい。王都じゃなくてもいいから、どこかのどかな場所に移り住み、戦いとは無縁の生活を送って、恋をしてみたかった。
でも、この世界の神はそんなことすら許してくれなくて──。
「神様の、いじわる……」
悪態をついて、涙が零れ落ちた。
それで終わりのはずだった。体は呪いによって破壊され、残った魂は炎によって無残に焼き殺される。
その終わりが、彼女にもやってくるはずだったのに──。
「おい……ユキ、生きてるか?」
声があった。掠れて、血が溜まって、耳を澄まさなければ聞こえないような声。
何の偶然か、それはユキに届く。
「悪いが……ここで、お前を死なすわけにはいかない……悪い、何にも説明は出来ない。だけど、ここで失っちまえば……もう、俺たちは……」
なぜか涙を流すフライクに、疑問を呈したかった。
なぜ、こんな時に泣いているのかと。なぜ、謝るのかと。
だけど、それらは彼には届かない。燃え盛る炎が邪魔をして、呪いが声を出すのに必要な器官を根こそぎ壊して、喉を鳴らす事さえも許されない。
それは、彼の方も同じなのに。
「……いつ、目覚めるかは、分からない。もしかすれば、地獄の果てまで、目覚めることはないかもしれない。俺は、お前に、苦しい結末を押し付けるのかもしれない。でも、お前さえ望むのなら……」
──望む。
──何を、だろうか。
──こんな空っぽな私に、まだ望みが、あると言うのか。
確かに、さっき口を突いて出た言葉は、少女の願いかもしれない。だが、それは叶うはずのない妄言で。
だから──。
「……さようなら、ユキ。いつか、お前を起こしてくれる誰かが、必ず来る。だから……希望を、捨てるな……」
フライクの指が、ユキに触れて──。
眩いほどの光が、周りを包む赤に負けない程の光が、ユキを覆い──。
次の瞬間には、彼女の体はここから消えていた。
──転移魔法。フライクの人生を賭けた、最大最高の転移魔法。
転移先は、世界樹。
「ああ……くそ、上手く、飛んだかなあ……すみません、こんな事しか、出来なくて……」
涙交じりに、謝る。
「どうか、大精霊よ。彼女を、救ってやってください……」
そうして、フライクは──炎に飲み込まれた。
そして、同じ場所で。ボルザークに憎悪を植え付けられた者たちは、炎に沈みつつあった。
呪いが体を蝕み、炎が容赦なく腕や足を燃やし、再起不能にしていく。幸いと言うべきか、たまたま窓際にいたラスは炎の周りが遅かったために、火傷はほとんどなかった。
逃げようと思えば逃げられる。窓から、身を投げ出せば、少なくとも焼身することはない。その後はどうなるかは分からないが、今ここで地獄の苦しみを味わうことはない。
なのに、ラスはそうしない。
だって、この場に居る者たちの視線が、唯一火傷が少ないラスに訴えかけてくる。
──こんなのが、許せるのかと。
自分たちを踏み台にし、捨て駒として扱った王国を、許せるのかと。
──許せない。許していいわけがない。
──復讐を。復讐を。
例え、この身が果てようとも、怨讐を奏で続ける。その意志が、ラスに入ってくる。
「う、ぐ、ああ、あああ……」
火の手が回り、遂にラスをも飲み込まんと迫り──右腕が、飲み込まれた。
取り敢えず、右腕を代わりにすることで何とか事なきを得るも、もう時間は残されていない。
──決断するしかない。今この場で、皆と死を共にするか。それとも、こんな結末を用意した王国に、運命に報復するか。
二つに一つ。
「ふ……ぐ、ぅ、ぁああ……?」
決断できるのか。こんな自分に、戦うことが出来るのか。
力もなければ、取柄すらない、何もないこんな自分に。
──聞こえてくる。怨念の声が、耳に届く。
「ああああああああ!!?」
悲惨な声が、ラスの身を焦がす。この建物を包む炎が、この場の全員の無念に思えてくる。
「ああああああああ!!?」
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。終わることのない断末魔が、ラスに絶望を叩きつけてくる。
シンリが、クリストが、ハイネスが、皆が。包まれる。最悪の炎が、無念を晴らせと迫る。
──許せない。
全てを奪った、王国を。自分たちの心を踏み躙った運命を。いずれ見捨てると知っていたシルヴィアを。
「許せる、わけがない。復讐してやる」
焼け爛れた右腕を、自らの剣で切り落とし──左腕で、窓から身を乗り出す。
「許さない。もう、絶対に、許さない。何度も、何度でも、呪ってやる」
そして、目から血の涙を流して叫んだ。
「全部、ぶち壊してやる!!」
復讐者が、誕生した。




